逃走劇2
ハーピーやヘルハウンドが数体襲ってくることはあったが、それ以外は順調に事が運んでいる。
魔物が現れると言っても数体程度なら、身体能力の優れたバッタ族の敵ではない――特に女性だが。
飛行しているハーピー相手には手こずるかと思ったのだが、自慢の跳躍力により相手の上空をとり、地面へと蹴り落していた。俺が手を貸す必要は全くないようだ。
合流してから四時間が過ぎている。昼過ぎからだったので、もう夕方に差し掛かっている。そろそろ、周囲から光が失われ始めているようだ。あと一時間もすれば闇に覆われるだろう。
「ジョブブそろそろ、野営の準備をした方がよくないか」
バッタの種類によっては夜行性もいるようだが、確かショウリョウバッタはそうではなかったと思う。その特徴を受け継いでいるなら、夜の行動は避けた方が無難だろう。追手の状況によりけりだが。
「そうだな。結構な距離を稼げたと思う。食事を取っておかないと、後に響くか。みんな、飯にするぞ!」
「おおー!」
待ってましたとばかりに、喜びの声が上がる。そして、全員の目が一斉に、こちらへと向けられる。
だよな。着の身着のままの彼らが食料を所有しているわけもなく、俺が提供するしかない。過剰なほど食料を蓄えていて本当に良かったよ。
「まだ、食料はあるから安心してくれ」
更に歓声が上がる。
食料を提供するのは別に構わない。バッタ族は果物や野菜しか口にしないので、余裕もまだある。聖樹がいなくなった北の森で腐らすのも勿体ないと、野菜や果実を取れるだけもぎ取っておいた自分を褒めてやりたい。
彼らの食事風景を眺めながら今後について思案していた。
バッタ族の女性はまだまだ余力があるように見えるが、男性はかなり疲労が蓄積されている。荷台に乗っている者よりはましとはいえ、脚力の衰えが響いているようだ。
体力も回復しきっていない。全員を休ませてやるべきだが……問題は追手。
常に『捜索』スキルでダークゴブリンの居場所を探り、別働隊らしき一団がポイントとして現れると、遭遇しないルートを指示してきた。そのおかげで別働隊らしきダークゴブリンとは一度も出会っていない。
――が、百近くのダークゴブリンが『捜索』範囲に入り込んできたのを、ついさっき確認している。まだ距離があるが、相手の進行速度が想像以上で、このままだと三時間程度で追いつかれるだろう。
それに、精度を下げ捜索範囲を最大まで伸ばしてみたのだが、その一行の遥か後方に、五百を超えるダークゴブリンの群れを感知した。
馬車か何か騎馬隊のような先行している部隊がいて。その後方が追手の本隊といったところだろう。
たかが奴隷の逃亡に大袈裟と思いそうになったが、ゴブリン族にしてみればガレー船の仲間を殺され、女性を奪還されたという汚点がある。
ゴブリン族の王がいるなら、ここで見過ごせば上に立つ者として、部下へ示しがつかないだろう。それどころか、これを知った他の奴隷たちも同様に逃げ出そうと考えるかもしれない。
ここは今後の見せしめのために、バッタ族を捕獲……いや、抹殺してくるか。
そうなると、圧倒的な戦力で葬るのが当たり前の策だが、先遣隊が百程度というのは少し少ない。衰弱したバッタ族の男は役に立たないと判断しても、女性はほぼ無傷で健康状態も悪くない。
ダークゴブリン程度なら二体同時に戦ったとしても、負けることは無いだろう。 そんな女性が四十二名もいるのだ。男性を庇いながら戦うとしても戦力不足。やはり、ダークゴブリンだけではなく、ダークホブゴブリンが追従していると考えておいた方がいい。
「ジョブブ、ショミミ。このまま、夜も走り続けるというのは可能かい?」
「我々は大丈夫だとは思いますが……兄さん」
「すまん。男連中はかなりきつい」
やはり、女性は余裕があり、男は体力をかなり消耗しているか。
なら、取るべき手段はたった一つだな。
「皆は、ここでしっかりと休養を取っていてくれ。俺は偵察に行ってくる」
「いや、まて。土屋も休むべきだろ。偵察なら誰か別のやつを行かせたらいい」
「そうですよ。貴方のおかげで私たちはこうやって生き延びられたのです。もっと自分の体を労わってください」
引き留めてくれる兄妹には悪いが、ここでは最良の策を取るべきだ。
俺はこの島に降りるまで船で充分に体を休めてきた。贄の島でのサバイバル経験のおかげもあり、一日の徹夜程度では体調を崩すこともない。
今後の事を考慮するなら、彼らにはここで明日以降への英気を養ってもらわないといけない。
「いや、俺ならまだ余力がある。それに、ここで偵察に一番向いているのは俺だ。ブールルよりもな」
俺が釘を刺すと、ジョブブは口を塞いだ。丁度、彼を偵察にと提案するつもりだったのだろう。
「あまり心配しなくていい。贄の島で偵察や忍び込むのは慣れっこだ。敵の気配を感じたらすぐに戻る。そうだな、万が一だが五時間経って俺が戻ってこなかったら、この場を離れてくれ。理由は言うまでもないよな。それに……ジョブブ、優先順位を間違えていないか。今日会ったばかりの人間の命と、仲間の命。どちらに天秤が傾くか、考えるまでもないだろ」
ハッとした表情――だと思う。そんな顔でジョブブが口を噤む。
納得はしていないようだが、兄妹揃って渋々ながら頷いてくれた。
この世界で自分の実力がどの程度通用するのか試すにはいい機会だ。贄の島で過ごした日々の成果を確認させてもらおう。
バッタ族から離れ、俺は来た道を戻っている。
『捜索』のポイントにより、五体から十体がひと塊になって、こちらに向かってきているのがわかる。やはり、何か馬車のようなもので運ばれていると考えるべきか。
敵の先遣隊とやりあう場合、優先すべきことがある。
まずは、言うまでもなく足止めだ。全員を倒せるならそれに越したことは無いが、おそらく無理だろう。
ただのゴブリン相手なら百体でも何とかできそうだが――って、何とかなると考えてしまった自分に驚いてしまう。あの、ゴブリンの集落に忍び込んだ時は、絶対に不可能だと思ったのだが。
自画自賛になるが、俺も強くなったもんだ。
今回は、ホブゴブリンよりも格上のダークゴブリン相手だ。これまで以上に、気を引き締めなければいけない。
それこそ、無敵の強さを誇る主人公なら強大な魔法や体術や剣術を使い、その身一つで圧勝するんだろうな。俺には一生無縁の話だが。
考えが変な方向に逸れてしまった。足止め以外にも、今回の接触でやっておくべきことがある。それは、ダークホブゴブリンを捜索リストに放り込んでおくことだ。
彼らを『捜索』リストに入れておけば、これからの戦いでかなり有利に事が運ぶ。
これからの逃亡戦で有益なのは言うまでもないが、いずれ、ゴブリンの国に忍び込むことがあるかも知れない。出来ることなら、ここで手に入れておきたい。
まあ、捜索リストの件は余裕があればの話だ。本命を忘れてはいけない。
罠を仕掛けるならば広大な平原よりも、ある程度細い道が好ましい。確か、この先に片側が深い森で、道を挟んだ反対側がかなり流れに勢いのある川になっている場所があった。
ジョブブに聞いたところ、川幅も広く深さもかなりあるらしい。
大八車を引っ張って通ってきた道――と言っても地面が殆ど露出して無く、雑草であるポルタが一面に敷き詰められているだけだ。ポルタが生えているということは、地面が平坦だということになる。
道の幅はあの巨大な大八車が二台横に並ぶのは不可能だが、それなりに余裕はあった。追手の馬車か何かがどれ程の大きさかはわからないが、うちの大八車より大きいということは無いだろう。
「仕掛けるなら、やはりここか」
目的の場所に着き、周囲と足元の確認をしておく。
片側の森はかなり密集していて、乗り物を走らせることはまず不可能。川の方もバッタ族がいるのは川上なので、こっちも除外していいだろ。
道幅は俺が四人縦に寝転んでもいけそうだ。大体、六メートルぐらいか。地面は多少の凸凹はあるが、基本的には平らだ。実際、通ってきたので間違いない。
ただ、ポルタの葉が地面に横たわっているだけなので、糸ならまだしも縄を仕込むのは難しい。もう少し時期が遅ければポルタの葉が立つらしく、罠も仕込みやすいのだが。
「まあ、手はあるが」
「流石ですね、土屋様! いったい、どのような策を!」
至近距離からの大声に思わず顔をしかめてしまった。
「ショミミさん。ついてくるなと、何度も念を押したよね?」
「はい、私を心配してくれているのですね! 感激です!」
人の話を全く聞く気のない彼女が、目を輝かせ早口で捲し立てる。
彼女は俺の言うことに従順であるように見せかけて、実は我が強い。都合の悪いことでも脳内変換をして、ボジティブに受け止める特殊な脳をお持ちのようだ。
何度も帰るように説得したのだが、聞く耳を持たなかった。
「バッタ族は恩義を何よりも大切にする一族です。助けてもらったまま、何も恩を返せずに自分だけのうのうと生き延びるなんて、できません!」
そういう考えは嫌いじゃないが、こういった場面では迷惑に過ぎない。
「俺一人なら何とでもなる。でも、キミがいるとなると」
「私の事は気にしないでください。ダークゴブリン如きに後れは取りません。それに、何があったとしても私の責任です。いざという時は見捨ててもらって結構です」
そう言われて「はい、そうですか」と危機に陥った時、見捨てられる人がどれだけいるのやら。簡単に割り切れるぐらいなら、そもそもバッタ族を救っていない。
「ショミミさん。手伝ってくれるというのなら、俺は遠慮なく使うから。危険な行為もさせるよ?」
「望むところです!」
望むんだ……もう、何を言っても無駄だろうな。純粋に恩返しを考えているのなら、まだいい。彼女の態度がそれだけではない事を雄弁に語っていた。
「もう一度言っておくけど、俺には恋人がいる。だから、どんなに好意を寄せられても、それに応えることは出来ない」
よくよく考えると告白はしたが、桜と恋人同士かと言えば疑問が残る。ま、まあ、今は深く考えないでおこう。
俺の容赦のない断言に彼女が眉をひそめる――眉は無いのだが。
「はい、わかっています。でも、私が貴方を好きでいるのは自由ですよね」
そう言われると、返答に詰まってしまう。純粋に俺の事を思ってくれている素敵な女性……と普通は思うのかもしれないが、俺はそう思えない。
不倫や愛人になる人の定番の言い訳だよな。男に都合が良く、相手が断りにくい台詞。確かに好きでいるのは個人の自由だろう。
俳優やアイドルを好きになって、相手に恋人ができようが結婚しようがファンをやめない人も多い。そういった人は自分には手が届かないとわかっているから、嫉妬はするがどうもしないだけで、少し努力すれば触れ合える距離にいれば、その想いを我慢できるのか。
「気持ちは嬉しいけど、その想いは別の人に向けた方がいいよ」
「……はい、努力はしてみます……」
消え入りそうな声で呟くショミミの姿に心が痛むが、淡い期待をさせるよりいい筈だ。
はあ、昔から色恋沙汰は苦手なんだよな。こんな俺の何処がいいのやら、正直理解に苦しむ。彼女の場合は強い相手に惚れやすいという、本能が疼いているだけだろう。
暫くすれば、落ち着くと信じたい。
「と、この話はここまでにしよう。これから、罠も張らないといけないからね。たぶん、一時間もしないうちに敵の部隊がここを通る。切り替えていくよ」
「すみません、わかりました!」
自分の想いよりも生き延びる事が最優先なのは彼女も理解してくれている。
相手の気持ちに気づかないふりができる程、鈍感でも無責任な人間ではないつもりだが、ここでその話題に触れるのは間違いだったかもしれないな。
意外と権蔵なら、こういう場面でも上手くあしらえたかもしれない。漫画やラノベの模範的な主人公タイプの権蔵を思い出し、俺は苦笑いを浮かべてしまう。
俺には帰る場所がある。こんなところで躓いていたら仲間に笑われるな。
迫りくる敵を察知しつつ、罠の配置を始めた。