自分が異世界に転移するなら
「とまあ、こんなことがあったんだよ」
日課である桜との会話を数日していなかったので、最近の出来事を一気に話し終えると、桜の幹に背を預け、上空を仰ぎ見る。
そこには枝を伸ばし、満開の花を咲かせている薄紅色の世界が一面に広がっていた。
桜が聖樹へと変化してから、約半年、長いような短いような時間だったな。
最大の脅威であるオークキングこと迎田が死に、平穏が訪れるかと思われたのだが、あの爆発で尋常ならざる力の余韻を感じとったドラゴンが、活発になるというイベントが待ち受けていた。
オーガの村はドラゴンの暴れている区域に近いため、暫くの間、桜の聖樹の元に避難し、何とかドラゴンを撃退するまで、ここに仮住居を作ることになった。
何とか騒ぎが収まった後も、ここには何人かのオーガが住み着いている。
桜の花の美しさに心を奪われたのもあるのだが、もう一つの要因が大きかったようだ。
ここが――聖樹の力により邪悪な魔物が近寄ることができない、この島唯一の安全地帯だということ。
オーガたちは、ここに第二の村を築くと息巻いていた。
それに、ここで生活をしているのはオーガだけではない。オークに支配されていた、コボルトの生き残りも共に過ごしている。
大半のコボルトは俺たちとの戦いと、あの爆発に巻き込まれて死亡したそうだが、僅かながら生き延びたコボルトがいた。
迎田が死亡し、恐怖による支配から解放されたコボルトたちが、今度は俺たちの元にやってきて、何でもするから住まわせて欲しいと懇願してきた時は、流石に驚いたな。
『精神感応』で心を読み取り、偽りのない本心だと確信し、仲間やオーガと相談の結果、この近くに住むことを許すことにした。
コボルトたちは、よく働き手先も器用なのでかなり重宝されている。
今は、木造の家が四軒と、コボルトの住む簡素な布張りのテントのような家が何軒かあるだけだが、何十、何百年後には、かなりの規模になっているかもしれない。
「お、土屋さんここにいたのか! 見てくれ、大漁だぜ!」
権蔵は自分がすっぽり入っても余る大きさの網を担ぎ、その中には大量の魚が密集している。
こんがりと日に焼けた顔と、簡素なシャツから飛び出る筋肉質な腕。異世界に来てから一度も切っていない髪は伸び放題で、今は後ろでまとめて紐で括っている。
日に日に精悍さを増している権蔵は、今や、オーガの女性たちにも人気があり、アピールをしてくる相手も多い。だが、彼は未だに独り身だ。その理由は――
「権蔵、早く下ろす。下処理しないと味が落ちる」
文句を言いながらも常に付き添っているサウワの存在だ。
サウワもこの半年で肉体的にも精神的にもかなり成長している。バッサリ切り落としていた髪も今は肩に届くぐらいまでには伸び、毎朝ブラッシングも欠かしていないそうだ。
それは、桜と最後に交わした約束である、女の子らしくする為の一歩らしい。
二人の口論は絶えないが、仲のいい兄妹がじゃれあっている感じに見える。
実際、権蔵はそう考えているだろう。だが、サウワはそうではない筈だ。
言動を見ている限り、サウワが抱いているのは恋心としか思えない。
まだ、少女と呼んでも差し支えない年齢なので、本格的な恋愛には早すぎるが、いつか自分の心を理解して、素直になれる日が来ることを願っている。
「お帰り二人とも。その魚は湖で獲れたものかい?」
「おう、そうだぜ。先月辺りから、かなり魚が増えてな。毎日食っても食べ尽くせない量がいるぜ」
湖とは、あの爆発により、すり鉢状に陥没した大地の底から水が湧きでて溜まり、巨大な湖と化した場所の事である。
近くの川と繋がり、大量の魚が流れ込み繁殖して、今では漁も行われている。
オーガたちの若者にとって、桜の聖樹と南の湖は絶好のデートスポットらしい。
まだ、オークの残党やヘルハウンド、ハーピーといった魔物は存在している。他にも、この島には脅威と呼べる存在の魔物も多く住み着いている。
だが、オーガや俺たちが頻繁に島を見回り、時には退治し、島の安全な領土を広げつつあった。
「ここも、来た時とは違い、かなり住みやすい島になってきたかな」
「そうだな。桜姉さんの近くにいれば、魔物は寄ってこねえし、たちの悪い魔物は島の南西に追い込んでいるからな。あそこをどうにかできれば、この島もかなり安全になる筈だ」
この島に飛ばされた当初からしてみれば、夢のような話だが、実現は不可能ではない。まだ時間はかかるだろうが、未だに成長を続ける権蔵がいれば、そう遠くない未来に現実となるだろう。
『土屋、土屋、ねえ、ねえ、本当にいっちゃうの? やめない? 何がやなの? ミトコンドリアの事が嫌いになった?』
ミトコンドリアが上空から俺の前に舞い降りてくると、矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
あれから、見た目も性格も変わりがないように思えるミトコンドリアだが、聖樹となった桜を見てから、ほんの少しだけ大人びた表情を見せることがある。
たまに一人で、桜を見上げ何か話しているようだが、その内容については教えてもらえなかった。
「落ち着け、ミトコンドリア。前から言っていたことだろ。嫌いになったわけではないって。俺はどうしても行かなければならないんだよ」
ここ数日、同じような事を言い、引き留めようとするドリアードの頭を撫で、俺は立ち上がった。
聖樹となった桜の近くで、死ぬまでの時を過ごす。その生き方を魅力的に思わなかったと言えば嘘になる。実際、決心が揺らぎ、何度、眠れぬ夜を過ごしたことだろう。
だが、結局俺は当初の想いを貫き、この島から離れることを決めた。
この半年、桜を元に戻す手段はないか島を隅々まで調べ、オーガの村に残されていた、前の転移者たちの書物やアイテムも確認させてもらったが、解決の糸口すら見つけられないでいる。
憶測としては、この島に眠る邪悪な存在を滅ぼせば、桜が解放される可能性はあるだろう。だが、神が封じた存在をどうやって人の手で倒せばいい。
力を得るにしても、何かしら別の手段を探し当てるにしても、この島で手がかりを掴むことは難しい。苦渋の決断をしなければならなかった。
「ミトやめるんだ。土屋さんには目的がある。だから、行かせてやれ」
「そうだよ、ミト。寂しくてもここは我慢して」
権蔵とサウワに何度も引き留められたが、今では納得して俺の旅立ちを認めてくれている。
「すまねえな、土屋さん。本当は俺も同行すべきなんだが、この島でやりたいことができちまった」
「ああ、わかっている。むしろ、権蔵が残ってくれるから、安心してこの島を離れられる」
権蔵のやりたいこと。それは――この島の脅威を取り除き、安全な島にすること。
その考えを口にした時の、権蔵の強い眼差しと口調を今も覚えている。
「今も島のどこかで息を潜め、隠れ生き延びている転移者がいるかもしれねえ。それに、70年前に転移してきた人たちがいたろ、あの人たちみたいに、また何十年後に誰か転移してきたときに……安全に過ごさせてやりてえじゃねえか。俺たちみたいに、絶望感を味わう異世界転移じゃなくてさ、思い描いていた夢のような異世界転移。それを経験させてやりたいんだよ」
それを聞いた俺は心が震え、権蔵を見直した……いや、尊敬した。
俺は自分や桜の事ばかり考えていたが、権蔵はもっと大きな目線で大局を見ていたのだ。本心を言えば共に大陸へと渡ってくれたら、どんなに心強かったかと思う。
だが、見知らぬ誰かを助けたいという権蔵の強い想いを、俺が否定するわけにはいかなかった。
「本当にすまねえ。残るからには桜姉さんのことは任せてくれ。ミトと一緒に俺が守り続けて見せるから。なあ、ミト」
『うん! 桜はぐっすり眠っているから、ちゃんと起きた時にミトコンドリアが傍にいないとね!』
どうやら、ミトコンドリアも納得してくれたようで、笑顔で元気に頷いている。
ドリアードだからなのだろうが、桜の精神が聖樹の中で眠りについていることがわかるらしく、今は深い眠りの中にあって、いつ目覚めるか予想もつかないらしい。
一年後なのか、十年後なのか、百年後なのか……。
「頼んだよ、権蔵。それにミトコンドリアも桜の事よろしくな」
『まっかせてー』
ミトコンドリアなら、桜がもし何百年先に目覚めたとしても、共に同じ時を過ごしてくれるだろう。俺がもし、桜を救う術を見つけることができずに死んだとしても、寂しさが少しは紛れる。
「じゃあ、船の整備も終わっているだろうから、そろそろ行こうかな」
海岸で待たせている船に乗り込む約束の時間まで、残りわずかとなっている。
先日、この島に辿り着いた一隻の船を乗っ取ったのだが、想像以上に楽に事が運んだ。
この島で磨き上げられた俺たちの実力は相当なものだったらしく、護衛で雇われていた冒険者10名を俺とサウワでいつもの不意打ちで出鼻を挫き、正面突破した権蔵が残りの冒険者をあっさりと倒してしまった。
念の為にオーガの戦士たちも潜んでもらっていたのだが、申し訳ないことに出番はなく、こちらが拍子抜けするほど、あっさりと船を占拠できてしまったのだ。
航海に必要な船員を確保し、歯向かう者がいれば、この島に下船してもらう予定にしていたのだが、こちらも何の抵抗もなく話が進み過ぎていた。
不信感を覚えた俺は船員たちの心を読んだのだが、船員は政府関係者を名乗る男たちに、安い金で無理やりこんな場所まで連れてこられ不満を抱いていたようだった。
ならばと、こちらが幾つかの魔石を提供し、少しばかり『同調』を発動させ、転移者ということは誤魔化しながら、身の上話を語ると同情してくれ、快く大陸まで乗せてくれることとなり、今に至る。
「じゃあ、権蔵、ミトコンドリア、ここでお別れだ。サウワ行こうか?」
「あ、う、うん……」
俺の差し出した手をじっと見つめ、サウワは俯きながら手を伸ばしてきた。
もう少しで俺の手を掴むところで、さっと手を引き、驚いた表情のサウワを正面から見据える。
その瞳には迷いがあった。俺と視線を合わせることを避け、瞳が忙しなく動いている。前からわかっていたことだが、やはりそうか。
「サウワもここでお別れだね」
「えっ、わ、私も土屋お兄ちゃんについて……」
言い訳をしようとするサウワの頭にそっと手を添える。
俺がこの島を離れることを切り出したとき、権蔵よりもサウワの方が俺を引き留めようと必死だった。初めは俺と大陸に戻る気で話を聞いていたようなのだが、権蔵がここに留まると口にした途端、態度がガラッと変わった。
サウワは俺の事も大切に思ってくれているようだが、それよりも権蔵と離れたくない思いが強いようだ。
大事な娘や妹を他人に奪われたような哀愁はあるが、権蔵ならと納得できる自分もまた存在する。あまり、中二病の影響は受けて欲しくないところだが……それは当人同士の問題だな。
「いいんだよ、サウワ。それに、権蔵を一人でこの島に置いていたら、何をしでかすかわからないだろ。サウワがちゃんと見張ってないと」
「え、あ、うん、そうだよね! しょうがない。権蔵を見張る為に残ってあげる。権蔵お礼は?」
「ふ、ざ、け、る、な。ったく、俺と離れたくないなら、素直にそう言えよ」
強がってそういうサウワに、権蔵がおどけた感じで、気障っぽい台詞を口にした。からかうつもりで、口にしたようだが……それを聞いたサウワの顔が真っ赤に染まる。
「へっ? サウワ……お前、もしかして」
「うるさい、こっち見るな」
照れて伏せた顔を覗き込もうと、権蔵がしゃがんだまま素早く前に進むという、若干気持ち悪い動きを見せる。
サウワも顔を見られたくないのだろう、伏せたまま、素早い動きで後方へ逃げるという器用なことをやってのけていた。
本当に息がぴったりだな。あと数年もすればお似合いのカップルになっていそうだ。
『そうですね』
不意にそんな声が聞こえた気がして振り返ると、桜の聖樹が風に枝を震わせ、枯れることなく咲き続ける満開の桜花が楽しそうに揺れていた。
「おーい、二人とも俺はそろそろ行くぞ!」
「おおっ、すまねえ。なあ、本当に船まで見送りに行かないでいいのか?」
「うん、私も船まで見送りたい」
「いや、いいよ。湿っぽいのは苦手だから。それに、今生の別れでもないしな。桜を元に戻す方法を見つけ出し、必ずこの島に帰ってくる。お互い離れ離れになるが、心はいつまでも一緒だ」
我ながら少々くさい台詞だが、本心なので照れずに口に出せる。手を差し出すと、権蔵が力強く握り返し、サウワとミトコンドリアが手を重ねた。
「おう、当たり前だぜ。俺たちはずっと仲間だ……いや、もう家族だろ!」
「うん。家族。桜も、ゴルホも、みんな私の家族」
『ミトコンドリアも木だけど家族だー』
「ああ、最高の家族だ。皆、元気で! 必ず、また会おう!」
「またな!」「うん、必ず!」『ちゃんと帰ってきてね、私のマスター!』
俺は背を向けたまま大きく手を振り、その場を後にする。
暫く進み続け、もう仲間の姿が見えない距離まで移動すると、俺は一度振り返った。
満開に花を咲かせる桜の聖樹が良く見える。
周辺の木々から抜き出た高さのある桜の聖樹は、緑の中に淡紅色が浮かび上がり、島のあらゆる場所からでも目につくのではないかと思わせる程に、その存在が際立っている。
もし、転移者がこの光景を見れば、思わず足を運んでしまうような、美しさと安らぎを感じる光景だ。
桜が日本人になら一発でわかる桜の木に変貌したのも、この島で迷い彷徨う転移者たちを導く目印になればいいという思惑が――というのは考え過ぎだろうか。
「桜、行ってきます」
今日まで散々言葉を交わしてきたので、今更長い別れの言葉は必要ないだろう……まあ、返事がなかったので、一方的な会話だったが。
相手の反応がないのを良いことに、かなり恥ずかしい自分の過去や、桜への素直な気持ちも暴露してしまった気もするが……これで実は眠っていなくて、全て聞かれていたら元に戻った時、恥ずかしくて顔を合わせられないかもしれないな。
そんなことを思いながら苦笑いを浮かべていると、空から何かがひらひらと舞い降りてくるのが見えた。
目を凝らして見ると、どうやらそれは桜の花びらのようで、手を伸ばして掴もうとしたのだが、指の間をすり抜け俺の唇に貼り付く。
「これは、浮気するなってことか」
桜から釘を刺された気がしたので「善処するよ」と言っておいた。
足に装着した『韋駄天の靴』に精神力を注ぎ能力を解放すると、俺は通い慣れた森の道を真っ直ぐ進んでいく。
慣れていない人なら獣道すら存在してないように見えるが、俺にしてみれば充分すぎるぐらい整った道だ。
歩行の邪魔になる剥き出しになった木の根も、大きな石が無数に転がった荒れ地も、走行の邪魔にはならない。通い慣れた庭のようなものだからな。
たった一年という短い期間だったというのに、この島では様々なことがありすぎた。
楽しいことより辛いことが多かった筈なのに、思い出すのは仲間との楽しい日々ばかりだ。
「桜を戻す手段を必ず見つけて、俺は戻ってくる。必ず……」
今日で島を旅立つことになる。
この先に何が待つのか、大陸はどういったところなのか。
サウワから軽く情報は得ているが、僻地の村から出たことのないサウワの話では、詳しいことは全くわからなかった。
それが心配でもあり、楽しみでもある。
海岸まで辿り着くと、出航準備を整えた巨大な船が目に入った。もう、俺が乗り込むのを待つだけのようだ。
俺は最後に島へ向き直り、瞼を閉じた。
ここで死んだ多くの転移者とオーガの冥福を祈ると、ゆっくり瞼を開く。
そして、胸いっぱいに、この島の空気を吸い込む。
「行ってきます!」
俺の異世界転移物語は一旦ここで終わりを告げることとなる。
自分が異世界に転移するなら――と何度妄想してきたことだろう。現実は思い描いてきた物語とあまりに違う展開だったが、これが俺の物語だ。
新たな物語はどうなるのか、そんなことを考えている俺を乗せ、船は沖へと進む。
「へえー、生き延びて島を脱出する人が現れるなんてね」
誰もいない巨大な教室で教卓の上に腰かけ、黒板に映し出された贄の島の様子を眺め、笑みを浮かべている女がいる。
「親しくなった者を不幸にする隠しスキルを与えられた存在だというのに……ふふふ。まさか、仲間も生き延び、一人島を離れる展開になるなんて。面白い子」
体のラインが浮き出て体に貼り付くような、サイズが小さめのスーツを着込んだ女教師らしきモノが、妖艶な笑みを浮かべ島を離れる船にそっと触れようとする。
だが、何かを思い直したらしく、触れる直前にその指を止めて、指先をくるくる回している。
「このまま、津波でも起こして溺れさせてもいいんだけどぉ、島に戻るって言ってたしぃ、今後の展開も楽しみよねぇ。うん、もうちょっと泳がせてあげようかしら」
教卓の上から降りると、黒板の縁をそっと撫でる。
それだけでテレビの画面が消えたかのように、黒板が元の姿を取り戻す。
「さてと、あんまり遊んでいると、他から文句言われそうだし、仕事しよっかなー」
女は鼻歌交じりに教室を出ると、廊下を歩いていく。
誰もいない教室に置かれた生徒用の机上には、さっきまで何もなかったというのに、殆どの机に白く細長い一輪挿しと、一本の菊の花が生けられていた。
これにて、贄の島での物語は終了となります。
外伝か閑話のようなものを挟む予定にはしていますが、年末は忙しいので、一度か二度更新できればいいかなと考えています。
この物語について色々語りたいことはありますが、それは年始にでも活動報告の方で触れたいと思います。
大陸編をどうするかは、未だ思案中です。
皆さん、ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。