転移者たちとの夜
ある程度だが距離を置いて、俺は見張りに立つ青年の正面方向からゆっくりと歩いていく。足音をできるだけ殺しているが、時折、枯れ枝を踏み割ってしまう音が周囲に響いてしまう――感じを装っている。
むしろ、積極的に枯れ枝を見つけては踏んでいた。相手に見つかることが前提なのでスマホのライト機能を使い、前方を照らしている。
『気』も微量ながら発動しておく。完全に消してしまうと、それを探知できる人がいたら逆に怪しまれそうだからだ。
俺の存在に気づいたようで、青年のポイントに動きがあった。
一度後方に動き、その後にこちらに向かってきている。誰か呼びに行ったのかと警戒したのだが、声を掛けただけのようだ。
他のポイントが集まって団子状態になっている。
青年の腕を信用しているのか、戦闘技能のある者が他にいないのか。判断がつけ辛いがここは一対一で会えることを良しとしておこう。
何も知らない振りを続け、俺はただ真っ直ぐ歩を進める。誰かが草木を踏みしめた跡があるので少し歩きやすい。獣道とまではいかないが、この跡を辿ってきたと言えば相手も納得してくれるかもしれないな。
「おい、そこのあんた止まれ!」
青年の警告が耳に届いた。良く通る声をしているが、夜にそんな大声を出すべきじゃない。
「え、あ、ええと……」
驚き動揺した振りをすることにした。威圧的な態度は不安の裏返しだと思う。ここは従順な感じで対応した方がいいだろう。
「何者だ……って、その格好とスマホ。あんたも転移者か?」
鞘が付いたままの刀を突きつけたまま問いかけてきたが、俺の姿を見て何者なのか見当が付いたようだ。
「ああ、そうだが。ということは、きみも転移者なのかい?」
こちらが年上なのであんまりへりくだり過ぎるのも、悪い印象を与えそうだな。これぐらいで丁度いいか。
「ああ、そうだけど。見たところ一人のようだけど、良く生き延びていたな」
「前は連れがいたのだが、ゴブリンの群れに……」
「そ、そうなのか。ここは厳しいところだもんな。俺たちも何度か危ない目を見てきたし」
同情している様子に芝居気はない、と思う。これならスムーズに話が進みそうだ。
「あ、悪いが、それ以上近づかないでもらえるかな。うちのリーダーに連絡とるから。俺の独断で判断するなって厳命されているからさ。すまん」
頭を掻きながら申し訳なさそうに、もう片方の手を祈るような形にして頭を下げてきた。
「他の転移者もいるのかい?」
「ああ、頼りになるアニキと変なオッサンと椿さん。それに、保護した現地の子供も三人いるぜ」
このため口は、俺を見下しているのではなく青年の元からの口調のようだな。
体育会系のクラブに所属していると年上相手には敬語が自然にでるものだが、口の利き方には厳しくないクラブの空気だったのか。もしくは、自ら体を鍛えているだけで、どこにも所属していないのかもしれない。
予想した通りの展開だが、まだ油断はできないな。残りのメンバーがやってくる前に、他のメンバーの性格と能力も知っておきたいところだが。
「そんなにも転移者がいるのか。みんなスキルも凄かったりするのかい?」
「ああ、戦闘に向いているのは、この俺、西園寺 刹那と、おっさんぐらいだけどな」
ん? さいおんじ せつな?
あ、ああ、そう名乗っているのか。生徒手帳を周りに見せなければ、偽名も使ってもばれないからな。
田中権蔵も悪くない名前だと思うが、若い頃はこういう古風な名前より、そういった名前の方が格好良く思えるか。
まあ、男の子なら殆どの人が通ってきた道だな。もう、黒い歴史から目覚めてもいい年齢だが、異世界に来てむしろ開花したという線もあるな。
「刹那という名前なんだ。いい名だね」
「そ、そうか、えへへへへ」
照れているな。何だろう、思っている以上に素直でわかりやすい性格をしている。悪い子ではないようだ。
この流れだとむしろ触れない方がいい気もしてきたが、恩を売る為にはしておくべきか。
「そうだ! さっき、そこで生徒手帳を拾ったのだけど、キミたちの誰かかもしれないから、渡してもらえるかい。中はまだ確認していないんだが」
「おう、そうなんだ。んじゃ、こっちに投げてくれるか?」
生徒手帳を手に取ると権蔵君へ向けて投げ渡した。
それをキャッチした権蔵君が中身を確認して目を見開くと、体中を弄っている。
「あんた、これ見てないんだよな!?」
「ああ、見てないよ、刹那君」
「な、ならいいんだ。これ俺のだ。いつ落としたんだ……何にせよ、ありがとうよ!」
生徒手帳をポケットにしまいながら、嬉しそうに破顔している。
俺に対しての警戒はかなり薄れたようだ。今ならもう少し踏み込んで聞き出せるか。
「そのオッサンって人も戦えるのか。刹那君より強いのかい?」
「へっ、あのオッサンは力任せに斧を振り回すだけだぜ。タイマンすれば俺が勝つ!」
権蔵君の口振りからして、オッサンと呼ばれている人の方が少し強いようだ。それを素直に認められずに、張り合っている感じが伝わってくる。
武器は斧か。異世界物の読者なら剣や刀を選ぶのが一般的だと思ったのだが、やはり個性が出ているな。俺も糸なんか使っているので、人のことは言えないが。
「リーダーさんと椿さんだったかな、その人たちは戦闘には参加しないのかい?」
「椿さんは戦闘に向いているスキルがないから、基本後ろで周囲の警戒してもらっているな。リーダーは銃があるから、危なくなったら手伝ってくれているぜ。弾が多くないから、いざという時にしか使えないけど」
銃がきたか。スキルを決める際にアイテム欄に銃の項目は確かにあった。お手頃な消費ポイントだったので迷ったのだが、弾数が決まっていて、予備の弾丸も消費ポイントが高く俺は見送った。
それに魔物相手だとそれなりに強力な銃でないと効果が薄そうだが、一体何を所持しているのか。
「へえ、銃持っているのか、それは頼もしいな。どんな銃なんだろう、ちょっと興味が湧くね」
「やっぱそうだよな。俺も刀か銃で結構迷ったんだけどさ、リーダーのを見ていると銃にしておけばよかったかなって、少し後悔したぜ」
銃の話題を振ってみたのだが、もう少し露骨に形状を聞いた方が良かったか。これ以上は怪しまれる可能性があるので、別の話題にもっていくか。
「いや、刹那君のその刀もいいじゃないか。素人目にも名のある刀に見えるよ」
「おおっ! わかってるね、あんた! これはあの有名な妖刀村雨だぜ!」
「へえええっ! 確か、南総里見八犬伝で使われていた刀だったかな」
「お、おう、そ、そうだぜ!」
あ、権蔵君。村雨の由来を知らずに選んだな。まあ、ゲームとかでも良く見かけるから、そっちを参考にしたのだろう。
権蔵君は裏表のないわかりやすい性格をしているのであしらいやすいが……やはり問題は――来たか。
「刹那君お待たせ。彼が訪問者かな」
刹那もとい権蔵君の背後にぬっと現れたのは、高身長でやせ形の男だった。
痩せているといってもひ弱な感じはせず、研ぎ澄まされた刃のような印象を受ける。高身長で190は超えている。年齢は40から50代ぐらいだろう。
髪形は長くもなく短くもなく整えられもせず一見だらしなくも見えるが、彼から漂う雰囲気と混ざり合い、何とも言えない圧迫感を覚えてしまう。
格好は上下スーツ。薄笑いを浮かべた顔に乗るのは黒縁の眼鏡。サラリーマン風なのだが、俺の目には男がそんな存在には見えなかった。
「初めまして、ここのまとめ役をしています。佐藤と申します。日本ではサラリーマンをやっていました」
丁寧な口調に礼儀正しい振る舞い。だというのに、この男、佐藤には妙な迫力がある。
『気』を発動しているせいなのだろうか、この男から発せられる何かに体と心が反応してしまう。
「これはご丁寧に。刹那君にも話したのですが、共に過ごしていた仲間と死に別れしまして、闇雲に逃げていたら偶然、光を見つけてやってきた次第です」
「それはそれは、ご苦労なさったのですね。この先に仲間と現地の子供たちがいます。行く場所がないのであれば、共に過ごしませんか? この島を生き延びる為に」
渡りに船。理想的な展開――だというのに、心が騒めく。
佐藤という男を信用しきれない自分がいる。だが、見た目が少々怪しく見えて、中身は良い人という例も多い。俺が警戒しすぎているというオチだってある。
他の面子の確認もしていない。ここは、誘いに乗るべきか。俺一人なら何とか逃げ出すことも、権蔵君を仲間に引き入れることも可能かもしれない。
「ありがとうございます! 一人でどうやって生きていけばいいのか不安だったのですよ。本当に助かります」
佐藤が差し伸べた手を両手で握りしめ、感謝の言葉を述べた。
体が触れることにより精神系のスキルを発動してくる可能性も捨てられなかったので、警戒していたのだが特に異変はない。
相手の表情は変わらず薄笑いが貼りついているので、桜さんのように心を読まれた様子もない。
「では、こちらに来てください。あまり時間を掛けると仲間が不安になるので。刹那君も見張り、もういいですよ、ご苦労様。ご飯できましたので」
促されるままに佐藤の後ろについていく。
「やっと飯かー。腹減ったぜ」
権蔵君は全く警戒していないようだが、俺は彼から目を離せなかった。『気』のレベルが上がってからは陽炎のように薄らとだが、相手の纏う気が見えるようになっている。
かなり目を凝らさないといけないので、実用的とは言えないが。
今は夜なので気が昼間よりも濃く目視しやすい。
普通は感情の動きによって、気が揺らめいだりするものなのだが、佐藤の気は微動だにせず波のない水面を見ているかのようだ。
「そういえば、何とお呼びしたらいいのでしょうか?」
「岩村 正也と言います」
「岩村さんですね、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ」
死亡した転移者の名前を騙っておいた。春矢と対面したときに続いて名を借りるのは二度目になる。
この場面で言いよどむことは相手に警戒心を抱かしてしまうと、予めこの名を騙ることを決めていた。後で嘘がばれると厄介なことになりそうだが、佐藤という男をまだ信用することができない。
「ここが、私たちのベースとなっています」
男の動きに注視していて周囲の様子を見ていなかった。佐藤が言うベース、つまり彼らの拠点があった。
入り口付近に置かれた煌々と光を放つ松明に照らし出された、丸太を並べ壁と成した丸太小屋。これが彼らの暮らす場所か。
ガラス窓はなく、入り口は扉代わりの木の蓋のような物があり、壁や屋根も作りの粗さが目立つが、その形状は家だ。
「え、家?」
正直、驚いた。この世界に来てから初めて見る、ちゃんとした住居だ。日本の住居としてはお粗末な外見だが、ゴブリン集落の小屋とは比べ物にならないクオリティーをしていて、大きさもかなりある。
俺の拠点より収納人数はかなり多いだろう。大人が雑魚寝しても8から10人はいけそうだ。
「これは仲間の一人が建ててくれたのですよ。趣味と実益を兼ねてログハウスを建てた経験もあるそうで、彼には助けられています」
「オッサン、ああ見えて手先が器用だからな。無駄に怪力だし、斧持ってるし」
権造くんはオッサンと呼ばれる人をかなりライバル視しているようだ。心の奥底では実力は認めているのだが、素直になれないといった感じがする。
しかし、丸太を組み合わせただけとはいえ、これをこの数日で造り上げたというのか。誰かに手伝って貰ったとしても、これだけの物を短時間で……何かしらのスキル補正があるとしか考えられない。
「ほう、そやつが訪問者か」
丸太小屋の陰から、巨大な人影がにゅっと現れた。
ひょろ長い佐藤よりかは若干背が低いが、鍛え上げられた見事な体をしている。上下灰色の作業服で、体中に幾つもポケットがある。仕事中に転移させられたようだ。
容貌は厳ついと表現するに相応しい顔つきをしている。太めの眉に意志の強そうな目。伸びたまま放置している無精ひげ。頬についた一筋の傷が彼の迫力を増長させている。
「ふむ、何にせよお疲れだったな。ちょうど飯もできた。おぬしも食べていくがいい」
口調が現代日本人とは思えない。だが、無理してキャラを演じている風でもなく、自然体に思える話し方だ。
「おっさん、山奥で芸術家やっていたらしくて、自給自足で引きこもっていたそうだぜ」
芸術家なのか。この口調もその影響なのだろうか。それよりも、自給自足で暮らしていたというのは、ここでの生活でもっとも頼れる能力だ。
スキルが使えそうなものを所持しているのなら、仲間に引き入れたいな。
入り口を防いでいた丸太を繋ぎ合わせただけの蓋をオッサンと呼ばれた男が抱きかかえると、そのまま入り口の脇に移動させた。
促されるままに中に入る途中、少し扉代わりの蓋を掴んでみたのだが結構な重量がある。筋力のステータスを上げ、レベル3までもっている自分なら楽勝だが、桜さんでは絶対に持ち上げることのできない重さ。
身体能力もそれなりに強化しているな。
丸太小屋の中は床板も敷き詰められている。平らに削っているので寝心地も良さそうだ。久しぶりにまともな人の住む環境だ。日本での暮らしに比べたら住居と呼ぶにはおこがましい造りなのだが、木の床があるということだけで軽く感動してしまった。
「さあ、さあ、中へ。みんな、安心してください。私たちと同じ転移者の方でしたよ」
俺が中へ一歩足を踏み入れた瞬間、部屋の隅に固まっていた人たちが警戒するのが見て取れたのだが、リーダーである佐藤の一言により、緊張がほぐれたようだ。
「初めまして。先程、合流させていただいた岩村正也です。よろしくお願いします」
こちらを観察している人たちに向けて深々と頭を下げておく。
一人がスマホを操作していたので、その灯りで人数は確認できた。
大人の女性が一人。これは権蔵君が言っていた、椿さんだろう。
男の子一人に、女の子二人。全員サウワより少し上に見える。日本でなら中学校に入りたてぐらいだろうか。
「あら、ご丁寧に。私は椿よ、よ、ろ、し、く」
子供たちを背後に庇うようにしていた女性が立ち上がると、こちらに手を差し出しながら、大人の色気を感じさせる動作と声で自己紹介をしてくれた。
「はい、よろしくお願いします」
俺はその手を取ることなくもう一度頭を下げた。
佐藤の握手に応じたのは、お互いの商談……とは違うが、交渉事が成立してそれを確認する為の儀式のようなものだ。
権蔵君の話では、この椿という女性は戦闘系に向かないスキルを所有しているとのこと。あのこちらを探るような目つきと、手を出した瞬間に浮かべた意味深な笑みが俺の警戒レベルをマックスまで引き上げてくれた。
何かしらのスキルを発動される恐れがあるので、触れるのは極力避けておきたい。
「ふーん、慎重ね」
俺がさりげなく握手を拒否したのが伝わったようで、その手をすっと下げると俺を物珍しそうに観察している。
色っぽい女性に見つめられるというのは悪い気はしないのだが、そんなことよりも、この女性の顔、声、何処かで……。
「積もる話は飯を食いながらでいいだろう。じゃあ、配るぞ」
オッサンと呼ばれた男が部屋の真ん中に置かれていた、鉄製の大きな鍋の蓋を開けた。って、鉄製の鍋があるのか。これはスキル表のアイテム欄から得たのか、それとも偶然転移する際に持っていたという可能性も。
どちらにしろ、かなり羨ましいアイテムだ。
よく見ると鍋が置かれている場所は囲炉裏のようになっていて、そこで火を使えるようになっている。鍋から溢れ出る湯気と、食欲をそそる香りが鼻孔から潜り込み体中へ浸透する。
「さっき捌いた鳥を血ごと練り合わせた団子からでている塩気で味が付いている。野菜も実際に口にして食べられると判断した物しか入れていない。安心してくれ」
豪快な料理法だが、夜はかなり冷えるこの環境ではとてもありがたい一品だ。料理に血を用いるのは中華料理やソーセージに練り込むといった手法は聞いたことがある。
囲炉裏を囲んで座るメンバーたち。俺の対面方向にはリーダーである佐藤。左隣には刹那こと権蔵君。右にはオッサンと呼ばれる男。右奥に椿という何処かで見覚えのある女性。
そして、左奥には現地の子供であろう三名の男女がいる。
第一印象で判断するなら、権蔵君とオッサンは信頼しても大丈夫な気がするが、ただの勘なので当てにはならない。
ただ、妙に色気のある女性と佐藤だけは信用してはいけない。そんな気がしてならない。
まあ、今はありがたくご相伴にあずかることにしよう。彼らが先に手を付けているのだ、怪しい成分が含まれている可能性は低い。
それに頑強を上げている俺なら、少々の毒素は問題ないだろう。置いてきた彼女たちには心苦しいが、ここは久しぶりの温かい汁物を思う存分楽しませてもらおう。