島の名は
『土屋さん、土屋さん、何で私は木に括りつけられているのでしょうか!』
「邪魔だからかな」
声の元へと近づき、木陰からそっと現場に目をやろうとしたのだが、桜さんは担いでいた肩で暴れ、今にも飛び出しそうだったので、説得も面倒で時間もないので木に縛っておいた。
「――――!」
子供が何かを叫んでいるようだが、意味のない言葉の羅列にしか聞こえず『共通語』スキルを所有してないとこんな感じなのか。
『死んでやらないっ! って言ってます!』
糸を伝って桜さんの同時通訳が聞こえる。
これは様子を見ている場合じゃないか、一刻を争う事態だ。
「大丈夫か!」
言葉が通じないのを理解した上で、大声で叫ぶ。そうすることにより、俺に敵の意識が向いて欲しいという目論見がある。
「――っ!」
目を見開いてこちらを凝視している、褐色の肌の子供が一人。そして、黒い毛むくじゃらの大きな犬が子供の対面方向にいた。
でかいなこの黒犬。全長二メートルはあるぞ。子供との距離は五メートルほどか。
目が赤く輝き唸り声を上げながら、口元から涎を垂らす黒犬がターゲットを俺に変更したようで、体を俺の方向へと向ける。
褐色の子供は小さな短剣を構えたまま少しずつ後退っている。怯えた表情だが恐怖で体が硬直することもない子供らしからぬ豪胆さ。きっと桜さんより精神力が強い。
『今、失礼なことを思われた気がします!』
何かあった時に声が聞こえるように、桜さんを括りつけた糸は俺の腕と繋がっているのだが切断した方がいい気がしてきた。
ただの野犬と考えるには迫力が凄まじい。魔物の一種だと考えた方がいいな。どちらにしろ、油断はしないが。
他に何かが潜んでいる気配はない。黒犬が体勢を低くして直ぐにでも飛び込めるように、力を溜めている。家で飼っている猫が獲物を狙っている仕草に似ているな。
かなり危ない状況なのに冷静だ。まるで自分じゃないみたいに心が平静を保っている。
「グルウウゥアアァッ!」
黒犬が一足飛びで一気に間合いを詰めてくる。
後ろに大きく飛び退ると同時に、自分の頭があった場所に糸を横一線に張る。
上手くいけば俺の顔面を食おうと馬鹿みたいに大きく開けられた口を起点に、上下に引き裂く予定だったのだが、糸に触れる前に鋭く尖った前足の爪で引き裂かれた。
「土屋さん!」
木に括りつけられたままの桜さんの悲壮な声が背後から響いてくるが、返事を返す余裕はない!
糸を切り裂くほんの少しの時間と、予め避けておいたおかげで黒犬の初撃はなんとか躱せたが、この黒犬強い。流石にジェネラルとまでは言わないが、ホブゴブリンよりかは格上だろう。
「そもそも、暗殺向きなんだけどな、俺はっ!」
黒犬と自分の間に糸を何度も張っているのだが、その度に引き裂かれ千切れていく。糸に手間取られ相手の動きが鈍くなっているので、攻撃を受けずに済んでいるが糸を引っかける場所がない平原で戦ったら、確実に何発か攻撃を喰らっている。
「これ以上は、糸がもったいない!」
本来は相手の体に糸を括りつけたいのだが、咄嗟に張った糸を切り裂けるだけの運動能力を持つ相手に、正直それは難しい。不意打ちでなければ捕らえることは難しいようだ。
俺が何とか通れる程度の隙間しかない木と木の間に飛び込み、毛糸を二本俺と黒犬の間に張る。
敵も学んだようで引き裂くことなく、その糸を飛び越え速度を落とすことなく俺の元へ飛び込んできた。
「よし、ビンゴ」
眼前に黒犬の口内が見える。大きく開いた口が俺を噛み砕こうとしたようだが、その牙はあと一歩届かなかった。
動きを学んでいたのは黒犬だけではない。黒犬が飛び越えられそうな高さに糸を張り、念の為に目につきやすい毛糸を選んだ。
そして、越えた先に首をくくれるように円形に――この戦いで初めての釣り糸を張り、今度は『気』を全力で注ぎこみ、飛び込んだところをぎゅっと締めた。
「凄いんですけど、凄いんですけど、このもやっと感は……」
桜さんの言いたいことは分かるが、正攻法で格好良く倒すのはもう諦めたよ。そういうのは俺には向いてない。
黒犬が死んだのを糸でまさぐって確かめると、その体に触れ『捜索』リストに入れておいた。お、リストに名前が出ているな、ああ、ヘルハウンドなのか。やっぱり、魔物だったようだ。
周囲にヘルハウンドがいないか『捜索』するが近くに反応はない。少し離れたところに数体うろついているようだが。
光の粒子と化し、体に吸い込まれたのを確認すると、足元に落ちている黒い魔石を拾っておく。あと、牙のような物が消えずに残っていたので、ポケットに入れておいた。たぶん、素材か何かなのだろう。考察は夜にでもしようか。
「そろそろ、外してもらえませんかーっ」
桜さんが何とか糸から抜け出そうともがき状況が悪化したようで、更に複雑に糸が絡まっている。『糸使い』で一瞬にして解き、彼女の腕に糸を絡ませておく。
さてと、ここから本命だな。
少し離れた場所から俺を睨み、如何にも警戒していますといった表情の子供をどうするか。戦闘中に遠くまで逃げたのかと思っていたのだが、アレが原因のようだ。よく見ると右足を引きずるような動作をしている。
見たところ10歳前後だろうか。ボロボロの元は真っ白だと思われる、質素な薄汚れたワンピース。寝起きの桜さんのようなぼさぼさの頭。髪の長さは肩より少し下ぐらいだろう。女の子のようだ。
「土屋さん、ここはわたくしめにお任せを。親戚の子供たちには大人気なのですよ!」
優しい笑みを浮かべ、ゆっくり少女に歩み寄るジャージ亀――もとい桜さん。
少女は少し怯えたように短剣を構えている。桜さんが一歩踏み出せば、一歩下がる。二歩踏み込めば、三歩下がる。
現地の人には馴染みのないジャージ姿に亀の甲羅っぽいものを背負った女。まあ、警戒するよな。
「――――?」
桜さんの話している言葉も理解できないが、語尾の発音が上がっているので何か質問をしたのだろう。
少女は眉根を寄せ、返事をしないで桜さんを見つめている。少しだけ構えている短剣の切っ先が下がったか。いい意味で滑稽な姿をしているので、警戒心が薄れたのかもしれないな。
桜さんは歩みを止め、手を広げ武器がない事をアピールしてその場にしゃがみ込んだ。少女と目線を合わせている。
また、意味不明な言葉が桜さんの口から発せられる。と同時に、
『貴方はこの島の人なの。と聞きました』
桜さんが『精神感応』で同時通訳をし始めてくれた。非常にありがたい。
優しい口調と無防備な姿に少女の張り詰めた気も少し緩んだようで、彼女は武器を下ろして、ぼそりと何かつぶやいた。
『違う、船でここに連れてこられた。と言ってます』
現地人ではないのか。第一村人発見かと思いぬか喜びしかけたが、期待していたよりも、いい情報を得た。
船で連れてこられたと言った。ということは船が島のどこかに停泊している可能性が。
いや、彼女がこんな状態でいるということは――あまり期待をしすぎないようにしよう。後の絶望が堪えるから。
「何故、ここに連れてこられたか聞いてもらえる?」
『はい、わかりました』
身振り手振りを交えて、桜さんが少女に質問している。笑顔を崩すことなく優しく語り掛ける姿は――母性を感じさせる。
『ええと、彼女は村に来た国の兵士に無理やり連れてこられたそうです。砦みたいな場所に自分と同じぐらいの少年少女が集められ、何かを検査した。それで、選ばれた子供たちだけ船に乗せられて、この島に降ろされた。と言っています』
検査に選ばれた子供。これだけじゃ全くわからないな。胡散臭い感じはするが、判断材料としては情報が少なすぎる。
「どれぐらい前にこの島に来たのか」
『はい――ええと、一週間ぐらい前だそうです』
一週間……俺たちより少し前か。こんな子供が良く今まで生き延びられたものだ。他の子供がどうなったのかも気になるが、それよりも船のありかが気になる。
「船が――」
『船はこの子たちを降ろすと、すぐに出航したそうです。あ、土屋さんこの子、疲れてそうなので、質問はこれぐらいに』
船はもう無いのか……期待してはダメだと分かっていたが、それでも――いや、切り替えろ。この異世界は甘くない。そう、過剰な期待は抱くな。
はぁ……そうだな、質問は後にしよう。未開の場所だし、ヘルハウンドのような強力な敵が数体現れたら、桜さんや少女を庇って生き残る自信が無い。一度、拠点に戻るか。
「っと、桜さんこのレーズンをその子にあげて。お腹空いてそうだし。それで拠点に来ないか誘ってくれるかな」
桜さんにレーズンが二十粒程入っている小袋を投げ渡す。ちなみに、この小袋は余っている布と紐で作った自家製の巾着袋だ。裁縫趣味の母さんに無理やり叩き込まれた技能が活かされた一品。
桜さんは取り出したレーズンを試しに自分で食べて見せて、それから少女へ差し出した。
少女は恐る恐る手を伸ばすと、さっとレーズンを掴みとり口へと放り込む。
数度噛むと、訝しげだった表情が一変し、目を輝かせ満面の笑みを浮かべた。
それを見た桜さんが小袋の中身を全部出し、手のひらに載せて少女へと突き出す。
久しぶりの甘い物だったのだろうか、警戒する間も惜しいとばかりに、素早く桜さんに近づくとレーズンを何度も摘まんでは貪り食っている。
『私たちのところに来たらもっと美味しいご飯があるよ。と伝えたら、来るそうです』
無邪気な笑みを浮かべる少女の手を引き、桜さんが俺の元へとやってきた。
少女からは初めて出会った時に見せた、野獣のような鋭い眼光は消え失せ、期待に瞳を輝かす子供がそこにいる。
食べ物でつられるという状況に、大人としてこの子の将来が心配になるが、今の状況ではそんな心配よりも食事が優先だよな。
『捜索』リストのヘルハウンド、ハーピー、ゴブリンを発動させ、そのポイントには近づかないように注意しながら、俺たちは拠点へと戻ることにした。
スキルのおかげで敵に遭遇することなく、無事拠点へ帰還した俺たちはまず昼食を取ることにした。
簡易コンロで昨日と同じく枝を貫通させられた魚を炙り、ミスリルの鍬でゴブリンの集落で見つけた鶏肉っぽい物を焼く。
一瞬、ハーピーの肉ではないかとためらったのだが、殺した後は光の粒子となっていたので、たぶん違うだろう……きっと違う。
ただ、さっきヘルハウンドを殺した時に牙が落ちていたように、この肉もそういった物ではないと言い切れないのだが。まれに魔物特有のドロップするアイテムがあるのかもしれない。こういうシステムも定番中の定番だろう。
桜さんは少女とすっかり仲良くなったようで、お手製の水を溜める容器の傍に手を繋いでいき、濡らした布で体を拭いてあげている。
ワンピースも脱がして軽く水ですすぎ、塀に干している。乾くまでの間は毛皮をバスローブのように体に巻き付けて服代わりにするようだ。今日は日差しも強いので、そう時間はかからないだろう。
「体を拭いてきましたー。はい、サウワちゃんはそこに座って」
どうやら、少女の名前はサウワというらしい。
さっきまでは汚れていたので容貌が良くわからなかったのだが、かなり整った顔立ちをしている。目つきが鋭く野性味があるので、可愛らしいというよりは美人さんといった感じだ。
桜さんは日本語で話したのだが、身振り手振りで意味が伝わったらしく、桜さんの隣に寄り添うように座り、小さな体を更に縮こまらせている。
「もう少ししたら魚も肉も焼けるから」
俺の言葉を桜さんが共通語でサウワに伝えている。小さく頷き、じっと魚を見つめている。
さて、ご飯ができる間に色々聞きたいことがあるのだけど。
「あ、土屋さん。サウワちゃんから聞いておいた情報伝えておきますね」
俺の考えを先読みしたかのようなタイミングで話しかけてきた桜さんに『精神感応』で心が読まれているのかと疑ってしまい、心の中で言葉では言い表せないような映像を思い浮かべたのだが、桜さんの表情に変化はなかった。
「あの、話を続けていいですか?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事していたよ。続けて」
「はい、ここは贄の島と呼ばれているそうです。災厄の魔物が眠る場所として恐れられている伝説の島。それが――ここです」
贄の島。にえとは生贄の贄なのだろうか。その不吉な名前も気になるが、もう一つ気になる点が……災厄の魔物か。覚悟はしていたが、ほんと碌でもないところみたいだな。
「えとですね、災厄の魔物というのは昔話に出てくる、この世界の昼を喰らい永遠の闇を招いた魔物だそうです。かなり有名な昔話だそうで、小さい頃に何度も母親から聞かされていたそうです。悪い事をすると災厄の魔物が食べに来るよ! というのが叱るときの定番だったようです」
遅くまで起きていたらお化けが来るよ。というのと同じノリなのだろう。昔話なら、直接は関係ないと思うが、頭の隅にでも留めておこう。
「それで、この島に運ばれる途中に高そうな服を着た偉そうな人が「お前らが行くのは贄の島だ。お前らは糧となる為に選ばれた。一年後にもう一度この島に来るが、もし生き延びていたら連れて帰ってやろう」と言われたそうです」
子供たちを島に置き去りにして、一年後に迎えに来る。この子を見る限り短剣は渡されていた。けれど、その程度の武装で生き残れる島ではない。
贄の島、糧という言葉から連想するなら、この子供たちは生贄にされたと考えた方がしっくりくる。何に対しての生贄なのか。少ない情報で考えられるのは災厄の魔物ということになるが、これは今考えるだけ無駄か。
万が一生き残れるとしたら、その子は相当の運と実力の持ち主ということになる。死ななければ自分たちの手駒として有効利用しようという魂胆か。
「手に入った情報で有益だったのは一年後に船が来るということか。それをどうにか手に入れて脱出。それを目指すしかないか」
「そうですね……一年。一年って思ったより早いですよね!」
桜さんは俺に話しているのではなく、自分に言い聞かせているようだ。
この異世界に降り立ってから初めての確かな希望。絶望だらけの状況に垂らされた希望の糸。頼りなくか細い糸だとしても、それが自分には届かない位置にある糸だとしても『糸使い』として操り掴んでみせる。