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この物語はフィクションです。
実際に存在する団体名、役職名などは一切関係ありません。
描写に関してあえて端折ってる部分がありますが
そこは想像で保管してください。



孤高の者
作:馬路キレ子


静けさに包まれた住宅地の真ん中を、列車がガタンゴトンと音を立てて走る。
我輩は冷たい電柱に横たわりながら、遠くから聞こえる人間の笑い声、
親子が喧々と騒ぎたてるような家族団欒の声、とても幸せそうだ。
我輩は寒空の中、電柱は寒すぎると思い、ある場所に向かった。
二階建てのボロい安アパートの近くにある、ダンボールの置かれている場所だ。

ボロアパートの中から人間の「寒い」「寒い」という声が聞こえる。
何を言っているのだ、我輩よりも厚い毛皮をかぶり、
我輩よりも毛深い帽子をかぶり、毛皮の中には温いカイロとかいうものをつけて、
彼等の部屋は入ったことはないが、我輩の仲間から聞くに『エアコン』とか、『ストーブ』とかいうものでまるで夏のような暖かさらしいじゃないか。
それを何が言うに事欠いて寒いだ!まったく人間というものは贅沢だな!

ダンボールの場所まで行くのには少し時間がかかった。
我輩が年老いてるせいもあるが、とにかく外が寒すぎた。
我輩の茶色と白色の手足はかじかみ、目の前は霞みがかって見えやしない。
道路は冷気で冷たく、たまに出会う人間達の吐く息は白く、白く…
うん?雪が降ってきたのか、どうりで寒いはずだ、まったく寒い。
目印となっている光を出す街頭のライトも今日ばかりは弱弱しく感じる。

そうか冬だ。冬が来たのか。
我輩の最も嫌いな冬が来たのだ。

ダンボール置き場まで向かうと先客が居た。
三丁目で幅を利かせているタマとか言う奴だ。

「おいじいさん!タマさんの縄張りになんのようだ!」

「最近の若者は口の聞き方を知らんな。いつからここはお前さんがたの縄張りになったんじゃ。我輩は五丁目の頭目、キャッティさんの紹介でここをしきっている者だが…」

キャッティというのは白黒のデカい体をもつ野良猫のボスみたいな奴で
強さにおいて右の者なしといわれ、この町の頭目のような存在であった。
我輩はそのキャッティに一目置かれた老猫であり、猫界の影響力も強かった。

「な、なんだとジジイ!あのキャッティさんの…ど、どうしますタマさん!」

「ケッ、キャッティだと?かまうめえ。おいジイさん、よく覚えておきな、この俺がここら一帯の次期ボスになるタマよ。今のうちに尻尾をふっておくんだな」

「お前さんが次期ボス?」

あたりをしきっているボス猫には逆らわないのが猫界の掟、
その掟を破りたかったら力で破るのがボス猫としての資格である。
だがキャッティは子分たちの面倒見もよく、力においてはここら一帯の
野良どもが五、六匹かかっても負けるはずはない。
最近はルールも守れない若い野良達が出てきて、まったく困ったもんだ。

「若い時には無茶を言うもんだ。今の話は聞かなかった事にしよう。さあ、キャッティさんの耳に入らないうちにそこを退くんだお若いの」

「だまれジジイ!」

そういうとタマは血相をかえて我輩に飛び掛ってきた。
我輩はこういう時、ケンカをしない。
弱い自分の老体がいくら頑張っても若い肉体には負ける。
勝てないケンカをすることの無意味さを知っているからだ。
ただ、逃げるのは性に会わない。
だから相手をジッと見つめて仁王立ちをする。
そうすることによって、相手に無言の抵抗をしかけるのだ。

簡単なことだ。
背筋をピンと立たせ岩のように動かない事と、
痛みに耐えるくらい強い意思さえあれば、なんてことはない。
ようは我慢比べだ。
だいたい勝手に相手が、うんともすんとも言わない我輩を
なぶるのに飽きてそこから居なくなってしまう。

「ケッ!じじいのくせにでしゃばりやがって!おまえら行くぞ!」

「へ、へい…」

終わったか。タマたちは捨て台詞を吐いてどこかへいってしまった。
若い者は力はあるが、大人の猫のように殺すほどの執拗さがたりないから、
痛めつけ方も半端で、残る痛みも瞬間的なものが多くて楽でいい。


いつもどおり、我慢比べに勝った我輩は、
さっきまでタマが座っていて温さが残るダンボールへとヨロヨロと
おぼつかない足取りでよじ登り、乱れた毛の毛繕いと傷ついた傷口を
一生懸命なめまわした。

深くはない傷だが、ところどころ噛まれたり爪で切り裂かれたりして
やはり冬場に老体の体に鞭を打って傷口をなめるのは意思がゆらぐほど痛い。

ダンボール置き場の上には屋根がついており、雪をはけるにもちょうどいい。
今晩はここで一夜を明かそう。

「今日も随分やられたね。大丈夫かい?」

なめている最中に聞いたような野良の声。
誰かと思ってみてみたら、ボス猫のキャッティじゃないか。

「我輩は丈夫である。キャッティさんこそこの寒空の中どうしたのかね」

「いや、君が三丁目のタマの連中にやられていることを知らせてくれた猫が居てね。駆けつけたんだが…どうやらすでに終わっていたみたいだね」

「若い者はすぐ暴力に走る。話しをしようとしてもすぐこれだから困る」

「ははは、君の生き方は気高くて孤高だからね。きっと嫉妬を買ったんだろう。同じ猫としてそうありたいと思うよ」

そういうとキャッティさんはダンボールの上にのぼって
どこから持ってきたかわからないが、秋刀魚の肉と骨のついた
人間たちの食べ残しを我輩に差し出した。

「いつもすまないねキャッティさん」

「いやいいんだ。君のような存在がいてくれるから、この町内の猫達も立派に野良をやっているんだよ」

「そういわれると我輩も少し照れるな」

「隣、いいかい?」

「どうぞどうぞ、我輩も傷口の痛みに少々嫌気がさしていたところだ。話し相手がいたほうがいい」

ズムリ…平たく積まれたダンボールの上にキャッティさんが乗ると
やはり普通の野良よりも重たいらしく、ダンボールは沈んでいく。
キャッティさんは雪のふる空を見上げて、まるで「食べろよ」と
いわんばかりに秋刀魚を我輩に向けてくる。

「空が綺麗だからかな?人間達の食べ残しも豪勢だよ」

「我輩のように長年生きているとわかるが、今日は人間たちの特別な日のようだ」

「特別な日?」

「道端で聞いたが、どこかの偉い人間の誕生日らしい」

「偉い人の誕生日か…へえ、その人は何をやったの?」

「さあ…そこまではわからないが、とにかく人間達はこの日になるとどこでも楽しそうに振舞うな」

「人間達に幸せでも、僕達には幸せな日かな?」

「幸せだな」

「どうして?」

「我輩たちの食い扶持が豪華になる」

「そりゃいいや」

我輩はキャッティの持ってきた物には一切手をつけずにいた。
気を使っているわけではない、最近歳のせいか食欲が余り無いのだ。
キャッティはそれを知らずかまた「食べないの?」といわんばかりに
我輩を見つめる。

我輩は「キャッティさんが食べればいい」と一言言って秋刀魚を彼に差し出した。

キャッティはなんとなく気まずそうに秋刀魚をガツガツと食べた。
彼はお腹がすいていたのに、自分の分をさしおいて我輩に餌を持ってきたのか。

不思議なものだ。
この猫の世界に年功序列の掟は無いというのに、
なぜ我輩のようなひ弱な老猫に、キャッティは目をかけてくれるのだろうか。
野良として同胞がどんどん死ぬ中、生きていくのも大変なのに
キャッティは率先して我輩に施しを持ってくる。

「どうしてキャッティさんは、我輩のような老猫に良くしてくれるのだ?」

我輩は、ついにその不思議を質問にして彼に投げかけた。

「どうして?君のような孤高の者になりたいからさ」

「孤高?」

キャッティは一度、我輩の顔を見るとキッと整った眉毛をひそめ
ピンッと張った白いヒゲを鼻を使ってピクピクと動かし、
再び雪の降る空を見上げた。

「君は孤高だよ。初めて僕がこの町内に入って君に会った日の事は覚えているかい?君は二丁目の野良にやられて傷だらけだったが、誰に情けをかけられるでもなく、立派に堂々と歩いていた」

「あの頃は若かったし、ただ負けて悔しかっただけさ」

「それに君は人間から餌をもらわないね。多くの野良達が人間達の甘い餌に釣られて食べてしまうというのに、あくまで自分が探し出して持ってきた物だけを食べる」

「空腹で目の前に餌をぶらさげられても気づかない愚か者さ」

「そして君は群れない。僕のように多くの野良達を統括することも、さして親しい友達も作らず、孤独に一人で、群れないで生きていられる。僕ならその孤高に耐えられないだろう」

「年寄り猫にひっついても何の利益もない事を良く知っているからさ。キャッティさんのように人気もあって強い野良にはなれないよ」


キャッティは空を見上げならがら首を横に振った。


「僕は強くなんかないよ」


我輩はキャッティの言っている意味がよくわからなかった。
ただ野良に生きて、ただ野良に死ぬ。
それのどこが強いのだろうか。

我輩はキャッティと話す中、急に眠くなる自分の体に耐えられず
思わず寝てしまった。


「おや、寝てしまったのかい。じゃあ僕も失礼するよ…」



寒い、寒い。
長い、長い。
そんな夜が明けた。
キーンと張り詰めたような朝がやってくる。

うん?おや?これはどうしたことだ。
朝だというのにまったく寒くない。
不思議だ、昨日やられた痛みも抜けている。
それにどうしたことだ、体は飛ぶように軽いし、
心は若かった頃を思い出すように弾んでいる。

そして、青々とした空に我輩は浮き上がっていく感じがした。
遠くに見える雲の切れ目の前でキャッティさんの声が聞こえた。


「最期まで孤高の者だったね…君は」


ニコッと笑うキャッティさんの笑顔は何故だか悲しげで、
我輩はそれを遠くの空で見つめて、実に不思議な気分を味わっていた。
だが、寒空の下でぽつんと聞こえたキャッティさんの言葉と、
霜焼けたように赤くなった彼の泣きはらした笑顔を見て、
我輩は孤高の者という言葉に何故だか恥ずかしいような、
むず痒いものと、心満ち足りるような暖かい物を感じながら、
陽光が射しぬける、雲の遠く、遠くへと飛んでいった―














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