レベル
今二人は生徒手帳を見て、どのスキルを奪うかの相談をしている。
見るからに隙があり、俺が寝ていると油断している。
やるなら今だ。逃げるにしろヤルにしろ。
人をこの手にかける。躊躇う気持ちはある。魔物を散々殺しておいて言う台詞ではないが、魔物と人とでは殺害に対する覚悟が違う。
だが、それについてとやかく悩むのは全てが終わってからでいい。
逃げるという選択を今までの俺なら迷わず選んでいただろう。だが、ここは逃げる場面ではない。この二人は人として超えてはいけない境界線から、はみ出してしまっている。
それに、この女性――椿は俺の『同調』により生き延びた可能性がある。話しぶりからして既に何人かは手にかけているのだろう。犠牲者は俺が余計な事をしなければ、死なずに済んだ可能性があるのだ。
もしそうなら……俺が責任を取らなければならない。殺人鬼を作りだしてしまった責任を。
研ぎ澄ませ心を。精神力も以前とは比べ物にならない今なら、全てを冷静に判断し実行に移せる。
糸を同時に操れる本数は四本。二本ずつ伸ばし二人同時に殺める。
これが決まれば勝負は一瞬で終わるが、相手の能力は不明。どちらが与しやすい相手かで考えるなら佐藤だろう。
椿と一緒に転移者や現地人を手にかけレベルが上がっている可能性は高いが、スキル構成が戦闘向きではないと思われる。
武器も拳銃なので不意を突いて首に糸を巻き付ければ、抵抗すらさせずに殺すことも可能。むしろ、初手で殺しておかなければ銃による反撃が厄介になる。
椿は『奪取』によりどれだけのスキルを奪い強化されているのか想像もつかない。だが、始末しておかないといけない優先度は椿が断トツで上だ。
「スキルに空きはあと幾つある?」
「4。2つとも奪っておこうかしら」
「消費軽減は今後のことを考慮するなら必須だ。これでようやく、ステータスレベルを上げることができるからな」
筋力レベルを上げるデメリットによる、エネルギー消費の増加を考え控えていたのか。なら、今はステータスレベルが高くても2。
どれだけベースのレベルが上がっていたとしても、ステータスの罠により安易に能力を上げることができない。強さに差があっても殺害は――可能!
「さて、じゃあ二つ取るってこと、があああっ!」
「どうし、うおおおっ!」
話がまとまったタイミングで俺は仕掛けた。
佐藤には糸を一本だけ伸ばし一瞬にして、全身を引き出物のハムのように糸で縛り上げ地面に転がす。この男の情報は貴重だ。出来ることなら後で色々聞き出したい。
椿の方は丸太小屋の梁に予め通しておいた糸を首に巻きつけ、首つりのように引っ張り上げ、抵抗されないように残りの二本の糸で両腕、両足を縛り上げた。
「椿っ! 何をしているんだっ!」
糸で雁字搦めにされている佐藤が目障りなので、糸を口元にも伸ばし猿ぐつわ状態にしておいた。
「ぐがああああっ」
涎を撒き散らし、梁からぶら下がった状態で身悶えする度に、その糸が椿の首を更に絞めつける。ゴブリンなら既に息絶えている時間なのだが、レベルで上げた頑強が高いのだろう。苦痛に顔を歪めながらも、死んではいない。
せめてもの慈悲だ。楽にしてやろうと、ぶら下がる彼女に近づきその体に触れ、体重をかけ下へ一気に引こうと――何だ、体が異常に硬い!?
慌てて椿を見上げると、さっきまでの苦しそうな表情は消え失せ、冷たい眼差しでこちらを見下ろしている彼女がいた。
「勝利を確信した?」
口角を上げ妖艶に笑う椿を直視した途端、全身に寒気が走った。
突如胸中を掻き毟りたくなるような不快感が襲い掛かってくる。何かを体内に埋め込まれ体内で暴れ狂っているかのような激痛。
体が全くいうことを利かず、俺はその場で膝を突いてしまう。
「あら、状態異常系をありったけぶち込んでみたのだけど、意識はまだあるんだ。状態異常系の耐性なんて無かったし、この糸だってそう。やっぱりあなた、別人の生徒手帳渡したのね」
状態異常……しまった! 絡ませた糸を逆に利用され、相手の状態異常系スキルを流し込まれたのか!?
これ以上は俺の身が持たないと糸を解除し、俺は入り口の扉を体当たりで跳ね飛ばし、屋外へ飛び出した。
「あら、仕掛けておいて逃げるのかしら」
まだ、呼吸が荒く平常心とは言えないが、さっきよりかはかなりましになった。
痛む胸元を鷲掴みにし、丸太小屋からゆっくりと出てくる椿を見据える。
「ふふふ。まさか、いきなり殺しに来るなんて、見かけによらず大胆なのね」
かなりの締め付けで衣服はボロボロになっているというのに、椿は傷一つないようで気怠そうに首を左右に振り、余裕の笑みを浮かべている。
「私が死ななかったのが不思議? もちろんスキルでどうにかしたのよ。私って状態異常系が充実しているから触れたら勝ちだし、あとは防御系さえ充実させれば、この通りよ」
防御系のスキルか。確か『金剛』『硬質化』といった自分の体を固くするスキルが幾つかあった。そのうちの一つを得ているのか。
糸を使う俺にとって相性の悪いスキルだな。糸は所詮糸だということか。
刃物の切れ味もなく、鈍器のような打撃力もない。一定以上の硬さを持つ相手になると、糸を使った攻撃が無力化される。
そして、糸で触れれば状態異常の逆流に襲われる。最悪の相性だ。
「それに、あなたちょっと躊躇ったでしょ、私を殺すの。佐藤を縛り付ける早さで首に糸を通しておけば、防御スキル間に合わなかったかもね」
「この状況でまだ踏ん切りがつかないとは、つくづく自分に嫌気がさすよ。はぁ、椿さんの能力は思ってた以上に厄介だし」
「でしょぉ。私もここまで強くなるなんて思わなかったのよ。でもさ、この世界で佐藤にあって、この男利用価値があるってぴんときちゃったの。で、あいつの言う通りにやっていったら、こんなに強くなっちゃった」
強者の余裕か。春矢もそうだが、圧倒的な力を手に入れた今、やはり誰かに自慢したいのだろう。称賛されたいという思いが顔に出ている。
「私って昔からひらめきが凄くて、あの教室でもそう。本当はスキルを充実させて、ステータスレベルを上げるつもりなんて無かったんだけど。不意に、ステータスレベル平均で上げなくちゃって、思い直して助かっちゃった」
これで確証が取れた。やはり、俺が原因でこの殺人鬼を生み出してしまった元凶だったか。
俺の誰かを助けたいという甘い思いが、他人の人生を奪ってしまった。
「最低だな」
「あら、私を批難するの?」
「違う俺がだ」
あの時はこれが最良の策だと思い、自己満足に浸っていた。こんな最悪な存在を生み出すことになるとも知らず。
「あら、面白いことを言うわね。貴方が自己嫌悪に陥る理由なんてないと思うのだけど。まあいいわ。でね、岩村さん――本名は違いそうだけど、あなた私たちの仲間になる気はない? わざわざ私たちの悪だくみを聞かせてあげたのだから、目的は理解しているでしょ?」
俺が寝ている振りをしているのを知っていて、わざと話していたというのか。
この状況で仲間への勧誘。今の俺に殺される可能性がないと考え、圧倒的な力の差と自信があるからこその勧誘か。確かに今の俺が彼女を殺す方法は皆無に等しい。次失敗したらそれこそ迷わず俺を殺すだろう。
それにまだ、幾つか隠し玉がありそうな椿。俺の残るスキルは『同調』
これを利用し何とか逃げ切る。春矢との戦いでやってみせた同じ手段しか残された道はない。仲間になると見せかけ油断させ、逃走。これでいくのが妥当なのだが。
「あ、そうそう。もし、この場から逃げたら、全員殺すわよ」
全て、お見通しというわけか。まあ、逃げる気は端から無いが。
「あら、人質として効果があるの? 自分で言っておいてなんだけど意外ね。昨日まで全く知らない赤の他人じゃないの。ちょっと偽善が過ぎないかしら。そんな考えで異世界は生き残れないわよ」
「ご忠告感謝するが、俺なりに我儘に生きることに決めている」
「我儘……あなたって本当に変わり者ね。じゃあ、返答を聞かせてもらえるかしら」
生き延びる為なら迷う必要はない。
今の俺が勝てる可能性はゼロに等しい。
糸が全く通用しないどころか、糸で触れれば状態異常の影響を受ける。
「椿さんは異世界転生や転移ものでどういう作品が好きだった?」
「唐突に何。時間稼ぎのつもりかしら? あの二人が起きてくるのを期待しているのなら無駄よ。あの睡眠薬は朝まで目が覚めない強烈なものだから」
「そんな狙いはない。単純に好奇心からの言葉だよ」
俺の意図が読めないのだろう、目を細めじっと見つめている。
「ふーん、何考えているかわかんないけど、乗ってみようかしら。そうね、悪役ポジションの乙女ゲームの異世界転生も好きだけど、結構ハーレムものも好きよ。男の純粋な欲望が透けて見えて滑稽だし」
「へえ、少し意外だな。男性にモテまくる逆ハーレムものが好みに見えたのだけど」
「モテるのはリアルで充分すぎるぐらいに経験したからもういいわ。じゃあ、逆に聞くけど、あなたはどんな作風を好んでいたの?」
「好きではなく嫌いなストーリーなら言えるよ。精神が未熟な主人公が活躍する物語。努力もせず、苦労も知らない主人公は見ていてイライラする。今思えば主人公を自分に置き換えて、同族嫌悪していたのかもしれないな」
一時期の自分は人に絶望し何をやっても無駄だと決めつけ、愚痴は言うが自ら動くことはなかった。だから、たまたまチートな能力を得て、好き勝手している主人公が活躍する物語を読み進めていると安心できた。
何も考えずに流れに身を任せ、力に溺れ人を見下す。
そんな主人公が上から目線で、弱者に対して偉そうな口を利く姿を想像しては、意地の悪い笑みを浮かべる自分を自覚していた。自分より情けない人を見て安心していた。
自分の無力さに苛まれ、気力を失っていた俺の唯一の逃げ道が異世界で活躍する物語を描いた小説だった。
「つまり何が言いたいの。自分から話しを振ってきたくせに、話が見えないのだけど」
「結局、覚悟と自覚が足りないのだと思う。主人公は異世界で生きていくという覚悟が。そして俺は……目的の為に誰かを殺すという覚悟が」
俺の告白を聞いた椿は鼻で笑っている。
「私の首を糸で本気で絞めておいて、人を殺す覚悟が足りない? あなた頭おかしいんじゃないの」
「キミを殺すことに躊躇いはもうない。自分の罪だから。でも、その目的の為に他の人を殺す覚悟が俺にはなかった。相手が外道だとわかっていても、俺はその一歩を踏み出す勇気がなかった――さっきまでは」
俺の独白じみた話を聞き、椿は心底驚いた表情を浮かべ、俺を物珍しそうに眺めると、今度は嬉しそうに破顔する。
「ふーん。じゃあ、あなたは今なら人を殺すことも厭わないんだ」
「ああ、もう既に――殺した後だからな」
俺が軽く右手を振ると、俺の後方――丸太小屋へと伸びていた一条の糸が巻き戻ってくる。その糸に流し込んでいた気が確かな手ごたえを自分に伝えてきた。
佐藤の息の根を止めた確かな感触がある。
「へえ、佐藤殺したんだ。まあいいんだけどね。欲しい情報は殆ど手に入っているし、もう少し育ててから経験値奪う予定だったけど、貴方を殺せば同じだもんね」
「そう、上手くいくかな」
「あ、もしかして佐藤殺してレベルアップしたから調子に乗ってる? 私って親切だから言っておいてあげるけど、私のレベルは47よ?」
春矢より更に上か……。予想はしていたが、その上を軽く超えてきたな。
「何人殺したんだ」
「えっとね、現地人四人に、転移者五人だったかしらね。あ、そのうち二人は佐藤が殺したわよ」
そうか、なら微塵も躊躇う必要はない。
「ここで、あなたの暴挙を止めさせてもらうよ」
「あらあら、親切にレベルまで教えてあげたのに戦う気なんだ。勇敢と呼ぶより無謀よね。私には鉄壁の防御があるのに、あなたはどうやって倒すつもりなの」
余裕の態度を崩すことなく、胸を強調するかのように腕を組んだまま歩み寄る。
「確かに今までの俺なら、その防御を貫く手段が無かった」
俺は左腰に装着しているアイテムボックスに手を触れる。
今の俺なら――使える筈だ!
「えっ……ぶははははははっ! 何それ、その格好! やめてよ、真剣な戦いの最中に笑い殺す作戦!?」
俺は右手に鍬、左手に鎌を構えた状態で椿を見据える。
確かに滑稽な格好に見えるかもしれないが、その性能は折り紙付きだ。ミスリル製の農耕具なら椿の防御を貫ける可能性がある。
「ああもう、その姿だけで満足しかけたけど、それってかなり性能がいいのかしら。あの生徒手帳で奪われたことになっていたミスリル製の農耕具ってそれ? なんだ、あなたも同じ穴のむじなだったのね。転移者殺しの」
「誤解しないでもらおうか。死者からもらい受けただけだ」
「ふぅぅん。ま、どっちでもいいか。じゃあ、そろそろ殺ろうか?」
笑いながらもこちらの農耕具は警戒しているようで、その歩みを止め俺から一定の距離を置いている。
相手の攻撃方法は状態異常しか知らないが、まだ何かあるだろう。
農耕具であれ触れた瞬間に状態異常を叩き込まれる。ならば、全て一撃必殺の威力を込めて攻撃しなければならない。
「あれー攻撃しないの?」
「じゃあ、お言葉に甘えて、この武器の威力試させてもらおう!」
鍬を肩に担ぎ、鎌を逆手に持ち腰を落とす。今すぐにでも飛び出せるように、両足に限界まで力を溜める。
椿はようやく腕を組むのを止め、少しだけ表情を引き締めた顔がある。
そんな椿を前に俺は――
「ぎゃっ!」
鼓膜を振動させる銃撃音が闇夜に木霊する。
顔面から地面に突っ伏した椿の後方には硝煙を上げる銃口があった。
銃のグリップと引き金には糸が絡まり、宙に浮かんでいる。
「すまんな。俺は不意打ち専門だ」