3-3:考えの違い
借りた部屋の影の中、今日の分のガチャを回し終えた俺はペットボトルのお茶を取り出し一口飲んで一息つく。
結局、ライムの感情表現の学習は、酒場のオッサンのように豪快に大口を開けて笑う様を見て失敗したとの結論に至った。美人が限界まで口を開けて笑う顔を見て「これはない」と呟いてしまう。
元々は本能だけで知能も知識も持ち合わせていないスライムである。そこに知性が生まれたからといって、いきなりなんでも出来る訳ではない。男女の区別も出来なかった頃に比べれば大きく進歩している。感情を理解しろというのは、スライムからしたら無茶ぶりもいいところなのだろう。
あっちの技術に関しては文句なしだ。物覚え自体は悪くない…いや、むしろ何でもすぐに覚えてしまう。元々ない概念を伝えるのはやはり難しく、性別を教えるために繁殖の仕組みから教えることになり、そこでライムの物覚えが良いと判明したこともあった。
だがやはり感情のような曖昧なものは説明が困難である。形があるわけでもなければ人によって感じ方も異なる。やはりこちらは時間をかけてやっていく必要がありそうだ。
次に最近のガチャの成果を確認しておく。シレンディに来て四日目…残念なことに本日のガチャで白金が一つ出た以外、これといったものがなく、新カードも今日手に入れた白金の一枚だけと芳しくない。
そしてその新しいカードがこれだ。
「触手」
心惹かれるものはあるが、そっちの属性はないので特に用のないカードである。こんなカードが白金である理由は不明だが、効果自体はまともだったりするのだろうか?
それはさておき、本日の交換五回は…今は保留にしておこう。未鑑定品をほぼ葵に鑑定してもらったおかげで鑑定のカードを交換する必要がなくなり、交換に余裕が出来た。欲しいものは幾らでもあるのだが、知識のオーブが交換出来なかったように、カードの中にも交換不可のものが幾つもあった。
当然の如く「幸運」は不可。それ以外にも金では「神の見えざる手」や「緑の獣」「赤い獣」が出来ず。状態異常系カードは全滅。白金に至ってはバースト系に「ハイヒール」「再生」以外は全部交換不可という有様である。
何故か黒は全て交換可能だった。ポイントが足りてないので交換出来ない様子なのだが、ポイントが足りていないと判別出来ないのではないかと疑ってしまう。
ポイントさえ稼げば疑問は解決するので、さっさと聖光教会のモスクみたいな建物に忍び込むのもいいが、やってしまえば騒ぎになる。なのでまずは情報収集と補給だ。
俺は影の中から出るとライムをリュックに入れて担ぎ、両肩に鞄を三つかける。大きい鞄を買って一つにまとめよう。背負うとわかるがライムは結構重い。米袋を担いでる気分になるが、気にしていても仕方がないので町へ繰り出そう。
鞄を入れる鞄を買い、肩にかけるには少し大きい鞄をかけて市場を歩く。魔法の鞄はどれも容量に余裕を持たせているので重量は軽く、ライムの重さが気になる程度なので適度に休憩を挟みつつ歩き回る。
露店がずらりと並ぶ市場は人が多く、時間を変えて来たくなるが野菜や果物は来るのが遅いと碌なものが残っていない。我慢して人ごみに揉まれながら買い物を進める。
身体能力はこっちの世界の一般人以下なので、人の流れに逆らえずガタイの良いオッサンにぶつかってしまう。
「おい、どこ見て…」
こちらに文句をつけようとしたオッサンが、俺を見るなりぎょっとして語尾を濁す。それからすぐに目を逸らし、軽く舌打ちして背を向けて去っていく。
ライムと賊を狩っていてわかったことがある。それはこの世界の住人は人を魔力で判断する傾向があるということだ。その為にも魔力を感じ取る必要があるのだが、その精度は高くなく、感度もよくない。魔力が高いものは距離があってもわかるようだが、そうでなければ射程は30mもあれば良い方である。人によっては5mもない。そして魔力を計る際には必ず対象を見て探るが、感じている魔力は対象のものではなく、その周囲の魔力であることが賊との戦闘で判明した。
いつもなら魔力を持つライムを真っ先に賊は注意するのだが、俺とライムが重なると俺に注意を向けるのだ。疑問を感じた俺はライムをリュックに入れ、賊と戦ってみた。結果、賊はライムの魔力を俺の魔力と勘違いし、カードを使う俺を魔術師と認識した。これを何度か試したことで確信を得る。ライムを背負っていればその魔力を俺のものと勘違いする。昨日の件から傍に置くだけでも大丈夫と判明したので、魔力感知はかなり大雑把なものなのだろう。
まあ、正確に魔力の場所や高さがわかるのであれば探知系の魔法などないだろう。そう言えば、影の中は魔法で存在がバレるはずだ。となるとライムを背負ったままの場合、探知等に引っかかるということになるのか。
思わぬところにデメリットがあった。これからは気をつけていこうと思いつつ、買い物を続けていると声をかけられる。
「リョーじゃないか、あんたも買い物かい?」
パナサだ。どうやら彼女も買い物中らしい。昨日と同じようにマスクをつけて目から下を隠したままだ。
「ああ…また焼かれたくないからね」
俺の視線に気付いたのか、耳元で小声でそう囁くと「見たかったらまた今夜」と夜のお誘いまでしてくれる。それも良いのだが、今晩の間にあのモスクもどきに潜入して、取るものを取っておさらばの予定である。
少々惜しいがここは断る。少し残念そうにしていたが、代わりにこの町の案内を頼むと「任せて」と張り切ってくれた。昨晩襲ってこなかったのだから、今日襲われる心配はないだろうし色々教えてもらおう。
それから二人で町を回った。途中何度もパナサに声をかける男がいて、ついでとばかりに俺にも声をかけてくる。どうも俺が思ったよりもパナサは有名人であったらしく、こちらに向く視線の多さが少し怖かった。視線をこんなにもはっきり感じるとか初体験である。ストーカー被害者の気持ちが少しわかった気がした。
パナサとは昼食を摂った後に別れた。最後にこの町の名前を聞き忘れていたことに気づき、それを尋ねたところ、パナサは暗い顔をして「リーヴェル…でもその名前は使わないほうがいい。今は『三番目の町』で通じるよ」と言っていた。これも教団絡みなんだろうなと推測し、それ以上は聞かないことにして、彼女を見送った。
さて、それで現在は昼飯を食べた店の椅子に座って昼休みの真っ最中な訳だが…
どうして屈強な男達に囲まれなきゃならないんでしょうかねぇ?
青年から中年まで一様に黙ったまま俺を囲んでいる。そのまま暫く待っていると一人の男が包囲を割って入ってくる。
「たしか…ジェサイだったか?」
ジェサイは大きく頷いた。
「まずは、礼を言う。パナサを助けてくれて感謝している」
そう言ってジェサイが頭を下げると、周囲の屈強な男達もそれに合わせて頭を下げる。こんな強面連中に好かれるとか勘弁して欲しい。
「彼女は俺達の希望だったんだ。本当に感謝している」
一人の青年がそう言って前に出る。
「まさかとは思うが…それを言うだけのために俺を囲んでいるのか?」
むさくるしいのはごめんなので早く本題に入ってもらいたい。横に居るオッサンが凄い目でこっち見てるんだよ。
「それだけだ」
ええー?
本当にそれだけらしく、囲みは解かれ、男達が去っていく。横で俺を睨んでいるオッサンとジェサイだけになると、ジェサイがオッサンに去るように言って自分も立ち去ろうとする。
「あー…ちょっと聞きたいことがあるんだが?」
折角なのでジェサイに教団について教えてもらうことにする。感謝の念があるのであれば、色々と話してくれそうだ。
「ラニガのことは気にするな。あいつはパナサとの付き合いが長くてな。娘のように想っている」
なるほど…娘とデートする男を睨みつける父親という訳だ。殺気とか含んでいそうだな。
それはともかく、教団について聞こう。
聞きました。
オッサンとの会話なんて面白くもないから重要そうな部分以外全部聞き流した。
まあ、それでもわかったことは多い。
「神の名の下に人は平等である。その実現のために寄付が必要であり、その活動のために我々は成すべきを成す」
これが教会の考えである。これは「神の名の下に人は平等である」という神の子「ヴィーラ」の教えが、今の教会の手にかかればこうなるという見本である。
要するに神の子「ヴィーラ」の教えを説くのが聖光教会で、その内容を自分達の好き勝手に解釈して好き放題やっているのが現状である、ということだ。「人は平等である」と説くがその中に「亜人」や「魔人」は含まれておらず、排除する対象としているがそのような教えはどこにもない。
他にも色々あるみたいだが、興味がなかったので頭に入らなかった。
本来なら人が生きていく上での指針となったであろう教えを、教団の権力者の都合の良いように勝手な解釈して、それがまかり通るように「聖騎士」と呼ばれる精鋭騎士を用いて、反抗するものを排除、弾圧するのがこの国の基本のようだ。
そんな統治が数百年続いたおかげで、国内は荒れに荒れて人がどんどん減っていく。その穴を埋めるために税を上げるので、地方は既に暮らすことが出来ず、皆土地を捨てて賊か流民となっている。加えて食糧生産がどんどん落ち込み、他国との交易なしでは食糧は賄えないほどとなる。
村がなくなりつつあり、食料がじわじわと値上がりしていく中で何も手を打たず、搾取し続ける国を富裕層は見捨て、隣国へ逃げる者が後を絶たなかった。そんな中、国境の街道付近に関所を設け、国民の流出に歯止めをかけたのが二十年前になる。
現在は武力を用いて弾圧することで国を維持している状態だと推測する。その状態で帝国の人間が聖都と呼ばれる教王がいる都市に頻繁に出入りしているとなれば、この国のお偉方はこの国を売り渡すつもりなのではないかと勘ぐってしまう。
長々とジェサイは語ってくれたが、要するに一言で言うとこうだ。
この国はもう終わりである。
俺もそう思う。
まあ、確かにそれだけ腐った国なら、パナサの踊りが希望にもなるかと納得していた。
だがそう思っていた時に、ジェサイから思わぬ言葉が出た。
「誰も逆らうことが出来なかった教団に逆らい、今も生きている。パナサはこの国で虐げられている者達の希望だ」
ジェサイはこれで最後と立ち上がりそのまま去っていった。
それで、残された俺は今もこうして椅子に座り考えている。
そして最後の言葉の意味を考える。
教団に歯向かい、顔を焼かれても尚生きる彼女は、それだけで教団に対する反抗と捉えられている。だから人気がある。誰も教団に異議を唱えることも出来ないから、教団に逆らった彼女を持ち上げる。彼女がどれだけ素晴らしい踊りを披露しようが関係なく、彼女が生きて、活動することが重要なのだ。
昨夜、酒と踊りで盛り上がっていたと思っていたが、そうではなかったらしい。勿論それもあっただろうが、それ以上にそれ以外のものがあったというだけだ。
「国が国なら、人も人、か…」
多分俺は少し嬉しかったんだろう。あんな風に酒と女の話で盛り上がれるような場所が、この世界にもあって、そこで馬鹿みたいに騒げることが、日本にいた時の俺の生活の一部と重なってしまったんだろう。
何とも言えない気持ちになる。失望したわけではないし、裏切られたわけでもないが、現実というものがいつだって思い通りにいかないものだと再確認させてくれた。
日がもうじき暮れる。
部屋に戻った俺はそろそろ今日の分の交換をしておこうと頭を悩ませていた。そしてさらに頭を悩ませることが判明した。確認し忘れていたので無理とわかってやってみた。その結果―
願いのオーブが交換対象と出ていた。
もう一度確認する。
やはり願いのオーブが交換対象として認識されている。幾らなんでもこれが交換対象とは思えない。となればやはりポイントが足りていないものは対象かどうか判別出来ないということだろうか?
しばし固まり思考がぐるぐると回る。
わからないことだらけだ。
情報が少ない。これは考えるだけ無駄か?
ならば発想の転換だ。
考えてわからないほど難しいなら、難しく考えなければいいじゃない。
そうだ、難しく考える必要はない。ポイントを貯めて、交換出来るかどうか試せばいい。もしも交換可能であれば、金があれば願いが叶うということだ。
幸いここは宗教国家。「信者」と書いて「儲」ける、だ。きっとたんまり金を溜め込んでいるに違いない。
さらに国民は教団の横暴と弾圧に耐えかねている現状…ならば、これは正義である。
まいったな…勇者なんてやるつもりはないんだが、俺の高潔な精神と人柄がそれを許してくれないらしい。
しかし一方的に相手の財を放出させるのでは神様も不平等と仰るだろう。神の名において人は平等らしいからな。
故に、俺自身も戦略的に必要と思われるカードの交換という形で財を放出する。これで平等になるので、神様も笑ってお許しになられる。教義通りなので教団員も文句はないはずだ。
これから交換する予定だったので丁度良い。
ここでふと気がついた。
侵入して取るものを取るだけでは、連中はきっと犯人を捜すためにこの町の住人に片っ端から尋問という名の暴力を振るうはずだ。ならば遠慮はいらない。ここの教団は潰すつもりでやってしまおう。苦しめられている人々のためにも。俺は戦うことを選択する。
などとは言っているが、要するにここでの騒ぎを派手にすれば、鬱憤の溜まった住民は何らかの行動に出るかも知れない。仮に何もしなくても派手にぶっ壊せば俺一人だとは思われないだろう。つまり、ここの住人を巻き込んで俺の隠れ蓑になってもらうだけである。
という訳で、暗くなってきたしそろそろ向かおう。
折角なので「右の頬をぶたれたら、左の頬も差しだしなさい」というキリストの言葉に則り、今から行くモスクもどきにいる教団員全員に往復ビンタをプレゼントしよう。
その為のカードがこちら「神の見えざる手」である。神の手でビンタを食らう…聖職者としてこれ以上の誉れはあるまい。
どや? 嬉しいやろ?
神の使いがやって来る。ひれ伏せよ信者ども。
まだしばらくは忙しいです。