黄金林檎は恋の味①(挿絵有)
サン・クール寺院の礼拝堂は、吹き抜けのホール状になっている。明かりとりの付けられた高い天井には、妖精の女王ニーヴが生まれたばかりの大地に降り立ち、万物を創造していく様子を描いた巨大な絵画がある。
「……」
絵画を見上げる青年の目には、涙。はらはらと流れ落ちる雫をぬぐおうともせずに、彼はただその絵を見つめていた。
カララン
ドアベルが鳴る。
今日も、クラウスは見回りの途中で“コレットの菓子工房”に寄る。
「いらっしゃいませ!」
クラウスは朗らかに迎えるコレットに目でうなずくと、いつもの席についた。何も言わずとも運ばれてきたお茶から、花の香りがただよう。
うららかな陽の光が窓から差し込み、女性客で賑わう店内には、甘い菓子の香りがひろがっている。
いつもの場所。いつもの風景。
忙しそうに立ち働く店主を眺めながら、クラウスはゆったりとお茶を口に運ぶ。
「よぉ」
そんなクラウスの日常に、最近新しい顔が増えた。コレットの兄、ヴィルフレッドである。
「試作。感想聞かせて?」
とん、とヴィルフレッドが置いた皿の上には、臭気を放つ緑色のかたまり。
「……食えるのか」
「当たり前だろ。俺、今、見た目と味のギャップに凝ってんの」
ヴィルフレッドが自信満々に言うので、クラウスはおそるおそる、菓子どころか食べ物にすら見えない物体にフォークを刺した。
外側を割ったとたんに中身がどろりと出てくるのはフォンダン・オ・ショコラに似ているが、こちらはクリーム色の液体だ。
すくって舐めてみると、ほんのりとした甘みと苦味、舌にまとわりつくようなねっとりしたコクが感じられた。美味しいかどうかは……正直言ってわからない。
「あれ? だめ? そっかぁ。単純に再現してもだめか。いや、この間さ、港にいったら珍しい果物が入ったって言うから、買ってきたんだ。麝香果っていうらしいんだけどさ」
「匂いが、な」
「やっぱり? あ、これ食うと二~三日口の中臭いから。人に会うときには気をつけろよ」
「……っ」
「ん? 明日コレットと孤児院に行くんだったっけ? 別にわざとじゃねぇよ?
純粋に試食して欲しかったんだ。麝香果、マジうめぇから。超クセになる。
それをさぁ、なんとか菓子にしたいんだ。せっかくだから、ついでに生のも食っていかねぇ?」
にやっと笑うヴィルフレッドを前に、クラウスは片手で目元を覆って深い溜息をついた。
「くすくす……。それで、分隊長さんは今日来られなかったのですね」
「そうなんです。ヴィルったら、絶対わざとだわ……!」
サン・クール寺院の中庭で、コレットは自分で作った焼き菓子をつまみながらぷんぷんと怒る。そんなコレットの話を、同じく菓子をつまみながら穏やかな微笑みを浮かべて聞いているのは、ビアンカ=ボードワンだ。サン・クール寺院に併設された孤児院の管理を任されている女性である。
わずかに目じりの下がった瞳は明るい緑。白地に青の縁取りのついた修道服に、前後左右で対になった逆三角形の肩布をつけており、白いベールからはゆるくウェーブのかかった長い金髪がのぞく。
十八で修道女になり今年二十二歳になるビアンカとは、コレットがクラウスと共に孤児院の子どもたちに差し入れをするようになってすぐに仲良くなった。
「麝香果は、名前は聞いたことはありますが、実物を見たことはないんです。そんなにすごい匂いがするんですか?」
「そりゃぁ、もう! ヴィルが初めて持ち帰ったときには、一体何をしてきたのかしらと思いました。なんて言うんでしょう、生ものが腐ったようなというか、青かびのチーズの匂いをもっときつくしたようなというか……」
「へぇ。確か、周りはトゲトゲしてるんですよね? あと食べ合わせが悪いと死に至るとか、食べ過ぎもよくないとか」
「よく御存じですね! そうなんです。中身を取り出すのに、ヴィルは手袋をしていました。それくらい外皮が鋭いんです。港の業者の方には、お酒と一緒に食べないようにとか、一度に一個以上は食べないようにとか言われて来たそうです」
「ふふ、なんだかおもしろそうな食べ物ですね。そこまで言われると食べてみたいような……」
「絶対やめたほうがいいです。本当に臭くって。味は、実は私は食べてないのでわからないんですけど」
「そうなんですか?」
「えぇ。ヴィルとクラウス様しか食べていません。私まで臭くなってしまったら、お店に出られませんもの」
「くすくす……。それもそうですね」
木漏れ日の下で、コレットとビアンカは他愛もない話を続ける。小さな花々が風に揺れる中庭では、孤児院の子どもたちが、元気に遊んでいた。
コレットは、にこにこと微笑みながら子どもたちを眺める。すると、鬼ごっこをしていた子どもの一人が駆け寄ってきて、コレットに尋ねた。
「コレットお姉ちゃん! 今日はタイチョーは来ないの?」
「うん、ちょっと用事ができちゃって来られないの。来月はきっと来てくださるわ」
「ふぅん。ぼく、タイチョーに肩車して欲しかったのにな」
「あら、そうなの? 伝えておくわ」
「ほんと? じゃ、お願い! 次来たときは、ぼくが一番だよって言っておいて!」
「くすくす。わかったわ。えぇっと、あなたのお名前は」
「イルジーだよ! 約束ね」
子どもたちが待っていたと伝えれば、クラウスもきっと喜ぶだろう。こんなに懐いているのに、以前は泣いて怖がっていたというのだから不思議なものだ。
指切りを求めてくるイルジーに、コレットが笑って小指を差し出そうとすると、別の子どもが駆けてきた。
「ずるいぞ! おまえ何一人で勝手なこと言ってんだよ。次は俺が一番ってこの間約束したんだぞ」
「ハヴェル。なんだよ、次って今日のことでしょ。今日は来ないんだから、その約束はもうなしだもん」
「来た日が次だろ。おれが先だからな!」
「ぼくだよ! コレットお姉ちゃんが言っておいてくれるって言ったんだから」
「お姉ちゃん! ずるいよ、勝手に決めないでよ」
突如始まった言い合いにコレットが面食らっていると、ハヴェルと呼ばれた子が、コレットを振り返って言った。目には悔し涙が浮かんでいる。
「あ……。ごめんなさい。そういう約束があったなんて知らなかったの。じゃぁ、先に約束してた……えーと」
「ハヴェルだよっ」
「ハヴェルね。ハヴェルが先よね」
「ええ? ひどい! ぼくが一番って思ったのに」
今度はイルジーが泣きそうになる。
「うるせぇ! おまえが横入りすんのが悪いんだろ」
「だってお姉ちゃんが約束してくれたもん」
「だからお姉ちゃんは知らなかったって言ったろ」
「知らなくても約束は約束だ!」
「ハヴェル! イルジー! コレットさんを困らせてはだめよ」
見かねたビアンカが仲裁に入る。ビアンカに叱られたハヴェルとイルジーは、しゅんとうなだれながらも、「おまえのせいで」「そっちが悪い」と脇腹を小突き合っている。
「あの、じゃぁ、二人のことをクラウス様に伝えておくから。今度来たときにクラウス様に決めていただきましょう?」
「絶対俺が先だから! タイチョーにそう言っておいて!」
「ぼくだよ!」
「俺だ!」
「ぼくだ!」
「俺だって!」
「二人とも! いい加減にしなさい! まったく、いつもは仲がいいのに、こんなことで喧嘩しないで」
「いいの、ビアンカさん。私が悪いのよ。ごめんね、二人の気持ちはちゃんとクラウス様に伝えておくから」
「……ずるい。そういうお姉ちゃんこそタイチョーを独り占めしてる」
「えっ」
「いつもクラウス様クラウス様って言ってさ。ぼくらはたまにしか会えないのに、お姉ちゃんは毎日会えていいな」
「ま、毎日なんて会ってないわ」
何やら雲行きが怪しくなってきたと、コレットの視線が泳ぐ。隣にいるビアンカも、「あら」という顔をして口元に手をやる。
「しょうがねぇだろ。二人はツキアッテルんだから」
ハヴェルがやけに訳知り顔で言えば、
「ツキアッテル? ツキアッテルって何?」
イルジーは無邪気な顔でハヴェルに問い返した。
「馬鹿だなぁ、おまえ、そんなことも知らねぇの? ツキアッテルってのはな、好きなもん同士が一緒にいるってことだよ」
「一緒にいる? じゃぁ、ぼくとハヴェルもツキアッテルの?」
「ば……っ 男同士だろっ、ツキアッテルってのはそうじゃなくて、男と女の好き同士が一緒にいるんだよ」
ハヴェルの説明に、イルジーは「へぇ」とうなずいて、ビアンカの方へ顔を向けた。
「じゃぁ、ホープ司祭様とビアンカお姉ちゃんはツキアッテルの?」
「……付き合ってません」
コレットは、初めに中庭に案内をしてくれたサン・クール寺院の司祭を思い出す。常に笑顔を絶やさない人当たりの柔らかな司祭は街の住人の信頼も厚く、コレットも好感を持っていたが、確か妻帯者だったはずだ。
「だってよく一緒にいるよ」
「一緒にいるだけじゃだけじゃだめなんだ。一緒にいて手つないだりちゅーしたりするんだよ」
「えっ、じゃぁ、コレットお姉ちゃんとタイチョーってちゅぅすんの!?」
「そりゃするさ」
「すっげぇ! 見たい、見たい!」
イルジーが興奮した様子でハヴェルの話に食いつく。ハヴェルはさっきまでけんかをしていたことなどすっかり忘れたように、得意げな顔で腰に手を当てて先を話そうとした。
しかし、ハヴェルが口を開く前に、その頭をぽんと撫でた人物がいた。
「ハヴェル、いい加減なことを教えるのはやめなさい。ビアンカくんも、赤くなってないで止めるように」
「司祭様」
「あ、司祭さまだ」
噂をすれば影。ハヴェルの頭を撫でたのは、ホープ司祭だった。詰襟の司祭服を身にまとい、手には分厚い教典を持っている。どうやら礼拝の帰りのようだ。
その視線の先には、頬を染めて気まずそうに下を向くビアンカと、真っ赤になって固まっているコレットがいた。
「いい加減なことじゃないぞ!
好き合ってる者同士は、ツキアッテ結婚してフウフになるんだろ?
うちの父ちゃんと母ちゃんが生きてる頃は、夜中に裸で何かやってて朝起きたときに何してたのって聞いたら、仲良しの証拠って、もが」
「こら。無垢なるものは、時に純粋さゆえの罪を犯すものだね。あぁ、ビアンカくんまで固まっちゃったじゃないか。まったく、もう」
ハヴェルの口を塞いだホープは、教典で自分の肩をとんとんと叩いた後、やれやれと溜息をついた。
そんなホープと、固まったビアンカとコレットを見比べてから、イルジーは先ほどの疑問を口にする。
「ねぇ、司祭さま。司祭さまとビアンカお姉ちゃんはツキアッテルの?」
「私とビアンカくんは付き合ってないよ。フェッロくんとはわからないけどね」
「司祭様!」
フェッロの名前が出たとたん、ビアンカが弾かれたように反応した。コレットも、そんなビアンカに驚いて我に返る。
「フェッロお兄ちゃん?」
イルジーの顔に疑問符が浮かぶ。コレットもまた、聞き慣れない名前に首をかしげた。
「フェッロさん? って、どなたですか?」
「守門のお兄ちゃんだよ。白髪みたいな髪のいつも眠そうにしてる人」
「あぁ、門番の方ですか。え? その方がビアンカさんの?」
「コココ、コレットさん、違います! 司祭様も変なことおっしゃらないでください!」
にわかに慌て出すビアンカ。ベールから覗く耳まで真っ赤である。
「何が? 私は“わからない”って言っただけだよ。それともビアンカくん、君たちの間には何か特筆すべき関係があるのかな?」
「関係なんてっ、ありません!
もうっ、司祭様、からかうのはやめてください……!」
「ははっ、さぁ、君たち、遊んでばかりいないで少しは勉強もしないとね。
こっちへおいで。私が教典を読んであげよう」
「えー? ベンキョー嫌ぁい」
「ぼく、司祭さまの声好きだよ。
この間、ニーヴが地上に降りたところまで聞いたんだよね。今日はその続き?」
「そうだね。イルジー、よく覚えてたね」
「ちぇっ。おれだって覚えてるよ。そんで最初に黄金林檎の樹を植えたんだろ。それくらい、ティル・ナ・ノーグの子どもなら、産まれたばっかの赤ん坊だって知ってるよ」
「そうかい。ハヴェルは物知りだね。じゃぁ、どうして黄金林檎は普通の林檎みたいに赤くないか知ってるかい?」
「赤? 林檎は普通黄色だろ」
「ティル・ナ・ノーグ以外では、林檎といったら赤なんだよ。そのあたりのことも、今日の話を聞けばわかるよ。聞いてみるかい?」
「ん~、しょうがないな。聞いてやるよ」
イルジーとハヴェルを連れて、ホープが中庭の中央へと歩いて行く。周りで遊んでいた子どもたちも、ホープが来たのに気付くと、自然に彼の周りに集まって行った。
「……はぁっ、子どもって……怖いですね」
「ふふ、ほんとに。でも、子どもたちよりも司祭様ですわっ。あの方、とっても噂好きなのでコレットさんも気を付けてくださいね」
「噂好き、ですか」
「えぇ。特に人の恋愛話が大好物なんです。私もさんざんからかわれて……」
「フェッロさん?」
「う……。
いえ、あの、別に好きとかそういうのではないんです。ただ、ちょっと気になるというか。
フェッロさんは本職は画家さんなのですが、絵の題材を見つけるとふらりとどこかへ行ってしまったり、放っておくと寝食を忘れて絵を描いてらしたり、かと思うとところかまわずお昼寝をなさってたりして、とにかく目が離せないんです」
「守門さんなんですよね?」
「えぇ。そうなんですけど、いつの間にかいないことが結構あるんです。あ、寝坊して最初からいないこともあります。ガートがお好きなんですけど、なぜか動物全般に嫌われてしまう体質のようで、よく噛まれています。その手当てもしなければなりませんから、すっ、好きとかではなくて、世話のやける子どもみたいな感じでっ」
話しながら、ビアンカはずっと菓子を包んでいた紙をもじもじといじっている。その様子から、コレットはホープがからかいたくなるのも無理はないと、微笑ましい気持ちになる。
「何歳くらいの方なんですか? 私、たぶん一~二回はお会いしているはずなんですけど、あんまり記憶になくって」
「私の一つ上です。無精なさって髪を切らないものですから、いつもお顔が隠れているんです。だから印象に残っていないのではないかしら。目が悪くなるから、お切りになったらいいと思うんですけど、そう言っても面倒だからいいとおっしゃって。とてもきれいな灰紫色の目をなさっているので、もったいないと思うんですよね。
司祭様によると、守門になる前は冒険者ギルドで生活費を稼いでらしたこともあったそうです。実は以前、私が街で変な人にからまれたときに助けていただいたことがあったんです。普段のおっとりした雰囲気からは想像できないのですが、とってもお強いんですよ。今でもときどきお小遣いを稼ぎにギルドを利用なさることがあるようで、お強いのはわかっていても、危ないのでやめてほしいです。それから……。あの、コレットさん? どうして笑ってるんですか?」
フェッロについて一生懸命語っていたビアンカだったが、ふと気づくと、コレットが口元を押さえて肩を震わせていた。頬を紅潮させ、どう見ても笑いをこらえている状態である。
「……っ、いえ、笑ってなんて……っ
どうぞ、続けてください。それから? 他にどんなことがあるんですか?」
「えっと、両利きなんですけど、剣は右手、絵筆は左手と決めていらっしゃるそうです。あくまでも本職は画家ということで、左手を怪我しないように、左手にだけいつも黒い手袋をなさっています」
「そうなんですか。それで、フェッロさんのどういうところがお好きなんですか?」
「そうですね。助けていただいたときは何とも思っていなかったのですが、あ、いえ、ありがたいとは思ったんですけど、その後お礼にこの寺院の礼拝堂をご案内したときに、天井画をご覧になって急にはらはらと涙をお流しになられたのを見て……って、え? コレットさん、何をおっしゃるんですかっ
すっ、好きなのではありません! たたた、ただ、気になっているだけですっ」
「……っ、そ、そうですよね。
放っておけない感じなんですね」
「そうですっ
あと、画家としてがんばってらっしゃるので、応援したいというか、そういう気持ちであって」
「はい。私も今すごくビアンカさんのことを応援したい気持ちでいっぱいです」
「……? 私を、ですか?」
「えぇ。私にできることがあったら、何でも言ってくださいね」
「えっと、はい。ありがとうございます。毎月こうしてお菓子を持ってきてくださるのがとてもありがたいです。
子どもたちもとても喜んでいます」
「よかったです。フェッロさんは甘いものはお好きですか?」
「えぇ。カフェ・エリンによく行かれるそうです。藤の湯のシラハナスィーツもお好きです」
「じゃぁ、今度フェッロさんにも差し入れを持ってきますので、そのときにはビアンカさんから渡してもらえますか?」
「えぇ、いいですけど、コレットさんから直接でなくていいんですか?」
「いらっしゃらないときが多いようですから、ビアンカさんにお預けします」
「わかりました。本当はいつもいてくださらないと、守門として意味がないんですけど……。
司祭様がかまわないっておっしゃいますし」
「ん? 私のことを呼んだかい?」
ちょうど子どもたちに教典を読み終えたところで、耳ざとく二人の会話を聞きつけたホープは、再びコレットとビアンカの方へ歩み寄ってきた。
「そうか。コレットさん、ビアンカくんはフェッロくんの話をはじめると長いだろう。演劇のこともね、話し出すと止まらないんだよ」
「演劇、お詳しいんですか」
「あ、はい。詳しいというか、好きなだけですけど」
「好きなものに関しては饒舌になるから、わかりやすいんだ。ね? ビアンカくん」
「……司祭様? なんだか、含みがあるように感じますけど。
演劇が好きなのは確かです。ヴィオラ=ステイシスという女優は御存じですか? もう引退なさってるんですけど」
「はいはい、それ話し出すと長いから。コレットさん、私は他の仕事があるので、これで失礼しますよ。
クラウス分隊長にもよろしくお伝えくださいね」
「はい。じゃぁ、私もそろそろ」
「いえ、どうぞゆっくりなさっていってください。ビアンカくんも、歳の近い友達ができてよかったね」
「えぇ」
にっこり微笑み合う。そんな二人を細い目をさらに細めて見守り、ホープは寺院の中へと戻って行った。
「司祭様はああ言ってくださったけれど、私も帰ります。兄が待っているので」
「私ばっかり話してしまってごめんなさい。今度コレットさんのお話も聞かせてくださいね」
「私の話なんて何も……。今日は楽しかったです、ありがとうございました」
ビアンカと子どもたちに見送られ、コレットは家路につく。途中、寺院の門をくぐるときに守門がいるかどうかちらりと振り返ったが、そこには誰もいなかった。ビアンカの話の通り、ふらりとどこかにでかけているらしい。
「ビアンカさんたら、かわいい……。
あっ なんだか新しいお菓子のイメージが湧いてきた!
淡い恋心をお菓子で表現……。ビアンカさんの白は生クリーム? ううん、メレンゲのほうがいいかも。ふんわりやわらかくって、甘ずっぱい感じ。林檎を煮込んで、メレンゲと混ぜて焼く? ロッシェでいいのかしら。あぁっ、早く店に帰って作りたい!」
試作ができたらビアンカさんに食べてもらおう。いや、いっそのことフェッロさんに味見をしてもらうのもいいかも、と思いながら、コレットは家への道を急ぐのであった。
そのころ、ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団第六師団十八分隊の分隊室では――
「あれ、分隊長、どうしたんですか、マスクなんかして」
「休暇なのに出かけなくていいですか?」
「具合悪いんすか? 風邪でも?」
「……」
「(やっべぇ、めっちゃ機嫌悪いよ)」
「(補佐官、また何かやらかしたんですか)」
「(俺は何もしてないぞ。誰か何か知ってるか?)」
「(補佐官が知らないんじゃ、誰も知りませんって。今日って孤児院行く日じゃなかったでしたっけ)」
「(またコレットさんがらみか。早くくっつけちまいましょうよ。いちいち一喜一憂されるこっちの身にもなってほしいっす)」
「(くっつけるったってさ、おまえ、どうやって)」
「(そうなんだよなぁ。分隊長、ほんと奥手だから)」
「(奥手っつーか、なんつーか……)」
クラウスは、機嫌が悪いわけではなかった。いや、出かけられなかったのは残念ではあったが、それ以上に自分の口臭を気にしていた。だから、いつもよりしゃべらなかっただけである。
(麝香果……。確かに食べ慣れるとクセになる味だ。あれを菓子に……。む……。)
こそこそと話し合う部下たちを尻目に、クラウスはじっと黙り込んでヴィルフレッドに食べさせられた強烈な果実について考えるのであった。
短編シリーズのはずが、結構長く・・・。すみません、続きます^^;
挿絵協力:緋花李様(いつもありがとうございます!)