英雄に憧れた少年
僕は英雄に憧れていた。
「何て顔してんだ、あああっ! てめえは、俺がいるから生きていけるんだろっ!」
頬に拳が突き刺さる。
「何だその反抗的な目つきは!」
みすぼらしい無精髭だらけの汚い顔を更に醜く歪め、男がいつものように殴りかかってくる。
反論する気も、抵抗する気さえない。ただ、いつものように受け入れるだけだ。
「てめえが死んでも、誰も悲しまねえ! それどころか、気味の悪い子供が死んだと親戚一同清々する筈だ!」
その通りだと思う。
栄養失調気味で痩せ衰えた体に、何か企んでいそうな目つきの悪さ。そして、生まれ持っての不幸体質。
両親を含め、周囲に不幸を撒き散らす子供。
この人だって、当初は優しい素敵な男性だった。親戚をたらいまわしにされていた僕を不憫に思い、血の繋がりも薄いのに育ててくれた。
だが――僕を拾ったのが運の尽き。自営業の会社は不況に見舞われ経営が悪化。会社の金を従業員に盗まれ、愛想をつかした嫁は出ていき、全てを失うのに二年もかからなかった。
「てめえは疫病神だ!」
その通りだと思う。
「生きている価値なんてねえんだよ!」
その通りだと思う。
大切な両親は事故で奪われ、残された保険金は親戚一同に奪われ、両親の残してくれた思い出の詰まった家も奪われ、恩人の優しい心も資産も奪われ……奪われてばかりの人生だ。
不幸を打ち砕くだけの力が僕にあれば……。
こんな可愛げのない顔と痩せ細った体でなければ、人生少しは変わっただろうか……。
変わりたい。
もし、生まれ変われるなら、今度は奪われる側ではなく奪う側に。
そして、疎まれる存在ではなく、物語の英雄のように人々に尊敬され、理不尽な状況を覆す強い力を有する男に。
えっ? ここは教室?
周囲には机と椅子がずらっと並び、学生服を着た人が沢山いる。
でも、僕の通っている中学はブレザーだよな。みんな黒い……学ラン? だったかな、それを着ている。女性はセーラー服を着ているみたいだけど。
それに年齢がバラバラだ。僕と同い年ぐらいの子もいるけど、殆どが年上みたいだ。学生服姿に違和感しかない。
どういうこと?
何で、こんな状況に……ええと、思い出すんだ。確か、一番最近の記憶は――
両親の残した型の少し古いノート型パソコンを使い、僕の許された唯一の娯楽である、素人投稿小説サイトでお気に入りの更新チェックを終え、眠りについたまでは覚えている。
となると、夢か。
何だ、そうだよな。妙に鮮明な映像だけど、たまに現実と判断が付かなくなる夢を見ることだってあるし、これもそういった夢なんだろう。
だって、立ち上がろうとしても立ち上がれなかったし、声を出そうとしても出ない。周りの人にも全く見覚えが無い。
何だ、焦って損したな。夢だというのなら楽しまないと。現実より辛い夢なんて存在しないから。取り敢えず、もっと周囲を観察しようかな。
教室は異様なまでに大きいな。軽く数えてみたけど100人以上はいるみたいだ。
みんな、学ランとセーラー服を着ている。似合っている人と似合っていない人との差が激しい。
隣にいる、スーツの似合いそうな美人の女性がセーラー服を着ていると、女優やモデルが何かテレビの企画でやらされているような違和感がある。
もっと年配の男性だとバラエティーみたいだ。
みんな、焦って周囲を見回している。何だろう、夢にしては参加者の人たちの表情と動作が生々しい。凄く、リアルな夢を見ているのかな。
「皆さーんお待たせしましたぁ」
あ、女性の声だ。
僕は教室に初めて響いた人の声に反応して、視線を向けた。
そこにいたのは妖艶という言葉が似合う女性だった。紺色の女性用スーツに黒縁の眼鏡が似合っている。二十歳ぐらいかな。
長い黒髪を後ろで縛っているみたいだ。あと、胸が凄く大きい。胸元のボタンを外しているのがわざとらしい。それに、ただでさえ短いスカートなのに深いスリットが入っているし。自分の夢とはいえ、ちょっと狙い過ぎな格好な気がする。
でも、よく見ると……前にエロ動画サイトで見た女優さんの格好にそっくりだ。何だか自分が少し情けない。
周りの男は鼻の下が伸びている人が多いな。女性は羨ましそうな顔と、何か怒ったような表情の人がいるけど。
「はぁい、皆さん注目してくださーい。今、皆さんは色々と混乱してるようですから、先生からお話しますねー。と言っても、詳しい説明はいらないとおもいます。ここにいる皆さんは選ばれた存在です。この状況を直ぐに呑み込めるような人材を選びましたので」
急に変なことを言い出したな。
選ばれた存在?
この不幸が服を着て歩いているような僕が?
でも、夢なのだから僕の英雄願望が現れているだけか。そういや、こんな展開どこかで見たことがある。
あっ、そうだ。僕の好きな異世界転移や転生物の小説――
「皆さんには異世界に転移してもらいまーす」
その言葉が電流のように頭を駆け巡った。
虚ろだった心が晴れ、目の前の光景が鮮明にリアルの画像として脳に叩き込まれる。
異世界転移!?
え、これは夢……違う! 今ならわかる! 理屈じゃなく頭と心が理解できた。これは幻でも夢でも妄想でもない!
自分の置かれている状況が完全に理解できた。さっきまでの夢だという考えが嘘のように掻き消え、現実として受け止められた。
「喜んでもらえたようで、なによりですぅ。あ、そうそう。何故皆さんが選ばれたのか説明してなかったわ。ちょっとお話長くなるのだけどぉ、今年日本を取り仕切っている担当者、まあ神様みたいな存在が代わったのよ。今までは放任主義で日本に住む人のやりたいようにやらせていたのだけどぉ、新しい担当さんは中々厳しい人でね。最近の日本の状況が気に入らないらしくて、日本に害を与える存在を一斉排除することに決定しましたぁー」
ふーん。まあ、納得かな。
僕みたいな存在は周囲にとって邪魔なだけだし、納得だよ。
「あ、でもぉ、勘違いしないでね。皆さんが直接悪人ってわけじゃないの。貴方たちは近い将来――」
何かフォローしてくれているようだが、そんなことは今どうでもいい。
転移者に選ばれた理由なんて些細なことだ。それよりも、この先。
僕の読んできた転移、転生物の小説なら次にアレがある筈!
「じゃあ、いきさつはここまでにして。今後の事についてぇ、簡単にですけどぉ、説明するわね」
どうでもいい話がやっと終わった。ここからだ、楽しみにしていたのはここから。
行く場所は異世界のレッカンテプニン大陸の何処か。そして、冒険者とか小説でお馴染みの職業があるファンタジーな世界。
いいぞ、いいぞ! 思い描いていた夢の世界じゃないか。
「そして、皆さんを何もない状態で異世界に送ったりはしません。もう、わかってるわよね。そう、皆さんお待ちかねのスキル割り振りタイムですよぉ! 日本の小説でかなり勉強したから、安心してねっ。皆さんなら直ぐに理解できるシ、ス、テ、ム、よぉ」
よし、きたああああっ!
スキル制の能力割り振りか! 自分が同じ立場ならこういうスキルを取りたいと妄想し、何度も夢見てきたシチュエーション!
あ、机が光っている。おおっ、スキルがずらっと並んでいるぞ。
何々、あの女性の説明によるとタッチパネル方式で、与えられた1000Pを割り振って選択する方式か。よっし、理想的だ。
ああ、嬉し過ぎて体と指が震える……神様ありがとう! 日本では碌でもない人生だったけど、こんな展開が待っているなら今までの人生なんてどうでもいい。
力を得て、僕は英雄になってみせる。
忌み嫌われる存在ではなく、人に必要とされ、尊敬される存在に。
その為には力だ。ここにいる誰よりも強い力を手に入れないと。これだけ多くの転移者がいるんだ。ちょっとやそっとの力では目立つことも活躍することもできない。
となると、僕が求める理想のスキルは――ん?
スキル欄が薄ら光っている? 机の左隅のスキルが微かにだけど他より明るいような。
僕はその光に誘われるように、机の隅のスキルにそっと触れた。
『奪取』
これだ、これだ、これだ!
僕の求めていた理想のスキルだ!
消費ポイントが300も必要で、与えられたポイントを結構消費するけど、迷う必要が何処にある。それだけ強いってことだ。なら、取っておかないと。
奪取を取得すると、体内に何かが滑り込んだような妙な感覚があった。でも、嫌じゃない。それどころか、心が熱くなり気分がいい。うん、僕は間違っていなかった。
奪われるだけの人生は終わりだ。
これからは僕が奪ってやる。英雄になる為に必要なものは全て奪う。
生きる為に心を殺し従うことも、無抵抗を貫くことも、もう必要ない。僕は強くなる。そして、英雄になってみせる。
ああ、気持ちいい。産まれて初めてだ。こんなに清々しい気持ちになったのは。
頭もいつもより鮮明で今なら冷静に判断ができそうだ。自分が強くなるために何が必要か、きっと見極められる。
「さあ、英雄に相応しいスキルを選ぼう」
僕の言葉が聞こえたらしく、隣の席の人が驚いた顔でこちらを見ているが、どうでもいい。
ここからが本番だ。奪取を有効に使う方法を考え、必要不可欠なスキルを探さなければ。
楽しみだな……本当に楽しみだ。異世界転移。
「ここが異世界」
旅立ちは森の中からか。
背の高すぎる木々が立ち並び、自然が殆どない僕の住んでいた地域ではあり得ない、濃い植物の香りが充満している。
あの後、説明スキルの存在に気づき、ステータスにポイントを振れたのは幸運だった。アレが無ければ、どんなに強い力を有していても転移直後に死ぬところだ。
今まで運のない人生だったが、あの教室から僕の本質的な何かが変わったのかもしれない。
「異世界で英雄になれと言われているみたいだ」
都合のいい解釈かもしれないが、『奪取』スキルをいち早く見つけたことといい、運命がそうさせているとしか思えない。
生徒手帳を開き、生き延びる為に自分の能力を確認しておく。
レベル1
筋力 ( 6) 6
頑強 (12)12
素早さ( 7) 7
器用 (11)11
柔軟 (11)11
体力 ( 6) 6
知力 (11)11
精神力(12)12
運 (10)10
「ふははははは」
何度見ても笑える。自分のステータスのアンバランスさに。
これって、10が平均だと思う。
無駄に柔らかい体と手先の器用さには少しだけ自信がある。それに、勉強と読書しかすることが無かったので知力が人より少し上だというのは自覚していた。
筋力も体力も平均より下回っているのは、碌にご飯を食べさせてもらっていないからだろう。
頑強の数値は病気になっても病院に行かせてもらえず自力で回復して、どんな残飯でも生きる為に食べてきたからかな。
この考えで、たぶん間違いない筈だ。
精神力が高いのは、周囲にいびられても我慢してきたおかげか。
ただ、運が平均値あるというのが納得いかない。今までの人生を顧みて、運があったとは口が裂けても――いや、運はあったのか。
大人になるまでは充分生きていけるだけの保険金も得た。親が残した家もあった。だが、それを全て奪われた。それは運ではなく、ただの不幸だとでも言いたいのか。
まあ、いいか。今更詮索したところで、過去が戻るわけでもないしな。
レベル1しかステータスレベルを上げていないから力は貧弱なままだけど、レベルが上がったら早く2ぐらいまでは取っておきたい。
後はスキルか。
『奪取』1『窃盗』1『説明』2『状態異常耐性』1『環境適応』1『身体変化』1『隠蔽』1
説明で窃盗が必要なのを知って焦ったけど、凄く少ないポイントで取れたのはありがたかった。それに『状態異常耐性』『環境適応』『身体変化』『隠蔽』も異様に消費ポイントが少なかったよな。
使えそうなスキルは軒並み消費ポイントが高かったのに、このスキルは消費ポイントが少なくて助かった。
スキル取得の条件には何かしらの隠し要素があるのかもしれない。いずれ、きちんと調べておきたいな。
「うん、まずは一歩踏み出さないと」
強くなるための手段。それは『奪取』を利用しスキルを奪うこと。
相手の心臓を掴み、潰さなければならないが……今更躊躇う必要はない。
身体能力の低い僕がそれを実行する手段としては、異世界にいるであろう魔物に対してよりも、同じ転移者に行った方が確実だ。
今ならレベルは横並び。何かあった時の為にポケットに忍ばしておいたナイフは、ちゃんとある。
『隠蔽』を発動させ、できるだけ魔物との遭遇を避ける。
この状態で散策し、同じ転移者の死体を見つけるか、魔物の死体でも見つけられれば御の字だ。説明を取得していない転移者は多い筈。なら、異世界にやってきた時点で死んでいる者が多数だと思う。
奪取の条件には心臓を握り潰すとだけあった。死体でもおそらく可能。この前提が間違っていた場合は――生きている転移者に近づき油断させたところを……。
その光景を頭で想像してしまい、体に震えが走る。
考えただけだというのに、手足が小刻みに震え、全身の力が抜けそうになった。
これは、非常手段だ。死体を探せばいいだけのこと。
人を殺すのは最後の最後でいい。
その一歩は、まだ踏み出せそうにないが、その必要がなければ問題ないことだ。
「いやあああああっ! 誰か、誰かっ!」
女性の叫び声!?
え、転移者!? それとも、別の誰かかも。ああ、ええと、行かないと!
悩んでいる場合じゃない。誰でも危ないなら助けないと!
切羽詰まった感じの悲鳴に、思わず足がすくんでしまうが、勇気を奮い立たせ何とか走り出す。
今までの決意や考えなど完全に頭から消え、助けを求める声に反応した無意識の行動だった。
この時、僕が向かわなければどうなっていたのだろう。
怯え戸惑い、立ちすくんでいたら別の人生があったのだろうか。
震える脚を無理やり動かし、情けない走りながらも必死で駆けつけた。この出会いが、人生に大きな変化をもたらすことを知らずに……。