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第十四話 誤解
 静かになってしまったせいか、しばらくマッサージをしていると兄貴は小さな寝息を立てていた。全く無防備な顔をしている。この人でもこんなだらしない顔をするのかと不思議になるぐらいだ。マジックでちょびひげを描いたら怒られるかな、いや、いっそのこと写真を撮ってみようかしらん、などと考え独りで笑った。
 予備の布団なんか無いから自分の布団を持って来る。しかも床暖なんて高級な物も無く、兄貴の下に敷き込むように布団をかけた。仕方が無いからその横に潜り込む。寒いのは苦手。体脂肪12パーセントは女の子の身にはキツい。まあ、女の子って言うほどたいした物じゃないけどな。現に生理だってようやっと2ヶ月に一度だ。
 大きくあくびをして枕を直した。これは、やらん。俺の物じゃ。このとき兄貴が動いた。
「・・・・・」
何かを呟き、俺の体に腕をまわした。
「あったけぇ・・・・」
そのまましっかりと抱きとめられた。俺の両手は挙ったままで下ろしようが無い。
 こいつ、俺の事猫か湯たんぽとまちがっちゃいないか?
 のび始めたひげがざらざらと額に当たる。そのまま兄貴はくふくふと笑い喉を鳴らした。こいつが猫だ。
 半ば押さえられた状態で俺は身動きが取れなかった。
 もしやこいつは真性のゲイかよ、なんて事が一瞬よぎる。でもそうじゃなさそうだった。兄貴は気持ち良さそうに
「むにゃむにゃ」
と言った。
 とりあえず腕をリラックスすると兄貴の頭を抱え込むようになった。不思議な事にその体の凸凹がジャストフィットでちっとも苦しくない。のしかかっている重さも、まるで重たい布団のようで自分の好みだったりする。

 俺って阿呆だ。
 でもまあ、しゃあない。
 目覚めたとき、この人はどんな顔をするんだろう、なんてたちの悪い事を考えた。裏声で悲鳴を上げたりしてね。まあ自然に寝ていりゃこの腕もほどけるだろう。俺は瞳を閉じた。本当は今、途方も無く嬉しくてドキドキしている事を自分自身に悟らせないように。 

 目覚めると兄貴はいなかった。その代わりに置き手紙が一つ。
“世話になりました。飯も旨かった。ありがとう。えりこさんによろしく。”
よどみのない性格そのものの筆圧。万年筆のブルーブラックの濃淡が綺麗だった。
「絵里子さんにはよろしくで、俺の名前は無いのかよ。」
ちぇっ、なんて舌打ちしながら俺は手紙を畳んだ。お年玉をもらった気分だった。
 後で知った事だけれど、兄貴が使っている万年筆はシェーファーというブランド物らしい。高校時代からの愛用品でメンテナンスが大変だと笑っていた。

 その次の土曜日の朝、再び兄貴が店に来た。
 仕事のローテーションで夜勤になってしまったと言う。今しばらく毎週木金曜日は午後10時から午前8時まで会社にいなければいけないらしい。その帰り道に寄ってくれたというのだった。
「どうせ帰る途中だし、送って行ってあげるよ。今まで基が世話になった事だから、少しぐらいは役に立たせてもらえると嬉しいんだが。」
買って来たコンビニおにぎりを平らげ、ソファアであくびをして、俺の仕事が終わるまで缶コーヒーを啜っていた。俺の手にはホットウーロン。
 二人で他愛無いおしゃべりをした。実は兄貴は俺達の高校の先輩だった事、剣道部の副主将だった事、そして団体戦でインターハイに出た事が有るなど。他にも最近のトレーニング事情やスポーツ医学についても兄貴はよく知っていた。
「俺の夢は鍼灸師になって、スポーツトレーナーになる事なんだ。」
いつの間にか俺はいつの間にか熱く語っていた。
「ほら、ボクサーってそれだけで食って行ける選手なんてほとんどいないだろう?トレーナーもそれとおんなじでさ。それに俺このとおりだし、ジムで一生お世話になる事もできないし。特殊技能つけて、それで生計立てて、その隅っこで選手の応援もできたらいいと思わないか?好きな事して生きて行けるんだったら最高じゃん。別にチャンピオン育てたいとか夢みたいな事は言わないけどさ、でも、アマチュアでも良いからこれからのボクサーの力になってやれたら本当に幸せだと思う。」
独りでしゃべりまくる俺に、兄貴はうんうんと嬉しそうに頷いてくれた。
 仕事が終わると二人を乗せて家まで送ってくれた。
 いつもみたいに絵里子さんを寝かせた後、二人で残り物の煮物をつついた。
「もしかして僕は役得しているのかな。」
兄貴は体の割りによく食う。どんぶり一つが空になる。
「残ったら基の土産にって思ったけど、無理だな、こりゃ。」
笑う俺に兄貴は済まないと肩をすくめた。
 それから何とはなしに兄貴の肩を揉む。夫婦みたいだと思いながら。いや、待てよ、今の所基が俺の旦那だから、この人は愛人か、なんて。俺って本当、阿呆だなあ。この人は愛人のタイプじゃない。豪商の若旦那だ。おおらかで坊くさくって頭はいいけど人も善い。むしろ後先考えず熱くなりやすい基の方がそのタイプだ。
「ここに来る事、基、知っている?」
うつぶせの兄貴にさりげなく聞いてみた。
「んんん。」
多分知らないの返事だと思った。
「あいつにはしばらく黙っといてくれないかな。」
また基に秘密が増えた。
「ほら、あいつもうすぐ受験だろ。ぎりぎりの所狙っているって話しだし。」
ああ、相変わらずこっている肩だ。
「こんな事で動揺させたくないから。」
本当に硬い。
「俺達春まで遊ばない約束してるのに、兄貴とこんな事してるのがばれたらあいつ、いい気がしないだろう。」
なんだかその言葉が卑猥に聞こえた。
「別にやましい事は無いんだけどさ。」
俺今墓穴掘った?
 その兄貴からは何の反応もなく、寝てしまっているようだった。
 せっかくうつぶせな事だし、その腰周りを軽く揉んだ。なるほど、これが剣道をしていた人間の体か。微妙な左右差を感じながら、しばらく指先でその体を揺すり続けた。
 このまま寝ていくんだろうと布団を取ってくると、兄貴は起きていてコートを手にしていた。
「もう帰るの。休んでけば行けばいいのに。」
俺は目を擦った。かなり眠かった。兄貴は何とも言えない表情で俺を見た。
「いや、止めておくよ。君の“だんはん”は嫉妬深いからな。」
その背中を唖然と見送った。
「マジかよ・・・・」
俺の眠気が吹っ飛んだ。兄貴は俺が誘っていると思ったんだ。
 ああ、でも仕方ない。仕方ないさ。現に俺は基と寝てんだから。そう思われたって・・・・。

           Left Alone    つづく
         

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