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  魔幻の鐘 第一章 作者:水島佳頼
第五十九話 出航
 タラップを駆けあがり、漁船に乗り込む。船にはグレンとアンソニーがいた。二人はクライドに気づいて、軽く手を振ってくれた。彼らに手を振りかえしてから、クライドは荷物を抱え直す。
 船室を覗いてみると、かなりの大きさの荷物があった。四人が余裕で雑魚寝できる広さがあるので、これからの旅で寝床を心配する必要はないと思う。船室の奥には簡素なシャワールームがついていた。
 よく見ると、いたるところに漁船らしくない改造がほどこしてある。ラジオ局の人が、最初からこんな風に改造されている船を選んでくれたらしい。直接会って話したことはない人だが、クライドはラジオ局の人に深く感謝した。
 船室に自分の荷物を置き、クライドは甲板に出る。グレンとアンソニーがいる場所だ。そっと二人に声をかけようとしたが、少しためらわれた。二人とも、妙に切なそうにしている。甲板全体に重い雰囲気が漂っているように感じた。
 もしかしたら自分も同じ顔をしているのだろうかと思い、クライドは無理に笑うことにした。
「お別れなんだなって思うと、寂しくならないか? ほら、俺達が暮らしてきた街とかエディたちとか」
 どことなく苦しげな微笑を浮かべ、グレンが言った。そうだ、そういえばエディに別れを告げていない。けれど、きっとエディは別れを告げたら泣くと思う。泣きじゃくる子供を宥めるのも、クライドにとって得意なことだとはいえない。
 アンソニーが寂しそうな顔をして、クライドを見た。
「エディ、泣いちゃった。僕のこと、本当の兄ちゃんみたいに慕ってくれてたから」
 予想通り、エディはやはり泣いていたのか。アンソニーの表情があまりにも悲しそうだから、クライドはまさかアンソニーまで泣くのかと思った。だが、彼は泣かなかった。先月までのアンソニーだったら、きっと今頃は手に負えないほど泣いていただろう。
 この一ヶ月の旅が、アンソニーを変えたのだとクライドは悟った。そういうクライドだって、一ヶ月のうちに得たものがたくさんある。同時に、失ったものもたくさんある。
 片想いの彼女、平穏なスクールライフ、そして、自分は純粋な人間だと信じて疑わなかった日々。それら全てを失ったが、引き換えに仲間との以前より強い絆や町長との約束、そして使命、人間ではなくとも自分が自分であるという自信を得た。
 ヒトだろうとエルフだろうと、自分は自分なのだ。
 これから初めて海に出るが、不思議と不安はない。それは、得たもののひとつである仲間との強固な絆による安心感がもたらすものだろう。
「いろんなことがあったな」
 しみじみとつぶやいてみると、アンソニーもグレンも無言で頷いた。ただでさえ明るくはなかった雰囲気が、一気に寂しいものになった。
 やがて、ノエルが戻ってきた。息を切らして、折れたままの左手を押さえながらタラップを上ってくる。グレンがノエルに手を貸してやっていた。
「ごめん、遅くなって」
 いつもと同じ微笑を浮かべ、ノエルは言った。グレンとアンソニーは微笑んでいたが、クライドはどんな顔をしていいか解らなかった。サラはどうなったのだろう。
 ノエルと目が合った。クライドは、微妙な表情のままノエルを見ていた。するとノエルは、クライドの隣に座った。
「ちゃんと泣き止ませたよ。最後には笑ってくれた。街でみつけたアクセサリーをあげたんだ」
 そういうノエルの左腕には、澄んだ緑色のガラス球がはめ込まれたブレスレットが輝いていた。骨折しているから、雑な扱いはできない腕だ。たぶん、ノエルはこれとお揃いか色違いのものをサラにあげたのだろう。ノエルがそのブレスレットを、とても大切そうに見つめているから。
 普段のノエルはアクセサリーになんてほとんど興味を示さないが、今回は特別らしい。
「たとえ僕がいなくなっても、サラがずっと笑っていられるようにね」
 柔らかに吹き去っていく薫風に乗せるように、ノエルは優しくつぶやいた。風に吹かれた鳶色の髪が、ノエルの表情を隠す。彼の髪も、大分伸びたと思う。
 もしかしたらノエルは今、口元は笑っているが、目は笑っていないかもしれない。何と声をかけたらいいのか解らなくなって、クライドはつい黙りこんでしまった。
「そろそろいこうか」
 いつのまにか幽霊のウルフガングが操舵室にいて、こっちを振り返ってどこか懐かしげな表情を浮かべていた。何故そんな顔をするのかと問いたかったが、やめておく。
「おーい、まてまて」
 声を掛けられ、クライドたちは四人で振り返る。ウルフガングは、操舵室にとじこもったまま前だけ見ていた。
 港に、漁師たちが集まっていた。そのなかに、泣きはらした目をしたエディも見える。世話になった礼を言わなければならないと思い、クライドは岸に向かって叫んだ。
「リンドバーグさん、ありがとうございました」
 そういうと、スタンリーは照れたように笑った。そして、見送りにきていた妻と息子を抱き寄せる。二人とも、泣いていた。また自分が泣かせてしまったように感じて、クライドは複雑な気持ちになった。
「おう、誰か降りて来い!」
 漁師の皆が口々にそう言うので、クライドが降りていった。ノエルは腕を折っているし、グレンは動こうとしない。そしてアンソニーが降りていったら、今度こそ本当に泣きそうな気がしたので、クライドは自分から動いたのだった。
 まずスタンリーが、なにか重たい包みを押し付けてきた。疑問に思って視線を向けてみると、「黙って受け取れ」といわれた。
 ジャックとジェシーはクライドの肩をかわるがわる抱き寄せ、笑顔でいってらっしゃいといってくれた。頷く。すると、ルイスとハワードが珍しく一緒にいるのが目に入った。ハワードの方が気づいて、ルイスの肩をかるく掴んで注意を向けてからこっちにきた。
「俺達が喧嘩してたから、居心地悪かっただろ? ごめんな」
 いきなり謝られて拍子抜けしていると、ルイスにも謝られた。いいんだ、と言って笑って見せたら、ルイスとハワードはいきなり酒の瓶をあけてクライドの頭にかけてきた。アルコール臭と酒のべとべとに眉をひそめると、クライドを見た漁師たちが声を合わせて笑った。
 酒をぬぐっていると、アベルがなにか小さな包みを手渡してきて、ぎこちないディアダ語を喋ろうとした。クライドはそんなアベルを止めて、アベルの母国語のつもりで大丈夫だと告げてやった。アベルは喜んで、母国語でこういった。
「良い門出を願って、この海でとれたサメの歯を加工したお守りを君達にも授けるよ。お元気で」
 漁師のお守りを貰ったので、なんだか今まで以上に漁師たちと近づけた気がした。
 漁師たち全員に礼を言う。そして、スタンリーから受け取った包みとアベルから受け取った包みを持って、頭から酒を滴らせながらクライドは甲板に戻った。ノエルは穏やかに笑み、アンソニーは泣きそうな顔をして、グレンは寂しそうにこちらを見た。
 ウルフガングを見ると、出航するかどうか目線で尋ねられた。たくさんの思い出が頭をよぎる。離れたくないが、意を決して力強く頷いた。すると、碇が自動的にあがったのがわかった。そのまま、ゆっくりと船は岸を離れていく。見送りにきた人たちが、いっせいに手を振ってくれた。
「元気でな!」
 スタンリーの力強い声と同時に、漁師たちがいっせいにポケットから何かを取り出して振った。よくみてから、思わず泣きそうになった。
 それは、ちいさな大漁旗だった。漁師たちが大切にしている、祝福の旗。どれも手作りらしく、色合いが微妙に違っていた。クライドたちがスタンリーの家を出た後つくったのだろうか。
 全くの他人であることにもかかわらず、兄弟や親のように暖かくみおくってくれる漁師たちの優しさに感激した。絶対に、絶対に忘れない。そして、絶対戻ってきたい。
 港にいる人たちが、船の後を追うように走ってきている。走りながら、口々にクライドたちを送りだす言葉を叫んでいる。
「かぜひくなよ」
「身体に気をつけろ」
「また会おうな」
「絶対に戻って来い!」
「頑張れ!」
 気づけば、いつのまにか見送りが大勢になっていた。叫ぶだけでなく、歌う声も聞こえる。豊漁を歌ったものだったが、すばらしい門出の曲だとクライドは思った。
 見送ってくれている人の中に、クライドと一緒にサッカーをした少年たちや、理科のとき隣になったフィービーもいる。なんとラジオ局の人たちもいた。皆、満面の笑みで手を振っている。
 後ろの方にサラとブリジットも見えた。二人とも、笑顔で手を振っている。ブリジットの肩を借りて立っているイノセントもいたような気がしたが、すぐに見えなくなった。だが、多分見間違いではないと思う。
 街の人に手を振りながらその場に突っ立っていると、頬をなにか暖かいものが伝うのを感じた。最初は酒のしずくだろうと思ったが、違う。涙だ。ついに自分も泣いてしまったらしい。
 頭から酒を引っ掛けてくれた、ジャックとジェシーに感謝した。泣いているところは、人に見せたくないから。
 岸が遠くなり、やがて点になるまで、クライドは甲板に立って手を振っていた。いつまでも、いつまでも手を振っていた。
「さよなら。いや、行ってきます」
 腕で酒と涙をぬぐい、クライドは晴れやかに笑ってそういった。自分の背後は決して振り返らなかった。自分の泣き顔を見られたくなかったのもあるが、今振り返ったら確実に誰かが泣いている。もしかすると、全員が泣いているかもしれなかった。
 夜の海を見つめ、クライドは歌を口ずさむ。曲は名称未設定。クライドが考えた歌詞にグレンが曲をつけた、前向きな歌。
「んん……」
 気づいたら、空が明るくなっていた。いつのまにか寝ていたらしい。頬を撫でる潮風に目を覚まし、むっくり起き上がる。誰かの上着が腹の上にかけてあるのを見て、それからまた甲板に寝転がる。
 水びたしならぬ酒びたしのまま寝てしまったから、身体に酒の匂いが染み付いてしまったようだ。アルコール臭がすごい。
「おはよう」
 クライドを覗き込み、ノエルが笑った。もう一度起き上がってみると、グレンもアンソニーも甲板で寝ていた。ノエルは船室で眠ったのだろうか。彼はクライドよりも随分早く起きたらしい。もう服を着替えていたし、そのつややかな鳶色をした髪に寝癖はなかった。
「シャワー浴びておいで、クライド」
 頷いて、腹の上に掛けられていた上着を見る。多分、ノエルのものだ。上着をノエルにかえし、クライドは自分の荷物から着替えを引っ張り出して置いてからシャワーを浴びに行った。
驚いたことに、このシャワーから出る水は真水だ。海水を浄水器に通して真水にしているらしい。この高性能な浄水器の研究に携わっている人を、テレビで見たことがある。凄いと思った。どうやらこの船には、かなり金がかかっているようだ。
 シャワー室から出ると、服を着替えて甲板に出た。先ほどまで寝ていたグレンが起き上がり、クライドを見て寝ぼけた声でおはようと言った。
 グレンに挨拶を返し、海を見てみる。昨夜は暗くて解らなかったが、海は綺麗な紺碧だ。宝石の色みたいだとクライドは思う。
「ウォルは?」
 何気なく訊ねてみる。別に、これといって返事を期待したわけでもない。
 彼は絶対に操舵室にいて、幽霊なので眠る必要もないだろうから起きていて、クライドがきたらおはようと言ってくれるのだ。
「操舵室にいるんじゃないかな」
 律儀にも、ちゃんとノエルが答えてくれた。操舵室を見ると、ウルフガングの灰色の髪がちらりと見えた。前しか見ていない。
 昨日からずっとこうなのだろうか? だとしたら、随分熱心だ。邪魔するのも悪いので、小声でノエルに礼を言ってから船室に行く。そして荷物を探り、昨日酒をかけられてびしょびしょになった制服のポケットの中ひっくり返した。
 よれよれになった日記帳が見つかる。ページをめくってみるが、酒の被害はなかった。安堵して、一番最初にエルフ語が出てきたところを読んでみる。
「十五歳のクライドがエルフ語を読めないことを前提に、ここに記すのは謎かけ。この謎を解いたら、きっと何かが起こる」
 どういう意味だろう。謎かけの内容と十五歳という年齢には何か関係あるのだろうか?
 とにかく、謎の部分を読んでみることにする。
「狼の四肢に纏わりつきて、金目の蛇は躍り狂う」
 さっぱり訳がわからない。次の文も読んだら何かわかるかと思ったが、どうも期待できそうにない。エルフ語がかいてある最初の数ページは、ずっとこんな調子だった。
「獅子逝きて、蒼の涙を溢したり。金のたてがみもつれしは、山の彼方を向く子獅子」
 逝くと言っているあたり、この『獅子』というものは死ぬのだろう。ただ、何を比喩したものなのか全くつかめないのが痛い。
 日記帳をぺらぺらとめくっていると、きゅうに空に影がさした。不思議に思って甲板に出ると、先ほどまで綺麗に晴れていた空が灰色の曇天に変わっている。
 驚いたクライドは、とりあえずアンソニーを起こして船室に連れこんだ。グレンやノエルは、自分の足で船室に入ってくる。
「異常気象なんだ、このあたり」
 別段気にしてもいない風に、ウルフガングは言った。クライドは驚き、窓から空を見た。その瞬間、思わず声を上げる。
 雲を切り裂くような稲妻が、まるで意思を持ってクライドたちを狙うかのように怪しく輝いていた。


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