第一章-第八話
女の子同士の恋の物語です。
花火大会での出来事で、碧は九条を捕まえて
悠貴子へ謝罪するようにと迫ります……
碧と悠貴子のお話、第八話です。
Ride On!
第一章
第七話
Ride On!
色取り取りの思い出が散り填められた夏休み。
毎年夏はやって来るが、十六歳の夏休みは一度だけ。
巡り来る夏を、十六歳の色に染め上げた夏休み。
そして、次に訪れる十七歳の夏休みに夢を膨らませる。
夏休みの終盤、様々な思い出を胸に刻んだ碧と悠貴子が碧の部屋で寛いでいた。
部屋の中央に置いてあるローテーブルを挟んで二人は座っている。
「はぁ、夏休みも終焉を迎えるかぁ」
「ぷっ、何よそれ」
気だるそうにテーブルに倒れ込む碧を見て、悠貴子が噴出し笑った。
「消え行く夏休みを追って、二学期の足音が……」
絶望感に浸っている碧に、悠貴子は苦笑いを浮かべながら、
「甘いわね、二学期如きに恐れをなすなんて、来年は二年生よ、甘えた事言ってられないわよ」と、嫌味っぽく言った。
「うっ、脅迫だ……」
「二年生になったら文系か理系かコース選択して、受験に備えないといけないのよ」
「あぁ、悪夢だ……」
「何言ってるの、マジで国立なんて狙ってる子は一年生でも夏休み返上で受験勉強してるわよ」
「マゾだ……」
「だから、碧だって来年の夏休みは遊んでばかりもいられないわよ」
「あぁ、災いだ、災いだ……」
「七つの封印でも解いたの?」
「うん、ペイルライダーが見えた……」
絶望感に打ちひしがれている碧を、悠貴子は呆れて見ていた。
「ところで、碧は将来、何に成る積りなの?」
「何って?」
「将来よ、私は弁護士に成りたいの」
悠貴子の、きっぱりとした宣言を聞いて、
「うお、弁護士とな……」と、碧は驚いて体を起こした。
「うん、碧は?」
「うぅん、私は……正直、ピンと来ないと言うか、想像付かないって言うか……」
特に、何に成りたいのか考えた事も無い碧が、腕を組みながら考えている。
「でも、そろそろ真剣に将来について考えないとね」
「そっか、考えないといけないか……」
「うん」
「だけど、将来なんて、考えれば考えるほど、自信が無いって言うか、不安に成るって言うか……」
「そんなの、皆そうよ、将来に自信のある人なんて居ないわよ」
「それもそうか……」
碧は、今度訪れる一七歳の夏休みに、漠然とした不安を感じて溜息をついた。
「だけどさ……」
碧が悠貴子の隣に座り直し、
「そんな遠い将来より、近い将来、夏休みが終わるんだよねぇ」と、悠貴子の顔を見た。
「えっ、まだ言ってるの?」
「違うわよ、夏休みを挟んで、少しはクッションになったかなって」
「ああ、私達の事?」
「うん」
二人が不安そうな顔で見詰め合っている。
「クラブの練習で学校に行った時は、生徒もそんなに居ないし、特に気には成らなかったけど」
「そうね、繰り返さないといけない日常が始まるのね」
「まっ、期待し過ぎても反動が怖いし、とにかく耐え忍ぶしかないか」
「うん、頑張ろ」
二人は不安気な微笑を浮かべて軽くキスをした。
お雪から離れた碧が目線を下に向けている。
「……どうかしたの?」
悠貴子が心配そうに尋ねると、
「触っても良い?」と、碧が聞いて来た。
「えっ?」
何の事か分からなかった悠貴子が碧の視線を追って行くと、そこは、立派に成長した自分の胸だった。
「えぇっ!」
驚き体を引いた悠貴子が反射的に腕で胸を防御すると、碧は悠貴子の隣へと移動して座り、
「ねぇ、良い?」と、真剣な顔で再び聞いて来た。
「……」
悠貴子は暫く躊躇っていたが、
「どうぞ……」と、防御していた腕を下ろし、顔を赤くして碧から顔を逸らした。
碧は、ゆっくりと手を伸ばし、悠貴子のCカップは確実にある胸を下から持ち上げる様にして、そっと掴んだ。
「あ、やっぱり……」
「……やっぱりって何よ」
顔を赤くしながら悠貴子が尋ねると、
「やわらかあぁい……」と、碧は満足したように笑みを浮かべた。
「どうしたら、こんなに大きくなるの?」
「馬鹿、知らないわよ、それに、そんなに大きい方じゃないわよ、私」
「いえいえ、羨ましいくらいゴージャスっすよぅ……」
そして碧は両手で悠貴子の胸をマッサージする様に揉み拉くと、
「うっ」と、悠貴子が少し身を引いた。
碧は慌てて手を引っ込め、
「あ、ごめん、痛かった?」と、心配そうに尋ねた。
「ううん、大丈夫」
笑顔で首を振る悠貴子の前で、碧が真剣な顔で正座した。
「たいへん結構な物を、ご馳走様でした」
碧が手を付いて深く頭を下げ礼を言うと、
「馬鹿……」と、悠貴子は笑った。
「だってさ、私の胸ってさ……」
頭を上げた碧が寂しそうに横を向く。
「どれ」
「わっ!」
悠貴子に行き成り胸を触られて、碧は驚いた。
Tシャツの下にあるAカップブラのパッドがへこむのを感じ、碧の胸が有るだろうと推測される当たりを悠貴子がつるつると手を滑らせて、
「本当ねぇ、凍結した湖……」と、哀れむ様に言った。
「うるさあぁい!」
「きゃっ!」
叫んで碧が悠貴子の後ろから抱き付き、悠貴子の腋を擽った。
「きゃっ!ちょっと、ひっ、碧!やめて!やめてよ!ひっ、ひっ、た、たすけて!」
「貴様は、言っては、ならぬ事を、この、この、この、この!」
抱き付き、じゃれ合っていた二人がカーペットの上へと倒れ込む。
「はぁ、はぁ、はぁ、もう、碧ったらぁ……」
「……」
息を弾ましている悠貴子の、乱れたワンピースの裾から出ている白い腿へと碧が手を伸ばした。
「碧!」
碧はそっと悠貴子の腿に手を置き上へと手を這わす。
「!」
驚いて悠貴子が身を縮めると、
「……怖い?」と、碧が静かに尋ねた。
硬くした体を小さく震わせながら悠貴子は無言で頷く。
「そっか」
碧は悠貴子から離れ、テーブルの所に座り直した。
「もう……」
恨めしそうに碧を睨んで、悠貴子は乱れた服を整えながら碧の隣に座り、
「碧の馬鹿……」と、碧の頭を小突いた。
「ごめぇん……」
「ほんと、行き成りだなんて、ムードも何もあった物じゃ無いわ……」
不服そうに頬を膨らませる悠貴子を見て、
「じゃ、ムードを作れば良いの?」と、悠貴子の顎を軽く持ち上げ、碧はキスを迫った。
「あっ……」
近付く碧の顔を見て、
「駄目ぇ!無理!無理!無理!」と、悠貴子は慌てて碧を押し離した。
「えぇ、駄目なのぉ?」
冗談ぽく少し甘えた声で碧が尋ねると、
「もう、ふざけないで……」と、悠貴子は再び碧の頭を小突いた。
「だいたいインスタントでムードなんて出来るわけ無いでしょ」
「うむ、そっかぁ……難しいものねぇ」
腕を組んで、碧が何やら考え込んでいる。
「ここは一つ、九条先輩に御教授願おうか……」
「ば、馬鹿、何言ってるの!」
「冗談よ、冗談」
笑って誤魔化す碧を、悠貴子は睨んだ。
「ほんと怖かったのに……」
「ごめん、ごめんなさい……」
碧は怒って横を向いてしまった悠貴子に、手を合わせて謝った。
「でも、冗談じゃなく、新学期が始まったら、直ぐに九条先輩に会うからね」
「碧……」
「夏休み中、タイミングが合わなくて捕まえられなかったけど、新学期が始まったら絶対に捕まえて話を付けるから」
怒っている碧に、
「駄目よ、暴力振るったら……」と、悠貴子が心配そうに言った。
「大丈夫よ、話を付けるだけだから」
悠貴子を安心させるように微笑んでいる碧に、
「本当ね」と、悠貴子が念を押した。
「うん、約束するよ」
微笑んでいる碧を見て、悠貴子は不安を拭い切れなかった。
傷付けば直ぐに壊れてしまう脆い心、悠貴子は部長の言葉が忘れられない。
あの日の事を、碧は目立って表には出さなかったが、九条に対して強い怒りを持っていると悠貴子は感じていた。
もし碧が、九条を前にして我を忘れて怒りを爆発させたら、自分は碧の心を抑止出来るのかと不安だった。
出来る事なら忘れて欲しい、自分の心は傷付いたままだが、碧の心の傷は早く癒えて欲しいと悠貴子は思っていた。
碧は心配そうにに見ている悠貴子を抱き寄せて、
「私の大切なお雪に酷い事したのよ、ガツンって言ってやらないと気が済まないわ」と、悠貴子の頭を撫でた。
「うん、ありがと」
悠貴子は不安な笑顔を浮かべて碧の胸に顔を寄せた。
―――◇―――
二学期初日。
長い休みの間、怠惰に過ごした生徒、勉強を頑張った生徒、忘れられない経験をした生徒、様々な思いでと共に生徒達が、学校と言う社会の日常へと帰って来た。
碧と悠貴子が、二人並んで駅からの道を学校へと歩いていた。
「ちょっと、静まって来たかな?」
周囲の生徒達が碧達の姿を見付けると、こそこそと話したり好奇の目で見たりしているが、特別気になる程では無かった。
それは、事態が沈静化しているのか、碧達が慣れて来たのかは分からないが、構えていた碧達にとっては少し拍子抜けの気がした。
「忘れてくれるとは思ってないけど、このまま、気にならないレベルまで落ちてくれると嬉しいんだけどね」
「そうね」
二人は少し安堵の笑みを浮かべて、学校へと歩いて行った。
クラスでは、懐かしい顔と挨拶を交わし、お互いの夏休みの話に花が咲いた。
二学期初日は、退屈な校長の話と二学期のガイダンス程度で、二時間目で終わった。
碧と悠貴子は、何時もなら二人で文芸部のある図書室に向かうのだが、今日は二年生の教室が有る校舎へとやって来た。
碧達の学校は校舎が三つ在り、碧達一年生が入って居る第一校舎と二年生と三年生が入って居る第二校舎が並んで建っている。
そして、第一校舎と中庭を挟んで、音楽室のある旧校舎が建っていた。
あと、三つの校舎と少し離れて体育館兼講堂がグランドに面して建っている。
図書室は第一校舎の四階に有り、その為、二年生が図書室に行くには、一階に有る校舎を繋ぐ屋根付の連絡通路を通る。
そこで二人が、あまり目立たない様にして待っていると、九条の姿が見えた。
九条の姿を見るなり、碧は九条へと向かった。
「先輩」
そんな碧に気付き、九条が不敵に微笑んだ。
「あら、お久しぶり、悠貴子ちゃんも」
碧の後ろに悠貴子の姿を見付けて、九条が微笑むと、悠貴子はおずおずと頭を下げた。
「どうかしたの?怖い顔して」
碧に向って微笑む九条に、
「分かっている筈です」と、感情を押し殺し、碧が九条を睨みながら言った。
「何の事かしら」
白々しく惚けて尋ねる九条を見て、碧は唇を噛んだ。
「花火大会の日に、先輩が悠貴子にした事に付いて話があります」
「ああ、あの日の事、そう言えばあの後、仲直りしたの?」
「話をはぐらかさないで下さい」
「あら、純粋に心配してあげているのに」
「結構です、それより話があります、一緒に来てくれませんか」
「困ったわね、私、これから部活があるのだけれど……」
「お急ぎでしたら、此処で話しますか?」
「此処で?」
「逃がす積りはありませんから」
睨み付ける碧の前で、九条が行き交う生徒達を横目で見て、
「ふっ、いいわ、行きましょ」と、碧に同意した。
碧達は第一校舎を抜けて、中庭へとやって来た。
人気の少ない旧校舎よりの木陰で、
「話って何かしら?」と、九条が尋ねた。
「謝って下さい、まず、悠貴子に謝って下さい、そして、二度とあんな事しないと約束して下さい」
腕を組んで高圧的な態度で碧が九条を睨むと、
「何故、私が謝らないといけないのかしら?」と、九条は惚けて問い直した。
「ふざけるな!」
冷静さを装っていた碧が、突然、怒りに任せて九条の胸倉を両手で掴んだ。
「碧!」
それを見て、悠貴子は慌てて碧の腰にしがみ付き、九条から引き剥がそうとした。
「やめて、碧!」
「分かってるわよ……」
悠貴子に言われて、碧は九条から手を放した。
「ふっ、私が謝らなければならない理由が、見付からないのだけど」
制服の襟を整えて、九条が冷酷な笑みを浮かべる。
「私は悠貴子ちゃんを慰めて居ただけよ、寧ろ、貴方には感謝して欲しいわね、貴方が原因で悠貴子ちゃんは悲しんでいたのだから」
自分が原因だと言われ、碧は悔しそうに歯噛みする。
「だ、だけど、悠貴子は怖がっていたのよ、それが慰めるって事なの!」
「あら、そんな酷い事したかしら?」
九条が悠貴子を見て、
「ねぇ、悠貴子ちゃん、私の何処がいけなかったのかしら?」と、残酷な笑みを浮かべる。
「……」
悠貴子はあの日の事を思い出し、顔を赤くして下を向いてしまった。
「やめてよ!悠貴子は思い出したくもないのよ!」
碧が、悠貴子を見ている九条の視線に割って入る。
「もし、謝る気が無いなら、私にも考えが有るわ」
「考え?」
「先輩が謝らないなら、先輩のした事を学校中に言い触らすわよ」
睨み付けている碧の顔を暫く黙って見ていた九条は、
「ほぉほほほ、何を言い出すかと思ったら……」と、笑った。
何故笑っているのか分からない碧は、呆然と九条を見ていた。
「それで、何て言う気なの?」
「せっ、先輩が、悠貴子に抱き付いて酷い事をしたって……」
「ほほほ、いいわよ言って御覧なさいな、お馬鹿さんね、ほんと」
「何ですって……」
「私も同性愛者だって事、公表する気なのね」
「え、ええ……」
「そんな噂、直ぐに書き換えてあげるわ」
「書き換えるって……」
「貴方達は有名人なのよ」
「……」
冷たい目で蔑んだ笑みを浮かべる九条を見て、碧は漠然とした恐怖を感じて半歩下がる。
「こんなのはいかがかしら?貴方達は喧嘩した、これは事実、文芸部の部長や部員が証人に成るわ、花火が上がっている時、私達も近くに居たのよ、それで、貴方達の様子が変だって皆気付いたわ」
「……」
「それで、愛する人と喧嘩した悠貴子ちゃんの心は傷付き、少し自暴自棄に陥った」
碧は九条を睨みながら黙って聞いていた。
「そして、境内に一人残った私を見て、日頃から優しくしていた私に癒しを求めて抱き付いた、いえ、私を襲った……」
「何言ってんの!全く逆じゃないの!」
「碧!」
悠貴子が、再び九条に掴み掛ろうとする碧に抱き付いて止めた。
「そして私が、悠貴子ちゃんに、されるがままに蹂躙されている時、運悪く貴方が現れて、その場は修羅場と化したなんて、そんな話、部長なら目を輝かせて聞くわよ」
「そんな話、誰が信じるのよ!」
「馬鹿ね、言ったでしょ、貴方達は有名なレズカップルなの、だけど、私がレズだと言う事は誰も知らない、さて、どちらの話を生徒諸君は信じるかしら?」
「あっ……」
「噂って真実だとは限らない、いえ、真実で有る必要なんて無いの、そんな事も知らなかったの?それと、貴方達が喧嘩した、そんな事実をほんの少し練り込むだけで、信憑性も増すわね。」
「……」
「大人しくしている貴方達に、そろそろ飽きて来たお祭り好きの連中も、きっと新しいネタに飛び付くわよ」
「くっ……」
「消えかかっていた火に、自ら燃料を投下する気なの、お笑いだわ」
「……」
悔しそうに拳を握る碧を見て、
「ふっ、しないわよ、そんな事……」と、九条は静かに言った。
「えっ?」
「ほんと貴方って、いいおもちゃね、直ぐに感情剥き出しにして、でも、余り暑苦しいのも鬱陶しいだけね」
九条は碧に近付いて、今度は碧の胸倉を片手で掴み、
「そんなに大事なら、しっかり捕まえておく事ね」と、碧を睨み付けた。
その目は肉食獣を連想させる凶暴な目だった。
「今度、隙を見せたら、悠貴子ちゃんを貰うわよ」
「九条先輩……」
碧の腰に抱き付いたままの悠貴子が、怯える様に九条を見た。
「悠貴子ちゃん、東郷さんが嫌になったら何時でもいらっしゃいな」
悠貴子に微笑む九条を見て、
「ふざけるな……」と、少し震える声で碧が言った。
「ふざけてなんて居ないわ、悠貴子ちゃん可愛いんですもの、私、欲しいの」
飢えた獣の様な欲望に満ちた目を光らせ、九条が碧を睨んだ。
「……」
九条の迫力に押され、碧は声が出なかった。
「九条先輩、私、碧しか愛せません、だから、九条先輩を先輩以上に想う事は出来ません」
少し怯えながらも、しっかりとした口調で悠貴子が言った。
「分かってるわ……」
九条は、吐き捨てるように言うと碧から手を放した。
沈黙が続く中、九条は碧達に背を向けて立っていた。
「あの、先輩……」
沈黙を破って、碧が九条に遠慮気味に声を掛けた。
「悠貴子の事は諦めて、私、悠貴子と別れる気なんて無いわ」
「今はね……」
「今って……」
「先の事なんて分からないわよ」
「この先もずっと、別れる気なんて無いわよ!」
「……そうかしら」
「そうよ!だから、悠貴子の事は諦めて!」
「諦めないって、言ったら?」
「そんな……」
「悠貴子ちゃんより可愛い子なんていないわ、だから、諦めたくないわ」
「……」
同性愛者だと言う事を公表されたくないならと、九条に釘を刺す積りだったが、その目論見は外れ、逆に脅された碧には九条に対抗する術が無かった。
「九条先輩、私、先輩は素敵な人だと、思っていました」
碧の後ろから、悠貴子が遠慮気味に言った。
「あら、悲しい、今は違うの?」
「当たり前でしょ!」
「碧は黙って!」
悠貴子に一喝されて碧が黙った。
「あの、だからきっと、私なんかより素敵な子が見付かると思うんです、先輩の事を好きになってくれる素敵な子と、きっと巡り会えます、あの、だから私の事は諦めて下さい」
「そうよ、他を探しなさいよ!」
碧の言葉を聞いて、九条は振り返り碧を睨んだ。
暫く睨んでいた九条が、碧に近付き、
「他を探せって……なに甘い事言ってるの……」と、再び碧の胸倉を掴んだ。
「最初から、運よく巡り会えた貴方達には分からないでしょうけど、好きになった人が、同性愛者だとは限らないのよ」
「先輩……」
「貴方達に何が分かるのよ、他を探せ?何処に居るのよ」
「それは……」
「誰も、レズの、看板掛けて、歩いてなんて、いないわよ……」
「先輩?」
碧を睨んでいた九条の目に涙が浮かんだ。
「好きに、なった人が、同性愛なんて、嫌だったら……」
九条は碧から手を放し、顔を手で覆って碧に背を向けた。
「九条先輩……」
碧の横から、悠貴子が心配そうに声を掛ける。
小さく肩を震わせながら、九条は泣いていた。
暫くして、九条は二人に背を向けたまま、顔から手を放し、
「私ね……」と、静かに話し始めた。
「一年生の時、文芸部の先輩に憧れていたの」
寂しそうに話す九条が、図書室のある第一校舎の四階を見た。
「とても綺麗な人で、優しくて……三年生の素敵なお姉様だったわ」
九条は碧達に振り向いて、
「ずっと憧れていたの、大好きだった、いえ、愛していた……」と、悲しい顔で言った。
「そして、二学期が終わる頃、三学期になったら、お姉様とも会えなくなるって思うと私、どうしても我慢出来なくって、お姉様に手紙を書いたの」
九条の話を、二人は黙って聞いている。
「私の想いを分かって貰おうと、一生懸命書いたの、渡すのに少し時間が掛かったけど、勇気を出して渡したの……」
自分の気持ちが抑えきれず、碧に告白した悠貴子には、九条の気持ちが良く分かった。
「嬉しかった、ラブレターを渡せた事が、恥かしくてドキドキしたけど、嬉しかった、例え私の想いに答えてもらえなくても、私の想いを伝える事が出来て嬉しかった」
九条は寂しそうに微笑んだ。
「でも……」
九条は言葉を途切れさせ、俯いて黙ってしまった。
「先輩?」
どうしたのかと、碧が九条に声を掛けた。
「でも、次の日、お姉様が、私を呼び出して……」
九条が再び手で顔を覆った。
「私の目の前で、渡した手紙を破り捨てて、『気持ち悪い事しないで』って……」
「そんな……」
顔から手を放し、頬に涙を流しながら、
「当たり前よね、その気も無いのに、突然、変態から手紙を貰ったら、当然、怒るわよね」と、無理に笑顔を作ろうとした。
「馬鹿よね私って、一人で盛り上がって、お姉様の気持ちなんて、全然考えないで、ほんと、馬鹿……」
九条は近くの木に凭れ掛かり、虚ろな目で空を見上げた。
「怖いのよ……だから、怖いの……」
憧れる人、恋した人が、理解者だとは限らない。
中学の時、下級生からラブレターを貰った碧。
密かに、碧に憧れていた下級生達も、碧に想いを告げる事が出来ないでいた。
同性の碧を好きになり、伝えたいが、それを知った碧に嫌われる事を恐れて、自分達の想いを告げる事が出来なかった。
でも、碧が悠貴子と付き合いだしたとの噂を聞いて、僅かな希望に掛けて、自分達の想いを告げる為に勇気を出してラブレターを送った。
その事を下級生達から聞いていた碧は、九条が哀れに思えた。
「あの、先輩……」
碧が遠慮気味に声を掛けると、
「……まだ何かあるの?」と、無感情な口調で尋ねた。
「あの、だから……」
「大丈夫よ、安心なさい、悠貴子ちゃんの嫌がる事は二度としないわ」
「本当ですね、約束ですよ……」
「ええ、でもね、諦めたわけじゃないから」
宣戦布告とも取れる九条の言葉に、
「私だって、悠貴子を絶対に離しませんから」と、言い切った。
「もう良いでしょ……」
空を見詰めている九条に、
「はい……」と、碧が返事した。
決して満足出来るものでは無かったが、悠貴子の嫌がる事は二度としないと言われ、碧は不満が残るものの妥協してしまった。
碧は悠貴子へと振り向いて、
「お雪もそれで良い?」と、悠貴子に尋ねた。
まだ自分が九条に狙われている事に不安は残ったが、悠貴子はこれ以上、碧の負担になる事態は避けたいと思い、
「ええ……」と、頷いた。
悠貴子の返事を聞いて、
「行こ……」と、碧は九条を見ないまま、悠貴子の手を引いて歩き出した。
悠貴子は歩きながら振り向き九条を見た。
自分達は幸運だった。
もし碧が、同性愛に対して嫌悪する普通の女の子だったら。
そんな事を考えると、悠貴子は九条が可哀そうにも思え、また、自分達の幸運に少し負い目を感じた。
二人が居なくなった中庭で、九条は空を見上げながら、
「ふっ、なあぁんちゃってね……」と、鼻で笑った。
「ほんと、甘いわね……」
九条は長い髪の毛を翻して、図書室へと向った。
ーーー◇ーーー
「おはようございます」
碧は音楽室の扉を開けて挨拶した。
「よう、おはよう」
既に来ていた鈴木達が碧に挨拶を返す。
「じゃ、東郷も来たし、二学期の予定について話そうか」
鈴木が皆に向かって言うと、葉山達も鈴木の所に集まった。
「休み中にも言ってたけど、十一月になったら文化祭だ」
「はい」
碧達一年生が笑顔で返事した。
「まぁ、その前に中間考査があるけどね」
「もう、川崎君、白けるから止めてよ」
葉山が睨み付けると、川崎は冗談ぽく舌を出して横を向いた。
「いや、その事なんだけど、試験期間中と試験前一週間はクラブ活動は禁止だ、そして、試験が終わった一週間後が文化祭、だから、十月に入ったら余り練習する時間が無いって事を分かっておいて欲しい」
「はい」
「だから、十月頃には仕上げに入っている事」
「はい」
碧は順子と千佳の方を向いて、
「何とかいけるわね」と、尋ねた。
「うん、大丈夫」
千佳が頷いて、
「とりあえず四曲に絞って練習して来たから、うん、いけそうね」と、順子も頷いた。
「あと、もう少しアレンジしたいんだけどなぁ」
「だね」
「九月中に出来る?」
「何とかしますか」
「うん」
碧達は文化祭に向けて楽しく盛り上がっていた。
図書室で悠貴子達が文化祭について話している所に、九条がやって来た。
「おお、九条君来たか」
「すみません、遅くなりました」
軽く部長に会釈して、九条は部長の隣に座った。
「ああ、とにかく、一人一作品以上だ、余り多いのも困るが、二つでも三つでも構わんぞ、ただし、二次創作は禁止だ、よいな、皆の衆」
「はい」
「それと、一応テーマと言うものを決めたい、意見の有る者は挙手の上、述べる事」
皆が文化祭で出す冊子の話で盛り上がっている中、悠貴子は自分を微笑みながら見ている九条が気に成って少し緊張していた。
会議も終わり、悠貴子が作品の参考にするための本を探していた時、何時の間にか九条が背後にいた。
「くっ、九条先輩……」
気付いた悠貴子が驚いて後退る。
警戒している悠貴子に、
「何もしないわよ、そんなに怖がらないで」と、優しく微笑んだ。
「何か、御用でしょうか?」
「用と言う程の物でも無いのだけれど」
怯えている悠貴子に近付いて、
「あまり不自然な態度は控えてくれないかしら」と、優しく言った。
「警戒する気持ちは分かるけど、他の部員に勘繰られるのも嫌だわ、悠貴子ちゃんもそうでしょ?」
「……はい」
緊張している悠貴子の頭を撫でながら、
「心配しないで、最低限、部活で襲ったりはしないから」と、浮かべた笑みに、野獣の目が光る。
「や、やはり、襲ったって認識は、あるんですね……」
恐る恐る尋ねる悠貴子に、
「あら、言うわね、くすっ、好きよ私、そう言うの」と、九条は笑いながら言った。
「誤解が有る様だから言うけど、基本的に私は悠貴子ちゃんの味方よ」
「味方?」
「そう、味方」
九条が悠貴子の隣に立ち、悠貴子の肩に手を回す。
「正直言って寂しかったの、女の子が好きだ何て誰にも言えなもの、だから私、二人の事知って嬉しかったわ、仲間だって」
九条の手を気にしながら、
「先輩が味方だと言ってくださる事は嬉しいです、正直言って、私達も二人だけで不安で……」と、九条の目を見て言った。
「嬉しいわ、そう言ってくれると、だからねっ、仲良くしましょうね」
「先輩が、先輩後輩の一線を越えるような行為に及ばなければ、私は何時でも歓迎しますわ」
「ぷっ!」
悠貴子の言葉を聞いて、九条は噴出して笑った。
「いいわぁ、悠貴子ちゃんそれ、花火の日、あんなに怯えていたくせに、それ、いいわぁ」
「茶化さないで下さい、先輩後輩の一線を越えないと約束して下さい」
「ふっ、いいでしょ、約束するわ、でもね、そう言う線引きって曖昧よね……」
そう言いながら、手を伸ばして抱き付こうとする九条から身を躱して、
「私が判断します」と、冷たく言った。
「あら、弁護も出来ないの?抱き付くぐらい皆してるわよ」
「却下します、先輩の場合、抱き付くだけでは終わらないと判断しました」
「ねぇねぇ、お姉様って呼んでくれる?」
目を輝かせて甘えるように九条が言うと、
「えっ、そ、そんな、嫌です……」と、悠貴子が顔を背けた。
「えぇ、駄目なの……」
「駄目です、皆に聞かれたら、恥かしいです」
「だったらぁ、二人きりの時は呼んでくれる?」
粘り強く食い下がって来る九条に、
「駄目なものは駄目です」と、悠貴子はきっぱりと断った。
「ええぇ、冷たいのね」
悲しそうにしている九条の顔を見て、
「はい、私は冷血女で結構ですわ、では私はこれで……」と、悠貴子は本を持って、冷やかにその場を離れた。
悠貴子の後姿を見送りながら、
「やっぱり欲しいわ」と、九条は黒い笑みを浮かべた。
ーーー◇ーーー
九月も終わりに近付き、涼しく乾いた風が秋の香りを運び始めた。
「えっ、碧、風邪引いちゃったの?」
「うん、どうせ、お腹を出して寝てたんでしょ」
「ありうるぅ」
放課後、悠貴子と智子が笑いながら第一校舎の廊下を歩いていた。
悠貴子は部活が終わって、そして智子は文化祭についての話し合いで代議員会議が終わって、二人は帰るところだった。
「だからね、生徒会として禁止している事は守って欲しいのよ、なのに、私のクラスの委員長ときたら皆をまとめられないで、まるで私が悪者だわ」
「代議員も大変ね……」
二人が第一校舎と第二校舎を繋ぐ連絡通路に出た時、前から戸田達のグループ五人が歩いて来た。
制服を着崩し、だらしなく歩く姿は、自分達が馬鹿である事を宣伝して歩いている事だとは気付いていない連中が、連絡通路いっぱいに広がって歩いて来た。
悠貴子は戸田を知らなかったが、その異様な集団に眉を顰めて通路の端に寄った。
気の強い智子も、こんな連中に関わりたくも無く、悠貴子と同じに端へと寄った。
「おっ、おい、こいつ、デカ女のレズの相手じゃねぇか?」
戸田が悠貴子を目敏く見付け、悠貴子に近付いて行った。
「へぇ、こいつか、結構可愛い顔してんじゃん」
「うん、デカ女には勿体無いかも」
下衆な好奇心に目を輝かせて、五人は悠貴子を取り囲んだ。
悠貴子は、戸田達が碧の事を言っている事に気付き、前にいる連中が碧から聞いていた軽音部の三年生だと思った。
「ちょっと、先輩達、何か様ですか」
囲いを破って智子が悠貴子の前に立った。
「何だ、お前もレズのお仲間か?」
「鶏がらみたいな奴だな」
「なぬっ!」
容姿の事を言われて、智子はムカッと来たが、
「用が無いなら帰ります」と、悠貴子の腕を引いて囲いを抜け様とした。
「おっと、待てよ」
一人が手を広げ通せんぼすると、
「話は終わっちゃいないんでね」と、今度は智子も一緒に五人が囲んだ。
「お前らレズって、何時もどんなHしてんだ?」
「おぅ、やっぱり玩具とか使ってんの?クネクネ動く奴とか」
「デカ女に揉まれて、成長したか、その乳」
「ぎゃはははは!」
下劣な言葉を浴びせる戸田達を、悠貴子は怒りを浮かべて睨み付けた。
「いい加減にして下さい」
「おっ、怒った?」
「怒った顔も可愛いねぇ」
「な、あんなデカ女より、俺達とHしない?」
「おっ、いいねぇそれ」
「どうせ、しょっちゅうHしてんだろ、俺達ともしようや」
戸田達が、囲みを狭め悠貴子達に迫った。
迫って来る戸田を睨み付け、
「どいて下さい、邪魔です」と、悠貴子が怯まずに言った。
碧から聞いていた理不尽な三年生。
文芸部の部長からは逆らうなと言われていたが、この状況ではどうしようもない。
そして、こんな連中に碧が虐げられ苦汁を舐めていたかと思うと、無性に怒りが湧いて来た。
「強がった所で、何も出来ないくせに」
「なんだとぉ!」
「邪魔だからどいて下さい」
「こいつ……」
怒りで、部長の言葉をすっかり忘れてしまった悠貴子が、
「先生呼びますよ」と、更に煽った。
「上等だよ、呼んでみろよ!」
「俺らに逆らって、ただで済むと思うなよ!」
「どうなるって言うんですか?」
「お雪……」
戸田達の前に立って怯まない悠貴子を見て、智子は不思議な感じがした。
中学の時は、確かに芯が強く強情な所はあったが、こんな連中と正面から対峙するような悠貴子ではなかった。
何か揉め事が有ると何時も碧の後ろに隠れていた悠貴子。
そんな悠貴子が、戸田達を前に一歩も引かない。
「デカ女も生意気だけど、お前もいい度胸してんな」
「碧の事、悪く言わないで下さい」
「本当の事だろ、でかいだけしか脳の無い生意気女だって言ってんだよ」
「碧は素敵な女性です」
「はぁ?素敵?何処が?でか過ぎて男に相手されないから、女を漁ってんだろ、あいつ」
「徒党を組んで強がってるだけの貴方達に、碧が侮辱される云われなんてありません」
「なにぃ……」
「貴方達こそ、先生にも疎まれて、誰からも相手にされていない事に気付かないんですか?」
「貴様、黙って聞いてりゃ……」
「誰も貴方達のこと怖がっていません、関わるのが煩わしいだけなんです、鬱陶しいだけなんです」
「この尼あぁ!」
戸田が悠貴子の胸倉を掴んで殴ろうとした時、
「きゃあぁぁ!」と、智子が自分のブラウスを力任せに引っ張って大きな悲鳴を上げた。
「なっ!」
突然の事に戸田達が驚き動きを止めて智子を見た。
力任せに引っ張られたブラウスは、ボタンが弾け、前が開けていた。
「きゃあぁぁ!痴漢よう!犯されるう!」
白い肌と、可愛らしいパステルピンクのブラを晒して、智子が叫んでいる。
「おっ、おい……」
「強姦魔!変態よおう!きゃあぁぁ!助けてぇ!」
「や、やめろって……」
智子の叫びに戸田達は完全に引いている。
「おい!お前ら!何してる!」
一人の男子生徒がスポーツバッグを持ったまま、第二校舎から駆け寄って来た。
「おい」
「おう……」
この状況が非常に不味いと感じた戸田達は、其のまま第一校舎の方へと走って逃げた。
戸田達が走り去って、智子は力が抜けた様にその場に座り込んだ。
「智子!大丈夫!」
悠貴子が智子に寄り添う横を、
「おい!待て!」と、駆け寄って来た男子生徒が戸田達を追いかけようとしたが、途中で止めて悠貴子達の所まで戻って来た。
「おい、大丈夫か」
男子生徒が心配そうに智子の隣にしゃがみ込むと、
「きゃっ」と、智子が小さな悲鳴を上げて前を隠した。
「あっ、ごめん……」
智子の白い肌が見え、男子生徒が慌てて後ろを向いて、
「あ、あの、怪我は無いか」と、戸惑いながら聞いて来た。
「ありがとうございます、大丈夫です」
智子が礼を言うと、
「あいつら、誰なんだ、何があったんだ」と、男子生徒が聞いて来た。
「……」
男子生徒はバッグからウインドブレーカーを出して、
「あの、汗臭くてごめん、こんなのしかなくて……」と、遠慮気味に後ろを向いたまま智子に差し出した。
智子は差し出されたウインドブレーカーを暫く見詰めて、
「あ、すみません……」と、言って受け取った。
智子がウインドブレーカーを着ると、
「ありがとうございます、先輩」と、改めて男子生徒の方を向いて礼を言った。
カッターシャツの胸に緑色の校章を付けている二年生の男子生徒が、
「先生に報告しに行こう」と、智子を促した。
「あの、いえ、いいんです、何も無かったから……」
恥かしそうにしている智子を見て、
「良いわけ無いだろ、こんな酷い事されて……」と、男子生徒は真剣な顔で智子に言った。
「えっとぉ、まあぁ、そうなんですけどぉ……」
実際は演技だったので、心配してくれる男子生徒に対して、智子は申し訳ない気分でいっぱいだった。
そんなやり取りを見ていた悠貴子が、
「あの、先輩……」と、男子生徒に話しかけた。
「なんだ?」
「あの、女の子ですから、その、こんな事が、皆に知られるのは、嫌なんです……」
「あっ……」
男子生徒は、悠貴子に言われて智子が嫌がっている理由に気付いた。
でもそれは、悠貴子が上手に勘違いさせた事だと知らない男子生徒は、
「でも、本当にいいのか?」と、尋ねた。
「はい、すみません、ご心配していただいて……」
「そっか……あ、だったら俺も、この事は誰にも言わないから、ねっ、安心して」
「……あ、はい、あの……あ、ありがとうございますぅ……」
滑稽なぐらい智子を気遣っている男子生徒を見て、智子に気不味い思いが圧し掛かる。
男子生徒が立ち上がると、
「あっ、あいつ等、三年の不良どもか……」と、戸田達に気付いた。
元々、進学校で不良なんて滅多に居ない学校だ。
戸田達は学校でも目立っていた。
「やっぱり、先生に言った方がいいよ」
「いえ、これ以上、話が大きくなると、返って連中は何をするか分かりません、だから、もう、いいんです……」
男子生徒は『やっぱり女の子なんだなぁ、こんなに怖がって……』と、勝手に思い込んだ。
「じゃ、今日だけでも駅まで送るよ、あいつ等、まだいるかも知れないし」
「でも、そんな、ご迷惑じゃ……」
「迷惑だなんて……あ、いや、送るだなんて恰好付け過ぎかな?まっ、迷惑じゃなかったら一緒に帰ろうよ、なっ」
屈託無く笑う男子生徒を見て、
「はい……」と、智子は素直に頷いた。
一方、逃げ出した戸田達は、既に駅まで逃げて来て、電車を待っていた。
「くそ、舐めやがって!」
戸田は、悔しそうに駅のベンチを蹴り飛ばした。
「今度会ったら、ただじゃおかねぇ……」
足の痛みに耐えながら、戸田が拳を握り締める。
「おい、もう止めとけよ」
仲間の一人が気だるそうに言った。
「何でだよ」
「なんでって、お前、もう二回も停学食らってんだぞ、今度なんかしたら次は退学だぞ」
「はっ、退学上等じゃねぇか、舐められたままで終われるか」
「馬鹿、どうするって言うんだよ、さっきみたいな事されたら、結局、逃げなきゃいけないだろ」
「待ち伏せでもするか?」
「えっ、まじでやっちゃうの……」
話が良からぬ方向に向いて、皆が顔を見合わせた。
「何処か人気の無い所に連れ込んで、やっちまおうぜ」
戸田の余りにも過激な計画を聞いて、皆は引いてしまった。
「おいおい、警察沙汰なんて嫌だぜ」
「大丈夫だ、犯している所を写真に撮って脅しとけば、何も言わねぇよ」
「おい、冗談だよな」
「何言ってんだ、本気だよ」
不気味に笑う戸田を見て、皆は再び顔を見合わせた。
「まっ、冗談って事にしとこうや」
「何でだよ!」
「マンガじゃねぇんだぞ!付き合いきれねぇよ!」
「何!」
「俺は犯罪者なんて成りたくないからな!」
睨み合う二人を見て、
「まぁまぁ、其処までにしとけや」と、仲間の一人が戸田を宥めた。
「なにも熱くなる事無いだろう、さっきだって軽く遊んだだけなんだからさ」
「だけど」
「いいじゃねぇか、ほっとけよ女なんて、それくらいの度量は持てよ」
「……」
仲間に言い包められて、戸田は黙ってしまった。
後戻り出来ない所まで行ったらどうしようかと思っていた小心者の戸田は、内心ほっとしていた。
「なっ、詰まらねぇ事に拘るなよ、なっ、それより、カラオケでも行こうや」
「おっ、いいねぇ」
「なっ、行こうや」
仲間に誘われて、
「おお……」と、戸田は頷いた。
上辺は収まったかの様な戸田だったが、心の奥では悔しさが消えてはいなかった。
次の日。
昼食を食べ終わった悠貴子と智子が中庭で会っていた。
「今日も碧休みなの?」
「うん、もう熱は無いみたいなんだけど、まだ体がだるいんだって」
「碧が風邪ねぇ、正に鬼の霍乱ね」
「もう、碧に悪いわよ」
「はははは」
笑っている智子に、
「絶対に昨日の事、碧に言わないでよ」と、悠貴子が頼んだ。
「うん、碧が知ったら、大事だね」
「碧に隠し事はしたくないけど……」
「時と場合によるわよ、言わない方が良い事だってあるわ」
「うん……」
俯いている悠貴子に、
「でも、驚いた、お雪が、あんなに強気に出るなんて」と、明るく言った。
「中学の時じゃ考えられないわ」
「うん、私も不思議だった」
「えっ?」
「怖かったのは怖かったけど、それ以上に私達の事を馬鹿にされて我慢出来なかったの」
「お雪……」
「私達は真剣なのに、それを馬鹿にするなんて、我慢出来なかった、それに、碧の事も馬鹿にして、絶対に許せないと思ったの、そうしたら怖く無くなってたわ」
悠貴子は昨日の事を思い出して微笑んだ。
「変わったね、お雪」
「えっ、そうかしら?」
「うん、変わったって言うより強くなったかな?」
「色々とあったから、私も強くなりたいし」
「でも、やっぱり昨日の事はやり過ぎよ、怪我でもしたらどうするの、私が付いていて、お雪に怪我させただなんて、碧に顔向け出来ないわ」
「ほんと、ごめんなさい」
悠貴子は申し訳無さそうに智子に手を合わせた。
「驚いたって言えば私も驚いたわよ」
「何が?」
「何がじゃ無いでしょ、智子があんな大胆な事するなんて」
「あっ、ああ、ブラウス破いた事?」
「そうよ」
「でも、あの時はあれぐらいしないと、収まらなかったでしょ」
「それはそうだけど」
悠貴子は呆れたように微笑んだ。
「それで、あれからどうしたの?」
「えっ?」
「上杉先輩と一緒にバスで帰ったんでしょ」
「えっ、あっ、まぁ……」
智子は照れ臭そうに顔を赤くした。
「私は電車だから駅で別れたけど、どうだった?」
「どうぅって、別に……」
「ウインドブレーカー返すんでしょ」
「うん、昨日洗ったから、明日には……」
「クラスとか聞いたの?」
「うん、二年一組……」
興味津々に目を輝かせる悠貴子から、智子は照れて目線を外した。
「うふっ」
何かを期待して笑みを浮かべる悠貴子に、
「な、なによ、別に、そんなんじゃ、ないからね」と、智子がそっぽ向いた。
「第一何よ、レディーにあんな汗臭いの着せて、デリカシーってのが無いのよ」
「あらぁ、優しそうな先輩だったじゃない」
「こ、好みじゃないわよ……」
「部活やってるの」
「……うん、テニス部」
「でも、まだ暑いのに、なんでウインドブレーカーなんて持ってたのかしら」
「ウオームアップ用なんだって」
「へぇ、色々とお話したんだ」
「あっ……」
悠貴子の誘導尋問に引っかかって、智子は慌てて手で口を押さえた。
そして智子は、悠貴子の方を向いて顔を真っ赤にして、
「もう、話くらいするわよ!」と、照れ臭さを隠す為に大声で言った。
「ふふふ、でも、素敵な人だったわね」
「……うん」
バスの中で、汗臭いウインドブレーカーを着て過ごした上杉との楽しい時間を、智子は思い出していた。
出会って間もないのに、気取らない上杉との会話は、バスに乗っているほんの少しの間だったが智子の心に強く残った。
ドキドキしながら上杉と話していた時、智子は汗臭いウインドブレーカーから優しい温もりを感じていた。
最後まで読んで下さってありがとうございました。m(__)m
感想等いたたけましたら幸いです。