幕間:残酷なペテン師のテーゼ
今回は三人称視点。幕間のようになっております。
「テーゼ・ブルクリン」…本名「イズリス・メイカフ」は農村の生まれである。どこにでもある貧しい農家の次男として産まれ、赤茶けた髪に貧相な体を持ち極々普通の幼少時代を送る。
変化が訪れたのは彼が10歳の頃、村は飢饉に見舞われ多数の死者を出す。事前に食糧不足が深刻であったため、何人もの子供達が奴隷商に売られたが、それでも死者の数を僅かに減らすに留まる程度であった。彼もその一人となり、生き延びることとなる。
その時に彼は「生きることの厳しさ」を知った。家族と引き離され、泣き叫ぶ他の子供達を見ながら考えた。「どうすれば自分はこちら側から出られるのか?」と。
時は流れイズリスは12歳となった。
彼を買った商人からの覚えは良く「良い買い物をした」と言われる程には評価された。実際、彼は頭が良かった。同じ時期に買われた奴隷達とは比べものにならなかった。「ここ」から抜け出すためには、そうである必要があったからだ。
だがこの時期に彼は致命的なミスを犯す。
主人が商人である以上、賄賂を求める兵士との関わりは極めて慎重にならなくてはならない。彼らは常に払えるであろうギリギリの額を要求する。故に内情を知られれば、限界まで搾り取られることになる。
彼は騙された。兵士ではなく税務調査を行う役人と聞かされ、言葉巧みに内情の一部を喋ってしまった。
「税を真っ当に納める商人ならば、いずれ貴族への道が開ける」
この言葉が彼の口を滑らせた。それは「ここ」からの脱出口。主人が貴族となれば、自分の置かれている状況も変わるだろうという希望的観測からのミスであった。
主人が兵士達の要求から、彼らがこちらの懐事情を知っていることに気が付くにはさして時間はかからなかった。幸いなことにどこから情報が漏れたかまではわからなかった。だが、主人の景気は奴隷の景気に直結する。そこで彼は主人に囁いた。
「奴隷長が兵士達と話をしているところを目撃しました。その際に何かを受け取っていたようです」
事前に奴隷長の身の回りに銅貨を数枚隠しておいたことで、目論見通り彼は処分される。日頃から主人に目をかけられているイズリスを目の敵にしていた奴隷長は邪魔だった。何より、奴隷の食い扶持を減らす必要があった主人にも良い口実だった。
その後、イズリスは奴隷長の地位を手に入れる。
「私は絶対にご主人様を裏切りません。奴隷商の元で、飢えに苦しむことしかできなかった私を買ってくださった御恩は決して忘れません。雑務はお任せ下さい。何としてでもこの状況を乗り越えましょう」
主人がその言葉を聞いてから一年後…商人宅は盗賊に襲撃され数人の奴隷を残し殺された。その手口から手引きした者がいたのでは? と囁かれたが真相は闇に消えた。
殺された商人の内情は決して良くはなく。僅かながら借金もあった。その借金のカタにイズリスは新たな主人の元で働き始める。
イズリス15歳。以前の主人の下で算術を習った彼は、奴隷の中でもそれなりの立場にいた。だが彼は焦れていた。奴隷となって五年の月日が流れても、彼の中に「ここ」から抜け出る景色が思い浮かばなかったのだ。
そんな中、イズリスは自らを役人と偽り、自分を騙した兵士と再び出会う。彼はイズリスにこう言った。
「お前が前の主人の内情を俺にバラしたことを今の主人に話して欲しくはないだろう? ならやることはわかっているな?」
その脅しにイズリスはあっさりと屈する。
「わかりました。ですが、今の地位では得られる情報はほとんどありませんので、私の地位をどうにかしてください」
その言葉に兵士はニヤリと笑う。きっと彼はこれから手に入るであろう金の勘定でもしていたのだろう。だがイズリスは彼に利用される気など全くなかった。その日のうちに彼は主人にこう告げたのだ。
「私の以前の主人を搾取していた兵士がここに目を付けたようです。彼の手口を知っていますので聞いて頂けますか?」
その内容は彼が奴隷の一人に目を付け接触、その際に自分を税務調査を行う役人と偽り「主人が貴族となるために必要なこと」と言い内情を探る。また主人が貴族となれば奴隷の待遇は大きく変わることも付け加える、といったものだった。
後日、イズリスは兵士に捕まった。接触してくるには早すぎるが、掃き溜めのゴロツキとなんら変わらない者が相手では仕方がないだろう。数も三人に増えており、成果を急ぐ辺り金に困窮しているのであろう。案の定、次の賄賂を受け取る際に少しでも額を上げようとしてのことだった。
「以前申し上げた通り、立場的に得られるものがほとんどありません。どうにかして私の立場を上げて頂かない事にはどうにもなりません」
イズリスはただ事実を述べただけなのだが、癪に障ったらしく数度殴られた。
「今すぐにどうにかしろ」
凄んでみせる兵士達を見て、イズリスは「兵士というのは馬鹿しかしないのか?」と疑問に思ったほどだ。
「でしたら、今の奴隷長を以前と同じ手段で騙せば良いと思います。騙された本人が言うのものなんでしょうが、あれを考えた人は天才です。まず間違いなく上手くいくでしょう。奴隷にはまともな知能はありませんから」
その言葉に気をよくしたのか兵士達は早速行動に移した。結果、全員が本物の役人に捕まえられることとなった。
何をするかわかっていれば対処は容易い。兵士風情が由緒正しき貴族に仕える役人を騙ったのだ。彼らには良くて厳罰、最悪死刑が下されるだろう。こうして、イズリスは現主人の信頼を確かなものにした。
その半年後、イズリスの主人である商人の店が盗賊に襲われた。何者かが手引きしたかのようにその手口は鮮やかだった。商人は殺され、その妻と娘は攫われただけでなく奴隷も何人かは殺され、連れ去られていた。
連れ去られた奴隷の中に、イズリスはいた。
盗賊達のアジトで仕事の成功を祝う小さな宴が催される。そんな中、ただ一人奴隷の格好をした少年が頭目に話しかける。
「次の潜入はどうしましょうか?」
イズリスは盗賊の一員だった。かつて奴隷長となったとき、自ら盗賊の一味に接触し自分と主人を売っており、その時の襲撃も彼の手引きより引き起こされたものだ。
彼は奴隷長となり、その行動範囲が広まると同時に人の顔を覚えることを始めた。そして不自然な人間を見つけ出し声をかけたのだ。
「楽な獲物がありますが、いかがです?」
これがイズリスが盗賊の一味となった経緯である。詳細は省くが、当初盗賊はイズリスを信用しておらず、一味に加える気もなかった。だが頭目である「デバス・デガット」の一声により一味となる。
そして盗賊となったイズリスは自分から誘いをかけた仕事を終えるとデバスに言った。
「次のアテがあります」
仕事を終えればイズリスは用済みである。だからこそ、次を提示した。自分が生かす理由をつけたのだ。その言葉にデバスは笑った。それはイズリスの命が繋がったことを意味していた。
二度の仕事を終え、三度目を自ら提示せずに質問をする。これは確認だ。
「その必要はねぇ。お前はこの仕事で自分を買い戻した」
自らの価値を示し、自分という存在を認めさせることに成功したことの確認である。
「これで今日からはお前は俺達の一味だ。『イズリス・デガット』を名乗りな」
その言葉に周囲が沸き立つ。歓迎しない者もいたが、歓迎する者が大半を占めた。
宴が盛り上がりを増す中、イズリスはデバスと話をしていた。
「お前、それは本気で言っているのか?」
「はい、一度俺を売った故郷がどうなってるか見ておきたくて…」
その言葉が聞こえた周囲から笑い声が響く。
「ガキだとは思っていたが…甘ぇ甘ぇ…」
「すみません…ですがこれは俺にとって区切りをつけるための儀式のようなものなんです」
入って早々単独行動を…しかも仕事に関係のない頼みごとをする新入りにデバスは唸り声を上げる。認めるか否か…目の前の新入りが馬鹿なことを言っている、それで済ますのは容易い。だが、デバスが欲しているのは命令に忠実な配下である。ならば、ここで一つ恩に着せておくのも良いだろうとデバスは結論を出す。
「オコラス!この新入りについて行ってやれ!」
「ええ、マジですかい?」と名を呼ばれた男がやれやれと立ち上がる。
「お前には見所があると思っている。俺を失望させるなよ」
腕の立つ見張りを付け、イズリスの願いを聞き届けてやる。距離的に二十日もあれば帰ってくるだろう。デバスはそう考えて二人を見送った。
それから三日後、イズリスはオコラスの首を持って街の兵舎を訪ねた。
「最近、商人を襲っている盗賊団のアジトの情報を提供したい。俺は襲われた商人に雇われていた者だが、一度捕まったがどうにか逃げ出してきた。一人殺してしまったので恐らく逃げたことには気付かれている。早くしなければ逃げられてしまうぞ」
こうしてイズリスは自由と金を手に入れた。同様の手口で何件か襲われていたらしく、危機感を持った商人ギルドがデガット盗賊団に懸賞金をかけた。そのことで予想以上に懐が暖かくなったことは、イズリスにとって嬉しい誤算である。
彼は再び「イズリス・メイカフ」と名乗り、故郷を訪れた。だが、そこにあったのはかつて村があった跡地である。後に彼は自分が売られた二年後に、オークの大量発生で故郷を含む三つの村が壊滅したことを知った。だが、彼はこの光景を見ても「まあ、そんなものだろう」という程度にしか感じることはなかった。
この頃からイズリスは物思いに耽るようになる。親に売られ、生き残った自分と親の元で一緒に死んだであろう兄弟達。一体どちらが幸せなのだろうか?
イズリスは足掻き、騙し、利用出来るものは全て使いあの底辺から這い上がったつもりである。しかしその後のことは何も考えていなかった。
それからしばらくは特に何もない日々を送った。とは言え、彼は働いておらず収入もない。報奨金もいつまでももつわけではないので、人を騙し金を得ていた。そんな暮らしを続けていると、気が付いた時には嘘で身を守り、嘘を糧を得る手段とするのが当たり前となっていた。
危うい生き方であると感じることはないままに、イズリスは各地を転々とした。その為に必要な物は目に付いた相手から騙して奪った。
時は流れ、イズリスが16歳になった頃、彼は現れた。
彼は自分を暗殺者だと言い、イズリスを殺しにかかった。
人違いであると言っても無駄だった。
標的である人物を知っていると言ってもダメだった。
それからどのような言葉を投げかけても、彼は耳を傾けることはなかった。
実力の差は歴然、あっという間にイズリスは組み伏せられ喉に短剣が突きつけられる。
「世の中には騙すことができない相手もいる。運が悪かったな、坊主」
「いいや」
イズリスはその言葉を強く否定する。火を灯したかのように感情が揺らめいた。
「僕が騙せない相手なんてこの世界にはいないね」
それは「怒り」…彼の持つたった一つのプライドを傷つけられた怒りだった。生きるための手段であった「嘘」は、彼の中で剣となり、盾となった。歴戦の強者が長く共にした己の武器を誇るように、嘘は彼の中で「誇り」となった。この時、彼は初めてそれを自覚した。だからこそ、この絶望的な状況でも笑うことが出来た。
「当然、あんたも騙されるんだ。今、ここで」
突然笑い出し、訳のわからないことを言い出した。頭がイカレタのかと納得し、さっさと仕事を終えようと、手にした短剣を首を掻っ切るように滑らせようとした時、イズリスの一言で彼の手が止まる。
「俺ならもっと上手く殺せる」
放った言葉は予想外の挑発。
「やっぱり手が止まった。わかるよ。あんた、仕事に誇りとか感じるタイプだろ? わかるよ、よぉぉおくねぇ」
ニヤニヤとした薄笑いを浮かべるイズリスを見て、術中に嵌ったかと己を諌め、再び手に力を込める。
「殺してしまえばそれでオシマイ。あんたはその先を見ることなく、朽ち果てる」
暗殺者は鼻で笑う。
「あんたの暗殺術? それにはそこから先はあるのか?」
聞く価値のない言葉のはずなのに手が動かない。
「武器や毒で殺すだけが暗殺じゃない。俺なら、あんたにそれを教えてやれる」
「ほざくなよ、素人が」
イズリスは初めてそこに感情を見出す。
「力が欲しいんだろう? 言わなくても解るよ。あんたの短剣からは十分すぎるほど伝わった」
短剣が首の皮を押しのけ刃の部分が半分ほど埋まる。
「あんたに『殺し』の美学があるように、俺にも『騙し』の美学がある。だからわかった。だから感じた。俺達は互いを必要としている」
暗殺者の手は止まっている。
「俺の『騙し』の技を全てくれてやる。その代わり、俺に『殺し』の技を教えてくれ」
そして止めの一言は紡がれる。
「もっと殺したいんだろ? 『殺し』の技術だけでは殺せない相手だっているんだろう? なら、迷うな。俺を利用しろ。そうすれば―
もっと殺せる―
暗殺者の手は震えていた。それは畏怖ではなく歓喜。釣り上がった口元が、それを如実に語っている。震える手が口元へ向かう。そこで暗殺者は己の負けを悟った。何故なら、こんなにも笑いを堪えることが出来ないでいるのだから。
解放されたイズリスは首から流れる血を指で掬い舐めながら「おお、痛い痛い」と笑う。手当を終え、思い出したかのようにイズリスは暗殺者に話しかける。
「そう言えば名前、聞いてなかったね」
暗殺者は短く「ガゼフ」だ、とだけ答える。その後に、自己紹介をしようとしたイズリスを制して言う。
「名前を変えろ。あとは髪の色でも変えておけ」
「そうだな。それじゃあ俺の名は…」
この日、詐欺師「テーゼ・ブルクリン」が誕生した。その三年後、一人の暗殺者が消え、一人の詐欺師が世に憚ることになる。