一難去って
「くそおぉ、油断した。痛えっ!」
見える範囲の敵は倒し終わり一息ついたところで、腕に傷を負った権造くんが何か喚いている。
「お、サウワ。サンキューな」
俺と蓬莱さんは完全に無視をして周辺の確認をしていたのだが、サウワが見かねて各自に渡しておいた傷薬を使ってあげたようだ。
サウワは相変わらず気の利く良い子だ。気立てが良くて美人。将来が楽しみだな。
「みんな安心するのはまだ早いぞ。あと、穴の縁には近づかないように」
俺はまだ生きているオーク一体に糸を巻き付け、穴の縁まで移動させる。
「ギャウルッ!」
穴から飛んできた槍に頭を貫かれ、オークがもんどりうって倒れた。
今から覗き込もうとしていた権蔵君と桜さんが慌てて落とし穴から遠ざかっている。
「こんな風になるから。まだ生存しているオークやハイオークがいるから注意して」
『捜索』のポイントにはオークの反応が落とし穴にまだ残っている。ハイオークもリストに入れたかったので魔法使い風ハイオークに触れ『捜索』を発動させるとリストには『オークマジシャン』と表示された。格好が特別だったので勝手にハイオークと思っていたのだが、ジャンル分けではオークマジシャンに分類されるようだ。
今回の作戦で重要なポイントはまず勝つこと生き残ることだが、もう一つ、敵を集落から逃がさないことが含まれていた。
ここで逃がしてしまえば本拠地に帰り、オークたちに俺たちの存在が知られてしまう。それだけは避けなければならない。門扉を閉め閉じ込めた甲斐があり、オークのポイントが集落の外には存在していない。
門の入り口付近の落とし穴にもまだ反応があるので、そちらは処分しても問題ないと考え、モナリナ、モナリサ姉妹に魔法での攻撃を指示した。
魔法が乱れ飛び、念の為に俺もアイテムボックスから取り出した、先端のとがった丸太を山なりに投げ込んでおく。
我ながらやっていることは極悪非道と罵られても言い返せないレベルだが、自分だけではなく仲間も生き残らせるという使命がある今なら、これぐらいのことは顔色一つ変えずにやれる男でなければ、贄の島から全員脱出するなど夢のまた夢だろう。
「門付近の落とし穴からオークの反応が消えたから、多分そっちは大丈夫だ。でも、暫くは近づかないように。あと、サウワ呼んでもらえます?」
命に係わることなので桜さんが即座に、子供たちへ伝えてくれている。
サウワがとことこと足音と気配を消した状態で近づいてきた。桜さんに耳打ちし、それをサウワに伝えてもらうと、サウワは大きく頷き姿を消した。
「蓬莱さん、刹那君、桜さん、そのまま周囲を見ないで聞いてください。まだ四体、あの攻撃を逃れ集落内に隠れている残党がいます。今、サウワに指示を出してゴルホと一緒に倒しにいってもらっていますが、一応油断はしないように」
オークに日本語がわかるわけがないので、俺は大声でそう言った。
あの二人でオークを相手取ることができるのかという心配は……全くしていない。
この五日間、相手の実力を知る為に何度か手合せをしたのだが、武器なし体術では二対一でも身体能力を強化している俺に分があった。
だが、武器有りで集落内に潜みながら先に攻撃を当てた方が勝ちという対戦方式では、ゴルホとサウワを組ませて戦ったのだが、糸を使ったにも関わらず10回中3回先制され負けた。
ちなみに、権蔵君は何とか一勝。桜さんは、もちろん全敗。蓬莱さんは不参加だった。
あの二人にかかれば、弱った状態のオーク相手なら何の問題もないだろう。それに、今は夜。あの二人の能力が最大限に生かされる時間帯だ。
俺の近づくなという発言を聞いた蓬莱さんは、作業を続けたまま何の反応も示さない。俺の意図をわかってくれている。
桜さんと権蔵君は一度体を縦に揺らし、周囲を見回したくなる気持ちをぐっと堪えている様子が伝わってくる。
耳を澄ませば、くぐもった悲鳴のような声が微かに周囲から流れてきているが、俺たちはそれを無視して、貢物があった場所にできた大穴の近くまで歩み寄っていた。
「土屋殿。中のオーク反応は?」
「オークは3だが、まだ気がそれ程は衰えていない。それと、おそらくハイオークが2生存している」
地面に転がっているオークたちは既に何体かが光の粒子となり、今も次々と消滅している。こんな会話をしながらも、皆に経験値が入りレベルが上がっていることだろう。
この経験値システムについてはゲイボルグの失敗を活かし、魔物相手に検証したのだが、中々面白い結果が出た。
まず、生徒手帳のアイテム欄に記載されないアイテムで倒した場合、普通に経験値は自分の物になる。罠で殺しても罠を制作した者と、罠に誘導した者に経験値が流れ込むようだ。
ただ、武器や罠に使用する材料の加工をした相手に経験値が入ることは無い。そうでなければ、この世界で最強の人間は武器職人になってしまう。
今回の場合、落とし穴の下に杭を差し込む作業をみんなで行ったので、平均的にとは言わないがそれなりに、全員へ経験値が流れ込んだと思われる。
まあ、今回一番経験値が入ったのはモナリナで間違いないとは思う。穴への火球爆撃で止めを刺されたオークが大量にいただろう。
子供たちのレベルがわからないのが厄介なのだが、それでも強くなったのを実感できるのであれば、今はそれで納得するしかない。
検証で経験値の流れを把握できたのには理由がある。それは『説明』3の能力だ。3になってから生徒手帳のレベルに触れると、現在の経験値がわかるようになった。これで、魔物たちの経験値も知ることができ、レベルアップへの目安となった。
「それで、この落とし穴の生き残りどうしましょうか」
「ここで倒すのが楽なんだけど、情報を聞き出したいしね……」
桜さんと会話をしている最中にオークのポイントが消滅した。どうやら、オークは壊滅したようだ。ハイオークの気は相変わらず二つ存在を確認できるのだが、一つは活発に動き回り、どうにか穴を登ろうと躍起になっているようだ。
だが、少し離れた場所のもう一つは微動だにせず、まるで――よし、決めた。
「二体いるハイオークの一体は倒しておくよ」
さっき槍を投げつけられた場所の上空に何本もの丸太を浮かせる。もちろん、糸を括りつけ浮かせた丸太だ。
その丸太に気を流し込み、椿さんとの戦いと同じ要領で強化した丸太の雨を、ハイオークがいる辺りに降らせた。
穴の底から押し潰される音と悲鳴らしきものが、丸太の激突音に掻き消されている。
巨大な気が一つ消えたのを感じ取れた。かなり弱っていたのだろう、今の攻撃であっさりとやられたようだ。
「もう一体を釣り上げるから、大丈夫だとは思うけど警戒はしておいて」
糸を伸ばし、全く動きのないハイオークへ糸を絡ませる。念には念を入れて釣り糸を四本使い、全身を糸のミイラ状態にしておく。
一気に引っ張り上げると落とし穴から飛び出してきたのは、顔や手足が火傷でただれ、脇腹付近の鎧が砕け散り、垂れ流した血が固まった状態のハイオークだった。
これだけの重傷。昏睡状態に陥って反応がないのかと勘違いしそうだが、落とし穴の縁に転がされたハイオークはいびきをたて、気持ち良さそうに眠りこけている。
「よくこんな状態で寝ていられるな」
権蔵くんが起きそうもないハイオークを刀の鞘でつつきながら、呆れを通り越して感心している。
「いや、これは昏睡薬が効いているだけだ」
「へっ? 昏睡薬なんていつ飲ませたんだ?」
ああ、そういや誰にも話してなかったか。
「貢物の果物に混入しておいた。まあ、誰か食べたら儲けものかぐらいの感覚だったのだが、上手くいったようだ」
あまり期待して無かっただけに、はまると嬉しいもんだな。
少し感覚が鈍ればいい程度の気持ちで薄めて注入しておいたので、そんなに長くは昏睡状態にならない筈だが……起きる前に『捜索』リストに叩き込んでおくか。
捜索リストに『ハイオーク』が新たに追加された。試しに発動してみると、ハイオークの反応は目の前の一体だけだった。
オーク、ハイオーク、オークマジシャン。この全ての反応を確かめてみたが、やはりこのハイオークしか生き残っていないようだ。
「ん?」
パーカーの裾を、いつの間にか傍に来ていたサウワが引っ張っている。全て終わったと言いたいのだろうか、俺を見上げて裾を掴んでいる。
「お、つ、か、れ、さ、ま」
そう言って頭を撫でると、嬉しそうに目を細めている。
ゴルホも隣でぼーっと突っ立っていたので、つい頭に手を伸ばしてしまった。一瞬だけ怯えたように体を縮めて肩を震わせたが、頭にそっと手を置くと黙って撫でられている。
表情に変化はないが、振り払わないということは別に嫌ではないのだろう。
「敵の反応が目の前のハイオークを除いて全員消滅したよ。これで取り敢えずは安心かな。みんな、お疲れ様」
戦いが終わったことを仲間に伝えると、蓬莱さんを除いて残りの全員がその場に座り込んでいる。疲れた様子を全く見せなかったサウワとゴルホだったのだが、無理していたのだろう。二人同時に大きく息を吐き、脚を前に投げ出している。
「このハイオークが目覚めるまで、まだ時間があるだろうけど……桜さん、休憩しているところ悪い。一応、本当に眠っているか心読んでくれるかな」
俺から伸びている糸を握り、桜さんが目を閉じ意識を集中している。
「はい、完全に眠っています」
「そうか、なら今の内に丸太にでも括りつけようか。これが終わったらみんな休憩していいから、もう少し頑張って」
その言葉に全員が緩慢な動作だが何とか立ち上がり、地面へ深く刺した丸太にハイオークを何重にも縛り上げた。
これで、ようやく落ち着ける。あ、大事なことを忘れていたな。
「じゃあ、みんな晩御飯にしようか!」
全員が一斉にこちらに振り向くと、心底嬉しそうな表情を浮かべる。
「そういや、飯まだだったな! 急に腹減ってきたぜ!」
「それどころじゃなかったですからね。あー、お腹減ったぁ」
「今日は鍋でも作るか」
蓬莱さんだけは疲れを見せずテキパキと料理の準備を始めている。
他の仲間も手伝おうとしているのだが、蓬莱さんが手で制し「いいから休んでおけ」と一人で手早く魚を捌いている。
本当に終わったのか……思ったより、いや、思った以上に上手く事が運んでいる。
今回の戦いで策略と表現するのもおこがましいような罠だったが、これが成功したのは仲間の能力が思ったよりも高かったことと、このオークたちが戦略というものを知らなかったことが大きい。
それなりに知能があるとはいえ、この島から出たことが無いオークたちは圧倒的な数と力で相手をねじ伏せることはしても、策を練り戦うといったことをしないのだろう。
ましてや、戦うべき相手は知能も低い魔物だ。相手が罠を張り自分たちに歯向かうなど微塵も思っていなかった。そこを突いたにすぎない。
「土屋さん! 何難しい顔をしているのですか。ご飯もうできますよっ」
桜さんに呼ばれ意識が現実に戻ると、食欲をそそる香りが鼻孔をくすぐる。
おっ、味噌味か。この異世界で日本の味にもう一度会えるとは思っていなかっただけに、蓬莱さんには感謝してもしきれない。
「もういいぜ、あいつほっといて食っちまおうぜ」
権蔵君のその言葉を聞き、糸を使い軽く体を縛り上げておいた。
「じゃあ、みんな揃ったし、いただこうか」
「揃ってねえよっ!」
芋虫状態の権蔵君をスルーして皆が食事を始める。
かなり空腹だったので全員が貪るように料理をかっ込んでいる。疲れた体に、温かい鍋は体の芯に沁み込んでくる。改めて生き延びたことを実感させてくれた。
「お、おい! 解けよ! あ、あの、解いてもらえませんか。お腹空いているんで……ええと、お願いできないでございませんか」
言葉遣いが完全におかしくなっている権蔵君をこれ以上いじると、本当にいじけそうなので糸を外すか。
全員が満足いくまで食べきったところで、俺は切り出すことにした。
「みんなレベルはどうなってる?」
そこで子供たちを除いた転移者全員がはっとした表情になり、慌てて生徒手帳を取り出している。俺も一緒に手帳の確認をすることにした。
「おおっ、レベルが17にっ! 7も上がってるぜ!」
「あ、私も18になってる! 10も上がった!」
レベルが上がったことを純粋に喜んでいる権蔵君だったが、桜さんが自分のレベルを超えていることを知り、その表情は一変した。
顔から感情が抜け落ち、膝を抱えて座り込んでいる。背中に哀愁を感じるな……。
「オークは経験値が良いようだ」
蓬莱さんもレベルを確認して満足しているようだ。
子供たちはレベルアップを確認するすべがないのが問題か。
今回は罠作りにも積極的に参加してもらったので、狙い通り全員に経験値が入っている。
さて、俺の方は……おっ、4上がって29か。ここまでレベルが高いと流石に一気に10アップとはいかないのか。それでも、30まであと一歩。
『糸使い』や『気』は今回もフル稼働だったので、かなり消費ポイントが減っていそうだ。
仲間の強化も上手くいったようだし、ステータスとスキルの確認をしておこうか。
「皆、すまん。ちょっといいか。わしから話しておきたいことがある」
権蔵君や桜さんは手元の手帳を覗き込み、どのスキルを上げるか思案しているのだが、蓬莱さんはちらっと手元の手帳を見てから、ずっと沈んだ表情をしていた。
何かあるのかと様子を窺っていたのだが、何かを決意したような真剣な眼差しを俺たちへ向けている。
「何だ、オッサン。珍しく真面目な顔して」
「わしは、お主と違っていつも真面目だ。ちと、黙っておれ。今まで隠していてすまなかった。皆には、わしの能力について話そうと思う」
そのことに自ら触れるのか。俺はあえて権蔵君と蓬莱さんのステータス、スキルについて問いただすことをしなかった。まあ、権蔵君は内容を知っているのでどうでもいい。
俺や桜さんの能力も断片的にしか伝えていないので、お互い様なのだが、教えてくれると言うのなら断る理由がない。
俺が蓬莱さんのスキルで知っているのは『斧術』『木工』『消費軽減』『チュートリアル』だ。それ以外にも異様に耳がいいので聴覚系のスキルも持っていると予想している。
「わしの生徒手帳を皆に見せなかったのには理由がある。これを見せれば皆が――」
「――――?」
えっ、共通語?
蓬莱さんの告白を一言一句聞き逃すまいと、固唾を呑んで聞き入っていた俺たちの耳に、全く知らない何者かの声が飛び込んできた。
誰だ!? 今も誰の気配も感じることができない。だというのに、後方から押し寄せてくる重圧感に今にも押し潰されそうだ……。
振り向きたいという好奇心と、振り向くなという警戒心が心の中で葛藤を続けている。
俺の対面方向に座っている桜さんと子供たちは、目を見開いたまま体を激しく上下に揺らしている。震えているのか? よく見ると焚火の火に照らされた桜さんは涙目で顔面が蒼白になっている。
「――――」
再び、共通語が背後から聞こえてくるが、俺は動くことができなかった。体が金縛りにあったかのように、指一つ動かすことができないでいる。
『ああ、貴様らは共通語がわからぬのか。話中に邪魔するぞ。我が配下の者たちを倒したのは貴様らという認識で間違っておらぬな?』
まるで桜さんの『精神感応』のように頭へ直接飛び込んできた言葉は、俺たちへの問いかけだった。