前夜
我ながら過酷な日々だったと思う。
三か月という期間。心が休まる日が全くなかった。約束を取りつけたとはいえ、相手がそれを守る義理は無い。口約束にどれだけの価値があるのか。
警戒を続け、死を間近に感じながら俺たちは、腕を磨き続けた。
魔物の討伐中に何度もオークの姿を見かけたが、こちらに手を出してくることは無い。その事は厳命されていたようだ。
オーガたちの村も健在で、彼らも無事に日々を過ごしている。
お互いの連携に磨きをかけ、能力を平均的に伸ばしていては迎田には届かないと、能力を特化させていく方針で、己を極限まで追い込んだ。
もう少し時間があればと思うが、今やれる範囲で俺たちは全力を尽くしたと、胸を張って言える。
「とうとう、明日だな」
「ああ、みんな頑張ってくれた。本当に、お疲れさま」
そう切り出した権蔵とその背後に並ぶ仲間に、労いの言葉を掛けた。
「全く、酷い日々だったぜ。あの時は勝てる気は全くしなかったが、今は明日が待ち遠しいぐらいだ」
たった三か月だというのに、権蔵は野性味が増し、頬に消えない傷跡があり精悍な顔つきになっている。
学生服も所々が破れ、何度も補修した後があるのだが、それも今の権蔵には似合っていて、学生服姿だというのに昔の剣豪のようだ。
本人は気づいていないようだが、自信溢れる雰囲気も相まって、かなりイイ男に見えてしまう。まあ、誰も当人に教える気はないが。
「今のサウワは風……漆黒の風」
肩より少し下まで伸びていた髪をバッサリ切り落とし、ショートカットになったサウワが虚空を見つめ呟いている。
格好は黒一色の体に貼り付くボディースーツのような服だ。
ちなみに、サウワに懇願されて俺が縫って作ったお手製の衣装だったりする。
この島の一番寒い時期を越えたとはいえ、まだまだ寒く、サウワの格好は見ているだけで寒くなってくる。今は運動を終えたばかりなので、まだ大丈夫だろうが、もう少し時間が経てば流石に上着を羽織らせよう。
「風が悲鳴を上げている……サウワの隠された力に触発されているのかっ」
サウワが痛々しいことを口にしているのには理由がある。日本語を完全に聞き取れるようになったサウワは、権蔵のスマホに残っていたアニメを見てしまい、どっぷりとはまってしまった。
わかりやすく言えば、権蔵のせいである。
まあ、戦闘後や戦闘中のテンションが高まっている時だけ、おかしくなるので、まだましなのだが。
今度ゆっくりと、中二病を患うと後にどういう影響を与えるか、真実を交えながら語ってあげよう。
「土木作業完了」
スコップを肩に担いだ草の塊から声が響く。言わずと知れたゴルホである。
隠蔽技術を極めすぎて、ギリースーツを脱いでいても、たまに存在を忘れることがあるぐらいだ。
もちろん、今も、ゴルホが声を出すまで完全に見失っていた。
ゴルホはここにいる誰よりもイケメンだというのに、顔を晒すことが殆どない。いつか、ギリースーツが皮膚と一体化しても、不思議に思わない自分がいそうだ。
「やっと、この日が来たのね。長かったわ……」
拳を握りしめ縁野が暗い笑みを浮かべる。
今はスーツを脱ぎ捨て、革製の長いズボンと毛糸のセーターを着ている。この服は全てオーガの村で購入した物らしい。
三か月の間、寝食を共にしてきたので結構打ち解けてきているのだが、自ら一歩引いた付き合いを心掛けているようで、結局今日まで、その距離は詰められなかった。
それが彼女の決意でもあり、けじめなのだろう。
『ミトコンドリアも頑張ったよー、土屋、土屋、偉い?』
翡翠のような緑の髪と瞳。大人の体格でありながら、口調と仕草の子供っぽさは変わらず、今も俺の前で、褒めて褒めてとはしゃいでいる。
ミトコンドリアだけは三か月前と見た目に殆ど変わりがない。
ただ、桜が願いの義手を手に入れてから、桜に完全服従の態度となっている。聖樹の力には逆らえないようだ。
「みんな頑張ったわね! お母さんは嬉しいわ! ねっ、紅さん!」
いつものジャージを着こみ、袖を捲っている見慣れた姿の桜へ、俺は笑みを返す。
「そうだな、桜」
言葉よりも態度で示してくれたようで、満面の笑みを浮かべ俺の腕に飛び付き、胸を押し付けてきた。
この三か月の間に桜との距離は更に縮まり、気が付けば、こんな関係になっている。
スキンシップが増えてはいるが、恋人といった関係ではまだない。かなり親しい間柄といったところだ。
「そういうのは、他所でやって。ここには、女体の温かみを知らない人もいる。権蔵が哀れ」
「権蔵、童貞でも生きていける」
サウワとゴルホが慰めるように、権蔵の背中をバンバンと叩いている。
「ど、童貞ちゃうわ! 俺のテクニックを知らないから、そんなことが言えるんだぜっ」
強がってそんなことを口にしたが、それを聞いた縁野が大きく息を吐き、口を挟んできた。
「権蔵君。漫画やAVで得た知識は実戦で役に立たないわよ?」
驚愕に目を見開いた権蔵が「マジか……」と絶望の声を漏らす。
こんな軽口を叩く間柄にまではなれたのだから、縁野と仲間たちの関係も悪くはない。
「じゃあ、明日の決戦に向けて、今日の晩御飯は腕を振るっちゃうぞー」
「おおおおおっ!」
体中で喜びを表現しているのは権蔵とサウワ。特にサウワは体の何処にそれだけの食事が入るのかと疑問になるぐらいの大食いで、食に関しては誰よりもうるさい。
サウワと縁野は食事の手伝いをするようで、三人そろって炊事場へと移動していった。
「土屋さん」
さっきまでのテンションとは全く違う、真剣な低い声の権蔵がいる。
「なんだ」
「正直、勝てると思うか」
「知りたい」
ゴルホも同じ気持ちの様で、草むらから俺へ視線が向けられているのを感じた。
「可能性はあると思う。こちらの思惑通りに事が進めばだが」
何もない平原で俺たちが並び、その対面方向には迎田がいる。そして、開始の合図と同時に正面から挑む――この場合の勝率は0に等しいだろう。
まだ足りない。単純な武力でやりあえる程、差が縮まっていない。
これが試合や練習であれば、相手の実力を試す為に一度戦ってみるという手段が有効だが、命を懸けた真剣勝負に二度目は無い。
ならば、お得意のフィールドで罠を巡らし、相手に実力の半分も出させないうちに葬る。これしかないだろう。
「勝つ為には、それこそ、命を懸けなければならない」
「重々承知だぜ。全員が助かるのが、一番いいに決まっている……が、そんなに生易しい敵でないのも理解しているつもりだ」
「うん。本当はみんな助かって欲しい。でも、誰か一人でも生き延びたら勝ちだと……サウワも言っていた」
皆、覚悟済みか。
戦いに挑むメンバーの中で、縁野だけは始めから命を捨てるつもりで戦う気だった。俺たちとの協力を承諾したのも、相手を殺すための苦肉の策だ。
彼女が死ぬ気で戦いに挑むつもりだったのは知っていた。それでも何度か説得を試みたが、結局最後まで意思は変わらず、今日を迎えてしまう。
ならばと、俺は割り切り、他の仲間を生き残らせることを優先することに決めた。
当人が望むならと、危険な役割を頼むことになったが、縁野は何の躊躇いもなく、ただ素直に頷いた姿が今も目に焼き付いている。
「みんなー、食器運ぶの手伝ってー!」
桜の声に反応し、頬を一回強く叩くと、辛気臭い表情を吹き飛ばした。
今更、心配も考察もするだけ無駄か。
明日の戦いの作戦以外で頭を悩ませる時間も惜しいよな。明日の決戦までの貴重な時間だ。皆と過ごせる最後の時間かもしれない。
晩餐は明日のことなど考えずに楽しく過ごそう。それが皆も望んでいることだから。
新たな拠点に建てた小屋の屋根に上り、俺は夜空を眺めていた。
人工的な灯りが一切ない、異世界の夜はとても暗く、夜に外を歩くことすらままならない。
日本にいた頃は、人気のない夜道は暗く怖いものだと感じることがあったが、本当の闇夜はそんなレベルではないのだと実感させられている。
「ここにいたのですか、紅さん」
身軽な動作で屋根に上ってきた桜が隣に座り、腕を抱え込むようにして寄り添ってきた。
「少し暖かくなってきていますけど、まだ寒いですから風邪ひきますよ」
「ありがとう、桜」
そう言って、小屋から持ってきた毛布を俺にも被せてくれた。一枚の毛布に二人して包まり、夜空をぼーっと眺めている。
「あれは出会って二日目だったかな。一緒にこうやって夜空を見ていたね」
「ふふ、懐かしいです。あの時は二人っきりでしたから」
遠い昔の出来事のようだが、あの日から半年も経っていない。
こんなにも懐かしく感じるのは、内容の濃い日々を過ごしてきたからだろう。
「色々あったな。悲しいことも、楽しいことも、悔しいことも」
「本気で死にたいと思ったことも、無力さに絶望したこともありましたけど、今はとても幸せですよ」
そう口にして肩に頭を置き、俺の顔を覗き見ながら微笑んでいる。
この世界に来てから、俺は何度この笑顔に助けられてきたのか。彼女を見ていると、愛おしさが溢れてしまい、思わず抱きしめていた。
「紅さん……」
桜は抵抗することなく、俺の背に手を回すとギュッと抱きしめ返してくる。
もう、想いを止められないな。
俺は顔を上げた桜と見つめ合うと、その唇にそっと自分の唇を重ねた。
その感触と桜の温もりをいつまでも感じていたかったが、俺はゆっくりと顔を離した。
「絶対に生き延びよう。皆もそうだが……桜は必ず守ってみせる」
「はい、信じています。私も絶対にみんなと紅さんを守ります」
ドラマや映画でこういう台詞を聞くだけで気恥ずかしいものがあったのだが、今は何の抵抗もなくその言葉を口にできた。
明日、何があろうとも後悔だけはしたくない。
もしも、運命の糸が存在し、桜や仲間たちと繋がっているのであれば、糸使いとしてその糸を手放す気はない。一生、切断することなく永遠に繋がったままで……。
朝日が小屋の窓から室内へ射し込む。
いつもなら、男女と部屋を分けて寝ているのだが、今日ばかりは全員が広間で眠っていた。
誰よりも早く目を覚ますと、全員に声を掛ける。
皆眠りが浅かったようで、いつもなら寝起きの悪い権蔵ですら、一声ですっと目を覚ました。
特に無駄口を叩くことなく、全員が食事を終え、準備を整えると屋外に出る。
今日が約束の日だが、油断している前日に仕掛けてこないとは限らないので、目視できない細さの糸を張り巡らせていたのだが、昨晩は反応もなく切断された形跡も一切なかった。
あと数分で約束の時間となる。
「もう、作戦の確認も必要ないよな。絶対に勝つぞ」
「もちろんだぜ。今宵の村雨は血を求めておるわ」
権蔵が悪役っぽいせりふを口にして、村雨を少しだけ鞘から抜く。
「深き闇の疾風に追いつけるものなど、存在しない」
サウワは朝から絶好調のようだ。権蔵に似てきていることだけが心配の種だが、頼もしい子に育っている。
手が付けられないぐらいに悪化した場合は、権蔵に責任を取らせることにしよう。
「穴掘りは任せて」
今日は寝る時もギリースーツを着ていたので、ご機嫌もいい。オーガの村で手に入れた愛用の武器――シャベルを肩に担ぎ、準備万端だと思う……草の塊なので判断がし辛い。
シャベルを武器にするとゴルホが決めた時は心配になったのだが、実際、戦争で白兵戦用の携行武器として使われていた歴史があるらしい。権蔵談だが。
頑丈でもあり、土使いのゴルホに似合う武器であるのは確かなので、結局止めることなく愛用の武器となった。
「やっとリーダーの、屋城君の仇が取れる」
縁野の強い意志が瞳に宿っているのがわかる。三か月の間、その恨みは消えるどころか、復讐への暗い炎は更に強く燃え上っているようだ。
今日までの訓練と日常で着ていた服装ではなく、初めて会った時のスーツを着こんでいる。その格好も強い意志の表れなのだろう。
俺は縁野とリーダーである屋城との馴れ初めは全く知らない。
二人にどれだけ強い絆があったのかも知らない。
ただ、彼女を見ている限りでは、俺たち仲間同士の絆に勝るとも劣らない、繋がりや想いがあったようだ。
『みんな、おはようー。ミトコンドリアも頑張るよっ!』
この子だけは最初から最後まで変わらないな。
家の外で待っていたのだろう、朝日を浴び翡翠色の髪がキラキラと輝いている。
俺たちの元に飛んでくると、何が嬉しいのか周囲をぐるぐると回っていた。
「明日もここにいるみんなで、朝日を見ようね!」
桜はいつものジャージ姿で元気よく全員に声を掛ける。
今日の日を迎えても桜はいつも通りに振舞ってくれていた。
仲間はいつもと変わらないように見えるが、隠しきれていない緊張が伝わってくる。
無理もない。今までも危機的状況に陥ることは何度もあったが、こうやって準備を整え時間を掛けて待ち構えたことは一度も無かった。
なし崩し的な戦いというものは策も練る時間も少なく、咄嗟に判断しなければならない。だが、緊張する時間も余裕もないというメリットもあった。
「皆、俺たちは強くなった。本来の力を出せば勝てる。そうだな……一番活躍できなかった人には罰ゲームでもするか」
緊張を少しでも和らげればいいかと、そんなことを口にしたのだが、仲間が思ったよりいい反応を見せた。
「お、いいねそれ! 多数決で役立たず選んで、何でも一つ言うことをきくってので、どうだ!?」
「それ、のった。権蔵を下僕にする」
「面白そう。権蔵のスマホを埋める」
「じゃあ、権蔵君が変なことをゴルホに教えるのを禁止かな」
「権蔵がみんなの前で恋愛の失敗談を暴露でいいぞ」
「何で、俺が罰ゲームを受けることになってんだよ!」
仲間がいつものノリで権蔵をいじっている。そのおかげで、全身の力みが少し抜けた気がした。
縁野だけはその輪に入ることなく、寂しそうに笑っている。
「楽しそうで何よりだ。思い残すこともないようだね」
その声と共に現れたのは、オークたちの親玉オークキングであり、70年前に贄の島へとやってきた転移者でもある――迎田だった。
オークキングの姿ではなく、浜辺で見せた本来の人間の姿で相手をするようだ。
「戦場はこの場所で良いんだね」
「ああ、ここでいい。ここでなければ駄目だ。蓬莱さん、モナリナ、モナリサ姉妹と出会った大切な場所で仇を討つ」
これ程、相応しい場所は無いだろう。
「ああ、俺が殺したキミらの仲間か。そうか、そうか。いいね、そういうの嫌いじゃないよ。じゃあ、そろそろ殺ろうか。三か月も待たせたんだ、十二分に楽しませてくれよ」
ああ、満足させてやるさ。もう二度と戦えないぐらいにな。