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  魔幻の鐘 第一章 作者:水島佳頼
第三話 隠れ家
 ここはどこだろう、最初に思ったことはそれだった。
 意識を取り戻したクライドは、どこかに寝かされていた。まず、ぼうっとした視界に見えたのは細くて長い絹糸のようなもの。絹糸は一本ではなく、束になって目の前でゆれている。何か声のようなものが聞こえる気がするが、意識が朦朧としているため何を言っているのかうまく聞き取れない。
 目の前の絹糸から目を逸らすと、ぼんやりした目でも解るほどの高い天井が見える。自分やグレンの家ではない。ましてやアンソニーの家でもない。昨日見た覚えがある。いつも来る場所だ。なのに、喉元まで出かかった答えが出てこない。自分の脳は、とうとう記憶障害まで起こすようになってしまったのだろうか。
 確かに知っている場所なのだが、ここはどこだろう? ぼうっとした頭でその答えを出すのは、とても難しかった。
「おい、起きやがれクライド! まさか死んだのか? 起きろって! 悪かった、俺が悪かったって」
 狂乱した声に伴い、ぼやけた視界が揺さぶられる。ああ、この声はグレンだろう。目の前でゆれている絹糸の束のようなものはきっと彼の髪なのだ。
 よかった、グレンが一緒にいる。どこか無人の建物に閉じ込められて、あの男らに酷い事をされたわけではなさそうだ。叫べるぐらいなのだし、彼はいたって元気だ。でも、自分が元気なのかどうかよく解らない。
 両肩をがくがくと揺すられている、そこまでは当然解っている。だが、どうしてここに寝ているのか解らない。
「グレン?」
 肩を揺すっている人物にたずねてみる。やはり、当然の答えが返ってきた。
「そうに決まってるだろ。俺がグレン以外の何者だっていうんだ馬鹿」
 口調こそ悪いが、嬉しそうに言うグレン。クライドが目を覚ましたことを喜んでいるのだ。確かに、助けたつもりが自分が殺してしまっただなんて洒落にならないだろう。苦笑しながら、クライドはグレンの手を肩から外した。
「トニーは?」
 寝ぼけた口調でクライドは言った。最後に「やーい」だったか「いぇーい」だったか、兎に角何か叫んでいるのを耳にしたきり、アンソニーの声を聞いていない。
 まさか、という疑念が頭をもたげる。そんなこと無い、彼はそんなにやわじゃない。湧いてきた疑念を即座に頭から振り払い、クライドはグレンを見上げた。
「俺らのために囮になってくれた。で、さっき戻ってきたところ」
 そういって、グレンは笑った。ぼやけた視界は、だんだんと明瞭になっていく。戻ってきたという言葉を聴いて、クライドは安堵した。そして、ここがどこなのか急に気になりだした。そういえば、自分はここまでどうやって歩いてきたのだろう?
 ……いや、歩いてはいない。そこまで考えて、やっとグレンに絞殺されかけたことを思い出す。絞殺されたかと思ったらいきなり殴られ、気づいたらここにいたということは、グレンが気絶したクライドを担いで走ったということに他ならないだろう。
「お前って相変わらず手荒だな。ここどこ?」
 ふらふらする身を起こしながら、クライドはそう言ってぼさぼさになってしまった髪を手で梳いた。酸欠になっていたところにグレンの肘鉄を食らい、意識が飛んでいた。それは思い出せたが、その間に一体どこに連れてこられたのかということまでは解らなかった。当然だろう、意識を失っていたのだから。
 辺りを見回すと、本棚がたくさんあった。ここは図書館だろうか? それにしては小さいが。
高い天井、大量の本。ここが誰の家だか、ぼんやり思い出しかけてきた。きょろきょろと辺りを見回すクライドを見て、この部屋の主が声を上げた。
「僕の家だよ。グレンは勝手に飛び込んでくるし、君はぐったりしちゃってるし、一体何があったんだい?」
 聞いただけで表情が解るぐらい、かなり不機嫌な声がした。仏頂面で、書棚から降ろしてきた分厚い本をたくさん抱えて立っているのはノエルだ。彼はいつでも黒縁の厚い眼鏡をかけていて、滅多に笑わない。
 読書好きで無益な争いを好まず、冷静で成績優秀なノエル=ハルフォードは、クライドにとってグレンやアンソニーと代わりの無いぐらい大事な友達だ。まあ、あくまでクライドにとっての話なのだが。当のノエルは、自分からクライドたちを友達だと表現したことが一度も無いのだ。
 ノエルがいるということは、ここは『隠れ家』である。隠れ家と称しているが、当然ここは歴としたノエルの自宅だ。何故こんな不機嫌な少年の家がクライドたちの共通の遊び場になってしまったのか。きっかけは、何年か前の夏の日にさかのぼる。クライドとノエルの出会いがその日なのである。
 夕立の中遊びまわって、挙句の果てに高熱で倒れたクライドを、運良く拾って自宅で看病してくれたのがノエルなのだ。当時はまだノエルのほうが大きかったので、借りたパジャマがぶかぶかだったことを未だに覚えている。そして、その時貰ったホットココアの味も。何故か、ココアのくせにかなり苦かった。
 当時はまだ見ず知らずの子供だったクライドを夜通し看病してくれたという事実もあるのだし、ノエルは本当はかなり優しい少年だ。だが、彼は始終仏頂面を崩さない。それもそのはずだ。クライドが看病してもらったその日を境に、グレンやアンソニーがノエルの家にことあるごとに(何もなくても!)あがりこむようになったのだから。
 クライドはちゃんとおとないを入れるが、グレンなどはほぼ自分の家も同然に振舞っている。なおかつグレンは、自分らは完全に迷惑な奴らなのだとしっかり自覚しているようだ。そしてアンソニーは未だに「ノエルはいつか飛び出す仕掛けでもついた絵本を作ってくれるユーモア溢れる人に生まれ変わるのだ」と信じて疑わない。クライドが何度否定しても、アンソニーは頑としてそれを言い張っている。何を根拠にそんなことをいうのだろう。
「ごめんノエル、勝手に上がりこんで。追われてるんだ、俺」
 クライドはそう言って、少し咳き込みながらノエルを見た。相変わらず仏頂面で本を読んでいたノエルだが、謝罪の一言を聞いて少し表情が緩んだ。
 ……ような気がしたのはクライドだけだろうか?
「そうかい? それなら暫くいてもいいよ。でも、読書の邪魔をしないでね」
 そう言われて、拍子抜けするクライド。彼の方からここにいてもいいといわれたのは、あの夏の日以来何年ぶりだろうか。
 驚くクライドとグレンだが、アンソニーだけが期待に満ちたまなざしでノエルを見つめていた。まるで、未知の生態を観察するようなまなざし。人間に対するにはおかしな視線だ。それに気づき、ノエルが軽く小首を傾げた。
「トニーはさ、ノエルがいつかユーモラスな人になることを勝手に信じ込んでるんだ」
 グレンが軽く吹き出しながらそう言った。いきなりそんなことを言われて、ノエルは読んでいた本を床に落とした。そのリアクションが面白かったのか、グレンはまた吹きだした。
 ノエルは慌てて本を拾って読み始めようとするが、さかさまに持っていることに気づいてまた慌てた。そんなノエルを見て、グレンがくすくす笑う。
「一体、何の根拠があってそんなことを言うんだい?」
 しばらくして繰り出されたノエルのこの問いには、再びグレンが答えた。
「根拠なんて無いんだ、トニーが勝手に考えて勝手にそうなった」
「……かなりの思い違いだと思うよ、それ」
 こうやってノエルと会話をすることが楽しいと、グレンはいう。何気ない一言に返ってくる返事が意表をつくらしいのだ。時々、ノエルに言われたひとことのせいでグレンはで何十分と笑い転げていることもある。しかしノエルは、読書の邪魔になるのにもかかわらずグレンを放っておく。煩いとか騒々しいとか言うこともあるが、彼はグレンの快活な笑い声が気に入っているようなのだ。彼の視界の端をちょろちょろと動き回っているであろう、幼げなアンソニーのことも気に入っているようだ。そして夕立の日に出会ったクライドとは、よく話す。
 だが、ノエルにはおかしなプライドが根付いているようなのだ。これは、ノエルと何年か一緒にいるうちにわかったことである。しょっちゅうクライドたちに「劣等生は友達ではない」という内容のことをいうノエル。じゃあ優等生なら友達なのかと聞いたら、そっと頷いたノエル。つまり、彼の頭の中には自分が絶対的な優等生であることが根付いているのだ。彼の中の彼は、きっとふざけるということを知らない。不良の友達とつるむなんて、あってはいけないことなのだろう。
 しかしノエルは、人と接触することを拒む反面、受け入れることも知っているはずだ。表面的には嫌われているように思うが、内面では少しぐらい好かれているとクライドは確信している。彼の性格からいくと、嫌いな人物は絶対に家になんてあげないだろうからだ。
「ノエル、今日は何読んでるんだ?」
 ちょっとした好奇心で、クライドはノエルの本に目を留めた。題名が異国語で書かれていて読めない。多分あの国の言葉だろう、という見当さえつかない。ノエルはその本を母国語と同じようにすらすら読み進めているが、それは語学力の無いクライドたちにとって全く考えられないことだ。
「これかい? この街の鐘楼について、隣の国の人が書いた文献だよ。希少な本なんだ」
 塔はこの国の物なのに、如何して書いたのが隣の国の人なのかとは聞けなかった。玄関で何かをぶつけるような大きな物音がしたのだ。続いて、木が軋む音。
 大きな音を立てて、玄関のドアが蹴破られた。蹴破ったドアからこの家に不法侵入してきた者は、あの男達だった。ドアはもう、修復不能なまでにばらばらに壊されている。
 その光景を目にして、ノエルが絶句した。彼は澄んだ翠色の目を見開いて、無残な状態に陥った玄関のドアを見つめている。ちょろちょろ動き回っていたアンソニーは動きを止め、怯えたように男らを見る。切れ長の綺麗な眼で男らを睨みつけながら、グレンは苦々しげに舌打ちする。クライドが思うことはただひとつだった。彼らは一体どうやってここをかぎつけたのだろう?
「いた、ガキ!」
 ジャスパーが、見えていないであろうと思われる目をクライドに向けた。包帯にうっすら血がにじんでいる。相当酷い火傷なのだろう。
 ……人事のように言っているが、これは不本意とはいえ自分がしてしまったことだ。少しの罪悪感が胸をよぎるが、すぐに思い直す。喧嘩を吹っかけてきたのは、彼らのほうだ。
「うるさい」
 呟いて目を閉じ、風景を思い描く。アンソニー、グレン、そしてノエルは、先刻と変わらず自分の後ろに立っている。そしてジャスパーたちは、竜巻によって遥か彼方へ飛んでいく。飛んでいく場所はどこにしよう? とりあえず、山を越えた隣の町までは軽く吹っ飛んでいて欲しい。
「帰れ、ここはノエルんちだ!」
 目を閉じたまま叫ぶと、どこからか風が吹いてくるのを感じた。三人の男の絶叫と、仲間達の声が聞こえる。仲間の声は、驚いているようとも感心しているようともとれる微妙な声だ。ただ、非難している声でないことは確かである。もうそろそろいいだろうと思って目を開けると、ノエルの部屋はめちゃくちゃだった。
「ああ、本が!」
 がくっと膝を折って、ノエルは深く俯いた。まさしく絶望の表情だ。何だか、物凄く酷いことをしてしまった気がする。クライドは慌てて謝った。
「ご、ごめんノエル!」
 呆けたノエルの目の前で、目を閉じて整然とした部屋を思い浮かべる。イメージが終わって目を開けると、唖然としたノエルたちと想像通り整然とした部屋があった。ここで悪戯心が頭を擡げる。もっと書棚を増やしたらどうだ?
 クライドは、ほんの悪戯心からノエルの部屋を改造した。だから最終的には、もとのノエルの部屋よりも広くなって書棚が五つぐらい増えていた。玄関の扉も、想像の力で直しておく。気のせいだろうか、体がふらつくが我慢する。
「僕に解らないことなんか、殆どないと思ってたよ」
 愕然とした顔で、クライドを凝視するノエル。町の学生で一番のインテリと謳われるこの少年でも、この力のことは全くわからなかったらしい。
「礼を言うよ。ありがとう、クライド。これで本がたくさん読めるし、部屋は広いし、窓も大きい」
 目の前で起きた光景を不思議がりながら、ノエルは礼を言った。ノエルの目線の先には、珍しく本を読むアンソニーがいる。妙に熱心に読んでいると思ったら、その本は何とマンガだった。題名をみてそれに気づいたクライドは苦笑する。
「そろそろ、祭りが盛り上がり始める頃だな」
 グレンがそう言って、壁にかけられた時計を見る。時計の針は、午後の三時を指していた。グレンにつられて時計を見ると、ノエルは読んでいた本を書棚に戻してソファに腰かけた。ソファに深く腰かけて足を組むその姿は、写真で見る町長の姿に似ている気がした。
 ……町長?
「ああ! 鐘楼のこと、役場にまだ言ってない」
 そうなのだ。追われていたせいで忘れていた。転びそうになりながら、クライドは玄関に走っていく。
「じゃ、俺いってくる!」
 アンソニーやグレンがとめるのを聞かずに、クライドは家を飛び出した。


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