幕間3:第二勇者は奮闘している
「デビット・ローセン」と名を変えてからどれだけ時間が流れただろう。かつての自分である「ハーマン・カーソン」を捨ててどれくらいの時が過ぎたのだろう。
その答えに思うところはなくはないが、重要なのは今であって過去ではない。落ちこぼれと呼ばれたのは過去の話であり、今ではない。誰からも期待されず、ただ出来の良い身近な比較対象と比べられ、いつも彼は勝手に期待され失望されていた。親ですらも、出来の良い兄と姉に出来の悪い弟と年の離れた彼に期待し、そして失望した。
ついたあだ名は「出来損ない」と「期待外れ」だった。いつだって遥か高みにいた兄と姉の背中を見て育ち、それと同じことを求められた。魔法学士として比類なき才能を持って生まれた姉と、魔導工学という分野で天才の名を欲しいままにした兄は、極平凡の域を出ない彼には遠すぎた。
「どうしてお前は何も出来ないんだ?」
才覚の有り過ぎた二人と比べられ、親から言われた言葉は残酷だった。ただでさえ学園の中に彼と兄弟を比較しない者はなく、凡庸な彼が受け入れるにはその言葉は重すぎた。
結果、彼はグレた。
どの世界にも「キレる若者」というものは一定数いるらしく、気の合った彼らと連み非行に走った。仲間が居るという安心と認められないという共感から深入りし、気づいたときにはそちら側から抜け出せなくなっていた。
「お前は我が家の汚点だ。勘当するから二度と来るな」
いつものように夜遅くに帰宅して彼を待っていたのは、家の扉の前で待っていた父親だった。父はそう言うなり、学校指定の鞄に詰め込まれた彼の私物を目の前に放り出す。
「はっ、あんたの顔を見なくて済むかと思うと清々するよ」
売り言葉に買い言葉…勢いだけで彼は親元から去った。何の覚悟もないままに、17歳の少年は独り立ちする。
それから一年は食い凌ぐだけで精一杯の日々を過ごす。金の切れ目が縁の切れ目というように、かつての仲間はもういない。そんな中、出会ったのがまさに彼にとって理想とも言うべき兄であり、心から「兄貴」と呼べる男だった。
義侠心溢れるその男はまさに任侠だった。絵に書いたようなヒーローであり、子供心に憧れたその姿そのままの人物だった。それからしばらく彼は男について回った。男も家出をした少年が自ら家に帰るようになるまでは保護してやるつもりだった。何か事情があると思っても、決して何も聞かなかった。
だがその一年後、男は帰らぬ人となる。いつものように人助けをした結果、それを快く思わぬ人物に因縁をつけられ返り討ちにしたことで、その仲間から集団で暴行を受け放置される。その光景を見ていた者は誰も助けようとはせず、処置が遅れたことが原因で男はこの世を去った。
「どうして兄貴が死ななきゃならない!?」
彼は叫んだ。この理不尽な世界に牙を向かんばかりに吠えた。司法が動かぬことに腹を立て、彼は独自にこの件を調査した。だが、まるで素人の彼に出来ることなど高が知れており、結局この件を快く思わない人物の助けを借りてことの真相を知る。
「活動家を助けちまったのかよ…」
魔法と科学の存在するこの世界において、両者は歩み寄ることの出来ない分野も存在する。内容こそさっぱり理解出来ていなかったが、それが非常に繊細な問題であることくらいは彼にも理解出来た。そこに人助けと思い首を突っ込んでしまった結果、男は死ぬことになった。
ここで疑問が浮かんだ。何故司法が動かなかったのか?
答えは意外なところにあった。
この件の関係者の中に実の兄がいた。つまり、魔導工学の第一人者となっていた兄という存在が、この不祥事に幕を引かせたのだ。それを理解した時には走りだしていた。ただ会って、何かを言うつもりだったことだけは覚えている。
結局、何を言って、何を言われたかは覚えていない。ただ顔面を思い切り殴り飛ばし、魔法で殺されかけたことだけは覚えている。文字通り病院送りにされたのだ。
それから一週間後彼は目を覚ました。意識を取り戻してから病室に来たのは母親のみ。記憶よりも痩せてみる母を見て、彼には思うところはあった。碌に話せずに出て行ってしまったことで、心配をかけたのかもしれない。それが原因で痩せたのだと彼は思い、母の言葉を待った。
「―――のことは誰にも話さないようにしなさい」
だが彼の思惑は外れ、何年ぶりかに会った母親の口から出た言葉は、彼に対するものではなく兄の不祥事になりかねない一件の口止めだった。さらに止めとばかりに母は「兄貴」を侮辱し、あろうことか「そんなもののためにあの子の未来を棒に振る訳にはいかない」と言い放った。
そして最後に「お父さんに謝りなさい。今ならきっと許してくれる」と宥めるように肩に手をやり言う。
「ふざけんな」
彼が最後に母親に向けた言葉はこれだった。心の底から出た言葉は彼を駆り立てる。気付いた時には病院から抜けだしていた。瀕死の重体であった身体は随分とマシになったとは言え痛みと熱を帯びていた。
魔法は万能ではない。科学もまた万能ではない。その両者が存在したとしてもまだ万能と呼ぶには程遠い。怪我の完治にはまだ数週間かかると見られており、誰もがそう遠くには行けないだろうと考えていた。だが彼は見つからなかった。まるで何処かに瞬間移動でもしたかのように、誰にも見つからず彼は消え去った。
目を覚ますと召喚される前の夢を見たことに彼は驚いていた。汗ばんだ体が妙に鬱陶しく感じる。
「一度も俺を見なかった癖に…!」
怒りに歯を食いしばり、両親の顔を思い出しては周囲の物に当り散らす。昨晩抱いた女は部屋にはいないので止める者は誰もいない。ただ部屋だけが散らかっていく。
「クソ!」
そんな気分の悪い日だったからか、三人目の勇者が召喚されると聞かされ嫌な気分になった。城の廊下を肩で風を切って歩いていると、デビットの視界に同じく召喚された勇者「ハイロ」の姿が入る。気安く声をかけるが、ハイロの反応があまり良くない。
(やっぱりハイロでも新しく召喚される勇者が気になるのか)
この時のデビットはまだハイロに見切りをつけられていることなど感じていない。同じ勇者として「得られるものは全て得てやる」という意気込みで、自分よりも強いハイロから何かを得ようとしていた。初めて戦い、負けた時からその強さに感じ入るものがあってか、デビットはハイロに付きまとうようになっていた。
気付いた時には単身で魔人に向かおうとするハイロに付いていき、自身が魔人を倒してしまう。そうして得た貴族という特権階級に、デビットはしばし呆然とし理解する。
(俺の力が認められたのか?)
常に才能のある兄弟と比較され、何をしても自身を認められることがなかったデビットには、功績に報いるという極当たり前のことに感動すらした。
(そうだ…この世界では俺はちゃんと評価される。認められる!)
それからのデビットは功績を求め、王国に取り込まれた。だからハイロは彼を見限った。召喚されてからずっと情報を集めていたハイロとデビットでは、自分が置かれた状況の理解の差は歴然である。デビットは事前に受けた説明通り、魔王さえ倒してしまえば帰ることが出来ると楽観視していたが、ハイロは王国に帰還手段がないことを把握しており、そもそも帰還方法がない可能性も視野に入れていた。
だからこそ帰還方法を手に入れた時の王国の反応を警戒する必要があった。その必要がある世界だと判断する材料が幾らでもあったからだ。これがハイロがデビットを切った最大の理由である。
そうとは気づかずにいつも通りにハイロに話しかけ、新たに召喚される三人目の話をする。
「使える奴だといいんだがな」
いつものようにどこかだるそうに言うハイロに違和感を感じることなく、その日の会話はそれだけで終わった。
三人目の勇者「篠瀬葵」が召喚され、彼女が部屋に引き篭り出した頃、デビットはすっかり変わっていた。権力という力に触れたことで、彼の価値観は変化した。
「権力を振るわれる側から振るう側へ」と意識が変わり、この世界の権力者そのままの姿になっていた。三人目の勇者が自分の立場を脅かすものではないと解った時に安心感を覚え、それが彼の理性を大きく削ることとなる。この頃から彼は調子に乗り出した。
「お前は既に王国の側に立ってものを考えている。下手なことは話せない」
ある日、いつもの様にハイロに声をかけたデビットは、ふと最近あまり話していないことに気づき、何気なくそのことを聞いた。その時、この言葉を聞いて一瞬意味がわからないといった顔になる。
初めこそ「この国の人間として戦っているのだからそれは仕方ないだろう」と思ったが、デビットはハイロには自分がこの世界で得た地位を手放すまいと必死になっているように映っていると勘違いをした。
「俺は…そんなつもりじゃ…やっと誰かに認めれられて、それで…」
言い訳がましい言葉が漏れる。だがハイロはそんな彼を無視して立ち去った。その日の晩のことは「一生分は頭を使ったのではないか」というくらい悩んだとデビットは後に語る。
翌朝、二人の勇者の元に第三勇者が部屋から出てきたことが知らされる。「なんだそんなことか」としかデビットは思わなかったが、どうやら様子がおかしいらしくデビットも気になったので見に行くことにした。
城の廊下を歩くのはまるで別人となった第三勇者「篠瀬葵」だった。いや、初めて会った頃の軽快であった彼女と言うべきか。だが、決定的に違うものがある。
目だ。
その視線は見透かすように、見通すように、高みから全てを見下ろすように感じられた。自身のスキルが警報を鳴らす。「あれはヤバイものだ」と。
だがそれ以上に気分が悪かった。
昨晩の葛藤を見透かすような目が気に入らなかった。何もかも知った風な顔が気に食わなかった。気付いた時には喧嘩をふっかけ、気がつけば負けていた。ただデビットの攻撃をノラリクラリと躱すだけの葵に痺れを切らした直後にその一撃は来た。強烈なまでの股間への一撃は容赦なくデビットの意識を刈り取った。
この一件でデビットは周囲の評価が下がったことを気にして周囲に当たり散らすのだけは我慢した。ただでさえ、調子に乗り出した際に女中に手を出し、堅物の騎士が傍にいるようになり動きづらくなっている。これ以上は問題があると、何か鬱憤を晴らすものはないかと街へと繰り出した。
なにかないかと己のギフトを用いてでも周囲を散策する。そこで変わった気配を感じた。
(地面の中?)
地底人がいてもおかしくないのが異世界だと興味本位でデビットは近づく。しかしそれが地面の中ではなく影の中に何かが潜んでいるとわかった。
「こいつにしよう」
腹が減ったからここの店に入ろう、というくらいの感覚でデビットは影に潜んでいるであろう人物を八つ当たりの対象に決めた。
「そこに隠れている奴、出てこいよ」
それから光魔法で炙りだした男を見るなり、デビットは彼の容姿に葵との共通点を見出す。少なくとも、こちらの世界では見ない姿である。そして指にはめられた自分と同じ翻訳の指輪を見て確信する。
(おいおい…こいつ召喚された異世界人かよ。だったらそう簡単には倒れねぇな。ちょっと鬱憤晴らしに付き合ってもらうぜ)
こうして大凡最悪と言って良い出会いが成された。結果的に言えば彼と一定の距離を保ち、その後に彼の起こした問題で、デビットが中立の立場を維持することが出来たのはこの出会いのお陰とも言える。「いずれやり返してやる」という言葉を王国側が信じたことが幸いだった。
「はあ? 五人目を召喚する?」
一国の王を泡を吹くまで煽るという前代未聞の事件からしばらくして、四人目の勇者から聞かされた言葉をデビットは思わず聞き返してしまう。あの一件以来、勇者達は見事に割れた。
「帰ることを第一」とするハイロと葵に中立であるデビット。そして「この世界を救う」という第四勇者のセインスという具合にまとまりのない状況になった。そこにさらに新たな勇者が加わるという。
また厄介なことになるとデビットは思わずにはいられなかった。
補足説明
デビットの世界は魔法と科学が存在しており、その両方が発展している。万人がその両方を理解し、修めることは難しく、大抵はどちらか一方に偏る。結果、魔法と科学の間に諍いは絶えず、どちらかに偏った者同士ではろくに話も出来ないことも多い。科学偏重派と魔法偏重派に別れて争っているところもあり、両者をまとめる魔導工学という分野は政治絡みの問題が多い。作中の一件もそれ絡み。
テロ的な話は時期が悪いので書き直し。無駄にタイムリーである。
余談
デビットの世界は魔法と科学が存在しており、その両方が発展している。万人がその両方を理解し、修めることは難しく、大抵はどちらか一方に偏る。結果、魔法と科学の間に諍いは絶えず、どちらかに偏った者同士ではろくに話も出来ないことも多い。科学偏重派と魔法偏重派に別れて争っているところもあり、両者をまとめる魔導工学という分野は政治絡みの問題が多い。作中の一件もそれ絡み。