オーク
「共通語?」
言葉が通じないのに思わず聞き返してしまった。
今、このオークは共通語で話したというのか。オークを指差しもう片方の手を口の前に持ってきて、手を開いたり閉じたりして話しているというモーションをしてみる。
どうにか伝わったようで、サウワが頷いてくれた。
どうやら間違っていないようだ。共通語が話せるということは想像以上に知能が高い。
しまったな。こんなところで共通語を取らなかったことを後悔する羽目になるとは。
「――――?」
「――――っ!」
サウワの問いかけにオークが怒声で返している。
言葉は通じているが聞く耳を持たず、一方的に話していると言った感じだ。
珍しくサウワが眉根を寄せ、難しい顔をしている。一旦、オークから離れ俺の場所に来て「帰る」「敵」というカードを見せてきた。
敵が帰る……違うな、敵を連れて帰れということか。
「サクラ」
と桜さんの名前を口にして耳に手を当てて、音を拾うような仕草をしている。
桜に通訳してもらおうということだろう。俺は大きく頷くと、更にオークを縛り上げている五本の糸を緩め、更にもう五本の糸を操り首から腰付近まで、糸でぐるぐる巻きにしてから地上へと下ろした。
共通語が話せる程度の知能があるなら、貴重な情報源となってくれるだろう。
この島の規模や敵の分布やどんな魔物がいるか、そういった情報は何よりも価値がある。
「帰ろうか」
俺は「帰る」というカードをサウワに見せながら、オークの背後に立ち軽く背を押した。触れた瞬間にオークを『捜索』リストに入れておくことを忘れない。
糸に『気』を多めに通し、一本の針金のようにぴんと伸ばすと背後からオークを押した。それを見たサウワが素早く俺が何をしたいのか理解してくれたようで、オークの先に立ち俺たちを先導してくれる。
オークが余計な真似をしないように気を配りながら、念の為に口に糸を回し猿ぐつわもしておく。このオークとの出会いが吉と出るか凶と出るか……。
オークを発見した場所まで拠点から20分程度だったのだが、帰り着くには1時間以上の時間を有した。理由は言うまでもないだろう、このオークだ。
何度も暴れ抵抗したので、現在はちょっと高級なハムのように全身を糸で縛り、引きずって運んでいる。本来なら大人一人を引っ張って運ぶのはかなりの重労働どころではなく、まともに動くことも困難だろう。
だが、ステータスが三倍に跳ね上がり筋力のステータスも以前より上がっている俺の手にかかれば、それほど苦ではない。
集落の入り口は以前なら誰でも素通りできたのだが、今は大きな門扉が備え付けられている。と言っても蝶番を作ることが不可能なので、扉の片側に大きく長い丸太を使用し、地面に突き刺した片開き仕様となっている。
俺と蓬莱さん以外だと開くことも閉じることも困難なので、常時閉まっていることが多い。
サウワとゴルホは扉を使わず、塀を乗り越えて移動しているらしいが。
「ただいまー!」
塀の上に急遽作られた見張り台にいたゴルホに声を掛けると、聞こえたようで手を挙げ、素早い動きで見張り台から姿を消した。
暫くすると扉の向こうで何かが外れる音が響いてくる。
かんぬきを外してくれたようなので俺は押し開けると、サウワとハム状のオークを引っ張って帰還した。
「あ、土屋さんお帰りですか!」
手に長い棒を持った桜さんが教鞭を振るっていた。
簡易の机が並び、机とセットになっている椅子に座ったモナリナ、モナリサ、蓬莱さん、権蔵君の前で何かを指導している。
「ああ、共通語と日本語の授業中だったか」
「はい。子供たちも簡単な日本語が知りたいと言ってきたので」
今回のこともそうだが共通語が話せないと、かなり不利になりそうなので、毎日少しの時間だが共通語の勉強をすることにしている。
挨拶ぐらいは覚えたのだが、文章となるとなかなか難しい。それでも、思ったよりかはスムーズに頭に入ってくるのは、知力のステータスが上がっているおかげだろう。習得までは、気長にやるしかない。
「あ、そうそう。みんなにお土産」
そう言って、ぐるぐる巻きになったオークをみんなの前に投げ出した。
「お、何だこいつ! 見たことないぞ、緑豚人間か!」
「これはオークではないか?」
オーバーに驚き適当なことを言っている権蔵君を無視して、蓬莱さんが冷静に観察している。
「これが、オークですか」
その名は知っているようで、桜さんは遠巻きに覗き込んでいる。
そんな桜さんに俺は手招きをする。直ぐに気が付いた桜さんは、できるだけオークに近づかなくて済むように遠回りをして、俺の背後に立った。
「このオーク共通語が通じるみたいだから通訳をお願い。それと同時に相手の心を探ってもらえるかな?」
通訳までは周囲にも聞こえるように話し、そこからは桜さんにだけ聞こえる声量で囁いた。俺の意図を理解した桜さんは目配せのみで返答し、俺の腕から伸びている糸をそっと握りしめる。
「お前たちオークはどれぐらいいる?」
即座に桜さんが共通語でオークに話しかける。
鼻で笑い、不遜な態度を取るオークに対し、俺は糸を更に強く締め付けた。
「ギュフゥゥゥゥ!」
今のは共通語ではなく魔物としての叫び声だろう。
「桜さん、さっきの質問をもう一度」
桜さんが再び問いかけると、またも口を噤んでいたが俺が糸を操る動作を見せつけると、慌てて口を開いた。
『貴様ら、我らオークを敵に回すと後悔するぞ。俺を殺せばオークキングが黙っていない。と言ってます』
オークキングときたか。ゴブリンジェネラルがあの強さだった。単純に考えるならオークの数倍の能力はある魔物と考えるべきか。
「お前らオークはこの島にどれくらいいるか聞いて」
『え、うそ……』
桜さんが『精神感応』を発動していることも忘れて、そのまま驚きの声を漏らす。
「どうしたの、桜さん」
『二千は下らないと言ってます……』『精神感応で読み取りましたが、嘘ではありません』
後半は桜さんが俺にだけ飛ばした声なのだが、前半の二千という数に仲間たちは声も出ない。
驚きのあまり目を見開く者。ぱちぱちと何度も瞬きする者。手を取り合い怯えている者。全員が異なるリアクションをしているが、誰もがその数に圧倒されている。
「おいおい、嘘だろ。じゃあ、この島はオークアイランドとでも言う気か!?」
取り乱し声を荒げる権蔵君の気持ちは良くわかる。ゴブリンの集落でも100前後だった。それでも、その数に怖気づいたというのに今度はその桁を超えている。
それも、ゴブリンよりランクが上の魔物オークだ。敵に回せば、確実にこちらが蹂躙される。
こちらの驚きようにオークが気をよくしたようで、何かをベラベラと話し続けている。
『あ、このゴブリンの集落はオークの傘下にあったそうです。毎月、貢物をオークたちに渡すことにより、生存を認められていた。このオークがこっち方面へ向かっていたのも、この集落に貢物の確認に行く途中だった、そうです……』
ここを拠点にしたのは誤りだったか。オークたちが定期的に様子を見に来るのであれば、ここは拠点として最悪の場所となる。
このオークを殺せば、帰ってこなかったことを不審に思い、オークたちが新たな人員を差し向けるだけだろう。
「こやつの言うことが嘘でないのであれば、これは大問題だぞ」
蓬莱さんは腕を組み、唸り声を上げている。
モナリナとモナリサは寄り添い合い、どうすればいいかわからず、俺たちの顔を見回している。
ゴルホ、サウワはいつもと変わらないようだが、少しだけ顔が引きつっているようにも見える。
『さあ、俺を解放しろ。そうすれば、逃げる時間ぐらいは与えてやろう。と言ってます』
通訳してもらうまでもなく、相手の態度とあの見下した顔で大体の意味は伝わっていた。
「この集落に向かったのはお前だけなのか聞いてもらえるかい」
桜さんの通訳を聞きオークが一瞬だけニヤリと口元を歪めた。
その後、何かを大声で叫んでいる。
『あの、一人で来たそうですが、この後貢物を受け取りに来る別働隊が100こちらに向かっている……と』『これも本当です』
桜さんの『精神感応』で心を読み取った答えに間違いはない。100ものオークが接近しているというのなら、この拠点を捨て、新たな拠点を見つけるのが最も利口な判断だろう。
だが、相手が従順なゴブリンだと信じているオークの群れが100体。
隙をつき罠にはめれば何とかならないか……ふと、そんなことを考えてしまった。
『捜索』の範囲内に反応はない。少なくとも5キロ圏内にはまだ敵は迫っていないということだ。
時間はある。そして、各自の能力を活かせれば不可能ではない。
危険と隣り合わせなのは間違いないが、今ここでオークの群れを葬っておけば、大幅な経験値の上昇が見込める。
生き抜くためにはどうしても力が必要だ。
拠点も大事だが、いざという時は捨てればいい。仲間の命の方が大切なのは間違いない。
オークの群れを全て相手にする気はないが、別働隊をここで待ち構え罠に掛ける。絶好の経験値稼ぎができないか。
「土屋殿何を考えている」
黙り込んでいた俺に蓬莱さんが声を掛けてきた。
何故か全員の目が俺に集中している。
いつの間にかリーダーのような立ち位置になってしまっているな。本来は蓬莱さんのような人が向いていると思うのだが、その論議はまた今度だ。
「俺はここでオークの別働隊を叩いておくべきだと思う」
俺の意見が予想外過ぎたのだろう、言葉の通じる転移者組が一斉に息を呑んだ。
「い、いやいや! 100だぞ、100! それも、このオークどう見てもゴブリンより強そうだろ! おまけに倒したところで、まだバックには二千近くのオークが控えているんだぞ!」
唾を撒き散らし反論する権蔵君を蓬莱さんも、桜さんも止める気が無いようだ。言い方はきついが話の内容は二人も同意見なのだろう。
「相手はゴブリンだと油断している。罠を仕掛ける時間もある。相手を一匹残らず殺すことができれば、次の援軍までに時間を稼げ、大幅なレベルアップも望める」
俺は淡々と事実だけを述べていく。過剰な期待や甘い計算はない。今の仲間の実力、そして俺の能力を考慮してやれると判断した。
これで皆が反対するなら、俺もきっぱり諦めて拠点を移す準備に取り掛かるだけだ。
桜さんは『精神感応』を使い、オークに聞かれないように子供たちに状況の説明と俺の言葉を伝えてくれているようだ。
ゴルホ、サウワは俺の元に歩み寄ると、大きく一度頷いた。どうやら、賛同してくれるらしい。
モナリナ、モナリサはどうしていいか分からずにあたふたしているが、ゴルホとサウワが二人を説得に入り、何とか納得させた。
姉妹揃って俺の前に進み出ると片言で、
「ガンバ、リマス」
と声を揃え日本語で参戦の意志を伝えてくれた。
「やれやれ、子供たちが意を決したというのに、大人が渋るわけにはいかぬか」
蓬莱さんも腹をくくってくれた。
「あ、く、くそおおおおっ! やるぜ、やってやるぜ! だけど、いざとなったら子供たちだけでも逃がすようにしろよ!」
何だかんだで良い男だよ権蔵君は。この状況で子供たちの心配ができるのだから。
残りは桜さんだけとなった。自然と全員の視線が桜さんへと移動する。
注目の的となった桜さんは意外にも落ち着いた様子で、口元が引きつりながらも笑顔を見せた。
「私は初めっから反対する気はなかったですよ! 土屋さんに救われた命です。その土屋さんがやれると言うのなら、信じて付き合うだけです!」
正直意外だった。一人か二人は賛同してくれるのではないかと甘い期待はあったが、まさか全員が従ってくれるとは。
そこまで信頼されているとは……これは、男として期待に応えないとな。
「じゃあ、急いで取り掛かろうか! 権蔵君とサウワは罠に使えそうな木材や道具を何でもいいから集めて!」
「ああ、わかったぜ」
「ハイ!」
二人が集落の片隅に集めてある瓦礫や丸太を置いている場所に向かって行く。
桜さんが隣で同時通訳をしてくれるおかげで、サウワたちにも時間のロスが殆どない状態で伝令が行き届く。
つい、刹那ではなく権蔵と呼んでしまったのだが、誰も気づいていないようでほっとしているのは、ここだけの秘密だ。
「蓬莱さんは丸太の先端を尖らせてもらいたい。数は多ければ多いほど助かる!」
「任せておけ」
頼もしい返事だ。やはり蓬莱さんは、こういった場面で一番頼りになる。
「ゴルホは俺の指示した場所に大穴を開けて欲しい!」
いつものように黙って頷いている。ゴルホは自ら率先して動くタイプではないが、言われた事は完璧にこなす。今回の役割に何の心配もない。
「モナリナ、モナリサは手が足りないところの手伝いを頼む。後でキミたちにしかできない重要な任務があるから、それまでは各自で判断するように!」
「ハイ!」
二人が同時に返事して、まるで鏡に映したかのような動きで振り返り、同じ方向へ走っていく。彼女たちには誰にも使えない強力な魔法がある。その力は彼女たちが思っている以上に俺たちの力となってくれるだろう。
「桜さんはこのまま俺と尋問を続けよう。こいつの持っている情報を根こそぎ聞き出すよ!」
「はい、まかせてください!」
そして、俺はもっと信頼できる相棒と尋問を再開する。
この戦いは仲間たちとこの島で生き残る為の重要な一戦となるだろう。
さあ、時間を無駄にはできない。捕まったオークは気の毒だが、自らベラベラ話したくなるようになってもらおうか。