第十九話 報復
何ということだろう。
何てことをしてしまったんだろう。
手にぶら下げた拳銃がやたら重く感じられた。銃口からはまだ、硝煙が細く立ち昇っている。
その煙を見たクライドは、自分がしてしまった事に対する衝撃と罪悪感を深く感じる事になった。狙い撃ったはずの少年は嘲笑を浮かべているし、救うはずだったアンソニーはうつ伏せに倒れて動かない。
アンソニーを殺してしまったことが、気のせいだったらよかった。この事件そのものが白昼夢ならさらによかった。自分の手で、自分の親友を殺してしまうなんて。
クライドは膝に頭を押し付けて、身を震わせた。敵の面前だというのに立ち上がって戦う事もせず、頭を抱えて震え続ける。
「おい、弟を殺しちまった気分はどうだ?」
座り込んだクライドをせせら笑いながら、少年が近寄ってきた。
――いいや、こいつに殺されたって構うもんか。この先一生罪悪感に駆られて生きていくよりはよっぽどましだ。
それでもクライドは、ぽつりと一言だけ彼の言葉に反論した。
「弟じゃ、ない」
決めたのだ、アンソニーを年下として扱わないと。彼は友達であり、弟ではないのだ。それでも、弟ならよかったのにと思う事はたくさんあった。
いつも明るくて、無邪気で純粋なアンソニー。落ち込んだときは誰よりも心配してくれて、ずっとずっと傍にいてくれたアンソニー。お化けを怖がるアンソニー。一緒に笑いあって、何もかも打ち明けた大事な親友アンソニー……
涙がこみ上げてきた。そんな大事な親友を自ら殺しただなんて。でも泣かなかった。服の袖で流れかけた涙を拭うと、クライドは拳銃を再び構える。
「お前が、お前がいたせいだ! 全部お前のせいだ!」
そもそも、この男を狙ったのがことの発端だった。だからクライドは、とっとと射殺してやろうと身構えた。
だが、できなかった。人を殺すなんて、できなかった。
先ほどは感情に任せて引き金を引いたのだが、今は違う。自分にも、簡単に人を殺せる事が解ってしまった。それがどうしようもなく怖かった。
結局撃てなかった。クライドは、引き金を引くだけになった状態の銃を下ろして俯く。
「へん、口ほどにもな…… っ!」
少年の生意気な声が途中で途切れた。驚いて顔を上げると、彼の背後からその首を締めようとしている者がいる。
くるくるした金髪、華奢で小柄な身体。それは、紛れもなくアンソニーだった。撃ったはずなのに、どうしておきているのだろう?
「……え?」
「クライド、はやくワイヤー持ってきて!」
必死で彼の首にしがみつきながら、アンソニーが叫んだ。少年は仰天し、わあわあ叫んでいる。死んだはずのアンソニーの攻撃に驚いているのだ。
わめき散らす少年の姿は、実に滑稽だった。しかし、笑っている場合ではない。
「あ、ああ!」
答えると、クライドはすぐにテントを目指して走った。
拳銃から弾を抜いて、入り口近くのグレンのバッグにそっと戻しておく。そして、テントの中に立てひざで乗り込んでアンソニーのリュックを探す。彼のリュックは探すまでもなく足元にあったのだが、気づくまでに時間がかかった。
急いでリュックから十メートルもあるワイヤーを取り出すと、すぐさまアンソニーの傍へ引き返す。そして、少年を雁字搦めにしてその場にへたり込んだ。
「ト、トニー? お前」
お前ほんとに生きてるのか? そういおうとしたが声にならなかった。彼が生きていてよかった。そう思うと、再び涙がこみ上げてくる。
しかし、アンソニーに格好悪いところなんて見せたくない。だから精一杯笑って見せた。
「僕が凄い怖がりだってことは知ってるでしょ? 銃の音を聞いて、ちょっと気絶しちゃったんだ」
決まり悪そうに笑うアンソニー。彼の足元で、逃れようとじたばたもがく少年。逃げようとする少年を押さえつけながら、クライドは冷静に考え直してみた。
考えてみれば、確かに倒れたアンソニーの身体には外傷などなかったはずだ。何だ、思い違いか。早とちりはクライドの悪い癖だった。自分の馬鹿さ加減に、ちょっと笑える。
「はは…… 何だよ。はははっ!」
「ああっ、笑わないでよ!」
笑っていたらアンソニーに怒られた。アンソニーは、自分のことを笑われていたのだと勘違いしたらしい。
こんな元気な少年が死ぬなんて、ありえない。今日の自分は、やはりどうかしているんだ。
「あはは、ごめんごめん」
笑いながらアンソニーに謝って、クライドは少年を見下ろした。どこの少年だろう、珍しい服装をしている。
赤い布を額に巻きつけ、若草色で袖の短い上着を着て、綾織の厚い布でできた紺色のズボンを穿いている。何故か額の布だけ上質だ。服は質素なのに、額飾りだけ浮いて見えた。
上着にはボタンがついていなく、少年は上着の前面が広がりっぱなしになるのを防ぐために目の荒い布を腰紐の代わりに使っている。
変わった上着の胸元には、金で出来ているらしいメダルが提げられていた。表面になにか文字が彫ってあるが、クライドの母国語ではないので解らない。この少年は異国好きなのか、さもなくば異邦人だろう。
「じろじろみんな! 離せこの野郎!」
クライドの視線に気づいた少年は、威嚇するようににらみつけてきた。しかし、この体勢で睨まれても迫力がない。少し笑ったら、少年がまた暴れだした。押さえつけながら、この少年の処分を考える。
「クライド、おまえ何やってるんだよ!」
声を掛けられたので、少年を押さえつけるのに苦労しながらクライドは首だけで後ろを振り返った。
血相を変えたグレンがこちらに走ってくる。その後ろから、ノエルが眠そうに追ってきている。二人を見つけたアンソニーがクライドの代わりに走っていき、何が起こったのか説明をした。
暫く頷いたり口論したりを繰り返していたグレンとアンソニーだが、急に二人ともクライドたちの方に向かって歩いてきた。アンソニーはそれほどでもないが、グレンはとても怒っているようだ。彼らの後姿を、ノエルが心配そうに見送っている。
「クライド」
顔を上げると、グレンが自分を睨み降ろしていた。この視線の威力は強烈だ。アンソニーなら、三秒も持たず逃げ出すだろう。
かといって、グレンが喧嘩で毎回こんな目をしているわけではない。こんなに怒ったグレンを見たのは久しぶりだ。何年前かに殴り合いの喧嘩をしたとき以来だと思う。クライドも、じっとグレンを見据えた。何だか知らないが、来るなら来い。
「どけ、そいつを放すんだ」
そういうと、グレンはクライドを軽く突き飛ばした。
嘘だろう? 彼は敵だ、間違いなく。敵を庇うのか? 自分を裏切るのか?
「え、おい」
疑問がそのまま声に出ていた。まさかグレンは本当に自分を裏切るつもりなのか? だとしたら何故?
困惑し、グレンの顔をまともに見ることが出来ない。だが、グレンのほうは平然と少年を立たせてワイヤーを解き……
その身体が吹っ飛ぶぐらいの強さで、顔面を強かに殴った。少年は地面に倒れこみ、殴られた顔面を押さえてうめいた。
「てめえッ! トニーを殺そうだなんて、ふざけた事抜かしてんじゃねえよ!」
ああ、そうか。ようやく、クライドも納得した。グレンは報復にきたのだ。それなら観戦しよう、止める気はない。
いつもなら真っ先にグレンと誰かの間に入って喧嘩を止めるノエルは、離れたところで様子を窺っている。どうやら、喧嘩が酷くなったら止めに入るつもりらしい。いや、もしかするとノエルも観戦にまわるのかもしれない。
「うるせえ、旅人風情がいばってんじゃねえ!」
少年は起き上がり、鼻血をたらしながらグレンに反撃した。なかなか強烈なパンチだったが、グレンはそれをひらりとかわした。
そのまま、二度目の攻撃に出る。今度は、殴ると見せかけて脚を狙った。少年は脚払いをくらい、よろけた。そこに容赦なくグレンが襲い掛かる。余裕で彼の頬を殴ろうとした。
だが少年も俊敏に動き、グレンの腹に一発けりを入れた。うっ、と軽く唸るグレン。少年がそれをみて、にやりと笑った。そのせいでグレンの怒りが強まったのは、言うまでもないことだろう。とうとう本気で怒ってしまったようだ。
また殴り合いがはじめる。暫くはグレンが優勢だったが、だんだん少年の方が巻き返してきた。押され始めたグレンを見て、クライドが手を出そうとした。しかし、グレンに「手を出すな」と怒鳴られ、やむなく引っ込んだ。しばらく勝負がつかなかったのだが、やがて最後の一手が決まった。
「これで終わりだ!」
吼えるように叫び、グレンは血まみれの唇をゆがめて笑った。そして大きく腕を振り下ろした。
胸のすくようないい音がした。少年の身体は吹き飛び、もう起き上がろうとしなかった。
「ふう、復讐はお終いだ。クライド、もういっぺんこいつを縛っといてくれないか?」
そういうと、グレンは草原の真ん中で大の字になった。大きく息を吸い、目を閉じている。思う存分相手を殴れたので、怒りはおさまったようだ。グレンは唇を切っていた。彼はいつも顔面を殴らせるなんてへまはしないのだから、相手が予想外に強かったのだろう。
それでも、何年か前にクライドと喧嘩したときは、グレンはもっと酷い怪我をした。クライドが彼を突き飛ばして窓ガラスに突っ込ませ、そのせいでグレンは腕に深い切り傷を負ったのだ。確か、あの時もグレンが勝ったはずだ。だが、喧嘩の理由が思い出せない。
「グレン、大丈夫?」
すっかり怯えて不安そうな顔をしたアンソニーが、恐る恐るグレンの傍にやってきた。彼が来た事に気づいていたようだが、グレンはずっと目を閉じたままでいる。
いつまでも目を開けないグレンが心配になったのか、アンソニーはそっとその顔を覗き込んだ。アンソニーは、「よかったね」と呟いた。果たして何が「よかったね」なのだろうか。外傷があまりないことに対してだろう、おそらく。
何も反応がないことを訝った瞬間、グレンがいきなりがばっと跳ね起きる。突然のことに驚いたのか、アンソニーは悲鳴を上げてひっくりかえった。無論、見ていたクライドもちょっと吃驚した。
ひっくりかえったアンソニーの反応を見て、グレンは実に十分間近くも笑い転げた。その場から起き上がりながら、アンソニーはむっとする。
「もう、グレンってばひどいよ!」
すっかりご機嫌斜めになってしまったアンソニーは、グレンの隣に座りながら悲しげに首を振った。皆僕を見るたびに笑うんだから。そう呟いて、アンソニーはぷいとそっぽ向いた。ふくれっ面になったアンソニーを見て、グレンはさらに笑い転げた。
「あははははっ! は、腹痛い……」
のどかな雰囲気の二人を尻目に、クライドは少年を縛り上げた。この作業にはノエルも付き合ってくれたから、早く終わった。
ぐったりと伸びた少年は意外に重く、縛りつけるのに一苦労する。やっとのことで少年を縛り上げ、彼を草原に寝かせるとクライドはその場に座り込んだ。
「この人、きっと盗賊か山賊だね」
クライドの隣に腰を下ろしながら、ノエルは唐突にそう言った。盗賊? 山賊? そうか、金が目的なんだ。それにしても、自分と同年代の少年がドロボウ家業だなんて信じられない。きっと複雑な家庭事情があるのだろう。
黙り込むクライドの隣で、ノエルがなにやら少年を覗き込んで外国語をぶつぶつ呟いていた。その姿を凝視するクライド。気づかずにずっと外国語を呟き続け、時々小さく首を横に振るノエル。
やがて何か言うのをやめ、ノエルは顔を上げた。そしてノエルを凝視しているクライドを見つけて、苦笑する。
「デゼルト」
満面の笑みで、ノエルはそう言った。
この笑みは、彼が難しい文献を読破したときや、難しい数学の問題が五秒で解けたときに浮かべる笑みと同種のものである。何かを解読したときやトリックを見抜いてしまったときにも同じ笑みを浮かべる。
要するに、ノエルは盗賊らしいという少年の弱みを握ってしまったようなのだ。
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