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  魔幻の鐘 第一章 作者:水島佳頼
第三十九話 持つべきものは……
 グレンが悪態をつくのが聞こえた。その隣で、ノエルが頭を抱えているのが見える。クライドは呆然と、迫り来る刺客をみつめることしかできなかった。下手に攻撃して傷つけてしまったらと思うと、何の想像も出来ないのだ。
「クライド、危ないっ!」
 アンソニーの叫び声が聞こえ、クライドは突き飛ばされた。そのまま、地面にうつぶせに着地する。ぶつけた胸が痛むが何とかおきあがりアンソニーをふりかえると、なんとアンソニーは刃物を持ったエディを取り押さえていた。
 暴れるエディを押さえつけるアンソニーの色白な頬に、真っ赤な傷口が見える。彼の頬にできた傷口からあふれ出る赤い血を見て、クライドはとっさに立ち上った。自分を守るために、アンソニーが犠牲になったのだ。
 アンソニーはエディを押さえつけるのに苦労しているようである。クライドはアンソニーの代わりにエディを捕らえると、刃物を取り上げた。こんなものを、一体どこから出してきたのだろう。
「大丈夫か、二人とも!」
 グレンが叫んでいる。大きく頷いて大丈夫だというと、クライドはアンソニーの頬の傷に触れた。血がまだ止まっていない。深くはないが、浅くもない傷だ。ポケットに手を入れてハンカチを取り出すと、クライドはそれをアンソニーの頬に当てた。白いハンカチに、鮮やかな赤がにじんでいく。
「ごめんねクライド、突き飛ばしたりして」
 目を伏せながら、アンソニーが謝ってきた。アンソニーが自分に謝ってくる必要はないと思うが、ここでもめてもしかたない。とりあえず、暴れているエディの細い手首を掴んで押さえながら微笑んでみせる。
「お前は謝る必要ないだろ。俺こそごめん、そんな傷負わせて。守ってくれてありがとう。勇気あるな、トニー」
 アンソニーは照れたように笑った。クライドに取り押さえられたエディが、刃物を求めて手を振り回す。昼間見たひ弱そうな少年と同一人物だとは思えないほどの勢いで、エディはクライドの腕を振り払おうとした。
「うわっ」
 思わず手を離してしまい、エディに頬を引っかかれた。生暖かい液体が頬を伝うのを感じる。クライドは、エディの手首を先ほどよりも強く握り、身体の下に組み敷いた。小さな身体にのしかかっているのには抵抗があったが、手加減などしていられない。精一杯力を込めて、エディの身体の自由を奪う。
 頬の傷が気になったが、エディは魔道士ではないから大丈夫だと高をくくっていた。だが、それは大きな間違いだった。
 クライドを引っかいた手に血がついていることに気づいたエディは、にやりと笑う。こんな醜悪な笑い方をするエディなんて見たことが無いと、クライドは思った。手の力が少し緩まってしまったが、それにも気づけなかったほどクライドはエディに気をとられすぎていた。
「どけっ!」
 エディが叫んだ。とっさに、クライドはエディを強く押さえつけた。だが、いとも簡単にはねのけられてしまう。予想外の攻撃だったため、クライドは再び地面に突っ込んだ。今度は、背中からだ。
 エディが暴れている。クライドの上に馬乗りになり、もう一度頬を引っかこうとしてくる。懸命にその攻撃をかわし、クライドはエディを取り押さえようとする。しかし、先ほどまでとは比べ物にならないぐらい力が強くなっている。
「クライド、とにかく血をなんとかして!」
 ノエルが叫ぶ声が聞こえた。クライドは目を閉じて、血を体内に戻す想像をしてみる。頬に感じていたぬるい感触が消えて、暴れていたエディが大人しくなる。まるで眠ってしまったかのように、エディは動かなくなった。
 眠ったように動かなくなったエディを身体の上からどかして、息を荒げながらクライドは夜空を仰ぐ。星が綺麗だ。空に向かって、真っ黒な煙があがっていくのが見える。
 こんな緊急時なのに、みとれてしまった。満天の星に、黒煙。合わない組み合わせだが、なぜか心惹かれるものを感じた。
「なにやってるのクライド、逃げよう!」
 アンソニーに声をかけられた。はっとして、クライドは立ち上る。そうだ、街の人々が何故か襲いかかってきているのだ。逃げなければいけない。とりあえず、エディも連れて行こう。
 小さなエディの身体を背負い、クライドは荷物を持ち上げた。そして、グレンとノエルとアンソニーの姿を探す。そんなに探さなくても、三人はすぐそばにいた。裏庭から抜けて逃げ出そうという考えらしい。
 裏には垣根がめぐらしてあり、外に出られるような箇所はない。そう思ったのだが、グレンが垣根の枝を一本よけると、一人ぐらいなら通れそうな穴が出来た。とりあえず、クライドとエディが先に出ることにした。グレンの見えない手で枝が落ちてこないように支えてもらい、そのまま垣根の穴をかいくぐる。
 家の裏には人の気配がない。あたりを見回すクライドに続いて、アンソニーとノエルが出てきた。最後にグレンが出てきて、手から枝を離す。枝は元の位置に戻り、クライドたちがここから出たという痕跡を消してくれる。
 クライドたちは、とにかく港の方に向かうことにした。港まで行けば、船をくすねて逃げることだって出来る。あまりやりたくはないのだが。
 倉庫のようなものもたくさんあるから、そこに隠れて一晩を越して様子をみるのもいいかもしれない。急がなければ。
「貸せ、俺が背負うから」
 グレンの声が聞こえた。次の瞬間、背中が軽くなる。どうやらグレンは、クライドの代わりにエディを背負ってくれるようだ。先ほどまで咽ていたのに、今は至って平気なようだ。いや、平気なふりをしているだけかもしれない。
 それにしても、一体なぜエディが襲い掛かってきたのだろう。家の中では純粋で臆病な、クライドが知っているエディそのものだったはずなのに。隣を歩くノエルを見ると、難しい顔をして考え込んでいる。
「やっぱり、魔法か何かで操られているんだと思う」
 クライドの視線に気づいて、ノエルが言った。どうやら、同じ事を考えていたようだ。続けて、ノエルは目を伏せた。必死に何かをまとめようとしているようだが、やがて彼は顔を上げた。
「でも、どんな魔法なのかは全く解らない。何しろ、僕はまだ魔道士としては新米だから」
 自信のなさそうな声でノエルが言った。ノエルのこんな声は初めて聞く。いつも自分の意見をちゃんと持っているノエルが、まさかこんな頼りなげな声を出すなんて。
 知識もあるし頭の回転も良いノエルが解らない問題なんて、解るはずがないとクライドは思った。そう言おうと思ってクライドがノエルに声をかけようとすると、誰かの声が響いた。
「おい! クライド、何やってるんだ。来い!」
 このまま、つかまるのか。そして、体内の血を一滴残らず絞り取られて力尽きるのだ。仲間たちは帝王の手下にされてしまうかもしれない。殺されてしまう可能性だってある。
 もう、全てが終わりだ。殺されるぐらいなら、全員動けなくしてやる。殺すつもりは無いが、重傷を負わすぐらいならいいだろう。殺意のこもった目で振り返ると、そこには意外な人物がいた。
「ウォル?」
 彼は昼間にあったあの気さくな幽霊に違いなかった。拍子抜けして、クライドは間抜けな表情になった。それを見て、ウルフガングはつかつかと歩み寄ってくる。しかし、足音はしない。
「大変なことになってるな。空気の感触が違いすぎる。来い、かくまってやる」
 月の光に照らされた、解りにくい裏道を指差して彼は言った。一瞬ためらい、クライドは仲間を振り返った。エディの例がある。家の中にいたときは平気だったのに、いきなり襲い掛かってくるというケースだ。もしかしたら、という可能性も無くは無い。
 しかし、この街にグレンやノエル、アンソニー意外には仲間が誰もいない。縋れる人は誰もいないのだ。逃げることを助長してくれる人なんて、誰もいない。いきなり、町民たちは皆操られたように敵になってしまったのだ。
「行こう、助けを借りてもいいと思う」
 思考に沈むクライドの隣で、ノエルが口を開いた。そして、キャリーカートを引く。クライドは、他の二人を見てみた。アンソニーは最初から賛成だったようで、グレンの背に乗せられたエディを見る。
「そうだね。エディもいるし、助けてもらおうよ」
 残るはグレンだけだ。懐疑派のグレンは、一体どういう反応をするのだろう。クライドはグレンに、視線を使ってどうするのか訊ねてみた。グレンは一瞬だけ難しそうな顔をしたが、すぐに笑った。
「大丈夫だって思いたいな、とにかく急ごう」
 背中から滑り落ちそうになるエディをずりあげながら、グレンは言った。ショルダーバッグの端のほうがこげていたが、本人は気にしていないようだ。
 クライドはバッグを小脇に抱え、アンソニーを振り返る。そういえば、アンソニーは荷物を持っていない。本人もそれに気づいたようで、苦笑いした。
 あの大荷物を忘れてきたなんて、クライドたち四人にとっては結構な打撃だ。しかし、アンソニー本人が無事だったのだからよしとしよう。
「ついてこい。見失うなよ」
 そういって、ウルフガングは裏道に入っていく。クライドたちも、後に続いた。
 裏道を走りながら、クライドは何だか自分たちが泥棒にでもなったかのような気分になっていた。月の明かりも届かない裏道を、人目につかないように走り回る。
 まずウルフガングがいきなり現れたことにも驚いたが、それよりもっと驚いたのが、町民が誰一人としていないということだった。不気味な静寂が、夜の街を包んでいる。そんな奇妙な静寂を切り裂いて、四人分の足音が響く。
 しばらく走り回ったところで、ウルフガングは立ち止まった。そこにあるのは、もう使われていない無人のビルだ。
 灰色のコンクリートで固められた壁には、ひびが入っている。壁や窓は薄汚れていて、亡霊でも出そうな雰囲気だ。亡霊という言葉でウルフガングが幽霊だということを思い出して、クライドは苦笑した。
「見つからないように入ってくれ。あの廃墟じゃ、人に見つかった時に囲まれたら終りだからな」
 早口でそれだけ言うと、ウルフガングは入り口の扉を開けた。目配せされたので、クライドが一番最初に入ることにした。
 肩幅ほどに開けられた隙間から、クライドは身体を滑り込ませる。ビルの中には、照明が無かった。使われていないビルなので、それも当然だといえる。
 クライドは辺りを見回し、何か怪しいものを探す。大丈夫だ、今のところはみつからない。
「クライド、こっち」
 突然声をかけられて振り返ると、暗闇から手が伸びてきた。クライドは声を上げそうになったが、よく考えて我慢する。この声は、サラの声ではないか。
「私、お母さん、家、えっと」
 片言で喋り出すサラに、ノエルが驚いたようにウィフト語で声をかけた。サラは泣きそうになりながらノエルに何か語り、その場に座り込んだ。薄暗い空間でも、月光が差し込むこの場所は微妙に明るかった。サラは最後にみたときの制服ではなく、今はもう普通に部屋着を着ていた。
「クライド、どこだ?」
「ここにいる」
 即答して、クライドは片手をひらひらと振ってみる。クライドが無事だと知って安堵したのか、グレンは小さくためいきをつく。暗闇に目が慣れるまで時間がかかったらしい。
 ふと見れば、ウルフガングの右の人差し指が淡く発光していた。何をしているのだろう、と思うまもなく床ががくん、と下がる。
 アンソニーが声をあげるのを聞いた。それを聞いて、ウルフガングが笑っている。床が抜けたというのに、どうして笑っていられるのだろう。幽霊だからだろうか。
 やがて、落下中の床がとまった。床が止まったとたんいきなり襲ってくる、着地の衝撃。床が地面にぶつかったのだろうか。
 思わず、クライドは近くにいたグレンにしがみついた。そのおかげで、倒れずにすんだ。埃が舞い上がり、周りの様子がわからない。相変わらず笑いながら、ウルフガングは床から降りた。……降りたのだ。
 そう、ここは地下室だ。クライドたちは、元は一階にあった床から降りて、地下室の床に降り立ったのだ。
 この床は、隠しエレベーターの役割を果たしたらしい。そう考えると、先ほどのウルフガングの指先の発光は、床を下ろす魔法だったのだと推測できた。
「吃驚したろ。とりあえず床板の上から降りてくれ」
 その言葉で全員が床から降りると、彼は壁の傍に寄って何か指先で記号のようなものを描きはじめた。すると床はするすると上階に戻り、この地下室の天井となる。クライドは感心しながら地下室を見回した。
 埃でさえぎられた視界が晴れてくると、地下室が意外と広いのが解った。暗めではあるが、ちゃんと明かりもある。いったいどうしてこんなに設備の良い環境を、幽霊のウルフガングが持っているのだろう。
「さて、救出完了。朝になるまでここに隠れていれば良い。部屋は三つほどあるから、上手く分散してくれよ」
 頷く。そして、部屋着のまま落ち着かない様子で辺りを見回しているサラをそっと見やる。ただ、クライドには彼女に話しかけても会話を成立させるほどの能力を持っていない。
「なあ、サラに何があったのか、話してくれないか?」
 ノエルに向かってそういうと、ウルフガングは椅子を出してきた。このビルの上階にあったものらしく、前にこのビルを使っていたと思われる企業の名前が書いてある。
 クライドは、そのうちのひとつに座る。グレンやアンソニー、ノエルも座った。グレンの背でぐったりしていたエディは、椅子をいくつか並べたところに寝かせた。小さくて細いエディなら、少しぐらい動いても落ちたりしないだろう。
「お母さんやお兄さんに襲い掛かられたって言っていたよ。何かにとりつかれたように、家族が皆家を出ていってしまったらしいんだ」
 心配そうにサラを見ながらノエルは言った。すると、アンソニーが小さく声を上げる。
「えっ。それって、エディみたくなっちゃったってこと?」
「うん、聞いた限りではよく似ているよ」
 サラは不安そうにノエルとアンソニーを見比べていた。ウルフガングが何事か、ウィフト語で喋る。それだけでサラは安心したようだった。たぶん、今話している内容を訳して伝えてくれたのだろう。
 クライドは、ウルフガングにこれまでの経緯をかいつまんで話した。ついでに、グレンやノエルは自己紹介をしている。ウルフガングは熱心にクライドの話を聴いていた。話が終わると、優しく微笑する。
「一過性だ。この先一生この街の人間がこのままでいるかといったら、そうではないからな。大丈夫だ、襲われたらまた俺が逃げ道を作る。これから用があるから少し席を外すが、何かあったら呼んでくれ」
 その笑顔に、少し励まされた。この頼りがいのある幽霊に任せておけば、全てが何とかなる気がした。
「ありがとう、助かるよ」
 笑顔でそういって、クライドは椅子にもたれかかった。疲れがどっと襲ってくる。外の様子が気になるが、今は大丈夫だという変な安心感があった。
 そのままクライドの意識は、眠りという名の深い海に沈んでいく。 


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