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クローバー
作:松の慎


僕は紀沙を好きになってはいけない。

幼いながらも、僕はあの日そう誓った。

「慶?どうしたの、急がないと遅刻しちゃうよ?」
「え?あ、うん」

俺の幼馴染みの白鹿紀沙はくしかきさは容姿端麗で才色兼備という言葉がよく似合う女の子。
高3の彼女は、年のせいというよりも昔から大人びていて、俺とは不釣合いなものだ。
家が割りと近いから小さい頃から一緒だった。
昔は短かった髪も、今では背中の真ん中くらいまであって漆黒ですごくきれいだ。
だから紀沙がモテるのもすごく分かる。
逆にこれでモテなかったら周りの男子の目を疑うくらい。

「今日までなんだよね、進路のやつ」
「進路?」
「忘れたの?進路希望調査よ。この前わけられたでしょ?」
「あ!」

紀沙はまったくもう、とため息をつく。
俺はバカみたいに笑って誤魔化す。

忘れてるわけないだろ。
俺には今、そのことで頭がいっぱいなんだ。

俺、渡瀬慶彦わたせよしひこは昔から心臓病を患っている。
生まれつき心臓が悪くて、小さい頃はよく入院をしていた。
大きくなるにつれてだんだんと発作も少なくなってきた。
中学にあがる頃にはもう発作が起きることもなく、定期的な通院だけですんでいるまで良くなっていた。
そのことは紀沙も承知している。

けど、この前の夏俺は何年かぶりに発作を起こした。
ちょうど紀沙はそのとき夏休みの長期休暇を利用していて軽井沢に避暑に行っていたから、俺が発作を起こしていたことは知らない。
俺も言わなかった。
母さんにも、紀沙には言わないでくれと頼んだ。

『息子さんは最近激しい運動してますか?』
『え?いえ』
『何年も発作も起きずにきていたからもうすっかり良くなっていると思ってたが・・・・』

聞いてしまった、両親と医者の会話。

『今回はそんなに大事ではなかったけど、今度発作を起こしたら正直どうなるか分かりません・・・。だからどうか無理だけはしないでください』
『それは・・・慶彦が次発作を起こしたら死ぬってことですか?!』
『なんとも言えませんが・・・・・・ひどい発作でしたら、おそらく』

声を押し殺して泣く母さんの姿を見た。
涙をこらえながら必死に母さんをなだめる父さん。
それを悲しそうに見守る医師。

俺は、もう長くない?
次に発作を起こしてしまったら、もうこの世にいられない・・・・・

そう思うと、急に怖くなった。
けど一番に頭に思い浮かんだのは紀沙の姿。

親も公認のもとで付き合ってる俺たちだけど、もし俺が死んでしまったら紀沙は一人になってしまう。
もし俺がいなかったら他のやつと付き合って、結婚もするだろう。
紀沙にとって俺という存在がいてはだめなんだ。

進路だって、どうしたら良いのか分からない。
未来も見えないのにどうやって考えたら良いって言うんだ。
別になりたいものもないし、望みもない。
ただ・・・・紀沙の隣にいたいって思う。
それしか望んでいないし、それしか望めないんだ。
けど、それを望むことは決して許されない。
俺には夢も希望もない・・・

************************************

「渡瀬ー」

放課後、担任に呼ばれ、行く。
担任はだれのだか分からない進路希望調査の紙を俺に見せながら言った。

「お前だけだぞ、これ出してないの」

結局出せずじまいでいた。
書くこともないし、嘘を書いても仕方ないと思ったから。

「・・・進路、分かりません」
「高1の頃は医者になりたいって言ってなかったか?お前なら私立医大なら狙えると思うが」
「・・・・」

黙ったままでいると、担任は言った。

「まぁいい。じゃあ来週までには提出するんだぞ」
「はい」

担任は教室から出て行った。
俺は少しの間立ち尽くす。
床を見つめて、目をほそめながら考える。
医者を目指しても、結局は俺みたいに助からないやつを見て悲しむんだったらなっても仕方がない。
夏に見た、母さんと父さんを見るあの医者の顔を思い出すたびにそう思えた。
そもそも医者になるまでに生きてられるかも分からないんだ。
なれるか分からないのに目指して勉強するのもバカらしく思ってしまう。

・・・・どうしてこんなに投げやりになってしまったんだろう。
でも、だめなんだ。
明日生きられるか分からない俺にとっては、1年先のことさえ見えない俺にとっては、将来の夢なんて本当にただの夢でしかない。
どうして俺は健常者として生まれなかったんだろう。
どうして俺ばっかりこんな体なんだろうって、周りのやつらを憎むことさえあるんだ。

「慶、帰ろ」

紀沙が俺のもとに来る。

「紀沙・・・・」

いつからそこにいたんだ。
もしかして担任との会話を聞かれていたのではないだろうか。

「ねぇ慶、慶は医者になるんじゃないの?」

ほらきた。
やっぱり俺たちの会話を聞いてたんだ。

いつかバレてしまうことだって分かってても、それでも今はまだ知られたくない。
知ったらきっと紀沙は俺から離れるどころか、俺につきっきりで世話をするに違いないんだ。
嬉しいけど、でもそれじゃあだめなんだ。
俺の短い人生のために紀沙のせっかくの人生を台無しにしてしまうのだけは、どうしても嫌だ。

『ねぇママ、僕いつ治るの?』
『心配することはないわ。すぐに治るからね。だから頑張ろう』

何度も何度も聞いた台詞。
何年もそう聞き続けて、何年も母さんは俺にそう言い続けた。
たくさん入院してるわりになかなか治らない俺の病気は、きっと一生治ることはないだろうって分かってた。
母さんを嘘つき呼ばわりするつもりはないけど、でもそんな気休めの言葉をかけられても、いつしかもうなんとも思えなくなってしまっていたんだ。

そうだ、小さい頃自分に誓ったじゃないか。
紀沙を好きになることだけはだめだ、と。

いつの間にその誓いを忘れて、せいせい紀沙を好きになって今付き合ってしまっているんだろう。
本来ならば今こうやって側にいることも望んではいけないことなのに。
昔はちゃんとそうやって分かっていたのに、いつからその気持ちを失っていたんだろう。

いや、失うつもりではなかった。
だから絶対に俺から気持ちを伝えないようにと、溢れる思いを胸にひっそりと押し返続けた。
けど、紀沙から告白されたとき、今まで隠していた気持ちも幼い頃の誓いも一瞬にして吹き飛ばされた。
そのとき、嬉しいと思ってしまったのが間違いだったのに。

「紀沙、別れよう」

時は11月、時期に12月に入って恋人にとっては1年で3大イベントのうちの1つのクリスマス。
みんなにとってはそれはとても待ち遠しいものなのかもしれないけど、俺にとってはむなしい聖夜。

次に発作が起きたら、という死の宣告を受けたとき、どうしてこう言えなかったんだろう。
どうしてもっとはやく言えなかったんだろう。

「え・・・なんで?なんで突然そんなこと・・・」「突然じゃない。本当はもっとはやく別れたかったんだ」
「す、好きな人ができたの?」
「違う」

俺は息をすっと吸って、紀沙から目線をはずして歩き出す。

「紀沙のこともう好きじゃないんだ」

机の上にある荷物を取って、教室を出る。
静かな教室に、ドアの閉まる音が高く鳴り響いた。
カツカツと歩く俺の足音、グランドから聞こえる運動部の声。
それだけが今俺の中の世界だ。

指先が震える。
ちょっと気を抜いたら泣いてしまいそうだ。
好きじゃないなんて、嘘だ。
今でも十分ありあまるほど好きだ。
でも、紀沙のためにもこうするしかないんだ。

ごめん、紀沙・・・・・・・
わがままな俺を、自分勝手な俺をどうか許してくれ。



家に着くと、母さんが出迎えた。
母さんは俺に1枚の紙を出す。

「慶、お母さんね、良い大学見つけたの」

それは県内で家から通える範囲の私立大学。
設備も良いところで割りと有名な所だ。

「ここならきっと慶彦も良いお医者様になれるわ」

嬉しそうに言う母さん。
本当に、そう思ってるのか?
そんなお金がかかる大学に通わせるのは、家から通えるところがそこしかないからなんだろ。
県外に行ってしまったらいざってときに困るんだろ。
俺が発作を起こしたときに側にいられなくて、死に立ち会えないかもしれないって、そう思っているんだろ。

「お父さんもきっと賛成してくれるに違いないわね。ね、慶」

俺は母さんからその大学についての紙を受け取る。
やる気のない目で紙を見て、くしゃっと丸めてゴミ箱に投げつけた。

「ちょっ・・・慶?!」

母さんがあわてて拾いあげようとした。
そんな母さんに、俺は言った。

「母さん、俺大学なんか行かない」
「えっ・・・?」

母さんは紙を拾うのをやめ、俺のほうに振り返る。

「な、なに言ってるの?だって前は」
「ここから離れてどっかで働くよ」

将来があるか分からない俺が、将来を目指して勉強したって意味がない。
だったらいつ死んでも問題ないようにひっそりと働いて、もうだれも愛さないようにする。
愛する者ができたら、いざってとき悲しむだろ。
そんな思いは絶対にさせない。
だれにも・・・・紀沙にも。

「そ、そんなのだめよ!」
「なんで?」

あわててる母さんの様子を、ただただ冷たい目で見る。

「俺が、そのうち死んじゃうから?」

そもそもどうして俺に教えてくれないんだ。
あと少しの命だってこと、なんでそんな大切なことを言わないんだよ。
俺が悲しんで登校拒否にでもなるとでも思ってるのか。
けど、みんなが黙ってるから俺は余計に腹が立つんだ。

「知ってるよ、俺もう長くないんだろ。だから母さんは県内の近場に行かせたいんだろ」
「よ、慶・・・・どこでそれを」

怒りだけがこみ上げてくる。
母さんは悪くない。
俺のためを思って黙ってくれてるってこと、ちゃんと分かってるんだ。
でもその優しさって奴が一番俺を苦しめる。

「俺は俺の人生を好きに生きる。母さんにも父さんにも干渉されないから」

そう言い残し、自分の部屋へ向かった。
荷物を置き、制服をぬいで着替える。
特にすることもないからベッドの上で寝そべっていると、携帯が鳴った。

紀沙からの電話だった。

俺は携帯を机に置き、聞こえないふりをする。
携帯は留守電につながり、切れる。
何度もその繰り返しだった。
けど俺は絶対に出ようとはしなかった。

そのうち携帯も鳴らなくなって、俺は内心ほっとした。

もう紀沙に関わってはいけない。
これ以上好きになる前に、忘れなきゃいけないんだ。
18年間の思い出はそう簡単には消えないけど、でもこれからの思い出を作らなければいずれなくなってくれるはずだ。
そうするために、どこか遠くへ行かなきゃいけないんだ。
紀沙の目の届かない、遠い遠い場所へ。

『慶、おっきくなったら結婚しようね』
『うん。約束だよ紀沙』

自分が治らない病気だと知る前、いつだったかそんな約束をした。
あんな約束、しなければ良かった。
あんな約束のために紀沙が俺から離れられないんだとしたら、悲しすぎるだろ。

果たせない約束なんて、するんじゃなかった。

「慶彦」

母さんがドアをノックする。

「なに」

俺が答えると、ガチャッとドアを開けた。

「何度慶呼んでも答えないからあがってもらったの」

そこには、紀沙の姿があった。
さっき別れたはずの紀沙。
俺は一瞬汗をかいた。
ベッドから身を乗り出して、立ち上がる。

「き・・さ・・・・」

母さんは部屋から出て行った。
バタンとドアを閉め、紀沙は俺の目の前に来た。

「慶、さっきのどういうこと?」
「どうもなにも、本心だよ。ただ紀沙のこと好きじゃなくなったってだけだよ」
「うそ!」
「なにを根拠にそう思うの?」

うそだよ。
うそに決まってるだろ、今だって目の前にいる紀沙を抱きしめたい。

「別にうそつくわけないだろ」

うそに決まってるだろ。
好きで好きでたまらないよ。
そんな簡単に嫌いになれるわけない。
ましてや紀沙を嫌いになるなんて、そんなことは一生ありえない。

「慶・・・」

紀沙は今にも泣きそうな顔をした。
見ないふりをして視線をそらした。
紀沙の泣きそうな顔を見たくないっていうより、俺の泣きそうな顔を見られたくなかったんだ。

どうしてこんなことになってしまったんだろう。
どうして紀沙はこんな俺を好きでいてくれるんだろう。
どうして離れてくれないんだろう。

「紀沙・・・帰れ。もう帰れよ」

帰るな、帰るなよ。
ずっと一緒にいてほしい。
たぶん、ここでこうして別れたらもう二度とお互い笑顔を見ることはないと思うんだ。
きっと紀沙はもう俺に近づかずに新しい恋を見つけて幸せになるんだ。
じゃあ俺は?
俺は幸せになれないし、好きな奴を幸せにもできないっていうのか。
そんなの・・・・悲しすぎる。

「うそつきっ・・・」

紀沙が後ろから抱きしめてきた。

「こんなに震えてるくせに!あたしには分かるわよっ」

俺は紀沙のほうを振り向いた。
震えてるのは、自分のほうじゃないか。
紀沙の振るえが体を通して伝わってくる。

守りたい。
けれど、守れない。
複雑な感情が俺の邪魔をするんだ。

「お前には分からない。・・・離せ」
「いや!」

ついにこれまでの怒りや不満、不安や悲しみがともなって溢れ出した。
俺は勢いよく紀沙を振り払った。

「なにが・・・分かるんだよ!絶対的な未来がある紀沙に俺の気持ちなんか分かるわけないだろっ・・・・!!」
「え・・・?」
「いつ死ぬのか分からないのにどうやって医者を目指せって言うんだよ!なんのために大学行かなきゃなんねぇんだよっ・・・・」

紀沙は悪くない。
悪くないのに、開いた口はもう止まらない。
ずっとだれかに言いたかった気持ち、言葉にしたらだめなのに、聞いてもらいたくて仕方ないんだ。

「こんな俺は紀沙を好きでいちゃいけないし、側にいることも許されない・・・」

人を守るってこんなに大変なことなんだ。
好きな奴と一緒にいたいって願うのは、こんなにも苦しいことなのか。
それとも、それは俺だけへの罰なのか。

せめてもっとはやく死んでいたらよかったんだ。
紀沙と付き合う前・・・いや、思いを自覚したその瞬間からこの世からいなくなっていればこんな思いはせずにすんだ。
紀沙にも辛い思いをさせずにすんだ。

だれも望んでいない、俺の未来。

「次発作が起きたら死ぬなんて、そんな暗い未来っ・・・・」
「暗くなんかないよ」

紀沙が俺の手を握る。
俺は、はっとして我に返った。

「慶の未来は慶だけのもので、決して暗くなんかないよ」
「なんで・・・そんなこと言いきれるんだよ」

俺のことは俺が一番分かってる。
生きてたって仕方ないってことも分かってるのに、なんでそんな期待をもたせることを言うんだよ。

「だって、あたしが側にいるんだもん」

パアっと世界が明るくなった。
目を大きく見開いて、紀沙を見つめた。

「紀沙が・・・・」
「そう、あたしが側にいるよ。だから死にたいなんて思わないで」
「思わなくたっていつか勝手に死ぬんだよ・・・」
「そんなことないよ」

笑ってる紀沙の目からは涙。
なんともミスマッチな組み合わせなんだろう。

俺の世界は今、お前だけだ。

「幸せになろうよ、一緒に。昔誓ったでしょう?」
「覚えて・・・たんだ」
「忘れるわけないよ」

どうして俺なんかのために涙を流すんだよ。
そんな優しい涙、俺にはもったいない。
もっと責めてくれよ。
責めて、もっと卑下したって良いんだよ・・・
なのにどうして、どうして紀沙はいつもそうやって・・・

「慶言ってたじゃない。自分のような病気の人を治すために医者になりたいって」
「え・・・」
「そしていつか自分で自分の病気も治したいって」

いつだっただろう。
医者になりたいと願ったのは、もうずっと昔の話だ。
中学にあがる頃にはもう決めていた。

『紀沙、俺医者になるよ』
『本気?すごい苦労するわよ』
『それでも』

紀沙の前で誓ったじゃないか。

『俺みたいに病気を持ってる奴らを少しでも助けたいんだ。そのためならなんだって犠牲にできるよ』

ずっとずっと夢見てた。
半年前から崩れかけてたたった一つの夢。
どうして諦めてしまったんだろう。
どうして捨てようとしてしまったんだろう。

その夢と、紀沙とだけが俺の生きるたった一つの希望だったのに。

希望を捨てようとした俺が一番、バカだ。
それを捨てたら俺にはもう、なんにもない。

「頑張ろうよ。発作だって起きるかどうかなんて分からないじゃない」
「・・・」
「あたしはなにがあってもずっと一緒にいるよ」

ようやく見つけた、心の支え。
言葉は絶対とは言えないけれど、でも絶対だ。
紀沙は約束を破ったことなんか一度もない。

「見えない未来でも、願えばきっと明日が来るよ」
「紀沙・・・っ・・・・・」

言葉にできない思いを胸に、俺は紀沙に抱きついた。
紀沙は黙って優しく受け止めてくれた。
たぶん、だれかに望んでいた。
俺の心の傷を癒してくれるだれかを。
そのだれかなんて、紀沙しかありえないのに。
どうして素直になれなかったんだろう。

「紀沙、俺・・・・」

その瞬間だった。

「うっ・・・・・あ・・・っ・・」

心臓が暴走する。
ドクンドクンと大きな音をたてて俺を襲う。
胸を押さえながら倒れこんだ。

「慶!慶っ・・・!!」
「き・・さ・・・・救急車、呼んでっ・・・」

苦しい・・・
俺、死ぬのか?
夏のあの宣告だと、このまま俺は死ぬことになる。

けど、まだ俺は死ねない。
ようやく掴めたんだ、俺の未来への道。
守らなきゃいけない奴だっているんだ。
これからやらなきゃならないことだって・・・・

どうか、どうか助けてくれ。
神よ・・・・・

***********************************


「ん・・・・」

気がつくと、俺はベッドの上にいた。
真っ白な天井、薬の匂い。
ああ、この感じは何度も味わったことがある。

病院だ。

「慶っ?気がついたのねっ!!」
「紀・・・?」
「そうよ、あたしよ!」

隣には紀沙がいた。
俺の手を懸命に握っている。

「俺・・・・」

ドタバタと廊下を走る音が聞こえた。
そっちに目を向けると、医者や看護士が数人走ってきた。
母さんと父さんは泣いていた。

「慶彦くん、気がついたんだね」
「先生、俺、生きて・・・」
「そうだよ、君は生きた。本当に奇跡的だよ」
「奇跡・・・」

先生が言うには、一命を取り留めたもののいつ目を覚ますか分からないという状態だったらしい。
手術から一週間して俺は目を覚ましたんだ。

「今逝ったら絶対後悔するって思った・・・紀沙、ありがとう」

紀沙のことをずっと思っていた。
紀沙のためにまだ死ねないと、柄にもなく神様に助けてくれと願った。
死の宣告を受けてから半年、ようやく生きることの嬉しさを知った。

紀沙は何度も何度も首を振った。
泣いている顔が目に映る。

「よしぃっ・・・・生きていてくれて、ありがとうっ・・・」

泣いてる紀沙を起き上がって抱きしめることができない代わりに、俺はずっと紀沙の頭をなでた。
この一週間どんな気持ちで待っててくれたんだろうな。
見捨てないでくれて、ありがとう。
ずっと側にいてくれたこと、感謝するよ。

「俺、一人じゃないんだな」
「当たり前でしょ!あたしが・・・ずっといるからね」
「うん」

久しぶりかもしれない、こんな軟らかい笑顔をしたのは。
ふっと体が軽くなるのを感じた。

もうなにも恐れるものはない。

「・・・母さん、俺大学行くよ。昔の俺が目指した医者になるために」

母さんと父さんは嬉しそうにうなずいた。
母さんには八つ当たりしてしまって辛い思いをさせただろうな。
あのまま最後の別れになっていたら、きっと一生後悔するだろうから。

「あれ」

ふと横にある机を見ると、クローバーが置いてあった。
水に浸してあるけど、もう枯れかけている。

「四葉のクローバー・・・・・」

幸せを呼ぶ、クローバーだ。
だれがこんなものを・・・って、こんなことするのは一人しかいないよな。

俺はそのクローバーを取り上げた。
そして、そっと手の中で温めながら言った。

「これ探すのにいっぱい時間かかっただろうな」
「慶のことを思ったらそんなこと全然気にならないよ」
「そっか」

みんなが俺の生還を望んでいてくれた。
俺は死んで良い人間っていうわけじゃなかったんだ。
俺が自分の病気を受け入れられなかっただけで、俺が勝手にもうだめだと思いこんでしまっていたんだ。
だれ一人として、俺という存在を見捨てたわけじゃなかった。
母さんも父さんも医者も看護士も、そして紀沙も・・・・・みんな俺が目を覚ますのを待っててくれた。

生きてる意味って、あったんだ。

だって、ほら前を見てみろよ。
みんなが俺を見てる。
見渡せば、みんなが俺の生還を祝ってるんだ。

「・・・慶、お帰り」
「うん。・・・ただいま」

精一杯微笑んで答えた。
ふと目から涙が出た。
何年ぶりだろう、涙を流すのは。

生きていて良かったって思えたことを嬉しく思う。
もう死にたいだなんて言わない。

「明日が来たんだよ、慶。来ない明日なんて・・・・ないんだよ」

クローバーを見つめて答える。

「ああ」

しおれないでくれてありがとうな。
もしこの葉が枯れてたら、俺は目覚めなかったかもしれない。
そう思うとたった一つのこの葉が、とても偉大に思えてしまう。

「その明日も明後日も、そのあともずっと・・・ずっと、ずっと隣にいたい」
「死ぬまでよ。死ぬまで離れないんだから」
「死んでもだよ」

閉ざしかけていた心。
途方に暮れていた俺の未来への道。

ようやく掴んだ明日という未来。
もっと生きたいと思えた嬉しさ。
守りたいってはじめて思えた。

すべて、すべて君のおかげ。
だから俺は一生をかけて君を守る。
俺を救ってくれた君は、とても尊いものだから。

高3の冬。
たった一つのクローバーが俺に幸せを運んだ。

         fin














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