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切り札

 地面に俯き倒れたまま、ピクリとも動かない椿を視界の隅に留めながら、アイテムボックスから生徒手帳を取り出す。

 夜だが手元の文字を確認できる程度の明るさはある。

 この場所は周辺に大木が立ち並んではいるが、密集はしておらず充分なスペースが空いている。それに、大木の幹には枝がなく、上空の先端部に数本の枝がある程度だ。その枝には葉が一枚もなく、星明りを妨げる物が無いおかげで光が地面にまで届いていた。


 開き中を確認すると、レベルが25まで上がっていた。スキルポイントも確認しておくと、驚愕の6113という数字が飛び込んできた。

 この数値を見たら転移者殺しに走る人たちの気持ちが、ほんの少しだけわかる気がした。

 生徒手帳を色々とチェックし納得がいくと、俺は静かに閉じる。


「そろそろ、死んだふりをやめないか?」


「あら、バレていたの。よいっしょっと」


 椿はうつ伏せの状態から上体を起こすと、その場に尻を付いたままこちらを楽しそうに眺めている。

 あくび混じりに後頭部をボリボリと掻いているが、ダメージがあるようには見えない。


「でも、何でわかったの?」


「レベル40を超えるあなたを倒したにしては、レベルアップもスキルポイントも少なかったからね」


 春矢がレベル1時代に、転移者を殺し一気にレベルが10上がったと話していた。

 俺はレベル15まで上がっていたので、転移者殺しの経験値が入ったとしても10も一気に上がることはない。

 だがそれは、相手がレベル1だった場合だ。佐藤は椿の話したことが本当なら二人転移者、もしくは現地人を殺している。現地人が転移者と同じ経験値なのかは分からないが、それでも10以上はあったと予想している。

 椿がある程度育成してから狩るとの証言を信用するならだが。


 レベルの高い佐藤から得た経験値なら10ものレベルアップは納得できる。だが、40を超えている椿を殺したにしては、得られる経験値とスキルポイントが少なすぎた。


「そっかー。生徒手帳で確認されたら即バレか。お返しに油断したところを不意打ちしてあげようかと思ったのに」


 本当はそれだけではなく『捜索』リストの転移者の死体で探った結果、反応がなく確信が持てたのだが、手の内をばらす必要はないので口にはしないでおく。


「それは申し訳ない」


 ゆっくりと立ち上がった椿さんは散歩にでも行くような感じで、こちらに向かい歩を進めてくる。


「それ以上は寄らないでもらえますかっ!」


 足下に転がっていた大きめの石を椿に向けて蹴り飛ばした。

 椿は目の前を飛ぶ蝿でも払うかのように、石を素手で払い落とす。かなりの速度と威力を秘めていた筈なのだが、この程度では彼女の体に傷をつけることすらできないのか。


「あれ、お得意の糸でまた縛ってくれないの? 新しい感覚に目覚めそうで、もう一回経験したいなって思っていたのに」


 そんなことをしたら、状態異常の逆流でこっちがやられてしまう。


「生憎、あなたに触れる気はないっ!」


 俺の周囲に石や枝が幾つも浮かび上がる。そして、それらを一斉に彼女へ向かって射出する。

 彼女は弾くのも面倒とばかりに、正面からその攻撃を全て受け止めながら前進を続ける。


「糸を使って投擲しているのかしら。器用に使うわね」


 ご推察の通り、其処ら辺に落ちている物に糸を絡ませ、投げつけているだけだ。

 彼女はスキルを発動しているだけで避けることすらしない。時折、大きめの石も混ぜているのだが、その全てが弾かれ、歩みを妨害することも叶わない。

 俺は距離を取りつつ、投擲を続けるしかない。触れたらその時点で人生が終了する。

 相手は笑みを浮かべたまま、こちらの攻撃は意にも介さず間合いを詰めてくる。だが、ステータスは俺の方が上回っているようで、俺との距離を縮められずにいるようだ。


「ねえ、こういうのを無駄な足掻きっていうのよ。そろそろ、諦めたらどうかしら」


 面倒臭そうにそう言い放つ椿が、少しだけ焦っているように見えるのは俺の願望が見せる幻影なのか。

 相手の防御スキルがどういったものなのかは見当もつかないが、俺は攻撃の手を緩めるわけにはいかない。何も考えなしに投擲を続けているわけではないからだ。

 椿の防御スキルを常に発動させる為に切れ目なく物を投げつけている。相手がどれだけの力を秘めていようが関係ない。

 どんなに強大な敵であろうが、俺が知る唯一の欠点を突くしかないからだ。


「いい加減にしてくれないかしらっ」


 隠しきれない苛立ちが見え隠れしている。

 彼女は防御と状態異常スキルの二段構えで、殆どの相手を倒せる算段がついていたのだろう。

 今までの戦いでわかったことだが、おそらく椿は他の攻撃スキルを所持していない。

 佐藤という男の指示で能力を選んでいたのなら、かなりスキルの選り好みをしている気がする……何となくだが。

 本来なら佐藤が銃で牽制をすれば足止めもできるだろうし、そもそも、正面から相手をねじ伏せられる力があれば、わざわざ睡眠薬を飲ませる必要も権蔵君たちのような餌を用意する必要もない。


「時間を稼いでも、どうしようもないでしょ」


 飛び交う石や枯れ枝の雨を、傘もささず突き進む彼女の表情が歪んでいる。その顔に浮かぶ感情は焦り。

 狙いは正しかったようだ。余裕は消え失せ、胸元を押さえながら荒い呼吸を繰り返している。


 俺が知る彼女の唯一の欠点。それは――『消費軽減』がないことだ。


 防御系スキルがパッシブ――つまり、所持しているだけで常時発動している能力なら、俺には本当に勝ち目が無い。だが、意識的に発動させスキルの効果中は精神力、または体力が減るスキルならどうだ。

 俺のように『消費軽減』スキルがありレベルが高ければ、こうやって『気』も長時間発動できる。だが『消費軽減』を持たず、防御系スキルを発動し続けていれば……。


「苦しそうだな」


 幾つもの石やアイテムボックスから取り出した丸太の投擲と共に、俺は言葉を投げかける。相手が防御系スキルを止めることができないように、攻撃の手は一切緩めない。


「な、何のこと……かしら」


 額に浮かぶ大粒の汗を拭いながら、それでも気丈に振舞って見せている。

 そんな彼女に対し、糸を操り後方から容赦のない銃撃を加えた。拳銃の一撃は他の攻撃に比べてかなり威力が高いようで、背中の中心を撃たれ大きく前方によろめいた。


「くっ」


 椿の苦痛に歪む顔。一瞬だけ心がざわつくが、その感情も心の底に沈める。

 防御系スキルの効果が薄れてきたのか、継続時間を伸ばす為に自ら効果を落としたのかはわからないが、今の攻撃で再び全力でスキルを発動することになるだろう。

 四本の糸から次々と飛んでくる物を彼女はできるだけ避けようとしているようだが、元の運動神経があまり良くないのだろう。避けそこない、体の至る所に着弾している。


「そろそろ、体力、精神力の限界じゃないか」


「ふっ、やっぱりわかってやっていたのね。油断できない人……あーあ、これ使わないと駄目かぁ」


 大きな石が降り注ぐ中、彼女は俯いていた顔を上げる。血走った目が俺を捉えると、口角を吊り上げ壮絶な笑みを浮かべる。

 やはり、何か隠し玉となるスキルがあったのか?

 こちらの動揺を誘う為の虚言も否定できない。投擲は続けさせてもらう。


「佐藤に勧められて、渋々とったスキルだったんだけど、役に立つ日がこんなに早く来るなんてね」


 狂気すら感じる笑みで、淡々と俺に語り掛けている。いや、あれは自分に言い聞かせているだけなのかもしれない。

 強がりにもフェイクにも見えない。あれを発動させたら危険だと俺の直感が叫んでいる。


「させるわけにはいかないっ!」


 後方からの銃撃、頭上からは柄に糸を括りつけたミスリル製の鎌による振り下ろし、糸を操り左右から先端が鋭く尖った丸太を投げつけ、正面からは予め足下に出しておいた、大きめの赤く光る魔石をサッカーの要領で蹴りつけた。

 逃げる場所を封じた渾身の一撃は狙いを違うことなく、椿へと向かって行く。


「さよなら『狂化』」


 俺の耳がその言葉を捉えると同時に椿がいた場所を爆炎が吹き荒れる。

 蹴りつけた火属性の魔石が強い衝撃を受けて破壊され、その中に閉じ込められていた炎が炸裂した結果だ。

 拠点で実験と称して一度試した時は、森林火災を引き起こしそうになり俺と桜さんで懸命に消火活動をした苦い思い出がある。あの時の経験があってこその一撃なので無駄ではなかったということか。

 炎が足元の雑草を燃やし尽くし、焦げた臭いが周囲に漂う。火が治まった場所には焼け焦げた地面と、すり鉢状に陥没した地面があるだけで椿の姿は何処にもない。


「ガウルアアアアアアアッ!」


 耳元に届いた獣のような咆哮に反応し、横へ顔を向けるよりも早く俺は右側面に三本の糸を張った。

 額と胸元、そして太ももに糸が当たっているが意にも介さず、そのまま糸を押し続けている――血走った眼でこちらを凝視する椿がいた。


 その姿は女の色気を満載した女性らしい体ではなく、セーターの上からでもわかるはち切れんばかりの筋肉。肌がむき出しの腕や、破れたタイツからは太い血管が浮き出ている。

 気を巡らせた糸に全力でぶつかったというのに傷一つない。

 口からは大量の涎が滴り落ち、大きく開かれた口には鋭く尖った牙のような歯が並んでいる。


「これが狂化かっ」


 一目でわかるように、彼女が土壇場で発動させたスキルは『狂化』己の身体能力を格段に向上させる能力なのだろう。

 俺は瞬間的に糸を切断するが、直前に『気』を叩き込み糸へほんの数秒しかもたないだろうが気を残留させた。


「ギャウアアアッ!」


 鼓膜を揺るがす叫び声を放ち、椿は自分の侵攻を妨げる糸に噛みつくと容易く噛み千切った。その姿はまるで獣だ。

 動作、表情を見る限り、人としての理性も知性も吹き飛んでいるのだろう。今、目の前にいるのは獰猛な一匹の獣と考えた方がいい。

 猛り狂う椿に向け二発の銃弾を発射し、その全てが椿に命中する。

 だというのに、身じろぎ一つせず気にした様子も見せずに俺を睨んでいる。


「普通は攻撃力特化になって防御が弱体化するもんだろっ!」


 更に二発の銃弾を撃ち込んだところで弾切れとなった。効果は全くない。

 身体能力の向上だけでなく、スキルも強化されているらしい。防御スキルは見ての通りだが、他にも変化が現れている。

 彼女の全身からどす黒い何かがにじみ出ている。全身から吹き出す闇夜よりも黒い闇が周囲の雑草に触れると一瞬にして、その草が枯れ、朽ち果てる。

 俺の目には草木から仄かに漏れ出る命の光、気が見えているのだが、あの闇に触れた途端、光が瞬く間に消えてしまう。


「状態異常まで……」


 あの闇は椿の持つスキル状態異常系の能力が混ざり、溢れ出ているモノなのだろう。

 これで触れるどころか、接近されてもアウトとなった。この状況はまさに絶体絶命と呼ぶに相応しい。

 彼女が腰を屈め、両手を地面に突く。ヘルハウンドが飛びかかる前のタメと全く同じ動作を見て、俺は左右の木々に五本の糸を通し、目の前に糸の壁を作りだした。

 そしてさっきと同じように『気』を糸に留めた状態で切り離す。


「グルウウウオアアアアアッ!」


 雄叫びを上げると、目の前の糸を完全に無視して、そのまま頭からぶつかってくる。

 糸が椿の突進を防げたかどうかの確認を――する気はない!

 後方の木々の間へ腰の高さに二本の糸を張り、その上に飛び乗り糸が弛んだのを確認すると、一気に『気』を通して糸が戻る反動を『気』で補助し、自ら全力で跳ねることにより、その場から大きく上へと飛んだ。

 自分で跳躍するよりも遥かに上まで跳ぶと、糸を木の幹に絡ませながら、上へ上へと登っていく。


 枝が無いので、五本の指から一本ずつ伸びた糸を木の幹に回し、可能な限り素早く大木の先端を目指して登り続ける。

 下からは獣のような咆哮と、何度も木々を揺らす振動が伝わってくるが、俺は一気に大木の先端まで登りきり、先端付近の枝に体を預ける。

 そこで初めて下を確認した。幹回りが10メートルを軽く超えそうな巨木だけあり、高さはかなりなもので、地上から50メートルはあるだろう。


 かなりの距離があり星明りがあるとはいえ夜だというのに、俺の目は彼女の姿を捉えている。正確には彼女を覆い隠す闇を確認できたというべきか。

 全身から溢れ出る闇が生き物のように蠢き触手のようにも見える。その闇の塊がゆっくりとだが木を登ってきていた。

 表皮がつるっとしていて掴まるところがない大木をどうやってという疑問は、椿が一歩踏み出すごとに伝わってくる振動が答えを教えてくれた。


 どうやら、大木の幹に足をめり込ませて登ってきているらしい。強引にも程がある。

 木の上も安全圏ではないようだ。ここに到達されるのも時間の問題。

 一時的に能力を劇的に強化する系統の決まり事は、時間制限と使用後の副作用だろう。どれだけ持続時間があるのかはわからないが、時間が切れたら最低でも動けなくなるぐらいのデメリットはある筈だ。


 あの女教師もどきが強いだけのスキルなんて作るわけがない。そういうポイントも押さえてきていると信じたい。

 となると、逃げの一手もありなのだが……確信がない。

 彼女の時間切れがいつなのか、それもわからず、近寄られたら終わりの逃走劇を続ける自信もない。

 そして何より、この手で決着を付けたいという強い想いがある。自分が生み出してしまった彼女をこの手で終わらせる。それが最低限の義務だ。


 今彼女は木の中腹あたりだ。この木は周囲の木から孤立しているので、椿が他の木に飛び移るという手段はとれない。俺は糸が届くからそれで移動することは可能。

 足をめり込ませて登っているので咄嗟の回避は無理だが、防御力も強化されている彼女はそもそも避ける必要がない。


「何も犠牲にしないで勝とうなんて都合が良すぎるか」


 かなり格上の相手に手段を選んでいる場合じゃない。今後、苦しむことになろうが、今ここで彼女を仕留める。

 俺はそう決意すると、彼女を倒すための準備に取り掛かった。

 ミスリルの鍬と鎌はアイテムボックスに戻し10本の先端が尖った丸太を取り出す。

 糸を巻き付け杭状の丸太を9本、宙に浮かす。


 今までなら、糸を同時に9本操ることも、この丸太を一本の糸で持ち上げることも重量的に不可能だったのだが、佐藤を殺した経験値で『糸使い』『気』を5レベルに上げた成果がこれだ。

 草木の気が見える様になったのも、物体に気を留めることが可能になったのも『気』レベルが5に上がったおかげだ。

 レベル5になると能力が向上するとは聞いていたが、確かに上げるだけの価値はあった。上げていなければ、今頃地面に無残な死体となって転がっていたのは間違いない。


「命を懸けた大博打を始めようかっ!」


 糸の括りつけた杭を9本同時に空へ掲げると、一本ずつ微妙にずらしたタイミングで杭を振り下ろした。

 糸から放たれた杭には『気』を停滞させ強度を上げている。杭の弾丸が上空から加速された状態で次々と椿へと降り注ぐが、椿は頭から受け止め砕き弾いていく。


 この杭の威力があればゴブリンジェネラルも貫ける自信があったのだが、彼女の強化された防御スキルを打ち砕くには、まだ足りない。

 最後の一本を投げつけると同時に足場の枝を蹴り込み、丸太を脇に抱えたまま椿を目掛け頭から下降する。


「うおおおおおおっ!」


 落下の恐怖を誤魔化す為に叫び、充分に落下速度が乗ったところで丸太を振り上げ、彼女へ向け全力で投げつけた。

 渾身の一撃は糸で放った9本目の丸太を追い越し、先に椿へとたどり着くが、その攻撃ですら椿の体を少し揺らした程度だった。


「これでも、無理か……そうだよな!」


 俺は腰に装着していたアイテムボックスを取り外すと、中からミスリルの鎌を取り出し右手で握りしめ――アイテムボックスを切断した。

 真っ二つに割れたアイテムボックスはその場で消滅し、代わりにアイテムボックスの中に入っていたモノが空中へと現れる。

 鮮血のように赤く染まった槍――ゲイボルグが空中で切っ先を地面に向け落下していく。


 アイテムボックスから取り出せないのであれば破壊すればいい。単純な話だ。

 ただ、アイテムボックスを一つ犠牲にする覚悟は必要となるが。

 俺の体は予め胴体に括りつけていた糸の長さが限界に達し、その場で急停止する。

 最後の丸太を弾き返した椿の眼前には、レベル1000推奨。魔槍ゲイボルグの切っ先がある。

 そのまま額に突き刺さるかと思ったのだが、咄嗟に体を逸らし槍は右肩へ刺さり、そのまま勢いを殺すことなく椿の右半身を切り裂く。


「ギイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 脳天まで貫かれるような悲鳴に耳を覆いたくなったが、自分のやったことから逃げるわけにはいかない。

 血を撒き散らしながら体を縦に切り裂かれた椿が地面へと落ちていく。

 どさっという重い音が耳に届き、俺は糸を伝い地面へと降り立った。

 目の前には虚ろな瞳で夜空を見上げ、空気が漏れたような呼吸を繰り返す椿の姿がある。右肩の付け根から真下まで切り裂かれ、右腕、右脚が完全に失われた彼女。

 地面に溢れ出した血が思ったより少ないのは防御系スキルの影響なのかもしれない。


「椿さん」


「あはは……やられちゃった……か」


 防御系スキルと人を超えた頑強さと精神力、体力の高さが、彼女の命をまだ現世へと繋いでいるのだろう。即死レベルの傷だというのに、彼女はまだ生きている。


「奥の手も通用しない……なんて……異世界でも……男を見る目……なかった……な」


 その瞳は焦点が定まっておらず、力なく微笑む姿が痛々しい。


「すみません……椿さん」


「最後まで変な人ね……あなたが……謝ることは……ない」


 いや、謝らなければならない。生きるきっかけを与えておいて、今度はこの手で殺したのだから。


「あなたと……最初に……出会えたら……ごほごほっ……もっと……違った……」


「そう、だね」


 俺の声は震えていないだろうか。


「何であなたが……悲しそうに……ああ……寒い……また死ぬ……怖い……寒いよ……死ぬのは……誰か……」


 虚空に向かい手を伸ばす椿の手を俺は両手で包み込んでいた。

 彼女が最後の力を振り絞り状態異常を発動させれば、俺はここで死ぬだろう。だが、そんなことはどうでもいい。


「大丈夫。死ぬのは怖くない。怖くないよ」


 俺は切り札として残していた『同調』を発動させる。

 焦点の定まっていなかった瞳が俺を捉えると、最後に今までで一番魅力的な微笑みを見せてくれた。

 そして、そのまま瞼を閉じると、二度と開くことは無かった。


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