魔幻の鐘 第一章
作:水島佳頼



第六十話 揺れる大海原


 雷の音を聞いて、アンソニーが不安そうな顔をした。とりあえず、外にいるのがなんとなく嫌になってきたので、アンソニーをつれて船室に入る。
 船室からは倉庫につながる階段が下に向かって伸びている。その薄暗い倉庫には、昨日買った食料品などの荷物を入れてあった。アンソニーの大荷物もここに入っている。
 そして、スタンリーから貰ったものも置いてある。アベルから受け取ったお守りは、全員がちゃんと身に着けていた。クライドとグレンは、エルフのお守りとあわせて首に二つお守りを下げている。
 スタンリーから貰ったものはまだ中身を見ていないため、昼ごろにでもウルフガングを交えて一緒に開封したいと思う。
 ノエルは何か探し物をするためなのか、倉庫の中に消えていった。久しぶりにのんびりとした時をすごせるので、クライドは船室の壁に身を預けて目を閉じる。そうしていると、雷の音でさえ心地よく聞こえるから不思議だ。
「嘘だろ?」
 操舵室から声がする。顔を上げてみると、窓からグレンとウルフガングが見えた。二人とも真剣そうに何か言いあっており、互いに一歩も譲らない。何をもめているのだろう。
 何か聞こうと思って船室を出ようとし、やはり足を止めた。言い合いは落ち着いたらしい。だが、クライドは言い合いよりももっと凄いものを見てしまった。
 グレンが舵を取っている。ウルフガングは、グレンに船の動かし方を教えているらしい。唖然として立ち尽くしてしまう。
 不意にウルフガングがこちらを振り返り、手招いた。操舵室に足を運ぶと、グレンが何やら釈然としない様子で何種ものメーターを眺めていた。メーターではないようなものもある。障害物を探知するシステムも導入してあった。こんなところにも金がかかっているのかと目を見張るクライド。グレンと目があうと、彼は軽く首をひねった。
「偽造免許ならある」
 そういって、ウルフガングはポケットから四枚カード状のものを取り出して見せた。クライドとグレン、アンソニーとノエル。四人分の偽造免許証だ。
 どうしてそんなものが必要なのだろう。何だか、とんでもなく悪いことをしているような気がするのはクライドだけだろうか。
「その前に、何でグレンが操舵してるんですか?」
 とりあえず、おもったままのことを口にしてみた。すると、この問いにはウルフガングではなくグレンが答えてくれた。
「ウォルはあの街から離れると長時間幽体を保てなくなるんだってさ。遠くなればなるほど、魔力が薄くなるらしい。だから、いずれは俺達がこの船を操縦しなきゃいけなくなる」
 耳を疑った。嘘だ、そんなこと聞いていない。
 凍りついたように立ちすくんでいると、クライドの肩に手を置きながら、ウルフガングが寂しげな笑みを浮かべた。
「仕方ないんだ。俺は生きていてはいけないものだから、ここにいてはいけないものだから」
 確かにそうだ。だが、納得いかない。首を横に振り、クライドはよろめいて後ろへ下がった。そばにいるだけで父親的な安心感をくれるウルフガングが船の操縦士をやってくれるときいて、内心おどりあがる勢いで喜んでいたのに。
 彼はこられないという。幽霊だから。
 急に崖から突き落とされたように感じた。心の中に広がって行くのは、漠然とした不安。
「いつまでも甘ったれちゃだめだよな」
 どこか諦めたようにそう言うグレンの声で、ふと我にかえる。しかしまた、気分は深く沈んでいった。グレンの言葉が正論だと思うからこそ、自分の感情の部分がざわめくのだ。
 もう十六だ。いつまでも、周りの環境に甘えていられない。しかし、クライドはぼんやりとしか覚えていない父の面影に、いつのまにかウルフガングを重ねて見ていた。ウルフガングとの別れは、父との二度目の別れのような気がしてならない。
「クライド、俺は絶対に嘘をつかない。約束する、お前が助けを求めていたらすぐにでも飛んでいく」
 俯くクライドに、ウルフガングが声を掛けてくれた。弱弱しくうなずくと、ウルフガングはポケットを探り、なにか紙切れを取り出した。それをクライドに押し付け、無言で操舵室から出て行くよう促してくる。よろよろとした足取りで、操舵室を後にする。
 クライドは船室に戻らず、甲板についている柵にもたれて座った。座ったクライドの首あたりまで柵があるので、落ちる心配はない。暫く曇り空を見ていたが、ふと握り締めているものの存在を思い出す。何が書いてあるのだろうと思い、ウルフガングに渡された紙切れを眺めてみる。
 紙は四つ折にされていて、大きさはおよそハガキ程度。多少よれていて、くたびれた感じがする。開いてみる。何が書いてあるのかと期待したが、何も書いていなかった。ウルフガングは、意味もなくこの紙をクライドに押し付けたのだろうか。
 大きなため息をつき、柵から頭だけのけぞらせる。灰色の曇天が、クライドの気持ちをそのまま表しているかのようだった。
「全て白紙に戻そうって意味か?」
 それはないと思う。自分でつぶやいてみて、自分を責めたくなった。たった今、約束してもらったばかりじゃないか。絶対に嘘をつかないと、彼はいったはずだ。自分を信じてくれている人を裏切るなんて、クライドはそんな酷いことなどできない。
 しかし、思う。千年間も生きていれば、人を騙すのだって簡単になるのかもしれない。頭から信じ込むなんてどうかしている。疑いをもたなければ。
 疑いをもたなければならない? 何故疑うのだろう。騙されるかもしれないから? 裏切られるかもしれないから? 現に裏切られたような気分になっているから? そのどれにも当てはまる。
 しかし、それ以上に信じたいという気持ちが強かった。思い直すと、どうしてウルフガングを疑ったのかをかなり疑問に思った。信じてくれているから信じる。理由はそれで十分なのではないだろうか。というより、信じることに理由なんているのだろうか?
 信じてくれる人を裏切るなんて、そんな酷いことは出来ない。したくない。クライドはそういう人間だったはずだ。
 吐き気がしてくる。いつから自分は、信じてくれている人を平気で裏切って疑いを持てるような人間になったのだろう?
「冷たっ」
 おもわず声を上げてしまった。思考は打ち切られ、目は自然と上へ向く。とうとう雨が降りだしたようだ。空を見上げるクライドの頬に、冷たいしずくが落ちてくる。船室に戻った方がよさそうだ。
 本降りになってきた雨を恨めしげに見つめながら立ち上がった時、ポケットの中から大切なものが滑り落ちたことにクライドは気づかなかった。
 船室に戻ると、ノエルとアンソニーが額をくっつけあうようにして、楽しそうになにかを見ていた。クライドに気づくと、ノエルが手招いてくれる。クライドはそっと彼らに歩み寄り、腰を下ろした。
「クライドも何か描くかい?」
 ノエルがペンを渡してくれた。覗き込んでみると、アンソニーとノエルはノートに落書きをして遊んでいたようだった。クライドだって人のことは言えないが、明らかに下手な絵がいくつか描いてある。アンソニーの絵だろう。
 アンソニーが書いたと思われる原形をとどめていない船の絵の隣に、流れるような異国の文字で言葉が記してある。この文字は、ノエルが書いたものだと断言できる。
「雨の景色もなかなか風情があっていいね」
 ノートに外国語で書かれていた文の内容と同じことを、ノエルが言った。クライドは少し迷ってから、頷いた。しかしアンソニーは憮然とした様子で、クライドとノエルを交互に見て首をかしげた。
「僕は雨の日嫌い。外で遊べないし、じめじめしてるし」
 そういいつつ、アンソニーは下手な落書きを増やしていく。今度は人間の絵を描いているらしいが、男なのか女なのか区別出来ない。人間にしては不自然なほど、髪が尖っていた。
 不自然だが、整髪料をたくさん使えばこの髪型を作れるかもしれない。できないことはないかもしれないが、あまり格好よくはないとクライドは思う。
 真面目に髪を尖らせる方法を考えていると、隣にいたノエルが骨ばった指に鳶色の髪を絡めながらアンソニーを見ていた。
「ここは船の中だよ、アンソニー。雨が降っても降っていなくても、遊べないことに変わりはないんじゃないのかい?」
 あきれたようにため息をつきながら、ノエルが苦笑した。クライドも頷いた。これはまさに正論だと思う。
 走り回ることはなんとか頑張ればできるかもしれないが、範囲が狭すぎる。ボールなどを使ったら、すぐにでも海に落ちるだろう。
「でも、太陽がみえてないと気分が落ち着かない」
 誰も同意してくれないことに不満を感じたのか、アンソニーは相変わらず憮然とした表情でそういった。すると、ノエルがくすくす笑った。
「君は太陽が見えていても落ち着きがないじゃないか。むしろ、晴れの日のほうが落ち着きがないと僕は思うんだけど」
 またしても正論だろう。だが、ノエルにびしりと指摘された落ち着きのなさは、彼から欠けてはならないもののひとつだとクライドは思っている。
 いつでもテンションをあげてくれる役割がアンソニーにあるのだし、彼の一挙一動が何かしら話題に出来そうで面白い。彼が落ち着いて冷めた人になってしまったら、クライドを含む四人組みの関係がたちまちおかしくなるだろう。きっとクライドたちは、このままずっと自然体でいることが大切なのだ。
「それを言われたら終わりだな」
 少しばかり茶化してみる。するとアンソニーはため息をつきながら、ノートの落書きの隣に小さく文字を書いた。よくみると、クライドと書いてあった。
 どうやら、この人間の絵はクライドをモデルにして書かれた似顔絵だったらしい。確かにアンソニーの絵は下手なのだが、言われて見れば少し似ているかもしれない。何だか心が少し温まった。素直に嬉しくなった。
「僕も描くよ、クライド」
 そういうと、ノエルはさらさらとノートにペンをはしらせた。ものの数分で、クライドの似顔絵が書きあがる。文句なしに上手い。
 似顔絵を描かれているはずなのに、ノートに描かれていたのはどこかの貴族のように凛々しくて気高い雰囲気を持った少年だった。
 アンソニーの絵がとなりにあると余計うまく見えるのだろうか。きっと違うだろう。アンソニーの絵があってもなくても、ノエルの絵は上手いのだ。
「いいなあノエル、僕のより全然上手いや」
 ノエルの手元を覗き込みながら、アンソニーが微笑を浮かべた。クライドもつられて笑った。
 自分はこんなに格好よく見られているのだろうか? だとしたら撤回したい。本当のクライドは人が思っているより不出来で、間違っても凛々しかったり気高かったり格好よかったりしない。
「父さんがデザイナーだからね。美術のセンスは父さんから受け継いだのかもしれない」
 過去の思い出に浸るように目を瞑り、ノエルは言った。そんなノエルの表情は、クライドが自分の父を思い出すときと違って清々しい感じがする。
 クライドが父を思うとき、決して清々しい気分にはなれない。早く会いたいという焦燥や、もう死んでしまったかもしれないという焦燥、忘れられているかもしれないという不安、会えるかどうかの不安……
 不安と焦燥が半々といったところか。本当はもっと些細なことや小さな感情も入っているのだろうが、クライドの心のおおよそを占めるのがこの二つなのだ。
「クライドも僕とノエルを描いてよ!」
 はしゃぐアンソニーの声で顔を上げ、クライドは微笑んだ。
 アンソニーよりはまともかもしれないが、ノエルよりは確実に下手だ。それを自覚した上で、二人の似顔絵を描いてやった。どちらもあまり上手とはいえないが、アンソニーもノエルもとても喜んでくれた。クライドも嬉しくなった。
 こんな自分でも、誰かを喜ばせることが出来る。不出来で、しょっちゅう自己嫌悪にひたっているような自分でも、似顔絵ひとつ描くだけで大好きな親友から笑顔を貰うことが出来る。
 いいじゃないか、自分は自分で。欠けていてこそ人間なのだ。いちいち気に病んでいたら身体に悪い。心にも悪いだろう。
 とにかく、笑顔で頑張っていればいろいろなことがなんとかなってくれる。自己嫌悪に陥って立ち止まり、何もせずに悩み続けているより絶対にいいと思う。もしもその状況がなんとかなってくれなくても、自力でなんとかしてみせる。そうできるだけの力が、クライドにはあるからだ。
 エルフの血をくれた父に感謝する。人間の血をくれた母に感謝する。そして、いつも隣で支えてくれる親友たちに感謝する。強力な後ろ盾になってくれているウルフガングにも感謝する。
 自分に欠けた部分は、家族や友人たちが十分すぎるほど埋めてくれているのだ。クライドは微笑んだ。自分は世界一幸せな人間なのだと、クライドは自分の基準で考えてそう思った。
 やがて、船は異常気象のおこっている地域を抜けた。それと同時にウルフガングもいなくなってしまったが、クライドは甘えてひきとめたりしなかった。
 クライドにできることは、ウルフガングを引き止めてここにいさせることではない。船を前進させるために、グレンから船の操縦の仕方を教わることなのだ。そして、全員で交替しながら船を操縦すればいい。そうと決まれば、すぐ行動に移さなければ。
「グレン」
 声をかけると、グレンはクライドの気持ちを察してくれていたようで、頷きながら操舵室に手招いてくれた。計器のならぶ操舵室で、クライドとグレンは一緒に前方を見渡した。異常、なし。
 この船は、自動操縦も一応できるようだ。だが、この方法を使うと船がとんでもない方向に流されても文句は言えないのでやめておけとウルフガングは言っていたらしい。
 かくして、一ヶ月ぶり位の本格的な勉強が始まった。学校でする勉強なんかよりももっと具体的で、この状況で生きるためにとても必要な勉強だ。


やっと六十話!
あと二十六話くらいで一章は終わります。











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