逃走劇3
木の上に陣取り、ダークゴブリンの部隊が近づいてくるのを待ち構えている。
片側が崖なら、岩や丸太を落とすという定番の手段も使えたのだが、ないものを強請ってもしょうがない。
もう少しでこの場所に到達するのだが、相手の進行速度はかなり遅くなっている。車輪にポルタが巻き込まれて、上手く回らないのだろう。
「本当に凄いです。土屋さんが水を撒いたら、ポルタが急に成長してびっくりしました」
隣にいるショミミがあの光景を思い出したのだろう。感嘆の声を漏らしている。
そんなに驚くような事ではないのだが、彼女にしてみれば不可思議な光景だったことだろう。
ネタばらしをするなら、空の樽を『アイテムボックス』から取り出し、川の水を汲んで『成長促進剤』を混ぜてポルタにぶっかけただけの話だ。
数か月成長を速めるだけなので、どこまで薄めるのか分量に苦労したが上手くいって何より。
「もう、そろそろ到着しそうだ」
「では、定位置に移動します。ご武運を」
「ショミミも、引き際を間違えないように」
かなりの高さがあるというのに、躊躇うことなく飛び降りると、足を痛めることなく着地して走っていく。バッタ族の身体能力には驚かされる。俺も可能かもしれないが、試すには勇気のいる高さだ。
「桜だと、確実に足を痛めるな」
ショミミからアピールが激しいせいだろうか、桜の事を思い出すことが増えたのは、少し嬉しい誤算だ。
そんなことを考えていると、遠くから獣の嘶きのような音と微かな振動が足元の枝に伝わってきた。
ポルタの葉が引き千切られ大気に舞い、緑に染まった粉塵の中から黒く巨大な牛が姿を現す。
パッと見は黒毛和牛といった感じなのだが、赤く輝く瞳と筋肉の塊のような四肢が、まともな牛でないことを証明していた。
「あれが、ダークワイルドカウか。何人前の牛肉が取れるんだ」
ジョブブから事前に聞いていた通りの見た目に、圧倒されてしまいそうになる。
外見の異様さもあるのだが、それ以上に体格が良すぎる。俺の知る牛よりも二回りは大きいのではないだろうか。
ダークワイルドカウの背後には荷台があり、牛車として利用されているようだ。荷台には五匹のダークゴブリンと――身長が頭一つ分抜き出ている二匹のダークホブゴブリンの姿が見える。ダークゴブリンを一回り巨大化させたような感じか。
辺りは闇に包まれ牛車に備え付けられている松明のみといった状況なのだが、俺の目は相手の姿をはっきりと捉えていた。贄の島で『夜目』を習得しておいたことが功を奏している。権蔵が有効活用していたので覚えておいたのだが、結構便利なスキルだ。
ゴブリンを乗せた牛車は結構横幅があるので、この細い道では二台横並びに走らすのは少し無理があるようだな。一台ずつ縦並びで整列している。
理想的な配置だ。通り過ぎられる前に、罠を発動させるか。
俺は予め川に埋め込んでいた長い丸太に巻きつけていた糸を手元で操作する。川の中に堂々と立つ丸太は本来ならかなり目立つのだが、今は夜。かなり夜目が利くものでなければ、その存在に気づかないだろう。
その丸太から伸びた特製の糸――オーガの村で職人に頼み込んで制作してもらった鋼糸は、道向こうの森の木へと結ばれている。
その鋼糸をピンと張り、手綱を握るダークゴブリンの首や頭に位置する高さへ調整する。
緩やかな曲がり角に設置していた鋼糸に、ダークゴブリンの御者が躊躇いもなく突っ込んでいく。
結構な速度が出ていた事と、鋼糸に俺が『気』を通して強度を上げていた相乗効果により、ダークゴブリンの首がいとも簡単に宙へと舞った。
素早く鋼糸を操作し、他のゴブリンに引っかからないように上へとずらす。
ダークワイルドカウを操る者がいなくなり、牛車はカーブを曲がり切れず川へと転げ落ちていく。
続く牛車が異変に対応して止まるより早く、上げておいた鋼糸を戻し、新たな御者の首も刎ねておいた。
二台目も運よく、川へと突っ込んでくれたが、流石に三台目以降はその場に停止している。
『ゴシュルウウウウィィ!』
三台目のダークホブゴブリンが奇声を上げ、仲間に警戒を促しているようだ。
荷台から降りた何匹かのダークゴブリンが周囲を警戒しながら、川へと落ちた仲間の様子を見に行っているな。
脚が止まったのなら次の罠に移行しよう。
森の中に仕込んでおいた罠を糸使いの能力により発動させる。と言っても、数が多すぎて全部には対応しきれないので、幾つかはショミミに任せているが。
森の中から枝葉を掻き分ける音が聞こえたのだろう、何体かのダークゴブリンが訝しげに森の方向へ目をやった。
そんな彼らが目撃したのは森の闇から飛び出してくる、丸太の先端。
丸太に二箇所ほど縄を巻き付けて木々に結び、ブランコの要領で揺らしただけの、原始的で簡単な罠だが効果は抜群だ。
丸太がぶつかったダークゴブリンが次々と宙を舞っている。当たり所の悪かった者はその場で頭を砕かれ即死。運よく一撃を耐えたとしても、吹き飛ばされ川へと入水している。
夜で尚且つかなりの急流だ。落ちたゴブリンたちが無事だとは思えない。
丸太の直撃を横っ腹に喰らい、縦に伸びた部隊の統率が乱れている。
「追い打ちいくか」
丸太に巻き付けた糸を上空へと伸ばし、夜空からの丸太の爆撃を開始する。
念の為に樹皮が黒に近い木から切り出した丸太を使っているので、ゴブリンにしてみれば闇に押し潰されているかのような感覚かもしれないな。
何の抵抗もできないまま殺されていく仲間に恐怖を覚えたらしく、部隊が恐慌状態に陥っている。いい展開だ。
今の攻防で三十近くの敵を殺したが、このまま、全匹を倒すのには無理がある。なら、この状況を利用させてもらう。
体格のいいダークホブゴブリンらしき魔物十体に糸を巻き付け『精神感応』を発動させる。勿論、相手の心を聞くことは避けて、声を届けるだけにしておく。
『もう駄目だ、ここにいては殺される! 早く逃げるぞ!』
そして、定番の『同調』で逃亡の後押しをしてあげよう。
ダークホブゴブリンが逃げ出し始めたことにより、指示を待っていたダークゴブリンたちも我先にと逃走を始めている。彼らの混乱を煽る為に、更なる丸太の雨を降らせた。
ゴブリンたちは味方を押しのけ、死に物狂いで、この場から逃れようとしている。
後は逃げ惑う敵の背後からの投擲で数を減らせば終わりだ。何体かは逃げられるが、それにより相手が警戒してくれれば追撃の手も緩まるだろう。
「ほ、本当に撃退してしまうなんて……凄いです!」
森の中から凄まじい勢いで飛び出してきたショミミが、俺の首に腕を回し抱き付いてきた。
「あの数を一人で対応して、逃走させるなんて凄すぎです! もう、本当に、感動しました! 凄い、凄い! 最高です、土屋さん!」
興奮で自分が何をしているのか理解していないのだろう。全身を押し付けるように強く抱き付き、早口で捲し立てている。
さっきから凄いばかりを口にしているな。感動してもらえるのは嬉しいが、結構大きな胸の感触が腕に伝わってくる……桜とは比べ物にならないボリュームだ。
ふと、そんなことが頭に過ぎった瞬間、桜の冷めた笑みが脳内に浮かび、興奮冷めやらないショミミを押しのけた。
「まだ、敵兵が残っているかもしれない。喜ぶのは相手の撤退を確認してからにしよう」
「は、はい、すみません……」
自分が何をしていたのかを理解したようで、顔を赤く染め俯いている。
実際はこの目で確認しなくても、『捜索』によりダークゴブリンとダークホブゴブリンのポイントが遠ざかっていくのを感知しているのだが。
ちなみに精神感応で言葉を届ける際に、ダークホブゴブリンを捜索リストへ放り込んでおいた。
ゴブリン、ホブゴブリンの生き残りは次々とここから撤退している。
ダークワイルドカウも『捜索』で確認しているのだが、何頭かはこの場に放置され、残りは生き残りを乗せて別働隊へと向かうのだろう。
「残ったこの牛どうしようか」
「荷台から解き放ってやれば、自然に帰ると思いますよ。元々は大人しい草食系の魔物ですから」
草食系? この見た目で……いや、でも、牛もそもそも草食だしな。一頭ぐらい解体して食用の肉にしたいところだが、今はそんな余裕はないか。
順調に敵影が離れて……ないな。逃走してはいるが、思ったよりも数が少ない。
何体かがこの先で足止めをくらっているのか? ポイントが停滞している。微動だにしないという訳ではないが、大きな動きが……えっ、消えた?
ダークゴブリン、ホブゴブリンの数が凄まじい勢いで消滅している。あんな場所に罠を仕込んだ記憶は無いぞ。となると、考えられるのは――
「ショミミ……ここから離れるんだ」
「えっ、どういうことで」
俺と向かい合うショミミの問いかけは途中で遮られる形となった。彼女の死角から吹き飛んできた何かから庇う為、強引に押しのけたからだ。
「きゃっ」
彼女が寸前までいた場所に巨大な塊が空気を切り裂き轟音を響かせ、飛行してきている。
俺は咄嗟に取り出した斧で真っ二つに両断すると、それが何であるかを考える暇なく、返す刃で更に迫る二発の何かを切り落とす。
飛行物体が投げつけられたダークゴブリンであることを目の端で確認する。バカ力だなおい。
「えっ、えっ、えっ?」
状況が掴めず、慌てふためいているショミミを俺の背後へ隠すと、今も投擲され続けているダークゴブリンを切り裂きながら、その先を睨みつける。
闇の中に巨大なナニかが浮かび上がっていく。
まだかなり距離があるというのに、一歩ごとに響く足音。荒い息づかい。ダークホブゴブリンが子供のように見える、巨大過ぎる身体。
「ショミミ……ダークゴブリンジェネラルって、どんな感じか聞いていい?」
「化け物じみた巨体で、かなりの怪力だそうです。皮膚は黒に染まり、上下の牙も鋭く、強靭な肉体を保有しているという噂です……丁度、あんな感じで……す……」
やっぱりそうか。スムーズに事が運ぶと疑う習性がついてしまったが、今回はそれが生きたようだ。できれば、当たって欲しくなかったが。
贄の島でゴブリンジェネラルと戦ったが、どう見ても、こいつの方が格上だ。あの時は、春矢の助けもあり、正々堂々とは言えないが何とか勝利を収められた。
今ならゴブリンジェネラルと一対一でも勝てる自信はある。だが、こいつはどうだ。
オークキングでもあった迎田には劣るが、思わず息を呑むレベルの力の奔流を、この身で感じ取っていた。気を発動させるまでもなく、相手がかなりの実力者であることが窺える。
「キサマ、バッタ族デハ、ナイナ」
共通語が話せるのか。お世辞にも流暢とは言えないが、会話するには充分なレベルだ。
さて、どうする。会話で相手の動揺を誘い何とか撃退……いや、撤退するべきか。
「何ダ。コイツハ、人間カ」
ああ、今回は、そうくるのか。
俺と睨み合うダークゴブリンジェネラルの背後から、もう一体、同じ体格のダークゴブリンジェネラルが姿を現した。