状況
「悪いな。依頼主を裏切らせた挙句に虚偽の報告までさせて」
「いいのですのよ。これだけの物を頂いたのですから。本来ゴブリンや魔物の依頼は受けないのですが、急に纏まった金が必要になりまして。渋々、受けた依頼ですから。これからは土屋殿が新たな雇い主ですわ」
手付金として、ゴブリンからの依頼料と同額程度の価値がある魔石を渡しておいてから、キマリカの態度がころっと変わった。
口調が馴れ馴れしい感じへと変化し、色気のある笑みを浮かべ体を密着させてくる。
「ちょっと、キマリカさん! 近づき過ぎではないですかっ」
凄い剣幕で捲し立てているショミミを、キマリカは半眼で見下したような視線を飛ばしている。
「あら、バッタ族ごときが私に意見するというの? あんたたちは捕食される側。私たちは喰う側。お、わ、か、り?」
「くっ、わ、わかりません! そもそも、土屋さんはもう我々の仲間です! 雇われているだけの関係とは絆の強さが違うのです! 土屋さんも油断しないでくださいね。カマキリ族の女は子供を作った後、伴侶を食べることで有名なのですから」
「それがどうしたの? 愛した男は永遠に変わることなく女の中で生き続け、産まれてくる子供の糧となる。女は生涯、取り込んだ男以外を愛すことは無い。究極の愛を理解できないなんて哀れねぇ」
実際のカマキリも雄を食うという話だったが、その習性を受け継いでいるのか。勢いで過ちを起こさないように、胆に銘じておこう。
しかし、彼女たちの関係はお世辞にも良好とは呼べない。
純粋な行為を寄せてくれているショミミと、こちらが金を持っていると知り擦り寄ってきたキマリカ。
本音を言えば、キマリカの方が扱いやすくていい。
ドライな関係の方が動かしやすく、お互い切り捨てることが容易だ。
そろそろ、二人の罵りあいを止めておくか。
「二人とも諍いは後にしてもらえるかい。ショミミ、今から向かうセグバクトインは、本当にキミたちを受け入れて貰えるのかな?」
「あ、はい。元々我々はセグバクトインの住民でしたので。二年前にゴブリン族と大きな戦争がありまして、今から向かう境界線の砦が落されたのです。そこで、領地内にゴブリンの侵入を許し、国境の川沿いに村があった我々が襲われ……捕虜となりました」
「こう言ったら何だけど、戦争が起こったのなら避難するべきじゃなかったのか?」
自分たちの村を捨てるわけにはいかない。というのは理解もできるが、戦地が近いのであれば、一時的にでも避難するべきだと思うのは、戦争を知らない日本人の発想なのだろうか。
「はい、仰る通りなのですが……我々は身体能力が高いという自負もあり、戦況を見守ってから逃げる手筈でした。それが思っていたより敵の侵攻が速く、敵を侮っていました。今までゴブリン族と何度も小競り合いはあったのですが、その全てを我々昆虫人の軍が圧倒していましたので、今回もそうなるものとばかり」
「あの勢いは凄かったわね。間抜けばかりのゴブリン族だというのに統率も取れていて、油断していた昆虫人の軍隊はあっという間に蹂躙されていったわ。あ、そうそう。急に力を付けた理由なんだけど……知りたいですかぁ?」
ショミミには目もくれず、俺を見つめている。
「教えてくれるのであればな」
「うふふ。これは気前のいい貴方へのサービスですわよ。最近、ゴブリン族のトップが代わったそうです。一対一の勝負で討ち倒し、その者に代わってからというもの、国内の環境も良くなり、軍隊も一新されたそうです。かなりの切れ者との噂ですわ」
「それは、前から実力者として名が売れていた者が頭角を現しトップに立ったのか? それとも――名も知られてなかった者が……」
前者であれば何の疑問もない。国内でも期待されていた優秀な統治者が現れ、国が富むのは当たり前の話だ。
だが、後者であれば引っかかる事がある。
「あら、勘が鋭いのね。今まで名も聞いたことのなかったゴブリンだそうよ。あの国ってわかりやすい実力主義だから。最も強い者が王となる。一介の兵士だった者でも勝てば、王として認められる」
本当に嫌な予感程、良く当たる。
「王が代わったのは、ここ数年……いや、一、二年の内かい?」
「あらま、ご存知だったの? つい最近よ。二年は経っていないかしら」
偶然ということも考えられるが、今ゴブリン族の頂点に君臨しているのは――転移者である可能性がある。
オークキングを名乗っていた迎田のように『身体変化』スキルを所有しておけば、姿形を変えるのは容易なことだ。あの島に転移者が固まっていたとはいえ、他の大陸に転移させられた者がいても、何ら不思議ではない。
もしくは、贄の島から脱出できた先駆者がいたのかもしれない。可能性はゼロではないのだ、頭の隅にでも留めておくべきだろう。
「ありがとう。有益な情報だったよ」
「お役に立てたのなら何よりですわ」
キマリカは嬉しそうに笑っている様に見えるが、本心はわからない。『精神感応』が使えないのが、こういう時は不便に感じてしまう。
心を読むという行為に頼りきっていたことを、この大陸に渡ってから何度も痛感させられる。『気』で気配を探知する精度もかなり低くなっているので、今までとは違った警戒と能力が必要となるな。
「土屋……本当にすまない。我々の為に大金まで使わせて。心の底から感謝している」
こっちの会話が終わるタイミングを見計らっていたのだろう。歩み寄ってきたジョブブが頭を下げている。もう、何十回と聞かされている謝罪と感謝の言葉に、小さく息を吐く。
「ジョブブ。何度も言っているが、そんなに気にしなくていい。蟷螂団という優秀な傭兵を雇えたのは、俺としてもありがたいことなのだから。それに、魔石は俺にとってそんなに価値のある物じゃないんだよ」
嫌味でも、遠回しの自慢でもなく、これが本心だ。
金を得ることは確かに大切だが、それは手段に過ぎない。俺の目的は金持ちになってハーレムを築くことでも、権力者になることでもない。桜を助ける。その一点のみだ。
その意志がぶれることは許されない。
「我々はこの恩を絶対に忘れず、土屋に忠誠を尽くすことをここに誓おう!」
いつの間に集まってきていたのか、ジョブブの背後に並ぶバッタ族がその場に片膝を突き頭を下げている。
まるで臣下と王のような関係に見えてしまうな。
「大袈裟だ」と笑い誤魔化したかったが、彼らの真剣な瞳に射抜かれ、俺は言葉を呑み込んだ。
これは何を言っても聞き入れる気のない者の目だ。『精神感応』を使わなくてもわかる。それぐらい強い意思を瞳に宿していた。
「その気持ちはありがたく受け取らせてもらう。だが、キミたちは折角奴隷という呪縛から逃れられた。それを忠誠と誓いで再び束縛する必要はないよ」
本心を言うなら、この想いは俺にとって重すぎる。いずれ、贄の島に帰る身でもあるのに、バッタ族の運命を背負えるほど俺の背は大きくない。
「土屋。これは俺たちのけじめと勝手な誓いだ。土屋が気にすることは無い。何でも、気軽に命令してくれ」
そう言われて「はい、そうですか」と口にできる雰囲気ではないだろう。
恩に感じてくれるのは予想通りと言ってもいいが、効き目が強すぎる。蟷螂団という都合のいい手駒を手に入れた状況の今、バッタ族に多くを期待する気はないのだが。
「わかった。じゃあ、俺からの命令だ。各自、セグバクトインで暮らしながら、力を蓄えてくれ。何か用があれば俺から接触するから、それまでは周囲に溶け込み、善良な市民として過ごすこと……いいね?」
つまり、何もするなと言っているようなものだが、俺の意図を汲み取ってくれたのだろう。ジョブブは大きく一度頷いた。
「あと、態度を変えるのは無しにしてくれ。堅苦しいのは苦手だしな。それに、ショミミも言っていただろ。俺をバッタ族の仲間として認めてくれたのだよな?」
「あ、え、あれは言葉のあやと言いますか、勢いで」
「えー、嬉しかったんだけどなぁ。そっか、仲間として認めてくれないのかぁ」
わざとらしく芝居がかった仕草で、額に手を当てため息を吐く。
「い、いえ! そういうわけではありません! 土屋さんは私たちの仲間です、はい!」
「ならそういうことで。言質は取ったよ? バッタ族の皆、これからもよろしく」
バッタ族は顔を見合わせ困惑しているようだが、振り返ったジョブブが何か言ったらしく、全員の表情から引き締まった。そして、俺に再び視線が集まると、全員が声を揃えて、
「これからも、よろしくお願いします!」
と返してくれた。
「あの、茶番劇は終わりましたでしょうか。ご報告したいことが」
このノリに付いて行けないのだろう、若干冷めた目でこちらを眺めながら、キマリカが口を挟んでくる。そういう反応の方が、こちらとしても気楽で嫌いじゃないぞ。
「ああ、大丈夫だ。何かあったのか?」
「いえ、問題はありません。そろそろ、境界に立つ関所の砦が見えてきますわ。ほら、あそこに」
キマリカの鎌が指す先には、巨大な川の手前に立つ巨大な建造物があった。
境界線代わりになっている川幅がかなりあり、見た感じでは砦の後方に伸びている石橋らしきもの以外、渡るすべはなさそうだ。
川の流れも結構な急流で、船を浮かべたところで一気に下流に持って行かれそうな勢いがある。
そして、問題の砦なのだが――想像を遥かに越えた大きさだ。
正直、砦と言っても良くて石造りの、ちょっと立派な民家程度の大きさを想像していたのだが、これは要塞と呼んでもいいレベルだ。
規模的には、俺が通っていた高校の校舎と同レベルかそれ以上だ。見た感じ真四角に近く、無骨な感じだが堅固な造りなのが見てわかる。
相手に重圧感を与える目的は果たしているな。
「かなり立派な造りをしているでしょ。以前、砦を破壊され侵略された事がかなり堪えたらしく、かなりの財を注ぎ込んで急造したらしいわ。設備も凄いらしいわよー」
だろうな。これは、そう簡単に墜とされることはなさそうだ。
砦を見て安堵の息を吐くバッタ族を眺めながら、彼らを無事届けることが成功した安堵感と、少しの寂しさを感じてしまっている自分に苦笑する。
「みんな、最後まで油断はしないでくれ! こういうタイミングが一番危険だからな。キマリカも周辺の警戒を強化するように伝えてもらえるか?」
「既に手配済みですわ」
流石、傭兵団。まだ戦いの経験が二年足らずの俺に注意を促されるまでもないか。
蟷螂団を敵に回すことなく味方に付けられたのは、この大陸で何よりの収穫かもしれないな。
この世界で今のところ上手くいっているのは、人よりも知力が劣る魔物が相手だったからだろう。転移者とも戦ってきたが、それは相手が一人で尚且つ、感情的だったというのが大きな勝因だ。
相手が一人であるなら、そこは心理戦となる。『精神感応』や『同調』を駆使して心を乱し、冷静さを失わせて勝ちを拾ったに過ぎない。
蟷螂団のような場数を踏んでいて知識を備えた相手には、俺の策もそう簡単には通用しないだろう。自分の力をそこまで過信してはいけない。幸運が重なって生き延びることができただけ。それを肝に銘じておかなければならない。
地球で実際に起こった過去の戦略を利用し、活躍している転生転移者の小説を目にすることがあったが、その戦略が生まれたのは戦いに明け暮れていた過去があったからだ。
異世界でも戦いが頻繁な地域では、それこそ地球の戦略家と同等か超えた存在が産まれていてもおかしくない。
むしろ、いない方が不自然だろう。それも、魔法という特性を理解した戦い方を極めた者や、戦略についての書物があって当然だ。
そんな相手を知略で上回る転移者が存在し得るのだろうか。戦争を知らない平和な日本で育った人間が、戦争と言う極限状態での心理も知らず、ゲームや書籍で得た知識だけでどうにかなるとは到底思えない。
元々、類いまれなる知能の持ち主だったなら別だが。
今のところ罠や策で何とかなっているが、ゴブリンたちですら一度見せた後は警戒して、罠の効力も薄くなっているのがポイントで確認できている。
人かそれ以上の頭脳を有する知者との集団戦だけは今後も避けるべきだろう。自分は軍師でも勇者でもなく、凡人だということを忘れてはいけない。
「どうしたのですか、土屋さん。何だか険しい表情ですが」
顔を覗き込んできたショミミに「何でもないよ」曖昧な笑みを返しておく。
信頼のおける仲間という点では、バッタ族の存在は有難い。ここが優しく平和な世界ならば、彼らと共に過ごす未来もあったのだろう。
そうだ……可能であれば贄の島に移住してもらうという手もありかもしれないな。いずれ、俺も戻る手段を確保しなければならない。ガレー船の扱いには慣れている彼らと共に、船で脱出という方法も候補に入れておくのも悪くない。
「土屋殿。考え事をしている最中に申し訳ございません。砦がかなり近づいてきましたわ。そろそろ、心構えを」
俯き気味だった視線を上げると、視界の殆どを砦が埋める程、至近距離まで近づいていた。
俺たちの姿は遠くから確認していたのだろう。砦内部から次々と昆虫人の兵士が現れている。
追手との距離はまだ余裕があるが、ここが第二の踏ん張りどころだ。
ここでの話し合いがスムーズに行けば何も問題は無い。
だが、あの兵士たちの雰囲気は昆虫人である自国の者を受け入れるには、少しどころか、かなり警戒されている。
穏便に済むことを祈りたいところだが……祈るべき神が一番信用ならないことを思い出し、ため息が漏れた。