第七十九話 ヒミツ基地
それから監視されつつも平穏に船旅を進めて、ついに孤島にたどり着いた。イノセントの言うとおり、ちゃんと十日でここまで来れた。
しかし、ここで行く手を阻んだのが奇怪な潮流だ。まるでこの孤島を守るかのようにうねる荒波が、クライドたちを阻んだ。
ここは、何故か見覚えのある島だった。どこかで見たような気がする。どこで見たのだろうと思いを巡らせ、ようやく答えにいきついた。そうか、これはウルフガングの小屋の二階に飾ってあった絵画の島だ。
あの美しい絵画を見たときには、少しこの島に来たいと思った。だが、今はこの島から遠ざかりたいと言う気持ちの方が強い。
クライドは荷物を漁り、町長とウルフガングからもらった二枚の地図を貼った地図帳を開いた。この矢印は、多分潮流をあらわしているのだと思う。
ジェイコブが頭をかきながら操舵室に向かったので、それを見せてやったら彼はぶっきらぼうに礼を言った。
「長いこと島にもどっていなかったから、地図をなくしたんだ」
言い訳がましくそういったジェイコブは、クライドが渡した地図をみながら舵を取っている。それを見届けてから、クライドは揺れる甲板に両脚を踏ん張って前方に見える孤島を見つめた。
ここで死ぬかもしれない。
そう思うと、自然に恐怖が胸を満たした。それでも、レイチェルがついていてくれる。それに、グレンとノエルとアンソニーがいるではないか。今は、三人の仲間達さえいればいい。
クライドはふと空を見上げた。この空と同じ色をした目の、灰色の髪の英雄を思い出す。千年前に帝王を一度封印した男だ。
あの人がいれば大いに力になってくれるだろう。
「ウォル」
目を閉じ、小さな声で呼んでみた。そして念じる。脳裏に、海のそばに立った埃っぽい小さな小屋を思い描く。
すると、隣に空疎な感覚が現れたので目を開ける。灰色の髪のウルフガングは、真っ直ぐ前方を見つめていた。
「怖いか」
「少し」
短く会話を交わし、それきり無言になった。荒波と風の音が、耳障りなほど大きく聞こえ出す。
「死ぬかもしれない。戻るなら今だが、どうだ」
静かに低い声で、ウルフガングは言った。選択を迫られたところで、答えはもう決まっている。
実を言えば、少し心が揺らいでいた。まだ十六年と少ししか生きていない。まだレイチェルの元には行けない。
だが、自分が死んでしまったら、町長たちはどうなってしまうのだろう。結界を守りきれなくなって、アンシェントタウンから順番に世界が滅びていくのだ。
そんなことはさせない。
「戻らない。俺はアンシェントタウンを、世界を救う」
「その意気だ!」
ウルフガングは笑顔で肩を叩いてくれて、クライドを船室に入るよう促してくれる。クライドは頷いて、ウルフガングの後を追って船室に入った。
ウルフガングの登場に、グレンたちは気づいた。しかしイノセントと監督は全く見えていない様子で、ウルフガングの方を見向きもしない。やはりウルフガングは幽霊だからなのだろうか。
「今は、魔力がある奴にだけ俺の姿が見える」
ウルフガングはそう呟いて、イノセントのほうを見た。そしてグレンを見て、何かわかったように何度か頷く。クライドは彼のその仕草を見て、軽く笑みを漏らした。
「あ、そうか。エルフも魔力がある人にしか見えないんだよな、確か」
グレンはそういって、ぽんと手を叩いた。しかしクライドにとって、これは少し奇妙な話だ。エルフは、人間には見えない。そう言われたのは随分前のことだったのに、今まで全く疑問に思っていなかった。父と母についてだ。
何故最初にシェリーから聞いたときに、気づくことができなかったのだろう。エルフは魔力を持たない人間には見えない。ならば、魔力の無い母は父の姿を見ることが出来なかったはずだ。
「なんで母さんは父さんと結婚できたんだろう……」
「ハーヴェイは自分を人間化する魔法をかけたんだ。アリシアと結婚したらどうしても人間界で暮らすことになるから、エルフの集落を脱走するときに自分を人間化したらしい」
事もなげにクライドの疑問に答え、飄々とした態度で軽く笑うウルフガング。何故彼は、そんなに楽天的でいられるのだろう。これから死ににいくかもしれないのに。ああ、そうか。ウルフガングは死ぬことがないから、平気なのかもしれない。
ウルフガングはふとノエルに目を留め、彼が腕にしていたブレスレットに目をやってから顔を上げて首をかしげた。そのブレスレットは、ノエルがサラとおそろいでつけているものだ。
「ノエル。サラに手紙を書かないのか?」
「やめておきます、彼女に無駄な心配はかけられませんから」
怜悧な表情で、ノエルはきっぱりと言った。本当に、言わなくていいのだろうか。
だが、そう思う一方でノエルの気持ちも良くわかる。漁師町を出てきたとき、サラは泣きじゃくっていた。あんな彼女の姿を見てしまったら、無駄な心配などかけられなくなるだろう。ノエルは優しい人だから、余計にそうなんじゃないかとクライドは思った。
「グレン。お前は」
ウルフガングはなんというかかなり鋭くて、完璧にグレンの真意を見抜いているようだった。平静を装っているグレンだが、本当は彼はいつでもシェリーのことを気にかけているのだ。その証拠にグレンは、胸に下げた勾玉の形をしたお守りを、暇さえあれば手で握り締めて物思いにふけっている。寝るときに握りしめて寝たりもしているようだ。ウルフガングは、それに気づいているのかもしれない。
「……クライド、どう思う? 今すぐシェリーを呼んでも大丈夫だと思うか?」
「巻き込みたくないんだったらやめとけ。でも、本当に会わなくてお前の方が大丈夫か?」
問われたので逆に問い返してやると、グレンは黙り込んだ。そして、胸元に手をやって勾玉を軽く握る。とても不安そうな仕草だった。頼りなげな姿だった。
「大丈夫じゃ、ない」
ようやく答えたグレンの言葉がそれだ。掠れて消えそうな、本当に自信のなさそうな声だ。
クライドはため息をついて、苦笑した。そして、グレンの肩をそっと叩いてやる。
「だったら会ったらどうなんだよ? この状態のまま帝王と戦ったら、お前真っ先にやられるよ。断言できる」
クライドがそういってみると暫く考え込む仕草をみせたグレンだが、そっとお守りを首から外して手首に紐を絡めた。そして軽く目を閉じて、お守りを握り締める。何か、小さな声で呟いたのが聞こえた。
一瞬何も起きないかと思ったが次の瞬間に眩い閃光が走り、クライドは思わず目を腕で覆った。
おそるおそる目の上から手をどけてみると、グレンの目の前に懐かしい少女の姿があった。
「シェリー」
心から嬉しそうな、グレンの呟きが聞こえる。グレンは今こちらに背中を向けているので表情は解らないが、おそらく満面の笑みではなく、ノエルのように穏やかな微笑を浮かべていると思う。グレンを見つめるシェリーの瞳が潤んだ。
「グレン、だよな」
クライドの位置からでも、シェリーの唇が震えているのが見て取れた。グレンはおそらく、今度こそ満面の笑みを浮かべたと思う。彼はそのまま彼女に歩み寄り、その小さな身体をそっと自分の腕で包み込んだ。
「馬鹿、俺だよ。俺に決まってるだろ。こんな格好良い男が俺以外の誰だっていうんだよ!」
「自分で言うなっ」
「冗談に決まってるだろ」
「知ってるし」
そのやり取りこそ二人らしいが、その態度はエルフの集落で出会ったときの喧嘩っぽかった二人からは遠くかけ離れていた。
心から嬉しそうに、心から優しそうに、二人は視線と微笑を交わしている。邪魔してはいけないと思い、クライドは自分が今いる場所から数歩後退した。
「ごめん、会いたかった」
申し訳なさそうにそういったが、グレンはシェリーを離そうとしなかった。離れていた時間を埋めようとするかのように、二人はぎゅっと抱きしめあっていた。
身長差があるせいでなんともアンバランスな抱きしめ方で、シェリーがグレンにすがり付いているように見えなくもない。だが、おそらく縋りつきたいのはグレンのほうなのだろう。
あんな、悲しみと苦しみをごっちゃにしたような作り笑いを浮かべているグレンなんて、そうそう見られるものではない。
「いろいろあったんだ、あたしの家から出てったあと。何もいうなグレン、全部わかってる」
シェリーが、そんなグレンを泣きそうな顔で宥めようとしている。グレンはシェリーの表情を見て、もともと悲しそうに見えた笑顔をもっと悲しそうな笑みに変えた。
「わかってるから。あんたは一人じゃないから。だからあたしもついていかせて、グレン。一人でも仲間が多い方が、早く平和が戻ってくるから」
シェリーは泣きそうな表情でそういいながら、グレンの腕にそっと自分の手を絡めた。クライドは少し逡巡したあと、もう少し後退して船室の壁に背中をついた。
ふと横を見れば、ノエルの姿もあった。ノエルはクライドが後退して来たことに気づいたのか、困ったような苦笑をよこしてくれる。アンソニーはというと、部屋の隅で昼寝したまままだ起きてきていない。
「……ダメだ、だってお前がもしも」
「あたしだって、あんたがもしも重傷負ったり死んだりしたらどうしていいかわからなくなる。あんたが今言おうとしたこと、皆が皆そう思ってるんだ」
グレンが思いつめたような声で反論すると、シェリーはいつものように少し強めの口調でグレンを叱咤するかのようにそういった。
シェリーが来るか来ないかは、彼女に任せたいと思う。本当はシェリーまで危険な目に遭う必要など無いはずだから、ついてきて欲しくはない。だが、それでもシェリーが望んでここにいたいというならここにいて欲しい。今のクライドたちは、負けるわけにはいかないのだ。彼女の言うとおり、戦力は少しでも多い方がいい。
「クライド。あたしも、ここにいていい?」
不意にシェリーがグレンの手を離して振り向いて、クライドに訊ねてきた。答えは一応決まっている。いたいというなら、いても良い。
「好きなようにしてくれ。でも、なるべくだったらシェリーが帝王なんかと戦わないですむ方が俺としては嬉しい」
「ありがとうクライド! じゃあ、あたし、ここにいる。皆と一緒に、世界を守るから」
シェリーは本当に嬉しそうな顔でクライドに微笑みかけてくれた。そして、目の前に立っているグレンの顔を気遣わしげに見上げる。グレンは微かに首をかしげ、彼女が何を言おうとしているのか考えあぐねているようだった。
「戦いが終わったら、人間界で暮らしたいな」
突然シェリーはそんなことを言った。グレンは一瞬動きを止めた後、シェリーの肩を軽く叩いた。
そして、こちらを軽く振り返った。クライドは心持ち身をすくめ、グレンの視線を真っ直ぐに受ける。
「歓迎だ、すむんだったらアンシェントタウンかリヴェリナタウンにしとけよ。ああ、俺の家ってどうだ?」
前に向き直りながらグレンがそういった。最後に何気なく爆弾発言をしているが、いいのだろうか? グレンの親はそう簡単に承諾してくれそうにないとクライドは思う。
「どこでもいい、グレンの近くなら。とにかくあたし、エルフの世界にはもう戻らない」
シェリーはそういいながら、グレンを見上げて微笑む。グレンはその場に腰を下ろし、シェリーにも座るよう促した。
「そっか、なら尚更ちゃんと勝たないとな。絶対無事に帰ってこよう、皆で」
優しい希望に満ち溢れた、彼のそんな一言がとても重く感じた。
しばらく船に揺られて、やがて船の動きは止まった。急に心拍数が上がる。イノセントとジャスパーそしてジェイコブと監督は普通に船から下りようとしているが、クライドたちにとってこれは結構な重圧だった。
今から、この島で一番偉い人に会って、鐘を取り戻すのだ。ウルフガングはそっとクライドの肩を叩き、大丈夫だといった。
何故か肩が重くなってきた。悪寒がする。ウルフガングは何をしているのだろう。
「ちょっと憑依させてくれ」
「ええっ!」
憑依? 要するに、ウルフガングはクライドにとり憑くということだろう。それをウルフガングは、まるでちょっとペンとメモ用紙でも貸してもらうときのように気軽にそういった。
暫くして寒気も肩の重みもなくなった。それでも何だか変な感じがする。
「クライド」
頭の中で声が聞こえた。耳で聞くというよりかは、頭に直接響いてくるような声だ。クライドは思わず両耳を塞いで外界の雑音をシャットアウトした。そうしなければ、ウルフガングの声と外部の声が混ざってしまいそうでいやだった。
「大丈夫だ、俺の声が最優先に届くようになってるはずだから。耳を塞がなくても、普通に聞こえるはずだ。お前は声ださなくてもいいぞ、ここにいればお前の心を読むなんて容易いことだ」
心の中で頷くと、ウルフガングは快活に笑った。しかしその笑い声も五月蝿いというわけではなく、あくまでいつもどおり隣で話しているような、そんな感覚だった。
「行こうか、クライド。お前と俺との力が合わさったら、きっと凄いことになる。俺はここでお前に知識や呪文を提供してやる。魔力もな。だから、堂々としていろ」
「ありがとうございます」
そうか、そういう意図があってウルフガングは自分に憑依したのか。クライドは納得し、微笑んだ。こんなに強い味方がいれば、自分は負けることなんてないだろう。
「それから、俺はお前の親父の友達だ。堅苦しいことは思わなくて良いから、自然体で俺に接してくれ。おそらく最後になるだろうから、最後まで敬遠されてるのは嫌だしな」
最後になる。それはどういう意味なのだろう。クライドが死ぬという意味か? それとも、ウルフガング自身がどこかにいってしまうのだろうか。ひょっとして、消えるつもりなのか?
「どういう意味?」
「そのままの意味だ。ほら、さっさと降りないとグレンの兄貴が怒るぞ」
見事にはぐらかされた。クライドはイノセントのほうをちらりと盗み見てみる。確かに、イノセントはかなり怒ったようにこちらを見つめていた。
クライドは肩をすくめ、後ろを振り返って仲間たちを見た。そして五人でうなずきあい、船から下りようとした。だがクライドは忘れ物に気づき、一人で船に引き返して荷物を探って写真を出してきた。父の写真だ。それをワイシャツの胸のポケットに忍ばせて、クライドは前を向いた。
クライドは今日、アンシェント学園の制服を着て帝王に会おうと思っている。
単に着替えがなくなってしまったというのもあるが、早く平和な世界に戻って学校に行きたいと思う気持ちを服に表してみたというのが大きい。
クライドはそっと胸に手を当てて、高鳴る鼓動を大人しくさせようと頑張ってみたがそれは無理だった。緊張した気分のまま、クライドは仲間たちの後を追う。
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