サトウヒロシ
東京の夏はとにかく暑い。照りつける太陽だけでなく、アスファルトやコンクリートの建物からも茹だるような熱気が発せられ、道行く人をますますグッタリさせる。
たまたま職場に友人の田中が来たので、一緒に昼飯を食うことにしたのだが、外に出た直後にこのクソ暑さに襲われてウンザリとする。暑さに耐えきれず、外に出てすぐ近くにあったランチをやっている喫茶店に逃げこむように入った。二人でサラダのついたナポリタンランチというOLが食べそうな昼飯を注文した。田中の幼馴染だという男の話を聞きながら、ケチャップ味のベタな味のナポリタンを俺は食べる。いつもは社食でうどんとか蕎麦とかだけを一人で簡単に食べてすましていたが、こういう感じで誰かと昼飯を食うのも悪くないのかもしれない。食後に飲んだ珈琲も旨く、モヤモヤしていた俺の気持ちも少しスッキリした。
しかしお店を出たとき再び外の熱気が俺達を襲い、狂ったような暑く息苦しい季節を思い出す。その熱さに一瞬戸惑っていると突然俺の腕を掴んでくる人がいた。
「おっ、サトウ久しぶり! サトウヒロシだよな?」
戸惑い頷く俺の事を気にせず、色黒で丸顔の男は陽気に話しかけてくる。この暑さもこの男にはまったく関係ないらしくテンションがやたら高い。
「おー!! 会うの久しぶりだよな? 同窓会ぶりだから一年ぶり? ん? いや……こないだ飲んだか!
また金城が島出身のヤツ集めて飲もうって言ってるから集まろうな!
電話するから、じゃあ、また!」
せっかちなヤツなのか、自分の言いたい事だけを言うだけ言ってその男は去っていった。俺はその男に『またな』と言って手を振る。いつもならもう少しまともな反応を返せるのだが、ぼんやりしていた俺はそうすることが精一杯だった。
隣にいた田中は不思議そうに俺の顔を見ている。
「今の誰や? それに、島って何? アイツ誰?」
俺は苦笑して首を横にふる。
「さあ、知らない、人違いみたいだから」
その言葉に田中はビックリしたように目を見開く。俺はいい加減繰り返されたこの状況に溜息をつく。
「俺ってさ、日本でありがちな苗字と名前だろ。それにこの顔、すっごく良くある顔みたいでさ、色んな人から知り合いと勘違いされるんだ」
俺は本当にこの事で困っているのに、田中はブブっと笑う。そう俺は日本で一番多い苗字『佐藤』であるばかりか、日本の男性で一番ありがちな『ヒロシ』という名前。そして体型は中肉中背。目は一重だが、吊り上がっていて目つきが悪い訳でもなく垂れている訳でもなく、大き過ぎず小さ過ぎず一重という以外に特徴はない。鼻と口も同じで、団子鼻とかタラコ唇とかいった感じで表現する事が一切できない『普通』としか言いようのない形をしている。眼鏡をかけている訳でもなく、髪の毛も多過ぎず少な過ぎず。似顔絵画家が一番困るタイプの人間ではないだろうか? 電車にはこんな顔に人間が必ず二・三人は乗っている感じの平均的な日本人の顔なのだ。初対面であっても『何処かで見た事のある人』という不思議な感覚を沸き起こす顔らしい。
その為か街を普通に歩いていても、よくこのように声をかけられる事が多い。しかも名乗って人違いを理解してもらおうとしても、その相手が間違えている人物も『サトウヒロシ』である事が多く余計にややこしい。東京に出た当初は戸惑っていたが、だんだん面倒臭くなってきたので、こういう場合は適当に合わせて別れるようにしている。
今度はどういう『サトウヒロシ』と間違えられているのだろうか? と探ったりして、この状況を楽しんでいた時代もあった。
ある時はもともと東京に住んでいるテニスサークルにいる大学生、ある時は大阪出身のサラリーマン、作家を目指しフリーターをしているらしい男……といった感じで様々な俺とそっくりな『サトウヒロシ』が他に存在しているようだ。逆に友達から多数の『サトウヒロシ』の目撃情報も聞く。『昨日の、ライブ会場ではビックリしたよ! お前もミーナちゃんの事好きだったんだな。だったら今度は一緒にいこうぜ』といった感じの事を言われる事も少なくはない。それくらい『中肉中背のこの顔のサトウヒロシ』は世に溢れている。
東京に出て六年、そんな状況がずっと続いてくると、だんだん気持ち悪くなってくる。
バイトの面接でも『佐藤くん、あれ? お母さん、もう大丈夫なの? そんな面接という形でこなくても普通に戻ってきてくれれば良いのに! 本当に生真面目だから君は! 君なら大歓迎だよ! またよろしくな』といってバイトは大抵こんな感じで顔パスで決まる。俺はちゃんと人違いと説明しているのに誰もそれを聞いてくれない。『分かったよ新人佐藤くんとして扱うから!』と冗談に取られる始末。そのあと実際仕事を一緒にして散々初心者ならではの失敗もしたはずなのに、俺が違う『サトウヒロシ』だと認識してもらえる事がなかった。初めて行ったお店なのに店長にえらく歓迎されて『昔ここで働いていた佐藤くんだよ』とバイトの人等に紹介されて、さらに一品サービスされたりという事もよくある。
就職活動中でも七社程で『アレ? 君午前中の会社説明会にもいたよね?』といった事を言われる。その内二社から内定をもらったが、本当に合格したのは俺の方なのかと、いらぬ不安を覚えた。
そういう経緯を田中に話すと、他人事だからかケタケタと笑う。
「まあ、そんだけ多くの人に『サトウヒロシくん』が愛されているというのはエエことやん」
俺はその言葉に苦笑して首を横にふる。確かに誰もが、俺という存在を初対面にかかわらず笑顔で暖かく旧知の友人かのように迎えいれてくれる。しかしそれだけ親愛をもっている相手ならば、何故人違いだと気が付かないのか? とも思う。
「そうぼやくなって。
俺は逆に、他の佐藤弘に会ってみたいわ! どのくらい似てんのか興味あるし!
まあ、俺はお前をそんな風に間違える事は、あり得へんけどな!
子供時代からずっと付き合っているツレだから当たり前か! 流石にお前が違う弘だったら直ぐに気付くわ!」
田中はそう言ってニッカリ笑う。俺はその言葉に曖昧な笑みを返す事しか出来なかった。というのはこの田中は社会人になってからの付き合いで、大阪出身のコイツの子供時代なんて知らない。しかもコイツは先週の金曜日にコイツの幼馴染みである『佐藤弘』と一緒に飲んでいるらしい。そして今日仕事の関係で一緒になった俺とこうして顔を合わせ昼飯食って散々会話しているのに、その二人を同一人物と認識しているのだ。
いやコイツだけではない、田舎から東京にきてからずっとこういう状況なのだ。皆俺をすぐに『サトウヒロシ』と認識してくれるのだが、それは初対面の人物に対する反応ではなく、彼らの中では別の『サトウヒロシ』との物語が既に出来あがっていて、それに俺との思い出が加筆されている状況なのだ。久しぶりに会うという状況の知人の事ならばまだしも、このように明らかに平行して別の『サトウヒロシ』と付き合っている人間までが、混乱している事もなく、どの『サトウヒロシ』をも普通に受け入れている。
しかし俺自身は、それだけ大量にいる筈の『サトウヒロシ』に出会った事がない。にも関わらず俺が歩けば、『サトウヒロシ』を知っている多くの人が世の中にいて、その人達から声をかけられる。
俺は自分が佐藤弘である事は理解しているが、そういった人達と話をしていると、自分がどの『サトウヒロシ』であるのか分からなくなってくる事がある。他の『サトウヒロシ』にどんどん人間関係が浸蝕されていき、だんだん世界が訳分からなくなり、怖くなってきた。
「あっ、あのさ、スマフォ会社に忘れたんだ。チョット借してくれないかな?」
俺は田中にそう切り出してみる。友人は笑いながら躊躇う事もなく俺にスマフォをロックを解除して差し出す。そして恐る恐る電話帳を呼び出し『さ』の項目を見て固まる。
そこには『サトウヒロシ』という人物が何十件も登録されていた。
俺は震える指でその一つを選択し電話をかける。その途端に視界がグニャリとするような目眩を覚えて、ジジジジジジジジという耳鳴りが頭の中で鳴り響く。
次の瞬間、周囲から無数の着信音が一斉に鳴り響く。俺の胸ポケットに入っていたスマフォも震え出す。それに伴い今まで周りで繰り広げられていた何でもない日常がざわめきだすのを感じた。
暑さでなく、寒気を感じて気持ち悪い汗が流れる。コールを三回鳴らした所で俺は怖くなり回線を切ってしまう。あれだけ煩かった周囲で鳴っていた着信音がピタリと止んだ。
震えながらスマフォを田中に返した。まだ周囲は落ち着きなくざわめいている。そのざわめきに心臓が吐き気がする程バクバクと激しく鼓動する。その音が周りに聞こえないように俺は両手で胸を押さえ、ゆっくりと深呼吸をした。
『振り向いてはいけない』
俺の中の何かがそう訴えてくる。笑いながら話しかけてくる田中の後ろのガラスにうっすらナニかが映っていた。
俺は目を瞑りソレらを見ることを拒絶する。それを受け入れることは絶対出来ない、俺が俺であるために。周囲のざわめきが消えるのをジットと待ちやり過ごす事にした。
この物語はフィクションであり、実在の佐藤さん及び、サトウヒロシさんとは一切関係ありません。