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侵入

 糸を伝い地面に降り立つと、今度は糸を体に巻き付かせて桜さんを下ろす。自力でやってもらうには不安がある運動神経をしているからだ。


「すみません、運動は苦手で」


「いいよいいよ。じゃあ、ここから精神感応でお願い」


『はい、了解しました』


 集落の唯一の入り口を守っている二人のゴブリンは、集落の騒ぎが気になるらしく、体ごと集落へ振り向き、見に行きたくてうずうずしているように見える。


「まずは、入り口確保」


 隙だらけのゴブリンの顔に糸を巻き付け、声も視界も奪われもがくゴブリンの首筋に棍棒の一撃を叩き込んだ。

 筋力3倍と称号ゴブリンバスターは伊達じゃないようで、二匹とも一撃で即死した。


「桜さんは集落の中から誰かこっちにこないか、警戒しておいて」


『はい!』


 『捜索』でポイントのチェックと『気』を発動しているので敵が近づいて来たらある程度はわかるのだが、ここは桜さんが必要だという自信を持ってもらう為にも、役割を分担した方がいい。

 見張りの死体を脇の森へ放り込み、騒いでいるゴブリンたちを尻目に俺たちは女性が捕まっている小屋へと向かう。


 遠くに見えるゴブリンジェネラルがゴブリンを二体吹き飛ばす光景が見えたが、残りのゴブリンたちは戦意を失っていない。何匹かのゴブリンも新たに参戦し、ジェネラルへと立ち向かっている。

 日頃の行いがかなり悪かったようだ。参戦していないゴブリンたちも、遠巻きに眺めているだけで、ジェネラル側につく者はいない。

 ここで更に同調させたいところだが、一度発動させたら二十分待たなければならないという制限があるため、今はちょっかいをかけることができない。


「ゴッヒュゥゥ……」


 目的の小屋から見える範囲に三匹のゴブリンが確認できる。一番近くに見えるゴブリンのイビキが聞こえてくる。どうやら、お昼寝中のようだ。

 これだけの騒ぎにも目を覚まさず眠り続けているゴブリンの首に糸を通し、小屋の梁に吊るしておく。

 距離があるので棍棒で止めを刺しに行く時間は無い。そのまま窒息してもらおう。

 破壊音と悲鳴が聞こえる度に体がすくみそうになるが、隣に並ぶ桜さんが握りしめた手から伝わる温かさで、何とか平静を保っている。


 敵地の真ん中で、戦闘力が皆無の彼女と糸しか使えない俺。

 笑ってしまいたくなるぐらい無謀な行動だが、そんな自分が嫌いじゃない。

偽善、お人好し、何て言葉は何度も言われてきた。だが、世界中の人を助けたい、悪人にも人権があり救うべきだ――なんて考えは毛頭ない。

 でも、目の前に苦しみ悲しんでいる人がいて、それを無視する人間より、無謀でも手を伸ばす人の方がましだろう。

 結果、ここで死んだとしても、それは自分の意思だ。決して桜さんの責任ではない。

 捕まってしまった彼女たちだってそうだ。万が一間に合わずに死んでいたとしても、それは桜さんが運が良く逃げられただけのこと。罪の意識を感じる必要はない。


『土屋さんって、見た目は冷たそうなのに、本当は温かい人ですよね』


 こちらを見つめていた桜さんが不意にそんなことを口にした。


「どうだろうね」


 温かい人……それは見知らぬ他人の為に命懸けで挑んでいるからだろうか。

 彼女の為にやっているというのは否定しない。だが、それだけでもない。

 逆境に立ち向かう男は格好いいじゃないか。小説が好きなのも、そう言った主人公が活躍する話を好んだのも、主人公に自分を置き換えて憧れる心が、何処かにあったからだ。

 日本ではそんな機会も、そんな力もなかった。何度も妄想し頭に描いてきた現実がここにある。勇者でも英雄でもなく、どちらかといえば暗殺者みたいなことをやっているが、今自分は物語の主役なのだ。

 見栄を張って、意志を貫き、格好つけて何が悪い。一度死んだ身だ、ここで死ぬことになっても二度目の死ぐらい、やりたいことをやって胸を張って死んでやる。


『土屋さんは凄いな……』


 桜さんの呟きに反応して彼女を見ると、隣で俺を見上げていた。その瞳は相変わらず曇っているように見えるが、表情は少しだけ優しく微笑んでいる様だった。


「何が?」


『いえ、いいんです』


 ゆっくりと頭を左右に振る桜さんから視線を逸らし、目的の場所を視界に収める。あと10メートルもないだろう。

 周辺に建物がなく視界を遮る物が無いが、未だにゴブリンたちは頑張っているようで、騒ぎが治まっていない。

 ゴブリンのポイントも殆ど、ジェネラルの方に向かっているので、今なら大丈夫だろう。


「小屋に向かうよ」


『……はい』


 桜さんの手を引き一気に駆け抜けると、俺は小屋の側面に張り付く。小屋の中にゴブリンのポイントは存在していないが、ホブゴブリンがいる可能性はある。

 獣の皮で出来た家の壁に耳を当て、中の音を探るが何も聞こえてこない。

 こんな皮では防音性は殆どないので、中で何かしらの行為をしていたら音が漏れる筈だ。つまり、少なくとも中は静かで今は何もしていないということか。


「まず、俺が中に忍び込むから合図があるまでここで待機していて。何かあったら声を掛けて」


『わかりました』


 俺は入り口に掛けてあるだけの布を持ち上げ、中へと滑り込んだ。


「……そうか」


 悪い予想ほど的中する。

 中には全裸で微笑みを浮かべたまま硬直している女性が三人転がっていた。

 ピクリとも動かず、見開かれた目には光が完全に失われている。周囲に引き裂かれた衣類が転がっているということは、そういうことなのだろう。

 集落の外に辿り着いてから、俺はあえて『捜索』で転移者の死体を探さなかった。ここで生存者を救うために焦り、無茶な行動をしないよう自分を制御するために……いや、言い訳だな。怖かったんだ。助けるべき彼女たちが死んでいて、それを知った桜さんが自分を責めてしまうことが。


 覚悟はしていたが、きついな。


 全員体に痣や傷跡がある、抵抗した際にできたのか。精神が耐えきれずに崩壊したというよりは、本当に嬉しそうに幸せな夢を見ている様にしか見えない。

 そっと首筋に手を当てるが脈もなく、口元に手を持っていったが呼吸もしていない。 桜さんの話では夜まで手出しはされない筈だったが、逃げ出した罰として手を出されたのか。

 それに、関係ないのだがこの三人の女性、驚くほど美人だ。今一番人気の女優もたじろぐほどの美貌をしている。今までの人生でこれ程の美女を見たことが無い。これ程の容姿をしているのなら、テレビや雑誌で見たことがありそうなものだが、顔に見覚えはなかった。

 笑みを浮かべた状態に疑問は残るが、この状況を彼女に見せるわけには――


「やっぱり、こうなっていますよね」


 いつの間にか背後には桜さんが立っていた。


「桜さん……」


「いいんです。わかっていたことです。逃げられなかった彼女たちがどうなるか。私はそれを確かめに来たのですから」


 虚ろな瞳で彼女たちを見下ろしていた桜さんの口が――嬉しそうに歪んだ。

 寒気すら感じさせる壮絶な笑みに、声も掛けられず息を呑むしかできない。


「彼女たちとても綺麗でしょ。信じられないぐらい綺麗ですよね、だって三人とも『容貌変化』『体形変化』のスキルを取っているから」


 冷たい氷を連想させる声色に、今にも唾を吐きかけそうな嫌悪感が見える表情。桜さんはこの人たちを軽蔑しているのか。


「知っていますか。その三人が愛読していた小説って女性が異世界に呼び出されて、イケメンにちやほやされたりする作品ばっかりだったの。だから、イケメンにモテる為にスキルで自分の体を改造して、絶世の美女になったわけです」


 なるほどな。だから、ここまで整った容姿なわけか。スタイルも確かに文句のつけようがない、理想的な身体つきだな。


「土屋さんもそういうのが好みですか? 興奮します?」


「いや、顔やスタイルが良すぎる相手って何か怖くてね。性格にしろ見た目にしろ何か欠点がある方が、俺は愛情が湧くかな」


「ぷっ、変わりものですね」


「よく言われるよ」


 軽く笑っているように見えるが、その目だけは笑っていない。彼女の瞳は現実を見ているのだろうか、それとも……。


「他のスキルだって『幻惑』があれば男を騙しやすい。『魔物知識』があれば冒険者の男にモテる。ってバカみたいなノリで取ったそうですよ。三人が嬉しそうなのはきっと、『幻惑』のスキルで都合のいい映像を流しながら、死んでいったからでしょうね」


 バカにしている筈なのに、笑顔なのに、何故、とても苦しそうな表情に見えるのだろう。


「だから、幸せそうなのか……桜さんはこの人たちの事が嫌いなのかい?」


「はい」


 口元だけが笑みというのは、これ程までに恐怖を覚えるものなのか。限界まで見開かれた目が俺を凝視し続けている。

 外の喧騒が治まりかけているようで、騒ぎ声が聞こえなくなってきていた。だが、狂気の片鱗を見せる彼女の前で俺は動くことができないでいる。

 恐怖に身がすくんでいるわけではない。今、彼女の本心を聞いておかなければ一生後悔すると思ったからだ。


「あの三人は私をさげすんできました。仲間の男性二人の前では優しい女の振りをして、猫を被って……今朝も仲間の二人が倒された時、あの三人は私をわざと転ばして自分たちだけ逃げようとした。でも、結局あいつらも捕まって……ざまあみろっ」


「今日逃げた時は?」


「私が寝たふりをしていたのに気づかず、私を囮にして逃げる作戦を立てていたので、知らない振りをして一緒に逃げ出しました。全員バラバラの方角に逃げると見せかけて、幻惑で私の位置だけをわかるようにする。まあ、姑息で単純な作戦ですよ」


 両手の平を上げて肩を竦め、おどけたようなポーズを取っている。おどおどしていた彼女は鳴りを潜め、今は堂々とした態度の彼女がいる。


「もっともぉ、あの三人、全員が裏切って一人で逃げるつもりだったのですけどね! 滑稽ですよね! 全員が自分に匹敵する美しさの女が邪魔だって思っていたのですよ! だから、私は精神感応であいつらの逃げた先をゴブリンに教えてやったの!」


 怖いな、嫉妬は。物語の主人公になりたい人にとって、他の主役級は邪魔だということか。それは男女問わず思うものなのか。春矢も、そうだった。


「あの三人、笑顔を浮かべながらずっっっと、相手を心の中で罵倒していたの。邪魔だ、死ね、お前はいなくなれって。あ、そうだ、土屋さんに謝らないといけないことがあるんだ」


「なんだい?」


「実は私の精神感応って声を送るだけじゃなくて、相手の心の声を聞くこともできるの。あ、でも、心の声を聞くには相手に触れてないとダメだから」


「……そうか」


 やっぱりな。薄々そうではないかと思っていたよ。時折、察しが良すぎることがあったから、何となく感づいてはいた。といっても、確信はなかったから考えないようにはしていたが。


「ふーん、やっぱり気づいていたんだ。だから、私を励ますような恥ずかしい独白を心の中でしていたの?」


「あれは、素だよ」


「そういうことにしてあげる。でもね、嬉しかったんだ。私の能力を知った上で、軽蔑することなく接してくれて。口先で慰めるのではなくて、弱いと言い切られた事も、本当に嬉しかった」


 今の笑い方は狂気の感じられない、優しい笑みだ。まだ、そんな顔ができるのなら――


「だから、土屋さん。殺してください私を」


 そう言った彼女の顔からは完全に棘が消え、穏やかな優しい、そして寂しい笑顔があった。


「……何故?」


「心が読める私は嘘ばかりついていました。ゴブリンの長が話したことも全部嘘。本当は私に触れたゴブリンが、今日の夜ジェネラルが手を付けるまで、俺たちはお預けだ。という声が聞こえただけ。でも、心の声が聞こえることを秘密にしたかったから、貴方にも彼女たちにもそう嘘をつきました」


 何故、ゴブリンの長が予め教える必要があったのかという疑問はあったが、そういう理由だったのか。


「私は死にたくなかった。逃げるまでは必死で、嘘をついてでも、皆を犠牲にしても、生きたい……ずっとそう思いこんでいました。でも、もう限界なんです! 私を陥れた相手とはいえ、彼女たちをこんな目にあわせてしまったのは私です。だから、罰を受けなければいけない!」


 頭を両手で抱え髪を振り乱し叫ぶ彼女に、俺は言葉を掛けられないでいた。

 何と言えばいい。こんなとき、物語の主役は何て慰めていたんだ。

 狂ったように暴れていた彼女の動きがぴたりと止まった。そして、俯いた状態からすっと顔を上げる。その顔は無表情でどんな感情も見当たらない。


「いえ、違う。私……耐えられないだけ。風呂もテレビもゲームも小説も……安全もない世界に! 殺して、お願いだから殺して! もう限界なのっ! 殺して悪い夢から解放して!」


 胸にしがみ付き殺してと懇願する彼女を見つめ、俺はどうしたらいい。

 彼女の精神は限界に近い。ずっと引きこもって寝床と温かいご飯が苦も無く手に入る生活から、不便なことと命の危険しかない世界へ。

 ダメな人間が異世界に来たら頑張れる! という話はよくあったが、それはチートと呼ばれる化け物じみた力があってこそだ。

 彼女の様に戦う力が無く、こんな世界に落ちた人間は死の恐怖と魔物の恐ろしさに、現実から逃避したくなるのだろう。それに加え、ずっと人の汚い心を聞かされ、彼女たちを殺してしまった罪悪感に蝕まれ続ければ……。


「桜さん、俺は――」


「ふーーん、面白い事態になっているね。お兄さん、久しぶり」


 最悪な場所で、最悪な人間の声を聞いてしまった。

 二度とその声は聞きたくなかったな。

 中性的な容貌にニヒルな笑みの少年――春矢が小屋の入り口で前髪を払い上げていた。


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