最終回 第八十七話 本当の終り
町長に呼ばれているということを忘れかけていた。ようやくそれを思い出して、役場に向かったのは午後の五時のことだ。窓の外では、山に向かって夕陽が沈みかけている。
アンシェント学園の生徒は、ちらほらとだが下校している。このあとクラブ活動があったり部活があったりするので、本格的に生徒たちが下校をしはじめるのは午後の六時ごろになるだろう。
クライドは、明日からまた学校に通えるということをとても嬉しく思っていた。帝王との戦いで制服の前面は大きく切り裂かれたが、予備の制服でしばらく持ちこたえようと思う。
町役場まで、グレンもノエルもアンソニーもついてきてくれた。シェリーは祖母や父に引き止められてエルフの村のことを語り続けていたので、しぶしぶといった感じだがクライドの家に残ったのである。
役場に入って、今度はちゃんと面会を求めた。二ヶ月前に応対してくれたあの女性が、またにこりと笑って出迎えてくれる。クライドはあの時と同じように、町長に会いたいと言う旨を語った。止められるはずもなく、クライドは執務室に案内される。
執務室には、町長がいた。鐘はもうないので、恐らくもう町長が付け直してくれたあとなのだろう。町長は窓の外を眺めて、物思いにふけっている様子だった。しかしその顔は憂いを帯びているときのような物寂しげなそれではなく、どことなく楽しげでもあった。
「町長さん、クライドです」
声をかけると、町長は口の端に軽く笑みを浮かべながらこちらに歩み寄ってきた。そして、クライドを見下ろしてこういった。
「来てくれたね。早速、移動だよ」
どこに移動するのだろう? クライドは疑問に思ったが、とりあえず町長の後について執務室を出た。
執務室を出て、役場の長い回廊をゆっくりあるく。町長は無言だが、楽しそうだった。クライドは何か質問しようと思ったが、何を質問していいのか唐突に解らなくなって口を閉ざす。
回廊には何枚もの絵画が飾ってある。その中に、ノエルの作品があるのを偶然みつけた。太陽をバックに捉えた、逆光の鐘楼を描いた作品だ。優雅で、繊細で、それでいて力強い鐘楼。陰影のつけ方にはどこか思い切ったような尖った感じがあるが、対照的に柔らかな色合いで描かれている背景。ノエルの、光と闇の部分がよく表れている絵だと思った。
その油絵は、ノエルの髪色によく似た鳶色の額に入れられて、とても大切そうに飾られていた。
「よくできているだろう? 君の絵もある。ブレア君と、エクルストン君のもある」
町長は楽しそうにそういいながら、ノエルの隣の絵を指差した。大胆な色使いが個性的な、グレンの絵だ。それはどこかの海をモデルにしているようで、海の青と夕焼けの朱のコントラストがなんというかグレンらしい。青の部分はいつもの爽やかな部分、朱の部分は少し熱が入って感情的になる部分、といったところか。そのバランスが、丁度画面の半分ずつなのだ。海の青も夕焼けの朱もノエルと違って写実的ではないが、そこにかえって惹かれるものを感じる。グレンも一応芸術家を目指しているだけあって、ノエルとは違った方向に伸びているのだとクライドは思った。写実性よりも色の鮮やかさを重視する辺り、グレンが考えそうな描き方だ。
グレンの絵の隣には、アンソニーの絵がある。正直、何が描いてあるのだか最初は解らなかった。画面いっぱいに塗られた翠、青、それから黄色と茶色、白。よく見ていれば、それが森や空、金髪や茶髪の頭、それから白い雲に見えないことも無い。じっと見ていると、思い出した。そういえばクライドは、この絵のモデルになった覚えがある。鉛筆を片手に嬉々として、山際の空を見上げるクライドをじっと見つめるアンソニーの表情がよみがえってきた。
そして、自分の絵。最初は、どんなものを描いたのだか忘れていた。しかし、見てちゃんと思い出した。クライドが描いたのは、一面の青空と山々、そして町の建物。その中に、ひときわ目立っている鐘楼もある。クライドは、アンシェントタウンを描いたのだ。
つけたタイトルは『故郷の町』で、これは美術の授業で描いた作品だ。そもそも、美術の授業以外でクライドが油絵を描くことなんて皆無だ。クライドが描いたのは、生徒たちが皆学校に行ってしまう昼間の時間帯だ。農作業をする婦人や、郵便配達をする青年にはどれも皆モデルがいる。上手いのか下手なのかといえばこれは下手だと自分では思うが、結構一生懸命になって描いた覚えがあるのは間違いではない。
「君達の作品を、学校から貰い受けたんだよ。ノエル君のは、彼が趣味で描いていたのを彼の家族から貰った。私がいくつになっても、町長が変わったとしても、この四枚の絵は外さない。今度は旅の思い出を絵にしてごらんよ」
町長はゆっくりと回廊を歩きながら、笑顔でそんなことを言った。クライドは少し考えてから、その考えを肯定したことを示すために頷いた。
回廊には、有名な画家が描いた絵もあった。そんな場所に自分の絵が飾られるなんて、恥ずかしくもあったし何だかくすぐったかった。しかしきっとノエルの絵なら、有名な画家の絵とも渡り合っていけるのではないかとクライドは思う。
「クライド君。本当にありがとう」
町長は言って、それからクライドを振り返る。クライドは町長を見上げ、深く頷いた。
回廊を抜けたクライドと町長は、受付の女性に外出することを告げて役場の外に出た。少し涼しくなってきた風がするりと頬を撫でる。夕刻のアンシェントタウンは、山際がとても美しい。沈みかけた太陽に照らされて、山の稜線の一本一本がくっきりと鮮やかに照らし出される瞬間が、言いようもなく見事である。今は丁度、そんな美しい景色が見られる時間帯だった。
「クライド!」
声がして、駆け寄ってくるのはグレンとアンソニー。ノエルは怪我をした腕を気遣いながらか、ゆっくりと歩み寄ってくる。三人は、クライドが出てくるまで役場の外で待っていてくれたらしい。
「クライド君。皆を連れて鐘楼においで私は先に行っているよ」
町長の言葉に頷いて、クライドは仲間たちを振り返った。そして、ゆっくりと茜色に染まっていく空を傍目に捉えながら、歩き始めた。
歩く途中、何人かの生徒に声をかけられた。彼らは皆一様に、クライドたちが今まで何処に行っていたのかしきりに聞き出そうとした。しかしクライドは、頑として内緒を徹底した。
どうせ話しても信じてもらえないだろう。クライドにだって、最初は信じられなかった。魔法の存在、それから鐘楼の破魔の結界。魔幻の鐘について。それから邪神や帝王のこと。どれも実在するものだった。どれも、クライドたちが苦戦した理由だった。町を出た頃に比べたらクライドも大分見識が広がったから、今では大抵の超常現象なら何の抵抗もなく受け入れられるようになったと思う。それでも、ここにいる同年代の少年たちは魔法や幽霊なんてまだ見たことがないだろうし、これからも見ることなどないだろう。
それが一番いいとクライドは思った。この町で平和に暮らしている限り、そういうものとは無縁でいられる。ウルフガングが造った魔幻の鐘があるかぎり、この町は平和だ。逆に、一般の人々が魔法や超常現象をすんなりと受け入れることができるようになったなら、それは平和が崩れ始めた証拠となってしまうだろう。
「なあクライド、俺達って変わったよな」
何の前触れもなく、グレンが唐突にそういった。クライドは一瞬迷ったが、すぐに頷いた。色々な意味で変わった。というか、変わることができた。
アンシェントタウンは良い町で、町から出る必要も無いほどに全てが満たされていた。だが、今では様々なことを学んだ。海のある町。海に囲まれた国。遠い北の国。絶海の孤島。世界には、これらのほかにまだまだたくさん国がある。その全てに行って、全てを見てくることは無理だろう。しかしいずれはたくさんの国に行って、もっとたくさんの物や人を見てみたい。
ちっぽけな町にずっといたクライドにとって、世界は途方もなく広い。だからクライドは、そんな広い世界に惹かれたのだ。
「今度旅に出るときには、何をして帰ってくればいいの?」
アンソニーがそういってクライドを見た。クライドは少し考えて、頭の中を整理した。具体的には何をすべきだろう。とりあえず、帰る場所はある。ここに帰ってこれるなら、何をしてもいいだろう。
「まずはハビさんを助けること。そうしたらきっとマーティンにも関わることになるだろうから、マーティンの人工魔力を作った場所にも行くことになると思う。それから、レイチェルの墓参りも行きたいな。イノセントに場所を聞こう。そうだ、帝王の孤島がどうなったのかも見てみたい。監督さん生きてるかな」
よく考えると、まだやりたいことはたくさんあった。クライドは苦笑し、仲間を見る。するとノエルは、いつもどおりの穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「海辺の町に何泊かしていきたいな。あの町にはいろいろと思い出があるからね」
ノエルのその提案に、クライドも頷いた。行きも帰りも何泊かしていったらどうだろう? クライドがそう提案すると、ノエルは頷いてくれた。すると今度は、グレンが口を開く。
「俺は都会に行ってみたい。俺って田舎者だけど、将来的には都会で歌手になりたいし」
「応援するよ、その夢。じゃあ首都にも行ってみようか」
彼の願いを聞き入れて、クライドは笑顔になった。グレンには、歌手になりたいというその夢を絶対にかなえて欲しい。クライドには将来の目標がまだないから、夢が無いクライドの分まで頑張って欲しいと思う。グレンなら絶対に歌手になれると、クライドは信じている。
「僕、ジュノアに行ってみたい」
「ジュノアか、いいな。それじゃ全部片付いたら、帰りに寄ってこう」
楽しそうに言うアンソニーに向かって頷いて、クライドはそう返した。また、旅を終えて帰ってくるまでの楽しみがひとつ増えた。
とりあえず今は、町長が待つ塔に向かおうか。クライドは三人を促して、塔まで歩き続けた。
塔に着くと、町長はクライドを呼んだ。町長がいるのは、鐘楼への階段の入り口になっている、ドアのところだ。
「君達はそこにいるといい。今からやることは、ここにいるよりそっちにいたほうが面白いからね」
町長はそういうとグレンたちに向かって適当な方向を指差して、クライドだけを手招く。クライドは仲間たちに一旦手を振って、塔の階段を登った。
町長は楽しそうに歩きながら、時々立ち止まってクライドを待っていてくれる。薄暗い螺旋階段を登りながら、クライドはこれから何が起きるのかよく解らずにいた。
黙々と階段を登り、塔の最上部に出た。塔の最上部にあたる鐘楼は、四面から鐘がしっかりと見えるように設計されていて、四本の柱で屋根を支えている。
いつしか、町長がクライドを待つのではなくクライドが町長を待っていた。クライドは、町長を振り返る。ようやく町長が口を開いたのは、丁度このときだった。
「これから結界を張るよ。君たちはまた、魔力を持たない人間と同じ状態になる。通常に戻るんだ」
そういって町長は、鐘楼の屋根に向かって手を伸ばした。音もなく、重力さえ感じさせずに、鐘楼の屋根から鐘を打ち鳴らすための撞木が降りてくる。町長が手を下ろすと、ぴんと張った縄につるされた撞木は、微かな風に少しだけ揺られた。
「君にやってもらおう。何度鳴らすかは、君に任せよう」
町長の声に後押しされ、クライドはおずおずと鐘に歩み寄った。そして、撞木から下がった引き縄をそっと手繰り寄せる。町長が重力を感じさせない動きをしていたせいか、撞木が予想外に重く感じた。クライドはしっかりと両腕に力を入れて、それから頭の中で無意識のうちにウルフガングに話しかけていた。
「何回くらいが良いんだろうな」
この問いに答えなど帰ってくるはずがないのに、ふと耳元であのバリトンボイスを捕らえた気がした。
「十七回。お前、来年十七だろ?」
ばっと顔を上げてあたりを見回す。懐かしい灰色の髪の幽霊の姿はどこを探しても見当たらず、あたりには夕暮れ時の涼しい風が吹いているだけだ。その風が潮の香りを運んでくることはないし、目を閉じると唐突に海辺の小屋が浮かんでくるわけでもない。もう、ウルフガングは現れない。
ただの幻聴だったのだろうか。いいや、きっと違う。クライドは、ウルフガングの存在を確かめるように、真っ直ぐに鐘を見つめた。
「ウォルの言うとおりにする。十七回、だな」
クライドは大きく腕を後ろにそらせて、撞木を振り下ろした。思ったより大きな音がして、クライドは一瞬飛び上がってしまった。
間近で聞くと、こんなに迫力のある音なんだ。
笑顔になったクライドは、もう一度鐘をついた。すると、唐突に身体の感覚がしびれて、何もなくなった。あんなに迫力のあった音も、聞こえなくなっている。辛うじて解るのは、視覚から取り入れられた情報だけ。何が起こったのかわからず、クライドは混乱した。
だが、すぐに世界に変化が訪れた。鐘から青白い光が漏れ出し、塔を中心にして町を包み始めたのだ。はるか下のほうで、アンソニーが騒いでいる声が聞こえる。神秘的な青白い光は、クライドをも包み込んだ。包み込まれた瞬間は少し息苦しかったが、またすぐに元に戻る。そして、それと同時に感覚も戻ってきた。クライドは悟った。今のはきっと、魔力が封じられた瞬間だったのだ。
クライドは、引き縄を引っ張って腕を力いっぱい振り下ろす。もう痺れたりしないのだ、クライドの魔力は封印されたのだ。
四つ、五つ、六つ…
そして、十六回目を終えた。最後にもう一回ついて、終わろう。
クライドは、今まで出した音の中でも一番響くようにと願いを込めながら、最後に一つ、大きく鐘をついた。
町長と笑みを交わして、クライドは塔から降りる。塔から降りれば、仲間たちがクライドに駆け寄ってきて満面の笑みを浮かべてくれる。クライドも、笑みを返した。
空気の中にまだ残っていた、痺れるように響く鐘の余韻を感じた。古びた鐘の音が、クライドたちに平和を告げてくれた気がした。
そしてクライドは、赤銅色に染まり始めた大空に向かって意味もなく両腕を広げた。茜色に染まった雲に、今なら手が届くんじゃないかという下らない考えが頭をもたげるが、すぐに意識の隅に追いやられる。
クライドは、大きく息を吐く。終わったのだ、鐘はここに、戻った。
世界の恐慌を阻止し、帝王をくいとめた。大切な仲間たちとともに、平和を守ったのだ。
気分を落ち着けて、クライドは目をあけたまま想像する。平和な町、人々の笑い声、そして仲間に囲まれた自分の姿。それらを想像しながら、クライドは祈った。
美しいこの夕焼けの空と、大切な者たちの輝かしい笑顔が、ずっと失われませんように。
いつまでも、いつまでも。
ずっとずっと、この町に、この世界に、平和が続きますよう――
傍らにはいつも仲間がいるのだ。皆がいれば、臆せず歩んでいける。
まだ、全てが終わった訳ではない。まだ、やり残したことがある。しかし、それを終えに行くのはもう少し先の話だ。
今はこうして、仲間と共に平和に浸っていられればいい。
今はこうして、仲間と共に幸福を感じていられればいい。
大好きな故郷の町にいるんだという実感を体中でひたひたと感じながら、クライドはそっと目を閉じた。夕陽が沈まないうちに、そろそろかえろうか。
家族の待つ家へ。安息の場所へ。
クライドはゆっくりと歩き始めた。
夕闇の迫るアンシェントタウンには、優しい風が吹いている。
魔幻の鐘 第一章、完。
あとがき
いかがお過ごしでしょうか、『魔幻の鐘』筆者の水島佳頼です。
二〇〇五年四月二十四日から、二〇〇六年四月二十四日までの丸一年間(ピッタリ!)で書き上げた小説です。
推敲やら改訂やらいろいろなことをやって、スローペースでここまできました。
やっと一章が完結ですね。
ここまでだと「ハビはどうなるんだ!」「影の男って結局なんだったの?」という声が聞こえるので
第二章も執筆中です。
二章は、クライドが十七歳になった年の夏休みから始まります。
では、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
この小説が皆様の心に少しでも残れば良いなと願いつつ、おいとまさせていただきます。
次の旅にもついてきて下さる方は、是非二章の方もよろしくお願いします!
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