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第一章 第九話

女の子同士の恋の物語です。


中間考査も終わり、いよいよ碧の待ち望んで居た文化祭が始まった。

大勢の観客を前にして緊張する碧だったが……


碧と悠貴子のお話、第九話です。

 Ride On!

 

 第一章 

 

 第九話                


 夏休み気分もすっかり抜けた十月。

 生徒達は、目前に迫る中間考査に緊張を高める。

 とは言っても、およそ半数の生徒は、他人事のように成る様に成るさと気楽に構えているのも現状だ。

 その一人に碧も含まれている、と思いきや、どう言う風の吹き回しやら、早くも悠貴子の部屋で試験勉強をしていた。

「でさ、その後はどう?」

「その後って?」

 脳味噌がヒートアップした数学を終えて、二人はローテーブルの前に座ってアイスティーを飲んでいた。

「プレデターは大人しくしているの?」

 碧が不安な色を浮かべて心配そうに尋ねた。

「ぷれ?……あ、九条先輩は肉食獣じゃないわよ」

 困った様に苦笑いを浮かべる悠貴子に、

「お雪を捕食する為に襲ったでしょ」と、碧が苦い顔をした。

「で、どうなの?」

「うん、大丈夫……みたい」

「なに、その空白は……」

 上を向いて少し考えていた悠貴子を見て、碧の不安は膨らんだ。

「まぁ、宣言通り、先輩、なんて言うか、その、何かに付けて私に構って来るんだけどぉ……」

「やっぱり!隙を狙ってるのね!」

 身を乗り出す碧に、

「ううん、そっちじゃないから」と、悠貴子は苦笑いを浮かべた。

「そうね、以前以上に、優しくて親切な先輩って感じかな?」

「それって、自己ピーアール?」

「……かもね」

 緊張感の欠片も無く微笑んでいる無防備な悠貴子を見て、碧は益々不安に成った。

「本当に大丈夫なの……」

「そんなに心配しないで、九条先輩も墓穴を掘る様な事はしないわよ」

「墓穴?」

「そう、結局は私に嫌われたくないんですもの、私の嫌がる事は二度としないわよ」

「……そうかな」

「大丈夫、心配しないで」

「……うん」

 確かに、前触れも無しに襲われる事は無くなったかも知れないが、九条が危機感の薄い悠貴子を口説き続けている現状に碧は不安を覚えた。

 信用はしているが、万が一、滅多に無いと思うが、悠貴子の心が何かの拍子で九条に傾くと言う事が無いとも言い切れない。

 そんな事を考えると、碧の心は重いブルーに染まった。

「結局ね、先輩、寂しいのよ」

「えっ?」

「自分が同性愛者だって事、やっぱり誰にも言えないじゃない」

「まぁ、そうね」

「だから、先輩は私達の存在を知って嬉しかったって言ってたわ」

「そうなの……」

「先輩に言われて初めて気付いたの、私達って幸運だったって事」

「うん、私も」

「だから私は、先輩を私の傍から排除する気には成れないわ、このまま先輩後輩の良い関係を保って行けたらと思っているの」

「でも……」

「そして、私じゃない誰か、その人の事を先輩が好きになったら応援してあげたいの」

「お雪……」

 不安な顔で悠貴子を見ている碧が、

「でも、それって、お雪が九条先輩に懐柔されたって事じゃないの?」と、心配そうに尋ねた。

「あら、焼餅?」

「そうじゃないけど……」

 碧が不服そうに唇を尖らせる。

「誤解しないで、あんな事が起きた前の関係に戻っただけよ」

「そうかな……」

「大丈夫よ、私は碧しか愛せないから」

 悠貴子が身を乗り出して、碧の唇に軽くキスをした。

「うん、それは自分でも分かってる積りなんだけど……」

「ごめんね、心配掛けて」

「そんな事無いって、私の我侭だって事分かってるし」

「我侭でも良いじゃない、嬉しいわ、碧が私の事をそれだけ思ってくれているって事でしょ」

「お雪……」

 屈託の無い笑顔を浮かべる悠貴子を見て、碧は苦笑いを浮かべた。

「私も、これからは、いっぱい焼餅焼くからね」

「へっ?」

「碧と遥ちゃんが一緒にいる所なんて見たら、絶対に焼きまくってやるんだから」

「あの……」

 いたずらぽい目で見ている悠貴子に碧は戸惑った。

「でもね、複雑なのよね、そのへん」

「どう言う事?」

「遥ちゃんは良い子だって事知ってるし、碧は妹みたいに思ってるんだろし、だから、碧と遥ちゃんが会う事に反対する理由は無いんだけど……その辺が複雑なのよねぇ」

「複雑かぁ……」

 そう言って考え込んでいる碧を見て、

「どうかしたの?」と、悠貴子が尋ねた。

「確かに私は遥ちゃんの事は大好きよ、お雪が言ったみたいに妹みたいにも思っているわ、だけど、お雪に対する気持ちとは全然違う……」

「うん、私も普段の九条先輩なら大好きよ、でも、当然それは碧が好きな事とは全然違うわ」 

「それがお互いに分かっていても、複雑なのよねぇ……」

「それって好きの境界線が曖昧って事じゃなくて、相手に対しての独占欲みたいな物じゃないかしら」

 悠貴子の言葉を聞いて、花火大会での自分を思い出し

「私って独占欲強いのかしら?」と、頬杖を付いて考えた。

「お雪を縛る積りは無いんだけど……」

「自分では無い積りでも、つい私だって、私だけを見て、私だけの事を想って、そして、何時も私の傍に居てって、碧に思う事あるわよ」

「ははは、それが駄目だって分かっててもね」

 花火大会での自分のメンタルを悠貴子に言い当てられたように思えて、碧は思わず笑ってしまった。

「あら、いいんじゃない?仕方の無い事よ、お互い好きなんだから、当然の気持ちだと思うわ」

「だけど、その気持ちが強すぎて、私は、こんなにも、貴方の事を思っているのに、どうして分かってくれないの、なんて言われたら、重いでしょ」

「そんな時は、貴方こそ分かってくれないのって、結局は同じ台詞を言い返される事になるだけよ」

 深刻そうな顔を強いてる碧とは対照的に、軽い笑みを浮かべて、

「そんな事、本気で言ったら終わりよ、だって自分達の愛に自信が持てないって事でしょ」と、悠貴子は碧の手を取り、そっと握った。

「まだまだ、私達って未熟なのかも知れないけど、お互いの想いの強さだけは自信があるわよ」

「うん、そうね……」

 握られている悠貴子の手に、碧は頬杖を付いていた手を重ねて微笑んだ。

 碧は、花火大会での事を考えると、悠貴子との関係に自信が持てなかった自分が情けなかった。

 何時も二人は一緒。

 例え、離れていても想いは一つ。

 二人は同じ想いで結ばれている。

 そう考えると、碧は心が軽くなった気がした。

 しかし、九条には油断出来ないとも思っていた。

「さて、次は英語ね」

「えっ、もう……」

「はい、さっさと準備する、やる事は沢山あるのよ」

 容赦無くノートと教科書を準備する悠貴子を見て、

「はぁい……」と、碧も準備し始めた。

ーーー◇ーーー

 十月の中頃。

 生徒達が臨戦態勢に入った。

 迫る中間考査に向けて、準備万端迎撃体制を取る者、一時凌ぎの防衛線を張る者、更には、その防衛線の中で明日は明日の風が吹くと楽観視する者。

 何時もなら馬耳東風を決め込む碧だったが、悠貴子に啓発された事もあり、事、此処に至って自分の将来の事を真剣に考える事と成った。

 試験前の付け焼刃に過ぎない物の、通っていた塾の集中講座にも積極的に参加し、悠貴子の援護射撃にも頼り、着実に防衛ラインを構築して行った。

 そして、まぁ、それなりに、なんとか、どうにかこうにか、一応準備を整えて試験週間へと突入した。

「……うっ、死んだ……、死んで良い?」

「何馬鹿な事言っんの」

 試験が全て終わり教室の机に倒れ込む碧を見て、

「今回、調子は良かったんでしょ?」と、武田が笑っている所に、武田と仲が良いクラスメイトが二人集まった。

「その為に、多くの物を犠牲にした……」

「何を犠牲にしたって言うのよ、赤点ギリギリだった貴方に、元から失うものなんて無いはずよ」

「うっ、酷いぃ……」

「何言ってるの、低空飛行していた東郷さんが上昇するには、大きな推力が必要だって分かるでしょ、それがなきゃ、後は墜落するのを待つだけよ」

「その事は、十分心得ております」

 確かに、今回の試験は手応えが有った。

 試験の結果に自信が持てる事は嬉しいのだが、碧は別の不安を抱えていた。

 学校の決まりでテスト期間中は部活が出来ず、塾の集中講座で家での練習も出来ずにいた碧にとって、迫る文化祭を考えると焦る気持ちが試験中にも圧し掛かった。

「なに?試験中、天道さんと満足に会えずに、ストレス溜まってんの?」

 武田が意地悪そうな笑みを浮かべて碧を見ていると、

「ちっ、違うわよ!」と、碧の顔が一瞬で真っ赤に成った。

 顔を真っ赤にしている碧に、

「あら、試験勉強とか一緒にしてるんじゃないの?」と、武田の隣からクラスメイトの川田が尋ねた。

「何度かはしたけど、勉強中のお雪はサドなの」

「サド?」

「そう、私に余裕を与える隙も無く攻めてくるの、ビシバシと……」

 不服そうにしている碧を見て、

「あぁ、はいはい、結局は惚気のろけてるんだ」と、武田が悪戯ぽく言った。

「もう……」

 武田と川田達が笑っている中、碧は顔を更に赤くしていた。

「まあ、試験も終わって、次は文化祭なんだから、元気出しなさいよ」

 話題を変えた武田に、

「そうそう、その文化祭なんだけど、軽音部の演奏を、是非、聞きに来て欲しいの」と、碧が頼んだ。

「えっ、何時から?」

「お昼休みが終わって一時から二時までよ」

 文化祭の話題となると、今まで疲労困憊の色で染まっていた碧の顔が急に輝き出した。

「ほら、ちょうどお昼休みが済んだ後でしょ、微妙なのよ」

 難しい顔をしている碧に、

「微妙?」と、武田が聞き直した。

「二年の先輩が言ってたんだけど、朝一と昼一って見に来る人が少ないんだって」

「へぇ、そうなの」

「だから、ちょこっとで良いから聞きに来て欲しいなって」

「うぅん、そうね、約束は出来ないかも知れないけど、気には留めて置くわ」

「うん、ありがとう、川田さん達もお願い」

 手を合わせて頭を下げる碧に、

「うん、私も行くようにするわ」と、返事した。

「あ、そうだ、誰か招待券いる人いる?」

「え?」

 皆が武田の方を見ると、

「ほら、学校から家族分だけ招待券貰ったでしょ、文化祭の」と、招待券をポケットから取り出した。

「私ん所、弟がいるから三枚貰ったけど、あの糞餓鬼どうせ来ないだろうし、来て欲しくもないから、一枚余っちゃうの」

 弟の事を糞餓鬼呼ばわりした武田を見て、皆が苦笑いを浮かべた。

「武田さん、姉弟で仲悪いの?」

 碧の質問に、

「仲が悪いとかじゃないけど、鬱陶しいのよ、ま、可愛い所もあるんだけど、生意気でねぇ、何かに付けてムカつくのよ」と、武田が眉を顰める。

「へぇ……」

 兄弟のいない碧は、大半の兄弟は仲が良い物だと思っていた為、少しショックだった。

「でも、横流し禁止なんじゃないの?」

「そうだけど、皆やってるよ」

「そうそう、他校の友達や恋人呼んだりしてるって」

 川田の話を聞いて、自分は同居の叔父一人分しか貰っていないので、舞も文化祭に誘いたいと考えた。

「あ、無駄になるかも知れないけど、私、欲しいな」

「良いわよ、どうせ無駄な分だから」

 碧の申し出に、二つ返事で武田が応じた。

「ありがとう」

 来て貰えるかどうかは分からないが、日頃、色々と世話になっている舞を碧は誘いたかった。

「公立ってこの辺厳しいのよね、文化祭に招待出来るの家族だけって」

「私立だって厳しいって聞いたよ」

「そうそう、女子校なんて兄弟も駄目らしいよ、中学生以上の雄は父親か祖父しか入れないんだって」

「えっ、マジ?」

 武田達と話している碧の心は、文化祭一色にシフトしていた。

ーーー◇ーーー

 放課後、悠貴子を図書室へと送って行った碧が、音楽室の有る旧校舎へとやって来ると、校舎の外に鈴木達が集まっていた。

「はぁ、またか……」

 鈴木達が集まっている理由が容易に想像出来た碧は、

「この大事な時に……」と、唇を噛んだ。

「おはようございます」

 鈴木の気持ちを考え、碧は何事も無いかのように皆に向かって挨拶をした。

「東郷……」

 案の定、鈴木は碧を見るなり申し訳無さそうに顔を曇らせた。

「三年生達、来てるんですか?」

「ああ……」

 文化祭が迫り、自分達の練習が出来ないのは腹立たしいが、この時期にトラブルを起こす訳にも行かず、

「しょうがないですね」と、碧は苦笑いを浮かべた。

「すまん」

「先輩が謝る事じゃないでしょ」

 笑顔を浮かべている碧を見て、

「うん……」と、鈴木は頷き下を向いた。

「どうかしたんですか?」

 何時もの事と思っていた碧が、周りの様子で少し何時もとは違う事に気が付いた。

「東郷、すまんが、文化祭の演奏な、お前達、五分ぐらいに出来ないか?」

「えっ!」

 俯いたままの鈴木に、

「あ、あの、どう言う事でしょうか?」と、碧は戸惑いながら聞き直した。

「あの、軽音部の割り当ては一時間でしょ、準備と片付けを入れて実質四十五分ぐらいって言ってたじゃないですか」

「ああ……」

「だから、十五分ぐらい出来るって」

「うん……」

「それで、私達、四曲やろうって……」

 そう言いながら碧が千佳と順子の方を見ると、二人は黙って俯いていた。

「すまない、なにもきっちり五分じゃなくてもいいから、大体五分にして欲しいんだ、だから、その、二曲に絞って欲しいんだ……」

「何か有ったんですか?」

 何時もなら直ぐに頭に血が上る碧だったが、鈴木が意味も無く理不尽な事を押し付けて来るとは思えず、静かな口調で鈴木に尋ねた。

「先輩達がサバトするんだって……」

「は?」

 鈴木の言った聞きなれない言葉に碧が戸惑っていると、

「たぶんギグの事だろうけど、それで、三十分はやるって……」と、川崎が隣から説明した。

「三十分!」

 碧は、川崎の話を聞いて驚き呆れた。

「何をやる積りなんですか?あんな連中、三十分も演奏出来るわけ無いでしょ、コントでもする気なんですか?」

 此処に来て、我慢出来なくなった碧が鈴木に詰め寄る。

「すまん……」

 申し訳無さそうに俯いている鈴木の横から、

「俺達、メドレーで組んだ曲をやりたいんだ、他の曲はやめても、どうしても十分程かかってしまうんだ、だから、すまん……」と、川崎が申し訳無さそうに碧に頭を下げた。

 碧は鈴木達がやろうとしている曲の事は知っている。

 二年生四人が何度も練習していた曲。

 葉山の歌声、息の合った演奏。

 鈴木達がどれだけ一生懸命練習していたか知っている。

 でも、自分達も一生懸命やって来た。

 碧が順子と千佳の方を見ると、二人は心配そうに碧を見ている。

 碧には二人の気持ちが何となく分かった。

「しょうがないですね……」

 悔しい思いは当然あったが、此処で怒ったところでどうにも成らない。

 大人しい順子や千佳に嫌な思いをさせたくない碧は、

「それでいい?」と、二人に尋ねた。

 順子と千佳は一度顔を見合わせてから、笑みを浮かべて頷いた。

「うん、分かった」

 碧は鈴木達の方を向いて、

「文化祭、絶対に成功させましょう」と、笑顔で言った。

「ありがとう、絶対に成功させてやるよ」

「すまん東郷」

 礼を言う鈴木達を見て、碧は考えていた。

 今は何を最優先すべきか。

 それは、きっと鈴木達も同じ気持ちなんだと思った。

 三年生達に対しての収まり付かない怒りも残っていたが、気分を切り替えて、

「じゃ、曲を選ぼうか」と、順子と千佳に向かって言った。

「うん」

 順子達と楽しそうに、どの曲にするかを話している碧の心に『負けるもんか……』と、三年生達に対しての怒りがくすぶり『あんな奴等に絶対に負けない、絶対に楽しい文化祭にしてやる』と、闘志が湧いて来た。

ーーー◇ーーー

 文化祭前日。

 土曜日は午後からの授業も無く、皆は文化祭の用意に慌しく動いていた。

 結局、あれから三年生達は現れず、碧達は何とか仕上げの練習が出来た。

 三十分も演奏する気なのに、練習に来ていない三年生の事を考えて『本当にコントでもする気なのかな?』と、碧は冗談抜きで思った。

 普段なら、完全下校時刻は六時だか、今日だけは特別に八時と成っている。

「あちゃ、もうこんな時間か……」

 何度目かの、通しの演奏を終わって川崎が時計を見た。

「先輩、どうします?」

 ギターをケースに入れながら碧が尋ねた。

「仕方ない、片付けるか、東郷達はもういいのか?」

「はい、明日は朝からリハしますし、なんとか成るでしょ」

 皆で片付けをしていると、文化祭の実行委員会が間も無く完全下校時刻である事を放送で告げた。

「そう言えば、お前達のクラスは何かやるのか?」

 鈴木が一年生達に尋ねると、

「いえ、最初は何かやろうって話も出たんですが、結局、まとまらなくて、不参加です」と、碧が答えた。

「私達のクラスも不参加です」

 順子に続いて頷く千佳を見て、

「じゃ、早めにお昼ご飯食べて集合な、十二時半まで合唱部がやってるから、その間に機材を体育館まで運ぼう」と、鈴木が告げた。

「はい」

「でさ、それから準備を始めたら、一時ジャストには幕を上げられるだろ」

「あっ、いいですねぇ」

「先輩達、気まぐれだから、何が起こるか分からないし、早めに準備しておこうよ」

「そうですね」

 鈴木の提案に皆が同意した。

 音楽室の片付が終わり、明日の成功を誓って皆と別れた碧は、部室を出て図書室へと向った。

 第二校舎の四階へと登ると、図書室の前に悠貴子と九条が立っていた。

「むっ……」

 九条の姿を見て、碧は反射的に不快な顔をした。

「あら、遅かったのね」

 九条は碧を見ながら微笑んだ。

「ぎりぎりまで練習していましたから」

 天敵を見るように碧は九条を睨んだ。

「いっそ、来なくても良かったのに」

「飢えた野獣が傍にいるのに、お雪を一人には出来ません」

「あら、ひどい……」

「碧ったら……」

 苦笑いを浮かべている悠貴子の手を取って、

「帰ろ」と、碧が悠貴子を引っ張った。

「うん」

 悠貴子は九条へと向いて、

「先輩、失礼します」と、軽く会釈して碧と一緒に歩き出した。

 二人が並んで歩いている所に、九条が行き成り、

「一緒に帰りましょ」と、二人の肩に抱き付いて来た。

「なっ!」

「ねっ、いいでしょ?」

 驚いて振り向く碧に、九条は甘える様に言った。

「……」

 本来なら、否応も無く拒絶する碧だったが、苦虫を噛み砕いた様な顔で、悠貴子を見た。

 そんな碧を見て、悠貴子は申し訳無さそうに微笑む。

 碧は悠貴子の気持ちを感じ取り、大きく溜息を付いてから、

「どうせ、先輩も駅へ向うんでしょ」と、九条に尋ねた。

「ええ、私はバスだけどね」

「同じ方向なんですし、付いて来るなとは言いませんよ」

 そう言って振り向き碧は歩き出した。

 三人が階段を下りている時、『九条先輩はお雪の先輩、何もしなければ、お雪ににとっては良い先輩……』と、自分に暗示を掛ける様に感情抑制に勤めた。

「それで、碧達の方は仕上がったの?」

「うん、まだ不安は残るけどなんとか」

「お雪達の方は?文集完成したの?」

「何とかね、もうギリギリだったけど」

「業者に頼べば良かったのに」

「駄目よ、安い所でも製本に印刷込みで一冊百五十円ぐらいするのよ、百円で売るのに赤字よ」

「たいへんだねぇ」

 悠貴子と話していて、碧は、妙に大人しく二人の後を付いてくる九条の事が気に成った。

 碧は、強引に一緒に帰ると言った九条が、もっと二人の会話に割り込んで来るものと思っていたのに、九条は微笑みながら二人の後を黙って付いて来ている。

 悠貴子と話しながら、九条の方をチラチラと見ていると、

「なにかしら?」と、九条は微笑んだまま尋ねて来た。

「あ、いえ、べつに……」

 九条と目が合って、一瞬目線を外したが、

「あっ、そうだ先輩」と、碧は再び九条の方を向いた。

「あの、明日の文化祭で私達演奏するんです、良かったら来てくれませんか?」

 言ってから『しまった……』と、碧は後悔した。

「あら、誘ってくれるの、嬉しいわ」

 嬉しそうにしている九条を見て『墓穴を掘ったかな……』と、自分の迂闊な発言を悔いた。

 とにかく明日の事で頭がいっぱいの碧は、自分達の演奏を一人でも多くの人に聞いて欲しかった。

 そんな気持ちが、九条に対する警戒心を緩めてしまった。

 今更来るなとは言えず、

「ええ、是非……」と、社交辞令的に笑顔を浮かべた。

「何時からかしら?」

「一時からです」

「分かったわ、悠貴子ちゃんと“一緒に”是非伺せてもらうわ」

 やはり、墓穴を掘ってしまった。

「先輩、部長達も誘いましょうよ」

 碧の気持ちを察してか、悠貴子が援護射撃をする。

「え、部長達も……」

 悠貴子の申し出を聞いて九条の顔が曇った。

「そ、そうね……」

「ええ、是非“皆”で来て下さい」

「ええ……」

 自分の思惑とは流れが変わった事に、九条は少し不満そうだった。

「クラスの友達も誘ってって、智子達にも言ってあるのよ」

「そう、じゃぁ私も、クラスのお友達も誘うわ」

 楽しそうに話している二人を見て、九条は再び微笑んだ。

 駅に着いて、バスのロータリーへと差し掛かると、

「それじゃぁ、また明日ね」と、九条が言った。

「はい、また明日」

 二人を微笑みながら見ている九条に、

「あの、なにか?」と、碧は不思議そうに尋ねた。

「え?」

「あの、先輩、なんか楽しそうで、その、なんでかな?って……」

 遠慮がちに尋ねる碧に、

「あら、お友達といて、楽しくないわけ無いでしょ」と、九条が答えた。

 微笑んでいる九条を見て『何時の間か友達認定?』と、碧は疑問に思ったが口には出さなかった。

「それにね、貴方達が仲良くしている所を見ていると、不思議と私も楽しくなるの」

「先輩……」

「過剰に警戒しなくてもいいわよ、私も好きな人には嫌われたくないから」

 九条の言葉を聞いて、戸惑いながら碧と悠貴子は顔を見合わせた。

「私は悠貴子ちゃんが大好きなの、大好きな人が幸せそうにしていたら、当然、私も嬉しいわ」

「でも、隙あらばと何時でも狙っている」

「ええ、その通りよ」

 九条と碧の視線がぶつかり火花を散らす。

「ふふふふ……」

「ほほほほ……」

 お互い微笑んでいるが、決して笑っていない目で九条と碧が睨み合っている。

「もう、二人ともぉ……」

 そんな二人を、悠貴子が苦笑いを浮かべ呆れて見ていると、バスがロータリーに入って来た。 

「では、ごきげんよう」

 手を振りバス停へと向う九条に悠貴子が頭を下げた。

 駅舎へと向う途中、

「やっぱり、油断出来ないわ、あの人……」と、碧が苦々しく言った。

「もう、碧たらぁ……」

「お雪、絶対に油断したら駄目よ」

「分かってるわよ……」

 真剣な顔で見ている碧に、悠貴子は呆れた笑顔で答えた。

ーーー◇ーーー 

 文化祭当日。

 昨日で準備が出来なかった所は、朝早くから準備を始めている。

 開会時間の九時には間に合うようにと、慌しく動いていた。

「朝から頑張ってるわね」

「あっ、碧」

 まだ準備に追われている智子達の教室を碧が覗くと、メイドさん姿の智子と千鶴がいた。

「ははは、メイドさんか、割と似合ってるね」

「へへへ、いいでしょ」

 エプロンの裾を広げて千鶴がポーズを決めている横で、

「私は嫌だったんだけどね……」と、黒縁眼鏡を少し上げて智子が苦い顔をした。

「いや、けっこう似合ってるわよ、三つ編みとのコンビネーションが絶妙!」

 冗談ぽく笑う碧に、

「やめてよ、恥かしいだけよ……」と、智子は唇を尖らせて横を向いた。

「あ、碧、私達は午前中だけだから、午後からの演奏、絶対に聞きに行くからね」

「うん、ありがとう」

 碧は千鶴達に手を振って音楽室へ向った。

 悠貴子達は、あまり人の来ない四階の図書室より、第一校舎の二階にある九条達2年生の教室で文集の発売をする事にしていた。

 その為、昨日まで文集の冊子製作に追われていた悠貴子達は、朝から準備していた。

 碧が音楽室に着くと、順子と千佳が待っていた。

「ごめん、待った?」

「ううん、私達も今来たところよ」

 順子達に挨拶をして、碧はケースからギターを取り出し、アンプへと繋ぐ。

「じゃ、リハしようか」

「うん」

 始めて大勢の前で演奏する事に、碧達は緊張していた。

 結構仕上がって来た物の、まだ自信が持てないでいた。

 演奏している途中で、開始時刻の九時と成り、実行委員会が放送で文化祭の開会を宣言した。

 二曲を二回づつ演奏して、

「ふぅ、こんなものかな」と、碧は順子達を見た。

「まだ、自信が無いけど……」

「大丈夫よ、此処まで出来たんだから」

 普段から少し気弱な千佳に、比較的能天気な順子が千佳の肩を叩いて元気付けた。

「そうね、此処まで来たんだから、覚悟を決めなきゃ」

「うん……」

 不安気に微笑む千佳に、

「さて、練習はこれぐらいにして、展示見て回ろうよ」と、碧が提案した。

「もう、練習しないの?」

 不安そうに尋ねる千佳に、

「気分転換って言うか、なんて言うか、楽しんで私達のモチベーションを上げる事も大切よ」と、順子が千佳のギターを取り上げた。

「順ちゃん……」

「千佳ちゃん行こうよ」

 碧が千佳の肩に手を置いて誘うと、

「うん」と、千佳は微笑んで頷いた。

 碧達が、クラスや部活の展示を見て回っていると、背が高く目立つ碧を見付けては、何かと反応する生徒達もいたが、学校全体がお祭り気分に包まれている中、碧にとっては差ほど気に成るものではなかった。

 十時を過ぎた頃、碧達は休憩しようと智子達のメイド喫茶へと向った。

「あれ?」

 教室の前で智子が男子と話している姿が見えた。

 碧達が近付いて行く途中、男子生徒は智子に手を振って、碧達とは反対の方向へ歩いて行った。

「智子」

 碧が声を掛けると、男子生徒に手を振っていた智子が驚いた様に振り向いた。

「今の誰?」

「えっ、あ、えっと……」

 顔を赤くして明らかに動揺している智子に、

「どうかしたの?」と、碧が不思議そうに尋ねた。

「あ、あの、ちょっと前に、困ってる所を、あの、助けて、その、もらった……」

「困ってる所?なにそれ?」

 智子の態度が理解出来ず首を傾げる碧に、

「うん、ちょっと……」と、智子は顔を赤くしたまま俯いた。

 普段の智子からは想像付かない態度に、

「で、誰なの?」と、碧は更に不思議そうに尋ねた。

「二年の先輩……」

「名前は?」

「上杉さん……」

「あ……」

 事、此処に至って、碧は智子の不信な態度が何故なのかに気付いた。

「ふふふふ……」

 碧は、恥かしそうにしている智子に、にやけた笑みを浮かべる。

「なっ、なによ」

「そうなんだ……」

「なにがよ!」

 碧の態度に、顔を赤くしたまま智子が突っかかる。

「素敵な先輩じゃない、ふふふふ……」

 意地悪そうに笑みを浮かべる碧に、

「ち、違うからね!勘違いしないでね!」と、智子が更に強く突っかかる。

「何をどう勘違いするなと?」

「くっ、あ、あのね、私達は碧が思っている様な関係じゃ無いから!」

「ほう、では具体的に……言ってみ」

「うっ……」 

 碧に尋問されて、智子が言葉を詰まらせていると、

「あ、碧」と、千鶴が教室のドアから顔を出した。

「お帰りなさいませ!お嬢様!」

 碧の手を掴んで強引に引っ張る千鶴に、

「お、おじょうさま?……」と、碧は戸惑った。

 教室の中に消えて行く碧達を見て、智子はホッと胸を撫で下ろして、

「ばか……」と、呟いた。

 席に着いて注文した碧達の所に、

「お待たせしました!」と、元気良く千鶴がアイスティーを三つ持って来た。

「ミルクはお入れしますか?」

「ああ、そう言うのいいから……」

 愛想よく微笑む千鶴に、居心地が悪そうに碧が断った。

「もう、それじゃメイドさんの意味無いじゃない!」

 ミルクの入ったピッチャーを持ったまま可愛らしく膨れっ面している千鶴に、

「それより、さっき智子と話していた先輩知ってる?」と、尋ねた。

「さっきの?」

「うん、智子と廊下で話してた」

「あ、上杉先輩?」

「そう、それ」

「それって……」

 先輩を“それ”呼ばわりする碧を見て、千鶴が苦笑いを浮かべた。

「テニス部の先輩だよ」

「えっ、千鶴知ってるの?」

「うん、私もテニス部だから」

 千鶴の近い知り合いと知って碧の好奇心が、むくむくと起き上がった。

「ね、付き合ってるの?」

「えっ?智子が?先輩と?」

「うん」

 興味津々の目で見ている碧に、

「ううん、そうねぇ、上杉先輩とは最近バスでよく会うけど、智子と付き合ってるって言う雰囲気じゃないわね」と、考えながら千鶴が答えた。

「と言う事は……」

 手招きで千鶴を呼んで、千鶴の耳元で、

「智子の片思いとか?」と、碧が囁いた。

「えっ、そうなの……」

「何勝手な事想像してんのよ!」

「あ、智子……」

 何時の間にか後ろに立っていた智子が二人を睨んでいる。

 怖そうな雰囲気の智子に、順子と千佳は少し怯えた。 

「そう言うの、迷惑なんだからね」

「ご、ごめん……」

 睨み付ける智子に、碧は手を合わせて謝った。

「でも、好きなんでしょ、先輩の事」

 空気を読まない千鶴が、ダイレクトに智子に尋ねると、

「え、あ、いえ、だから、そう言うんじゃなくて……」と、智子が口篭る。

 寂しそうに俯いてしまった智子に、

「どうかしたの?」と、千鶴が尋ねた。

 智子は顔を上げて、

「あのね、先輩には彼女が……その、好きな子がいるみたい……だから、そう言うんじゃないの……」と、静かに答えた。

 そんな智子を見て、悪い事をしてしまったと言う罪悪感が湧いて来て、

「あ、ごめん……」と、碧が謝った。

「じゃ、私仕事があるから」

 智子がパーテーションで区切った厨房へと向うと、

「あ、ゆっくりしていってね」と言って、千鶴もその後を追った。

 碧達は少し気不味い雰囲気の中で、甘ったるいだけのアイスティーを飲んだ。

 昼食の時間、碧達は適当にフランクフルトと唐揚げで胃袋を満たして、部室へと急いだ。

「おはようございます」

 既に鍵の開いていた部室のドアを開けて碧達が入ると、鈴木と川崎がお弁当を食べ終えた所だった。

「よう、早いな」

 ペットボトルのお茶を飲んで、川崎が碧達に声を掛けた。

「とりあえず、準備するか」

「おう」

 鈴木達はドラムセットをばらし始め、

「東郷達は必要なコード類をまとめてくれ」と、鈴木が碧達に指示した。

「はい」

 碧達はコード類をまとめ、マイクスタンドやアンプを並べた。

「おはよう」

「おはようございます」

 部室へとやって来た葉山達に、碧が挨拶すると、

「じゃ、運び始めようか」と、鈴木が言った。

 早めにとは思っていたが、結構小物類が多く、旧校舎の四階から体育館まで運び込むのに結構時間が掛かってしまった。

 全て運び込んだ頃、合唱部の発表が終わり、碧達は舞台の準備に掛かった。

 鈴木達が体育館の音響機器にマイクのコードを接続している間に、碧達はマイクスタンドやアンプを並べる。

 そして、舞台袖に置いてあるアップライトタイプの電子ピアノを舞台へと運び、ドラムのセットが組み上がったのは一時前だった。

「東郷、チューニング始めろ」

「はい」

 碧達は急いで機器のテストや音量の調整をし、川崎はドラムの配置を確認しながらドラムを叩く。

「鈴木、準備OKだ」

 川崎に頷いて鈴木が実行委員会の担当者に準備が終わった事を継げた。

 緞帳の下りた舞台で三人が緊張して待っていると、実行委員会のアナウンスが流れ、最終チェックしていた鈴木と川崎が

「頑張れよ」と、声を掛けて舞台の袖へと消えて行った。

 緊張している碧は二人をぎこちなく見回して、

「いくよ……」と、声を掛けると、二人が緊張した顔で頷いた。

 何度かピアノの発表会出ていた順子も、初めて大勢の前で歌う事に緊張している。

 静かに緞帳が上がると、碧達の緊張がピークに達した。

 五十人ばかりの観客だったが、碧にとっては初体験である。

 碧は太い鎖の様な観客の視線で金縛りに陥った。

 そして、体が固まって動かない事を知って、

「ど、どうしよう……」と、碧は途方に暮れた。

「碧ぃ!」

 その声を聞いて、観客の最前列で悠貴子が手を振っている事に碧が始めて気付いた。

「あ……」

 悠貴子の周りには智子や千鶴、そして武田達や文芸部部員達もいた。

 叔父と舞の姿も出入り口付近で見付けた。

「みんな、来てくれた……」

 皆が手を振っている姿を見て、

「よっしゃぁ!」と、緊張で固まっていた碧のテンションが一気に爆発し太い鎖を断ち切った。 

 碧と同様に緊張して固まっている二人に、

「順ちゃん!千佳ちゃん!」と、碧が大きな声で呼び掛けると、二人は魂が戻ったかのように気が付き碧を見た。

「Here we go!」

 笑顔で拳を振り上げる碧を見て、二人も笑顔で頷いた。

「ワンツウスリィフォ!」

 碧の号令と共に演奏が始まった。

 最初の出足は少しばらついたが、順子の歌声に合わせて中盤以降は足並みが揃って来た。

 調子が出て来た碧には、周りを見る余裕が出来た。

 最前列で、リズムに合わせて手拍子を取る悠貴子が見える。

「お雪たら……」

 楽しそうにしている悠貴子を見て、碧のテンションは上昇し続けた。

 会場中程で二人並んで見ている叔父と舞の距離が近い事に、碧は少し違和感を覚えたが、笑顔で見ている二人を見て碧は嬉しかった。

 一曲目が終わって二曲目へと進む。

 順子と千佳も、既に緊張が解けて演奏を楽しんでいる。

「おい、あのギター、レズの奴だろ」

「へぇ、上手いじゃん」

「うん、マジ凄いわ」

 そんな声が観客席にいる悠貴子の耳に聞えて来て、

「碧、益々有名人になっちゃった」と、悠貴子は嬉しかった。

 二曲目が終わり、

「ありがとうございました!」と、碧が頭を下げると、観客席から大きな拍手が湧いた。

「あ……」

 その大きな拍手に碧達は少し驚き戸惑いながら、ゆっくりと観客席を見回し、

「やったぁ……」と、碧はやり遂げた満足感で満たされた。

 手を振っている悠貴子に、碧は笑顔で手を振ってから、

「順ちゃん、千佳ちゃん」と、二人を呼んだ。

 そして、舞台に並んで三人が手を繋いで大きく手を上げると、再び大きな拍手が起こった。

 そんな観客に対して、

「ありがとうございましたぁ!」と、三人は大きく頭を下げてから、舞台の袖へと向かった。

「おつかれ!」

「良かったわよ!」

 二年生達に拍手で迎えられて、

「ありがとうございます」と、二年生達の顔を見て礼を言うと、碧は一気に涙が溢れた。

 順子も千佳も泣いていた。

「じゃ、私達行くからね」

 葉山が優しく声を掛けると、

「はい、がんばってください」と、碧が泣き声で送った。

 たったの二曲だったが、努力が実った事を知った三人は、嬉しくて嬉しくて涙が止まらない。

「やったね……」

「うん……」

 三人は抱き合って泣いていた。

 二年生達の演奏が始まると、碧は涙を拭いて舞台の袖から二年生達を見た。

 順子と千佳も涙を拭きつつ、舞台の方を向いた。

「あ、凄く綺麗……」

「うん、やっぱり上手いね……」

 二年生達の息の会った演奏を聴いて、碧達は感動した。

 練習では何度も聞いていたが、観客を前に舞台で演奏する二年生達を見て、碧は新鮮な感動を覚えた。

 綺麗なソプラノで歌う葉山、ピアノの本田、ドラムの川崎、そしてギターの鈴木。

 短くカットした曲を繋いだメドレー。

 曲と曲の繋ぎに、ギター、ドラム、ピアノのソロを入れて減り張りを付けている。

「ああ、いいなぁ、この感じ……」

「うん……」

「来年、あんな感じでしたいね」

「そうだね」

 碧達は二年生達の演奏に聞き入った。

 そして、二年生達の演奏が終わると、観客席から碧達以上の歓声と拍手が湧いた。

 舞台の上で歓声に答える二年生達を見ながら、碧達も心からの拍手を送った。 

「お疲れ様です!」

 一年生達が大きな声で向かえると、

「お疲れ!」と、二年生達は笑顔で答えた。

「凄くよかったです!」

「最高でした!」

 碧達が葉山と本田の手を握り感動を伝えると、

「ありがとう」と、満面の笑みで答える葉山と本田の目には涙が滲んでいた。

「あの、俺達は?」

 仲良く感動している女子達を見て、鈴木が羨ましそうに言った。

「あ……」

 鈴木達に気が付いた碧が、

「当然、凄かったです!」と、鈴木と川崎の手を取って笑顔で言った。

「よし、それじゃ……」

 鈴木が手を前に差し出すと、それに気付いて皆が輪に成り手を出し重ねる。

「お疲れ様!」

 鈴木に続いて、

「お疲れ様!」と、声を上げる。

「来年も頑張るぞ!」

「おお!」

 皆は大きな声と共に手を高く上げた。

「次の人、準備出来ました?」

 盛り上がっている碧達に、実行委員会の担当者が声を掛けた。

「えっ?」

 鈴木が時計を見ると、一時二十分を過ぎていた。

「あれ?」

 未だに姿を見せない三年生達の事を考え、鈴木が首を傾げた。

「すみません、まだ準備が出来ていないみたいで……」

 鈴木は出入り口の方を見ながら、困惑した様子で答えた。

「あの、遅れても最後は予定の時間通り終わってくださいね」

「あ、はい……」

 担当者に釘を刺されて、鈴木は申し訳無さそうに頭を下げた。

「次、演劇部だっけ」

 舞台袖に、既に運び込まれている背景等の大道具を見て、葉山が尋ねた。

「うん……」

 時計を見ながら鈴木は、

「舞台の片付けに十分近くは掛かるから、そろそろ来てくれないと……」と、心配していた。

 後輩達の演奏時間を奪っておいて、自分達は遅刻している三年生達に『どこまで迷惑掛けるのよ」と、憤りを覚えながら、碧は時間を心配している鈴木を見た。

 鈴木達の演奏が終わってから十分程過ぎた頃、観客席の方でも白けた雰囲気が漂い、集まっていた人達が体育館を出始めた。

「あの、もう終わりですか?」

 実行委員会の担当者が事情が分からずに尋ねて来た。

「いえ、すみません、もう直ぐ来ますから」

 自分の事でもないのに、頭を下げる鈴木を見て『ほんとに、あいつ等せいで鈴木先輩、謝ってばっか……」と、鈴木が可哀そうに思えて来た。

 碧は『来ないなら来ないでいいから、さっさと片付けたいんだけどなぁ、お雪と一緒に見て周りたいのに……」と、観客席にいたはずの悠貴子の事を思っていた。

 碧が、悠貴子の様子が気に成り舞台袖から観客席を覗くと、既に悠貴子や智子達はいなかった。

「叔父さん達も、もう行っちゃったのか……」

 文芸部員達も居ない事に気付き『九条先輩も居ない……』と、碧の心に少し不安が過ぎった時、体育館の入り口から、明らかに他校の生徒達と思われる連中が5人ほど入って来た。

 髪の毛を染めた、だらしない姿の連中を見て、

「なに、あいつ等……」と、碧は不審に思った。

 観客席を眺めていた碧が、別の入り口から戸田達の仲間が入って来るのを見て、

「やっと来たか?」と、戸田達が来た事を予測した。

 顔も見たくも無い戸田達が来た事で、碧が舞台袖から中に入ろうとした時、反対側の袖から戸田達が大声を上げながら現れた。

「なっ!」

 思わず振り向いた碧が、戸田達の異様な姿を見て、

「……」と、言葉を無くし呆然とした。

 ボロ布の様な物を身に纏い、鎖を体に巻き付け、更には顔中に落書きかと思われる様な稚拙な模様が書かれていた。

「……馬鹿丸出し……」

 鈴木達も戸田達の姿を見て、呆然としていた。

 戸田達は、ヘアスプレーで何色にも髪の毛を雑に染めた上に大量のラメが掛けてあり、お世辞でも綺麗とは思えない。

「あいつ等、曲の練習もしないで、あんな物の準備に時間掛けてたのか……」

 文化祭も近付いている時に、練習に現れなかった三年生達の事情を碧は理解した。

 苦虫を噛み潰した様な顔で袖の中へと下がった碧が、

「あんな奴らと、一緒の部活だと思われるのは、恥意外の何物でもないですね」と言うと、鈴木は苦笑いを浮かべた。

 今まで盛り上がっていた気分をぶち壊されて、情けない思いと恥かしい思いで、今、舞台に居る連中と自分達は関係のない存在だと心にバリアーを張った。

「順ちゃん、千佳ちゃん、トイレに行こうか……」

 無感情な表情で誘う碧に、二人は苦笑いを浮かべて頷いた時、舞台で叫び声が上がった。

「はぁ、始まったか……」

 心にバリアーを張ったはずなのに、まだまだ修行が足りない事を碧が感じていると、舞台の上で工事が始まった。

 碧は業とらしく指で両耳を塞いで、

「早く行こ……」と、順子達を促した。

「あ、私達も……」

 騒音の酷さに、葉山達も碧達の後を追って出ようとした時、楽器の音とは明らかに違う破壊音が響いた。

「えっ!」

 その音に驚き、碧達が舞台の方を見ると、騒音は止んで舞台の上で戸田が尻餅を付いた様に倒れていた。

「なに?……」

 事情が良く分からない碧が戸惑っていると、舞台を見ていた鈴木と川崎が慌てた様に舞台へと向った。

 その後を追って碧が舞台へと向うと、観客席の方から、体育館に並べてあったパイプ椅子が舞台へと飛んで来るのが見えた。

「なんなの!」

 思わず立ち止まった碧に、

「来るな!」と、前から鈴木が止めた。

「えっ?」

「早く、降りて!」

 碧に指示する鈴木達の後ろに、戸田達が舞台の下へと飛び降りて行くのが見えた。

「な、なんなんですか、あの、なにが……」

 碧が戸惑っていると、

「早く」と、鈴木が碧の手を引いて舞台袖から降りた。

「葉山、お前達は東郷達と一緒に外に出ろ」

「何があったの?」

 戸惑いながら尋ねる葉山に、

「いいから、早く出ろ、後で説明する!」と、鈴木がきつい口調で言った。

 何があったのか分からないが、観客席の方から聞える怒鳴り声に、順子と千佳は怯えていた。

「大丈夫?」

 碧は二人に優しく声を掛けると、

「取り合えず、出ましょう」と、二人の手を取った。

 無言で頷いた二人を連れて、碧が体育館から出た時、校門の方から警察官が二人、自転車で入って来るのが見えた。

「あちゃ、警察……」

 誰かが携帯で百十番したのか、騒ぎが大きく成った事に碧は驚いた。

 野次馬が群がる体育館の入り口から警察官が入ろうとした時、パトカーまでやって来た。

 そして、それに続いて救急車までもが校門から入って来た。

「な、何があったの!」

 外に出た碧達の所に、悠貴子達がやって来た。

「なんなの、これは」

 校庭に並ぶパトカーと救急車を見て、智子が戸惑いながら尋ねた。

「私も、よく分からないけど……」

 碧が答えに困っている所に、鈴木達が出て来た。

「大丈夫か?」

「ええ……」

 女子部員達を気遣う鈴木に、

「何があったの?」と、葉山が尋ねた。

「先輩達が演奏を始めて直ぐに、観客席の連中が野次を飛ばして、それを聞いた観客席に居た先輩の仲間達と揉め合って、誰かが舞台にパイプ椅子を投げつけて、それが先輩のギターに当たって、それから乱闘になって……」

 鈴木が思い出しながら説明する事態を聞いて、

「乱闘って……」と、皆が驚いた。

「あの連中、他校の奴らだな」

 川崎が忌々しそうに言うと、

「たぶんな……」と、鈴木は情け無さそうに肩を落とす。

 野次馬達の群がる出入り口から、警察官が戸田達を連れて出て来た時、校内放送で文化祭の中止が告げられた。

「えっ!中止!」

 放送を聴いて、碧達だけでは無く、周りの生徒達も驚いた。

 生徒達が、ざわめいている中、至急各自の教室に戻るようにと、放送で先生の誰かが怒鳴るように言った。

「あっ、加藤先生」

 慌ててやって来た先生を見付けた碧に、

「貴方達、怪我は無い?」と、加藤先生が尋ねた。

「はい……」

 お互いの顔を見ながら答える部員達に、

「取り合えず、片付けはいいから、早く教室に戻って」と、きつい口調で指示した。

「あの、でも……」

 戸惑っている鈴木に、

「担任の先生から説明があるから」と、質問する余儀も無く言った。

 碧達は、普段は優しい雰囲気の加藤先生とは違う今の先生の顔を見て、お互いに顔を見合わせてから大人しく加藤先生の指示に従った。

ーーー◇ーーー

 文化祭の翌日。

 本来なら、文化祭の当日に片付けを済まして、月曜日は休みの予定だったが、

乱闘事件のせいで、月曜日の午後から片付けをする事になった。

 クラスでは色々と聞かれたが、碧自身も事態が良く分からずに答えるのに困っていた。

 そんな中、事実かどうかは分からないが、怪我人も出たと言う噂も聞えた。

 楽しみにしていた文化祭が中止となり、不完全燃焼のまま、学校全体が暗く重い雰囲気に包まれていた。

 碧達は体育館の片付けを済まし、機材を音楽室へと運び込んだ。

 乱闘のせいか、ドラムセットの殆どが壊れて使い物にならない。

 アンプも一台、ゴミになっていた。

「演劇部の人達、泣いてた……」

「そうだな……」

 碧達が体育館の片付けをしている時、発表の場を奪われた演劇部の部員達の視線が痛かった。

 直接自分達が係わっていた訳では無いが、努力して来た事が踏み躙られた演劇部に、碧達は強い負い目を感じていた。

「怪我人も出たって聞いたんですけど」

 碧が鈴木に尋ねると、

「うん、俺達が先輩達を止め様としていた時、血が出ていた奴も居たな……」と、鈴木が暗い顔で言った。

 碧達はゴミとなってしまったドラムセットとアンプを、文化祭で出たゴミを集める所へと運んだ。

 三年生達が乱暴に使って変形していたドラムセットだったが、川崎は自分で出来る範囲で修理しながら大切に使っていた。

「ちくしょう……」

 壊れてしまったドラムを見ながら、川崎は悔しそうに歯噛みした。

 ゴミの集積場には、使われる事の無かった、体育館で見た演劇部の大道具も有った。

 その、ゴミと成って捨てられた大道具に込められた演劇部員達の思いを考えると、碧達は居た堪れなかった。

 自分達の演奏は上手く行ったのに、碧はそれを素直に喜べなかった。

 順子と千佳も、あんな事さえなければ、笑顔で片付けているはずだったのに、暗い顔で黙ったまま片付けていた。

 文化祭が終わってから予定していた打ち上げのカラオケも無く、碧達は鉛を抱えた様な重い足取りで音楽室を後にした。

 碧が旧校舎を出て、順子達に別れの挨拶をして第二校舎へと入ると、そこに悠貴子が立っていた。

「お雪、もう終わったの?」

「うん」

 暗い顔の碧に、悠貴子は無理に笑顔を浮かべた。

「帰ろうか……」

「そうね」

 駅に向う途中、

「碧、元気出してよ」と、悠貴子は碧を慰める様に明るく振舞った。

「なにも、碧達のせいじゃ無いでしょ」

「うん……」

 碧の姿を見付けて、同じ方向に向う生徒達が睨んでいる。

 カミングアウトした時とは違う、恨みの篭った目で。

 校内でも“軽音部が文化祭をぶち壊した”と、成っている事を思うと、悠貴子は碧の事が心配だった。












最後まで読んで下さってありがとうございました。m(__)m

感想等いたたけましたら幸いです。

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