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子供”嫌い”症候群

 2007年10月1日に、東京地裁八王子支部が「噴水で遊ぶ子供の声がうるさい」という住民の訴えを認めて、噴水の使用を禁止にする判決を出しました。裁判判決まで出たからでしょうが、この事件はニュース番組で取り上げられて有名になりました。が、実はこの件に限らず、図書館やコミュニティーセンターなどでの“子供の騒音”に関する地域のトラブルは近年になって増えているそうなんです。
 そういった「子供の声」の苦情に対応するべく東京都は条例により、「子供の声」を騒音条例の対象外にしました。もしもそういった住民達の苦情を全て聞き入れてしまったなら、子供も子供を持つ親も行動範囲を著しく制限されてしまいますから、これは妥当な判断だと言えるでしょう。ただし、これで問題の根本が解決するのかといえば、そんな事はもちろんありません。
 2016年の4月に千葉県市川市で予定されていた保育園の開園が、周辺住民の反対によって取り止めになった事がニュースなどで大きく報じられました。保育園に通じる道の幅が狭く危険というもっともな意見もあった一方で、やはりここでも「子供の声」を騒音と見做す意見が多くあったそうです。そしてこの事件はこの地域だけの特例という訳ではどうやらないようで、全国で似たような事件は数多く起きているらしいのです。だからこそ、この問題はより深刻に受け止めるべきでしょう。
 こういった子供関連の苦情は、2013年頃から急速に増え始めたそうです。“2013年”って年が出て来て「ああ、なるほど」って思った人もいるかもしれませんが、まぁ、この年は団塊世代が本格的に引退し始めた年で、やっぱりと言うかなんと言うか、子供関連の苦情を言っている主な人達は高齢の男性らしいです(冒頭で述べた、「噴水の子供の声」で訴訟を起こした人は、女性だったようですが)。
 今の時代の高齢男性の多くは、高度経済成長期と呼ばれる時代を生き、“仕事人間”として会社で働いて来ました。その日常空間の中には“子供”の存在はいません。そして、家に戻っても育児のほとんどを妻に任せていました。つまり子供に触れる機会があまりないまま何十年という月日を過ごして来たのです。ですが人間社会の本来の生活空間に、子供はいて当たり前のものです。その仕事人間としての生活はある意味では“異常な生活”だとも言えるでしょう。その彼らが仕事を引退して、子供がいて当たり前の正常な生活に戻って来ました。“異常な生活”が当たり前だと思っている彼らにとってみれば、子供がいる当たり前の生活空間こそが“異常な空間”です。だから、彼らは彼らにとっての(かつていた仕事場と同じ様な)“正常な空間”を取り戻そうと、子供達を追い出そうと苦情を言ってしまう…… もしかしたら、これはそんな話なのかもしれません。
 人間が騒音を認識するのは、実はある程度は主観に左右されます。例えば、同じ様にピアノの音が聞こえて来たとしても、それが親しい間柄の人のものだったなら、騒音だとは認識されないのですね。まぁ、平たく言ってしまえば、好きかどうか慣れるかどうかで騒音になるならないが決まるのです。という事は、「受け入れなくては駄目だ」という意識を持てさえすれば「子供の声」だって、騒音にはならないはずなのです。
 では、どうして高齢男性達は、「子供の声」に慣れようとしないのでしょう?
 もしかしたら、それは彼らの“勉強不足”がその原因の一つになっているのかもしれません。
 今という時代は、既に現役世代の貧困問題が目立ち始めています。高度経済成長期の頃は男親だけが働けば、充分に一家の家計を支えられたのですが、労働賃金が減り続けてしまった結果、現在では既に20代30代の収入では一家を支える事は難しくなってしまっています。そしてだからこそ、世の奥さん達は「子供を保育園に預けて働きに出たい」と主張しているのです。
 ですが、高度経済成長期という特殊な時代を生きて来た高齢男性の意識は違うのじゃないでしょうか? 未だに、男親が外で働き、女親が家庭を守るという専業主婦モデルが当たり前だと思ってしまっている。既に世の中は、共働きでなければ生活が成り立たない人の方が多いのに、それを分かっていないのかもしれません(因みに、長い日本の歴史で一般的なのは、“共働き”の方です)。
 そして、家でのんびしていられるという“楽な専業主婦像”が当たり前だと思っていて、今の時代の母親達がどれだけ苦労をしているかを知らないのかもしれません。
 「主婦は楽に生きているくせに……」
 なんて、もし彼らが思ってしまっているのなら、“少しでも育児に協力しよう”なんて意識が生まれなくても当然でしょう。彼らの年金生活を支えているのは、現役世代ですから、そういう意味でも本来は現役世代の応援をしなければいけないと思うのですが……。
 一応断っておきますが、日本のワーキングマザーの労働時間は男性を遥かに超えていて、世界一だと言われています。とてもじゃありませんが、楽な暮らしではありません。この誤解を持っているのは(驚いたことに)政治家にもたくさんいるらしく、母親が家事や育児に従事しさえすれば、出生率が上がって問題は解決するかのように言っている人もいるみたいです。だから、保育園不足問題にもあまり本腰を入れないのかもしれません。生活費が足りない状況下で、どうやって子供を産めって言うんでしょうかね?
 ですが、当然ですが、子供達及びに子育てをする親達はどんな場所でも煙たがれているって訳じゃありません。むしろ「ウェルカム」な地域だってたくさんあるんです。例えば、過疎化や高齢化が深刻な地域とか……

 さて。
 ここに高齢化問題が深刻な地域社会があったとします。“地域社会”といっても、そこは首都圏内にありました。高齢化が深刻というと地方のことだと思っている人もいるかもしれませんが、首都圏だって既に問題として表面化している場所がたくさんあるんです。
 高齢化が進むと、高齢者は消費意欲が低いのが普通ですから、商店街などが寂しくなっていきます。更に働き手もいない訳ですから、合せて店などを続ける事も困難になります。当然の流れとして、シャッターを降ろさざるを得ない店が増え、商店街はいわゆる“シャッター通り”と化していきます。すると、益々、若い人達が離れ、寄り付かなくなり、高齢化が加速してしまいます。公共施設を利用するのも高齢者がほとんどになるでしょう。「子供の声が煩い」と文句を言う事すらできません。
 まぁ、「どうすりゃ良いんだ?」って感じですね。このままでは、ゴーストタウンになりかねません(検索すると分かりますが、実際にゴーストタウンが懸念されている場所は多くあります)。
 もしも自治体の責任者にこの問題について訊いても「妙案なんざ、ありゃしない」なんて答えが返って来るかもしれません。良い案があったなら、皆やっていますから。ですが、その地域社会では民間からある“動き”があったのでした。
 それはある老人ホームでした。人手不足に悩んでいたその老人ホームは、パート職員だけでも何とか補充したいと思っていましたが、いくら募集をかけてもなかなか集まりません。この地域では、若い世代がどんどん去ってしまっているのでそれも当然です。ならば、他の地域からパート職員を招くしかありません。ですが、経営もそれほど楽ではないので、高い給料や宿舎といったコストがかかる労働条件の提示は不可能です。そこでこの老人ホームではこんな事を考えたのでした。
 「パート職員の子供を、老人ホームで世話しよう」
 保育園に子供を預けられないで困っている母親が大勢いるのは周知の事実ですが、中には子供を預けられる保育園を求めて引っ越しまでする母親もいるそうです。それだけ切実な問題だからでしょうが、ですから「働きながら子供の面倒も見られる職場」だったなら、外からだってパート職員を呼べるだろうとその老人ホームは考えたのです。この老人ホームの高齢者達は、比較的確りとしている人も多くいたので、彼らにだって子供達の相手ができるという事もそのアイデアを実行する後押しとなりました。
 そして、この試みは“当たり”ました。高齢化が進んでいる地域といっても、ここは首都圏にあります。“ここからなら父親の勤務先にまで充分に通える”という家はそれなりに多かったので、引っ越す事が可能だったのですね。もちろん、子供達の存在は高齢者達に潤いも与えました。中には子供の相手をする事で、元気を取り戻した人までもいます。この試みは多少なりとも話題になり、近くの老人ホームでも真似し始めました。すると、少しずつこの地域にも若い世代の人達が増えて来ました。それはほんのわずかな兆候のような変化に過ぎませんでしたが、それでもそれは地域社会の“若返り”のように思えました。
 近年になり“老人ホーム”と“保育園”を併設するケースは徐々に増えている訳ですが、この地域で始まった老人ホームの“保育付きパート”は、その一つのだと言っても良いかもしれません。もっとも、世話をする子供の人数はまだまだ少なかったですから、とてもじゃありませんが“老人ホームと保育園を併設した”と言える状態ではなかったのですが。
 ただし、それでもこの件に関して「法的に問題はないのか?」と疑問の声が上がりました。仮にこの労働形態が保育園と認定されてしまったのなら無許可での営業となってしまいますから、この形態で老人ホームを運営する事は難しくなります。ところが、その話題が大きくなり、国の方にまで判断が及びそうな段になって、何故か自然と消えていってしまったのでした。
 真相は不明ですが、国が責任を回避したというのが有力な説として噂になりました。これを違法とすると、近年の「保育園不足問題を放置しておいて、国は更に民間を苦しめるのか」という非難の声が上がりそうですし、認めたなら認めたで、「違法の可能性がある経営を国が認めていいのか」とやはり悪く言われそうです。そのどちらをも回避する為に、国は議論自体を黙殺してしまったというのですね。仮にそうだとすると、いかにも日本人らしいと言えなくもないですが、今回のケースにおいては助かりました。そして「国は文句を言って来ない」という安心感が広がると、この動きは更に強くなり、この地域の人々は老人ホーム以外でも似たような事を行い始めたのでした。自宅で暮らす高齢者達が協力して“高齢者のボランティアによる育児支援団体”を組織したのです。
 ボランティアですから、個人に目を向けるのなら、いつでも必ず頼れるという訳ではありません。ですが、人数が集まれば話は別です。ボランティアに参加している誰かは手が空いている可能性が大きいからです。それでそのボランティア団体は、実質的には保育園として機能し始めたのでした。そのボランティア団体に利用者登録しておけば、親達は付近に住む高齢者の誰かに子供を預ける事ができるのです。もちろんそれは無料ですから、大変に人気が出ました。そして結果として、これまで以上に、若い世代が集まり始め、そしてこれまで以上に街は活性化していったのです。シャッター通りだった商店街に少しずつ店舗がオープンし始め、図書館などの公共施設にも徐々に子供の声が戻り始めました。もちろん、中には子供の声を煩いと感じる人もいた訳ですが、それは大きな問題にはなりませんでした。大きな社会の営みの中にあっては、それは瑣末な出来事に過ぎなかったのです。“子供がいて当たり前”の状況に慣れ始めると、徐々に苦情を言う人の数は減っていきました。
 この地域とは別の地域に住む高齢男性の一人は、その話を聞いて「物好きな連中もいたもんだ」とそう思いました。子供なんかの世話をしたら、静かな老後の生活が台無しになると彼はそう思っていたのです。ですがその人は気が付いていませんでした。その人の住む地域から、若い世代が少しずつ減り始めている事を。そして、街が少しずつ活気を失っている事を。それは実は深刻な問題でした。確かにその人の住む地域はより静かになっていますが、それは無痛の病魔に侵されているようなものだったのです。
 やがて、時が経つと“高齢者のボランティアによる育児支援団体”を組織した地域には、小さな子を持った家族以外も引っ越して来るようになっていきました。人が集まればビジネスのチャンスも増えます。それはつまりは生活できる人が増えるという事ですから、当然人口が更に増えるのです(都市が形成される理屈と同じです)。もちろん、そうすれば税収だって上がります。それにより、地方の財政は潤いました。すると行える行政サービスの量が増え質も良くなっていきます。そうしてこの地域は、徐々に以前よりもずっと住み易い街となっていったのでした。
 商店街はすっかりと元の活気を取り戻し、様々な店舗が増えました。子供の数が増えた事で学生活動も活発化し、地域交流会等も多く開かれました。もちろん多少のトラブルはありましたが、大きな問題にはなりませんでした。そして、子供達の世話をしてくれているお返し、また幼い頃にお世話になった恩返しという意味も込めて、中学生や高校生達が“老人介護ボランティア”をそういった学生活動の主な活動の一つにするようにもなったのです。親しい間柄のお爺ちゃんやお婆ちゃん達が困っているのを知れば、“助けたい”と思うのが人情でしょう。学生達は自分達から進んで自然と“老人介護ボランティア”を始める事にしたのです。
 その頃、日本社会全体を観れば、高齢社会問題は更に深刻化していました。
 社会の高齢化が進めば進むほど、一人の人間に対する介護負担は増えていきます。もちろんそれは老人介護の担い手が減る事を意味しますから、身体を壊してしまったお年寄りが、充分な介護を受けられないという問題などとなって現れました。人工知能やロボット、高度なネットの利用方法などが組み合わされば、高齢者介護の人手不足問題も解消するかもしれませんが、そういった技術の発達と普及を待つよりも早く、高齢社会問題はこの日本という国を覆ってしまっていたのです。
 ある地域に住む高齢男性の一人が文句を言います。彼は病気や怪我を抱え、苦しい生活を送っていたのです。
 「どうして、こんなに介護をする人間が少ないんだ? 問題を放置して、国は一体、何をやっているんだ?」
 自分達がかつて、その介護の担い手である若い世代を追い出してしまった事は頭の中にはないようでした。少し視野を広くすれば簡単に観える事でも、他の人間の事情や文化を受け入れようとせず、視野狭窄に陥ってしまったならば、なかなか観えないものです。次世代を担う人間達を蔑ろにしてしまったのなら、当然それは自分達にも返ってきます。日本という社会は、それを国全体でやってしまった訳ですが。
 ですが、“高齢者のボランティアによる育児支援団体”を組織した地域では、若い世代が集まってくれたお蔭で、他の地域に比べれば随分とその問題は少なかったのです。

 ……なーんて寓話っぽい(ちょっとばかりご都合主義な)話を書いてみましたが、どうですかね? 伝わりましたかね? いかに人口減少問題が深刻で、次世代を育てるという事が重要なのか。因みに過疎化が深刻な地方で、人を集める為に自治体側が安価な住居なんかを提供しているケースは実際にあるようです。ただ、住居だけあっても仕事がなければやっぱり難しいんじゃないかと思います。だから僕が先に書いた話では舞台を、首都圏内って事にしたのですがね。
 巷では保育園不足問題が注目されていますが、出産育児で深刻なのはそれだけじゃありません。例えば“産婦人科医不足”なんてものもあります。育児の前に妊娠出産がまずはピンチなんですね。「産婦人科は訴訟リスクが高いので、なりたいと思う人が少ない」とか、「労働環境が過酷なので敬遠されている」とか、そんな話を聞きますが、やっぱり国が問題改善の為に大きく動いたという話を僕は聞きません(何故、自民党は少子化対策にこんなにやる気がないのでしょうかね?)。
 ただ、出産に関しては、問題を改善する手段がない訳じゃないんです。現在はまだまだマイナーですが、座位分娩の方が出産の負担は軽減するらしいんですね。つまり、これを普及させるだけで、この問題は改善できる可能性があるんです。促すだけならコストもそんなにかからないはずなので、是非国にはやってもらいたいですが…… やらないのでしょうね、やっぱり。やる気がないから。
 危機意識を持った自治体がもっとたくさん出て来て“若い世代を呼び寄せる”ことに関心を持ち、“現役世代に対する出産育児支援”競争をし始めたなら、或いは、現役世代が子育てし易い環境が社会に整えられていくかもしれません。
 “ふるさと納税”競争だけじゃなく、こういう競争もして欲しいです。

 さて。
 日本のように十年以上も無職の高齢者を養う“年金制度”を持つ国はかなり少ないそうですが、実はそもそも日本だって、こんなにも多くの高齢者人口をこんなにも長期間支えるという制度設計で“年金制度”を始めた訳ではないんです。年金制度を始めた頃に想定していたのは、もっと少ない高齢者人口でしたし、日本が“世界一の長寿国”になるなんて夢にも思っていなかったはずです。つまり、今の状況は全くの想定外なんですね。そして、想定が変わってしまったのなら、それに合わせて制度も変えなくちゃいけません。じゃないと、制度を維持できませんから。そして実際、高齢者に支払われる支給額は少なくなり続けていて、現役世代が支払わなくちゃいけない保険料は多くなっています。しかもそれがどんどん酷くなっている。
 「どこまで無事で済むのやら……」
 と、つい疑問に思ってしまうくらい。
 この状況を少しでもマシにする為には、当然、現役世代を応援する事が必要です。幼い子供を持った母親達が、外で普通に働けるようになれば、年金の支払い手も当然ながら多くなっていきますし、しかもそうすれば現役世代の収入が多くなった事で需要が増え、経済成長だって起こせます。
 因みに、今の現役世代が高齢者になった頃には年金制度が破綻している可能性はかなり大きいです。つまり、現在年金保険料を支払って高齢者の生活を支えている僕ら現役世代は“年金暮らし”なんかできそうにないって話です(作中で述べたような技術革新及びに普及が起これば分かりませんが)。そういう意味じゃ、現役世代にとっての年金保険料は今の高齢者に対する寄付金みたいなもんです。これは何千万円といった規模の年代格差が、高齢者世代と現役世代にある事を意味してもいます。
 こういう事情を踏まえても、どうかお年寄りの皆さんは、現役世代の為に少しでも協力して欲しい…… と、まぁ、僕なんかは思ってしまう訳なんですがね。

 柳田国男の遠野物語で、カクラサマという神様の木像で子供が遊ぶのを注意すると、むしろその注意した人の方が祟りに遭うというような話があります。木像に宿る霊は子供と遊ぶのが好きだからって事らしいですが、これと似たような話は日本では神仏問わず多いのだとか。
 これに「子供は大切にしなくちゃいけない」という寓話的な意味が込められていると考えるのは多少は穿った見方に過ぎるのかもしれませんが、出産や育児を軽んじる社会が衰退していくってのは少なくとも事実でしょう。日本社会の行く末が本当に心配です。
参考文献:
『「居場所」のない男、「時間」がない女 著者 水無田気流 日本経済新聞出版社』

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