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プラネタリウムのマドンナ

作者:雨宮れん
家から自転車で行ける図書館。

そこに併設されているプラネタリウムは、中学生は二百円で入場することができる。
小学生なら百円だ。
聡がプラネタリウムに入ったのは、星が好きだったからではない。
始まったばかりの夏休み、家で勉強するのは集中力が持たない。

そのために向かった図書館の自習室が満席だったこと。
たまたまポケットの中に小銭を持っていたこと。
この二つの理由が重ならなかったら、家に帰っていただろう。
自転車をこげばすぐといっても、照りつける太陽の下を走ってきてまたすぐ戻るのはつらい。

プラネタリウムの中は冷房もきいている。
一時間、涼んでから帰ろうと聡は思った。
二百円でチケットを買って、聡はプラネタリウムの席に滑り込み、大きく息をついて、足を組む。
椅子によりかかると、天井を見上げやすいように背もたれが少し倒れた。

丸い天井を見上げる。
映写機はまだそこに何も映し出してはいない。
上映の合図が鳴った。
ナレーターの声が流れる。


『本日は当プラネタリウムをご利用いただきまして、ありがとうございます』


聡は椅子の上でとびあがりそうになった。
なんてきれいな声なんだろう、と。
女性にしては少し低め、それでもよく通る。
チェロのようなゆったりとした響きは、どこかなつかしさを感じさせた。
『本日ご案内させていただきますのは、佐上祥子です』
日没の景色が映し出され、場内いっぱいに夕焼けが広がる。
太陽が完全に沈むと、月がのぼり、星が天井をおおった。

『月の光を消すと、こんなにすごい星空なんですよ』

ナレーターの声と同時に月の光が消える。
そこにあるのは、満天の星空。
天の川が天井を横切っている。
『これだけ星が見えると星座がわかりにくいですから、星も消してしまいましょう』
今度は、主な星だけが天井に残ることだけを許される。
夏の星座の説明、ペルセウス座流星群と上映プログラムは順を追って進んでいく。

一時間の上映時間の間、聡はひたすら声に耳を傾けていた。
場内が明るくなると、一番に会場を飛び出た。
冷房の効いた室内なのに、頬が熱い。
なんだろう、この感じ。
聡は、落ち着こうと何度も深呼吸する。

ふと、出たところにある掲示板に目が止まった。
プラネタリウムの上映プログラムが、張られている。
その隣にカレンダーがあった。
そこに並ぶ名前は、ナレーターの出演予定だった。

三人いるナレーターはボランティアで、休日だけプラネタリウムの解説をしているらしい。
佐上祥子の名前は、月に二回。
土曜日に一回と、日曜日に一回。
次の予定は来月だった。

また、来てみようかな。
そう思った聡は、祥子の出演予定をノートのはじっこにメモしておいた。

高校受験とはいえ、それなりに進学校を受験しようと思ったら、夏から勉強にいそしまなければならない。
入学以来続けていたバスケット部を引退した後は、ひたすら勉強の毎日。
親は、将来のため勉強しなさいと当たり前のように言うけれど、何を勉強したらいいのかもわからない。
将来っていったい何ができるんだろう?
そんな疑問も、ただ問題集を解く日々の中では置き去りにされてしまう。

図書館と家を往復しつつ、聡は次のプラネタリウムを楽しみにしていた。
中学生が癒しをもとめるなんて、大人から見たらおかしいかもしれない。
でも。
勉強勉強と言われる毎日の中、祥子の声はたしかに聡を癒してくれた。
八月、予定通り祥子がナレーターをつとめた。
今度は月の話がメイン。翌月は、中秋の名月がひかえているからだ。
月に見える模様は日本ではもちをつく兎だけれど、外国ではこんな風に見える、と月の海に線を重ねて説明してくれた。
今回も聡は次回の祥子の出演予定をメモして帰った。
こうして、聡は月に二回、プラネタリウムに通うようになった。
受験勉強の合間に、祥子の声を聞くために。
ついでのように星にまつわる話にも詳しくなった。

祥子さんってどんな人なんだろう。
ボランティアをしているくらいだから、きっと自分よりは大人だろう。
秋になる頃には、聡は祥子のことが気になるようになっていた。
きっと相手にされないだろうな。
そんなことを思いながら夜空を見上げて、祥子が教えてくれたギリシャ神話の人物を探してみたりもした。

それぞれの人物についてもっと知りたくなり、図書館に行ったついでに、ギリシャ神話の本を借りてみたら面白くて何冊かむさぼるように読んでみた。
親の目を盗んでしし座流星群も見た。
結局流れ星は、二つしか見つけられなかったけれど。
風が冷たくなる頃には、毎日学校から帰る時、空の星をあれこれとつないで星座をつないでみるようになっていた。

十二月、クリスマスも間近な頃。
二月の受験が終わるまでは、さすがにプラネタリウムには来られないだろうと思った聡は、小さな花束を買った。
年上の女性に何を贈ったら喜ばれるかなんてわからない。
「花をもらって喜ばない女の子はいない」
と、クラスの女子が力説していたのを、思い出したからだった。

いつものように、祥子の声が場内に流れる。
冬の星座を解説する声にも、聡は上の空だった。
この上映が終わったら、初めて祥子に会うのだ。
いつもは、上映が終わったら逃げるように会場を後にしていたから、顔を見たことはない。
どんな人なんだろう?
上映が終わったあと、自分が一番最後なのを確認して聡はプラネタリウムを出た。
入り口の前で、掲示板をながめているふりをしながら待つ。

しばらく待つと、一人の女性が出てきた。
白のシャツ、灰色のカーディガン、茶色のパンツ。
手にバインダーを持っている。
声をかけようとして、聡はとまった。
明らかに彼女は、自分の母親と同じくらいの年齢だったからだ。
自分が最後の客だったのだから、出てくるのは佐上祥子以外にありえない。

けれど。
あんなに綺麗な声の持ち主が、こんな年齢だなんて聡には信じられなかった。
「どうかしたのかしら?」
彼女の声、間違えようがない。
「あ……あの」
からからに乾いた唇を舌でしめらせて、聡は手にした花束を突き出した。
「ぼ、僕あなたのフフ…ファンですっ」
「あら、こんなおばさんなのに?」
くすりと笑う顔は、若い頃はさぞやもてたであろうと思わされるほど可愛らしかった。

「はいっ!僕、星が好きになりました!」
必要以上に大きな声に、通りすがりの人がふり返る。
そんなことも気がつく余裕がなかった。
「私も、好きよ。ボランティアしているくらいだもの」
そういって、祥子は花束を受け取ってくれた。
「ありがとう」
その声に、聡はほっとする。
そのまま聡は話し始めていた。

いつもは重い口が、別人の口のように軽い。
受験が近いこと。
バスケットをやめてから目標が見出せなかったこと。
たまたま入ったプラネタリウムで聞いた祥子の声が気になったこと。
勉強がつらいこと。
でも、星のことはもっと知りたくなったこと。
ギリシャ神話の本を借りて読んだこと。
大学は、天文学を勉強できるところに行きたくなったこと。
思いつくままにしゃべった。

「受験が終わったら、またきます」
一方的な宣言だったのに。
「頑張ってね。よかったら、結果聞かせてくれる?」
祥子は、優しい微笑を顔から消そうとはしなかった。
その微笑が、慈愛に満ちた聖母のものに感じられたのは聡だけだったかもしれない。
けれど、将来の目標さえ見えなかった聡が、少しだけ未来に意義を見出せたのは。
この場所があったからだった。


あれから十年。
聡は母校で理科の教師になった。
学生たちに授業を行う一方で、暇を見つけては天体観測を続けている。
彗星を発見し、名前をつけてもらうことを夢見て。
祥子がナレーターをつとめる日は、予定がない限りプラネタリウムを訪れることにしている。
終わったあと、少しだけ話をする。
十年の間に、二人の間には友情、と呼べるものが芽生えていた。
そして、それは聡にとってとても大切な時間だった。
星が好きになったのも。
天体を勉強したいと思ったのも。
原点は、このプラネタリウムだったから。

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