―この世の終わりは…ゆで卵と焦げたト―ストの味がした……
――この世の終わりは……ゆで卵と焦げたト―ストの味がした……
――日和みの章:聖筆――
一、アメノワカヒコ
チチチ……チュンチュンチュン……
眩しい光、小鳥たちのさえずり……陽の光が瞼を射る。
「ん………」キシ………
竹の籠で編んだ枠は小さく揺れ、目の上に手をかざし朝の光を感じ取る。
「ん………あぁ………」それは寝返りを打った………
眠い………あぁ、まだいいだろう。もう少し………この安らぎを味わいたい。んん………
再び静かに睡魔が襲い、とろり………意識が溶けていく。心地良い時間だ。
コツコツ………コツコツコツ。(あぁ………またか)
「ワカ様………」コツコツコツ………「ワカ様」「………」ガンガンガン………
「ワカ様、アメノワカヒコ様………サグメでございます。お目覚めですかぁ〜アマテラスが様………」
「ふ〜」それはしぶしぶ起き上がり、名残惜しそうに暖かな寝床から這い上がる。
「よい。わかった。すぐに参る。アマテラス様にそう………」
外にいる者にそれだけを伝え、う〜ん。一つ伸びをしてぼんやりとした頭で部屋を見渡す。
さほど広くもないその部屋は陽の光に満ちている。寝床の横の明り取りの為に開けた窓に寄り、シャッ。麻で編んだ布を脇によける。
(ああ、いい天気だ)それは大きく手を広げ歌うように声高らかに告げる。
「我の元に集いなさい。我は日の神、アマテラスの息子。我の身支度を手伝いなさい。愛らしき神々よ」
「おはようございます。アメノワカヒコ様………」「ああ、今日もお美しい………」
「ふふふ………ワカ様………」
小さな神たちはその者に集い身支度を整える。長い黒髪を櫛ですき、角髪を結い、衣服を整え、勾玉を磨き、腕輪をかけ、
大きな鏡に映ったその姿は凛々しく美しいアマテラスの御子。
アメノワカヒコ(天上の若い男児)………
その美貌は群を抜いていた。輝くような美しさを持っている。いつも穏やかな笑顔を絶やさず誰にでも優しく接する神。だが………ここの所この穏やかな神にも苛立ちが現れている。それはこの神にのみ現れているものではなく、すべての神々の表情を変えている。
「ああ、兄上様………一体どうしてしまわれたのだろう………」
ワカヒコはぼんやりと鏡を見ながら、一人地上に降りた兄神のことを思いやる。
「ワカ様、支度が整いましてございます。」小さな神々は耳元で囁きかける。
「いかが?ワカ様、貴方がかけておられるアマテラス様の御霊の宿る勾玉でさえも、色あせて 見えてしまうようでございます。」「ほんとうに」「うっとりしてしまいますわ」
「ああ,ありがとう。皆のおかげだよ」そういってワカヒコはにっこりと笑う。
「うん、皆に礼をしなくてはな。さぁ、皆此処へ………」
小さな神々はアメノワカヒコの傍に寄ってくる。手の平を上に向けて「おいで」と優しく語りかける。
小さな神々はくすくすと楽しそうに笑いあい、アメノワカヒコの手の平に並んだ。
「何かしら」「うふふ,お礼ですってよ………」「ああ、ありがたい………」「アメノワカヒコ様………」可愛らしい神々は期待にうっすらと頬を染める。
アメノワカヒコは手の平をそっと己の顔の位置まで上げて、
「あなにやし 清き御霊のたま主は 吾が魂の救いなるかな」(本当に清らかな魂の者達はこの未熟である私の魂を救い、助けてくれるものであるよ。)と囁いて、一人ひとりに優しく、くちづける。
ふわり………アメノワカヒコの手の平から白い靄が立ち上り、見る見るうちに大きくなって小さな部屋を覆いつくした。静寂。
チチチ………鳥の声が遠く聴こえる。暖かな日の光が部屋を満たす。
アメノワカヒコはただ黙って佇んでいる。温かい笑顔を美しい顔に浮かべて。
白い靄が薄れていく。小さな部屋そこに………幾つかの人影が現れる。清らかな乙女達………頭の上で緩やかに輪を作った長い髪を背に流し、薄桃色の着物を纏い、それぞれに違った色の勾玉を首と手に巻き、柔らかく透けるような白い領布を肩に纏って。
天女………小さな神々は天女となって現れた………
(わぁ………)天女たちは互いの姿を見て感嘆の声を上げる。
くすくすくす、お礼ですって。うふふ、素敵なお礼ね。わぁ………私達、なんか素敵よ。とてもとても嬉しそうに………
「さあ、行きなさい。それぞれに楽しく過ごすが良い。そなたらは我の待女となって仕えなさい。良いね。」アメノワカヒコは優しい笑顔で窓を開け放つ。
お行き………我が呼んだ時には来ておくれよ………
(はい。アメノワカヒコ様)(はい。主様)(ありがとうございます、ワカヒコ様)
ふふ………くすくすくす………天女達は嬉しげに笑いながら部屋を出て行く。温かい笑顔でそれを見送ったアメノワカヒコは再び視線を部屋へと戻し………
「はあぁぁぁっ」と大きくため息をついた。
「アマテラス様は………一体我に、何をお望みなのであろう………」
*
がやがやがや………「………であるからして………豊葦原の中津国におけるオオクニヌシのなせる事は………」
「なんとしても我らこの高天原の神によって葦原の中津国を治めていかなくては、あの様々な悪しき魂と精霊達がざわめく地の国は、成り立ちはいたしますまい。人選を誤ったのではありませぬか?アメノホヒ様は心が優しすぎる。どうせ上手い事丸め込まれたに違いない。あの、オクニヌシに………」
「! 我が息子を侮辱するか! あれはわらわの物実より生まれた息子。スサノヲとの誓約によって生まれた神聖なる神である。丸めこまれるなぞ………」
「ですが、事実戻られぬではありませんか………」「ああ………」
連日幾度となく繰り返されている論議………
木の香り漂う神聖な社。ここはアマテラス様のお住まいに程近い、神聖なる会議の間である。きれいに組み込まれた床は寸分の隙間もなく、重厚な造りである。これだけ大勢の神々が一堂に集っても、ミシ。ともいわない。逆に胡坐をかいて座っている床から神聖な気が流れ込んでくるような力強さがある。
「あの………この話、いつになったら解決されるんでしょうね?」
アメノワカヒコの隣に座った若い神はたずねる。
「ああ、さてな………地の国のことはわからぬことが多すぎて、推測でしか語られないから。だからこそ兄上が降り立たれたのだが、その兄上が戻ってこられないとなるとやはりまた誰か が降り立つ事になるのだろうな」
ワカヒコはそう答え、隣の若い神に視線を投げて、しかしな………と眉を曇らせる。
「サルメ、お前………今日はアマテラス様の召集のかかった会議だぞ? ちょっと、派手じゃないか………」
ん? そうですか? その若い神は少し首をかしげ、ぐるりと辺りを見渡した。
ここ天上界を仕切っているのは言わずもがなのアマテラス。その直々の召集の会議の場という事は、結構厳粛なものである。天上界の神々は髪に櫛をさし、勾玉、腕輪、首飾りなどの装身具を常につけている。それは霊力の化身であり、また魔よけでもあり、高貴な神である証でもある。だが天上界の神々はとても質素であり、余り派手なものは身につけない。女神達もそうだ。祭りの時などは着飾るが、普段は淡い色のものが多く、装身具などもいたってシンプルなものである。ことに公の場となればなおの事………今日は女神達でさえ、白いものを召している。なのに………
「そうですかぁ? 皆が地味過ぎるのでは? 私はいつもと変わりませんが………」
両手を広げて自分の服を見る。サラサラ………衣擦れの音。ジャラジャラ………装身具の音。
「………サルメ動くな。………うるさい」
周りの神々の視線が集まり、眉を上げて無言の圧力をかける。(静かに!)と。
うふふ………衣の袖で口元を隠し、首をすくめて少し赤みを帯びた茶色の瞳が悪戯っぽく笑う。すると周りの者達は恥ずかしそうに下を向いてしまう………サルメ………これは芸能の神。アマテラス様の天の岩戸の一件で、舞いを舞って岩戸を開けさせたアメノウズメの息子である。他の男神たちのように角髪も結わず、きらびやかな布を額に巻き、サラサラの長髪を背に流している。幾重にも重ねた色とりどりの上衣。下は、いわゆるズボンみたいなものだが、普通はゆったりとしたものであるのが、この芸能の神は脚の線がそのまま見える、今で言うスパッツのようなものをはいている。いつもははいていないことが多い。が………さすがに今日は、はいている。これを纏っているだけでも、彼にとっては正装に近いのだろう。
実に破天荒な感じを受けるが、実に見事に似合っている。質素で堅実な者の多いここで、彼は異端児に見えるが………その舞は実に美しく、神々の心を奪う。華奢でしなやかな体躯。色白で細い線。端正な顔立ち抱………抱き締めたら折れてしまいそうなたおやかな神は、そこらの女神達よりもずっと艶っぽい。妖艶な瞳、艶やかな唇は、女神も男神もわけ隔てなく魅了する。この神が舞い始めて神がかりとなったときには、一枚一枚服を脱ぎ始める。すべての者達が興奮の渦に呑み込まれその舞の虜となってしまう。(あれが欲しい!)皆一様にそう思っている。そして………
「サルメよ………わらわの話を聞いておるのかな? そなたは、今日はわらわのために来てくれたのであろう? そなたの舞で、大切な息子の安否を占って貰おう。皆も心が疲れておろう。よいな?」
「はい。アマテラス様。勿論、そのつもりで参りました。後ほど………」
にっこりと如才なく笑う。この舞の神は実に如才ない。へつらう事もなく、媚びる事もない。いつも自然体であり、一見気儘に見えるのだが、相手を捕らえて離さず、そつがない。恋多き神である。そしてこの恋多き神のただ今狙っている獲物………
「ワカヒコ様? 私は貴方のために舞います。しっかりと見ていてくださいね?」
横目で少し睨むように言い放つ………
「ああ………」ワカヒコは思わず右手を額に当てて、(がっくり)のポ―ズをとってしまう。
(こいつ何で我なんだ………)
*
「おやすみなさい、ワカヒコ様」あぁ、おやすみ………
ワカヒコは一人家路についていた。ワカヒコの親衛隊とも言うべき女神達をそれぞれの家に送り届け、興奮冷めやらぬままに、少し顔を高潮させて………
「ああ夜風が心地良い………」
サルメは素晴らしい舞い手だ。魂を揺さぶるような舞は、まだ胸の鼓動を煽っている。この興奮を冷ますのに丁度いい少し冷たく頬をなでる風は………ワカヒコの少し前で止まった。
「ん?」「ワカヒコ様………いかが? 私の舞は………堪能していただけましたか?」
いまだくっきりと頭の中に残っている激しく美しい舞いの………その舞手が目の前にいる。美しく白い肌を高揚させうっすらと汗ばんでいる。端正なかんばせは桃色に染まり、息が荒い。これもまた、いまだ興奮冷めやらぬ状態なのだろう。ふわり………
華奢な体がワカヒコの胸に倒れこんでくる。線の細い肩は少し震えていた。それがとても冷たく感じられて、ワカヒコは肩にかけていた布をかけてやる。
「うん。素晴らしかったよサルメ、お前ほどの舞手は他におらぬであろうね。」
「ありがとうございます。」
サルメはワカヒコの腕の中でそう答える。(いいえそんな事はありません。我が母君には、かないませぬ………)
「疲れたであろう? 寒くはないか? 少し休むか?」ワカヒコは優しくたずねる。
「はい。もしよろしければしばしこのまま………貴方の腕の中はとても………居心地がいい」
どれだけたったであろう………我はずっと此処にいる。胸にサルメの鼓動を感じながら………
「サルメ、おい、サルメ………」すぅすぅと寝息を立ててサルメは眠ってしまっていた。
(ふふふ………)サルメの肩にかけてやった布をそっと包み込むようにかけなおし、腕の中の舞の神を見つめる。純真な寝顔………子供のように無防備だ。ただ疲れきって、安心しきって眠っている。真っ赤な唇が官能的に薄く開いている。そこから聞こえるのは甘い吐息………ではなく、無垢な子供のような寝息………
「………これはほんとに面白い奴だな………」
ドキッとするほど官能的かと思えば、無防備な子供のようにあどけない。
「一体我に、どうしろというのだ?」困ったものだ。そして悩みはもう一つ………
◇
「うぉぉぉっ〜」「素晴らしい!」パチパチパチ………ピィ―………
大喝采を浴びて舞の神は頭を垂れた。しっとりと濡れた薄絹を纏いアマテラスに向かってこう告げる………
「私に下った神のお告げは………」
サルメは天を仰ぎ、大きく両手を挙げ、凛とした声で語る。
「地の国オオクニヌシ………其は大いなる御霊………混沌たる地の国におき、様々な迫害を受け入れし者なり。そしてまた根の国へと渡り、スサノヲの試練を受け、それらをすべて克したる魂なり。オオナムチもってオオクニヌシとならん。其はスサノヲも認めたる者………高天原より下りし使者はアマテラスの御子………もってアメノホヒ。其はオオクニヌシの虜となりて永久に帰らず。オオクニヌシは魔性の者なり。ことごとく魅了し、惹きつける者なり………スクナヒコもまた然り。共に国作りを成し遂げん。よって葦原の中津国、オオクニヌシの物とならん………」
おおおお………なんて事だ。まさかそんな事が………あれは高天原が支配すべきもの………葦原の中津国は我ら高天原の統治下におくべきもの。アマテラス様の御子が総べるべきもの………そうだ! そうだ!
あちこちで上がる反対の声。舞によってすっかり興奮した者達は収集がつかないくらいに騒ぎ出す………
「もはや話し合いなどと流暢な事はいっておれまい。武力でねじ伏せるのだ! 我ら高天原の力を見せてやれ!」「おうっ」
先ほどまでの静かな会議が嘘のように会議の間は熱気に溢れている。
(ふふふ………私の思い通りですね………)サルメは一人にんまりと笑う………
アマテラスは頭を抱え、静かに問う。
「サルメ、それで? あとは?」
「はい。皆様のおっしゃるとおり………偉大なるアマテラスの力を………と。今後幾人かの使者を出しても同じ事。すべて戻らず御子はオオクニのものに。しからば目に物を見せてやるべしと」
「攻めるのか? わらわは出来るだけそれは避けたいのだが………」
「すべての御子を失う事となりましょう。よろしいのですか?」
「あぁ………わらわの大切な御子たち………して、いかがいたせと?」
「天の鑚火玉を………」
「なにっ! あれはならぬ。折角の大地が………」
アマテラスを始めタカミムスビ、アメノコヤネ、イシコリドメ………主たる神々は息を呑む。天の鑚火玉………それは禁忌………イザナギ、イザナミの作り出した大地を一瞬にして消滅させてしまう::高天原の最終兵器………
「ならぬよ。それだけは………折角此処まで来たんだ。やっと地の国がまとまり始めているのに………」
「いいえ、ご心配なく。ほんの少しでよろしいでしょう。高天原の威光を見せてやるだけ………多少農耕の被害は出ましょうが………仕方ありますまい。そして、アメノワカヒコ様を………」「なにっ? ワカヒコをか?」
「はい。ワカヒコ様が一番と………わたしがお供いたします。このサルメ、命に代えてもワカヒコ様をお守りいたします」
「………主がか、それも?」
「はい。舞の神を共に………そう。オオクニヌシは魔性の者。私の舞いでワカヒコ様をお守りいたしましょう」
サルメはゆったりとお辞儀をして、床にひれ伏した。
「ああ、やはりワカヒコであったか………」
アマテラスは苦悩の色を隠せない。大切な息子。清らかで美しいワカヒコはアマテラスのお気に入りであった。アメノワカヒコの父はアマツクニタマ。「天にいる国土の魂」である。オオクニヌシは「地上の国土の魂」よって、神々は次の使者に若く美しい、アメノワカヒコをと望んでいた。が………アマテラスは手放したくなかったのである。がため、日々繰り返される会議となっていた。ワカヒコは気付いていた。自分に白羽の矢が立つことを………
だが、母アマテラスはそれを躊躇していた。
「何故?」素直な魂はそれを不安に思っている。
「我では役不足なのであろうか………母上様は我を信頼しておられぬのか?」
若く希望に燃える息子に母の愛は届かない………ワカヒコの苛立ちの一つはそれであった。
「ならば………仕方あるまい。舞の神に降りた託宣………違う事はあるまい。皆、異存はないな?」「はい。アマテラス様。」神々はひれ伏した。本当は皆ほっとしている。やっとアマテラス様の決断が下ったと。
「よろしい。後は任せたぞ。サルメ。アメノワカヒコ!」
「はい。ここに………アマテラス様」
「任務を下す。わらわの名の元に地の国に降り立ち、オオクニヌシを従え、葦原の中津国を治めよ! 天の真鹿児弓と天の羽羽矢を与える。それを以って地の国は高天原の支配下にあると伝えよ」
「はい。御意に………」
アメノワカヒコは床にひれ伏した。
地の国に降りる。それはいい。わかっていた事だ。が………天の鑚火玉………あれは危険だ。いいのだろうか………テラの破壊。それがあれの持つ力だ。
◇
「ん………ううん………」
「目が覚めたか?」サルメはワカヒコの腕の中で身じろぎする。
「ああ、私としたことが:::」
サルメはすまなそうにワカヒコの瞳を見上げる。
「ごめんなさい。つき合わせてしまって………本当に………」「ああ、良いよ」
「………」二人は見つめ合っている。
(ああ………なんて美しいんでしょう。わたしのワカヒコ様………これからずっと一緒ですよ。うふふ………我ながらいい考えです。この方を私のものに………「あれ」の為にはこの方が必要。私は是非ともこの方の心を奪わねばなりません。さぁ、私に口づけて………)
サルメの瞳がとろりとした熱を帯びる………
(なんとも複雑な心境だな………これは不思議な魅力を持っている)
此処天上界はいつも清らかで静か。アマテラスの大切な御子であるアメノワカヒコは厳粛に育てられた。穏やかで優しい神、激しい感情など見せた事はない。だが、本当は持っているのだ。心の奥底に………強く輝く抑えられた感情。何なのかは自分でもわからない。そして、「それ」は誰もが持っているものなのだとも………時々に名を変えるその感情は、命ある者の中に必ず潜んでいる物。
天上界の神々達は、一様にそれを「ある場所」に封じ込まれている。だがそれでも全てを取り除く事はできず、僅かにそれぞれの心の奥底に残っている。
ワカヒコがその感情に初めて気がついたのがこのサルメの舞いを見たときだった。心をわしづかみにされ、ゆさゆさと揺さぶられるような想い………沸々と湧き上がる興奮。今までの自分が嘘であったかのような高揚感………
「本当の我は此処にいる!」そう叫びたい心境だった。それが舞いのせいだけでなく、このサルメ自身が持っているものだということに気付いた。
(これを見ていると何故か心が騒ぐ。我は常に冷静でおらねばならぬというのに………)
ふっ。とワカヒコの瞳はゆるみ………サルメの頬にそっと触れる。静かに顔を近づけて………
サラ………額の髪を唇でよけながら、優しく当てる。
(あ………)
サルメは目を見開いたまま、その瞳には悔しさと嬉しさが宿っている。
(ん、もう………またはぐらかされましたね………)
それでも嬉しそうに瞳を閉じる。
(我は、これの唇にふれたい………だが、其れは危険だ。我は我を失ってしまうような………)震える手でサルメの肩をそっと起こし、
「さぁ、帰ろう」というのがやっとだった。
立ち上がった瞬間、サルメはふらりとよろめいた。
大丈夫か? はい。おぶってやろうか?………お姫様抱っこがいいです。………もうすぐだ。歩いてくれ………うふふふ………
がさっ。今まで二人のいた場所の後ろの木陰から人影が現れる。
「サルメ、随分と余裕だな。本当にやる気なのであろうね? どうやってあれを手に入れるつもりなのか………情報を流し、あれの気持ちを煽ったのは私。ふふ、私も便乗させてもらうよ。退屈なのでね。ここはとても退屈すぎる。高天原の天上界は、もっと活気に満ちたものでなければね」その影はにっと笑い、二人の後姿を見送っていた。
二、この世の終わり
その日は突然やってきた。まぁ、現実とはそんなもんなんだろう………
人生何があるかは分からない。だけどこんなのってないよな………俺はまだ青春が始まったばかり。希望校に合格して、やっと今日から楽しい高校生活が始まろうという時になんで? 終わっちゃうわけ?ああ………やりたい事いっぱいだったのに。神様、ひどすぎます。俺が一体何をしたんでしょう? 俺は毎日懸命に生きてきたのに………確かにこの世は乱れているし、殺人や、犯罪もひっきりなく起っているけど………真面目に生きてる人だっているんだよ。神様………どうかお助けください。俺まだ………死にたくない………
「そうか、死にたくないか………うんうん。そうであろうな………」耳元で囁く声………
「うわぁぁっ!」ベタッ。少年は前のめりに倒れる………背に何かを乗せたまま………
◇
ピピピピピ………ああ………起きなきゃがっこ………
(ミィィィ〜)ふさふさと暖かい毛が頬をなでる。んんん〜起きたくない………て訳にはいかないな。もう今日から学校だから………少年はベッドから起き上がり冷蔵庫へと向かう。
「え〜っと………あった」ゆで卵を右手に、牛乳を左手に冷蔵庫を足で閉める。
さて………と。なべに牛乳を入れて火にかける。そして、ト―スタ―にパンを放り込み、かちっ。テレビのスイッチを入れる。いつもの番組………いつも見慣れているキャスタ―たちの明るい声が響く。
「今日は快晴。新学期ですね」「はい。昨日は各地の小、中、高の入学式が行われました」嬉しそうな子供達の映像………母親へのインタビュ―………ぱちん。
少年は少し瞳を曇らせてテレビを消した。
「母さん………」
少年の柔らかな頬に涙が伝う。うっうっ………ミイィィ〜ざらついた小さな舌がそれをなめる。少年に纏わりつくように真っ黒な子猫は体を摺り寄せた。
「うん、ごめんね。もう泣かない。お前がいるもんね。一人じゃない。ありがとう………クロ」
母さんは亡くなった………去年の事だ。母さんは巫女だった。いつも沢山の傷を負っていた。母さんは何もいわなかった。いつも優しく笑って俺を大切に育ててくれた。俺はとても………愛されていた。父親はいない。
(貴方は神の子なのよ………)母さんはいつも誇らしげに言っていた。
神の一夜妻を勤めた巫女………そして俺は生まれた。小さかった俺は何も知らないで普通に育った。今の世の中、父親がいないことなんて誰もなんとも思わない。事実、友達の中にも何人か片親だけの家庭があった。でも………母さんは美しく、年をとらなかった。ずっと若いままで………だからあちこち引越しを繰り返した。そして俺が成長してからは母親は姉になった。俺は少し戸惑ったが、母さんは母さんでそんな事はどうでもよかった。
母さんが、何をして生計を立てているのか俺には分からなかったが、「組織」というものが絡んでいる事をうすうす感ずいていた。仕事に出かけると、母さんはいつもぼろぼろになって帰ってきた。高熱が続き、何日も寝込むことが多かった。俺は言霊を使って母さんを癒してきた。
「聖………貴方は言霊を操る御霊。何時か目覚めがやってくる。そしてあなたは神となり、お父様にお会いできるわ」
そういって寂しそうに笑った。そして、疲れきった巫女は息を引き取った………
何がなんだか………俺には分からなかった。そこへ「組織」がやってきた。そいつらは俺を「御子様」と呼び、全てを片付け整えてくれた。学校関係、住む所、難しい書類上の様々な雑事………そして、生活費………
「御子様………私たちは、貴方様にお仕え申し上げます」そういってひれ伏した。
??? なんで? 唖然とした俺に、そいつらは色々と話をしていったが………良く分からなかった。要は俺は神の子で、この世を救うものなのだと………ただ色々と支障があって、神の社には引き取れないのだと。
ん………まぁ、もしほんとに俺が神の子なら、神社にいれば一番良いのだろうが………
今まで普通に生活していた俺がいきなり神社で暮らせといわれても、多分無理だから………その色々の支障というものに感謝する事にした。バタバタとあわただしい日々が過ぎ、俺は母さんのいない生活を勉強する事で紛らわせた。
「聖、しっかり勉強してね?私は貴方の高校入学………楽しみにしているの。式にはきれいにしていくわ。いいわね。楽しんでね、私も高校が一番楽しかったの………」そういって瞼を伏せた。そうだよな………母さんは楽しみにしてたんだ。だから、俺はがんばらないと………
ひたすらに勉強した。希望校も決まり、「行けそうだよ」と先生からも太鼓判を押され、ほっとしたクリスマスの夜に………クロはやってきた。
学校は終業式だけで昼からクラスメ―トたちと集まって、クリスマスパ―ティ―をした。カラオケボックスでピザを食って、誰か女の子が作ったという余り美味しくもないケ―キを食べて、でもなんか楽しかった。夕方になって皆帰っていった。
そうだよな、家族と一緒にご馳走食べて、ツリ―をみながらケ―キを食べるんだ………
俺は………ひとり。
去年は何の疑問もなく、母さんといつものクリスマスを過ごしたのに今年は………
すれ違う人たちは、皆一様に浮き足立って、プレゼントやケ―キの箱を抱えている。
(いいなぁ………)
ぼんやりとそんな事を思いながら歩いていた。ふと立ち止まって前を見ると、公園のブランコが目に留まった。好きだったなブランコ。母さんを良く待たせたもんだ。
あの人は文句一つ言わずに待っててくれたな………
ギィギィ………一人でブランコをゆすり、ぼんやりと冷たい空気に身をさらしていた。
冷え切った心と冷たい空気::去年までの暖かなクリスマスは遠いものに感じた。
(ごめんね、聖………)ふとそんな声が聞こえた気がして振り返った………
(あぁ母さん)笑顔を作ろうとして口がへの字にゆがみ、情けない顔に涙が伝う………
(聖、お願い。もう泣かないで………私はもう行かなければならないのよ)
母さんは俺に近寄って、優しく額にキスをした。体中に暖かいものが流れ込んで………俺は幸せな気分になった。
(さぁ、クリスマスの贈り物よ。私から貴方へ………最後のメリ―クリスマスね)
母さんは手に持っていたものを俺に渡し、(守………なのよ。この子はあなたの………)
そんな言葉と共に母さんはいなくなった。最後のプレゼントはとても暖かくて………
(ミィ〜)真っ黒な毛の中に………金色の大きな目が俺を見つめていた。
ぐつぐつぐつ………あ!いけない。パチン。聖はクロを抱き上げて、ミルクの火を切った。
「あ〜あ、パン、真っ黒………」ぐつぐつに煮だったミルクを平べったい皿に移し、残りをマグカップに注ぐ。
「仕方ない。さ、朝ごはん………」クロを下に降ろし自分は焦げたパンに喰らいつく。クロはミルクは飲まずにさっとベランダに駆けていった。
「ん〜猫舌って言うもんね、熱いのはだめだよなぁ………」
ぶつぶつと呟きながらパンと卵をかじり、着替えにかかる。
(聖………)誰かが呼んだような気がして視線を向けると………クロが俺を見ていた。
何? 今の………クロ?
クロは外を見て俺にも見るように促した………様な気がした。俺はクロを抱き上げてベランダから外を見た。
此処は3階「組織」が探してくれたマンションだ。廻りに大きな建物も少なく、見晴らしがよく遠くまで見渡せる。遠くの空が見える。でも何時もの青い空が………ない!
「何だって?」俺はごしごしと目をこすってもう一度しっかりと目を開く。青い空の代わりにある物は………白く小さな玉………ぎっしりと空を覆いつくしている。それは中に何か入っているのか、チカチカと稲光を発している。
(あぁ、綺麗だ………)(呑気な事考えてる場合か! 普通じゃないぞ。こんな事は、ありえないことだ)
俺の中の何かがそう突っ込みを入れる。そうだ! 変だぞ。あれは何? でも………
俺は何をする事もできずにただ見入っていた。ぱしん。一つの玉が弾けた。その中から沢山の光が溢れだし………どおぉぉぉん。大きな音が響いた。それが始めだった………
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