エピローグ
酒場で朗々と響き渡る歌声に聞き惚れ、客の全てどころか店員までも手を休め、耳を傾けている。
吟遊詩人の歌う物語は終盤に差し掛かり、状況に合わせて弦楽器が奏でる曲も、テンポが速く盛り上がる旋律へと変化する。
最後の一節を歌い終わった吟遊詩人は、余韻を残す様に最後に一度弦を弾いた。
誰もが口を利かず、物音一つ立てずに静まり返る店内。
吟遊詩人が弦楽器を脇に置くと立ち上がり、優雅に一つ礼をする。今度は音が爆発したかのように称賛の声と拍手が降り注ぐ。
「かああっ! 最高だったぜ!」
「この歌、何度も聞いたことあるけど、こんなに感動したのは初めてだ!」
「きゃああああっ! 素敵ぃぃぃっ」
喝采を浴びた吟遊詩人は再び一礼すると、弦楽器を手に自らは口を開くことなく曲だけを奏で始めた。
興奮冷めやらぬ客と店員だったが、客は飲食の途中だったことを、店員は仕事中だったことを思い出し、いそいそと動き始める。
「やっぱ、土塊の吟遊詩人、贄の島編は最高だな」
袖のないシャツを着た髭面の男が、麦酒が並々と注がれたジョッキを掲げ上機嫌だ。
「あれって、そんな題名なのか。土塊の吟遊詩人……どっかで聞いたことあったようなぁ」
髭面の正面に陣取っていたひょろ長い男はかなり酔いが回っているようで、顎をテーブルに置いたまま、真っ赤な顔で思い出そうと奮闘している。
「あのなぁ、超有名人だろうが。土色の服を着た流離の吟遊詩人。世界各地で活躍した話がこうやって歌となり、語り継がれているんだろうがよ」
「ほへぇ、そうなのかぁ。あ、土色の服を着た吟遊詩人って……今、演奏した奴も同じだよな……まさか、土塊の吟遊詩人なんじゃ、あいてっ」
髭面の男がひょろ長い男の頭にジョッキを叩きつけた。
頭を押さえ唸っている男を眺めながら、中身を一口流し込むと、ゲップを一つ吐き出す。
「うぇっぷ。バカかお前。土塊は500年……あれ600、800年だったか、大昔の英雄だろ。今も生きているわけがねえ」
「でも、あの格好は」
「あのなぁ。吟遊詩人の憧れなんだぞ。格好を真似する奴なんて腐るほどいるさ。確か、土塊は無口で殆ど会話をしなかったらしくてな、ほら見てみろよ。あの兄ちゃんなんて本格的だぜ。店員とのやり取りも身振り手振りばっかで、声を出してねえぞ」
髭面の言う通り、土色の衣装で身を固めた吟遊詩人は店員への受け答えに、一切口を開かず、はい、いいえ、の代わりにギターを弾き、その音色で返答としていた。
「全く、そこまで真似しなくてもいいでしょうに」
この酒場の看板娘である女性が、吟遊詩人に向かって呆れた声を出す。
吟遊詩人は言われ慣れているようで、表情も変えずに小さく弦を鳴らした。
「でも、不思議よね。その音だけで何となくあんたの言い分がわかるのだから」
不思議そうに首を傾げている看板娘に向け、吟遊詩人は感謝の意味を込めて曲を弾く。
この吟遊詩人は一週間ほど前からこの酒場に居座り、こうやって演奏を続けている。
初めは軽い気持ちで弾き語りを頼んだ看板娘だったが、彼の腕は相当なもので、いつの間にか彼の演奏目当てに客が増え、今では大繁盛している。
「この時期はいつも繁盛するのだけど、今年はあんたのおかげで桁違いよ」
その言葉に反応した吟遊詩人は質問代わりに音を出す。
「だから、口で言いなさいって……あのね、ちょうど今日なんだけど、聖イナドナミカイ学園の入学受付があるのよ。あんただって知っているでしょ、最大宗派のイナドナミカイ教は」
この大陸の住民であれば、その宗派を知らぬ者はいないだろう。
特にこの首都では人口の九割以上が信徒であり、国教ももちろんイナドナミカイ教である。
そのイナドナミカイ教の信徒になるのは簡単で、何処の街にもある教会で洗礼を受ければいい。だが、イナドナミカイ教に所属する聖職者になる為には、本部のあるこの首都にやってきて、入学試験を受けなければならない。
そして、何年か聖イナドナミカイ学園で学び、無事、卒業できたものだけが聖職者となれる。
「各地から聖職者の卵が一斉にやって来るからね。毎年、この時期は何処も儲け時なのよ」
それこそ、各地の大きな町からだけではなく田舎の村からも、村人の期待を背負い多くの若者がやって来る。
無事、入園し、卒業できた者は将来が約束されたも同然で、安定した生活と人々から敬われる地位を目当てに入学を希望する者も後を絶たない。
もちろん、純粋に神を信じている信徒が大半なのだが。
「まあ、そういうわけで、今日は大切な受付の日。確か試験は明日からだったかしら。今、イナドナミカイ教の本部がある神殿は受験者の列ができあがって……って、何処行くのよ? ちょっと、夜までには戻ってきてよ!」
看板娘の叫ぶ声を背に、吟遊詩人は酒場の扉を開け外に出た。
この国の首都だけあり、多くの人が行き交い生活音で溢れている。
ギターを背に担ぎ、吟遊詩人は黙々と歩を進める。町の出入り口付近にあった酒場から、町の中心部を抜け、更に奥へと進む。
ここまでくると店舗も消え、自然あふれる広々とした公園が男の前に広がっていた。
憩いの時を過ごしている住民を気にも留めず横断すると、目当ての大聖堂が見えてくる。
いつもは数人の信者が行き来する姿が見えるぐらいの、閑散とした場所なのだが、今日ばかりは違う。大聖堂の前に置かれた長机の前にずらっと人が三列で並んでいる。
並んでいる人々の顔には幼さが残っていて、大人と呼ばれるにはまだ数年を残していることが見て取れる。
吟遊詩人は三列の内、何故か他の二列と比べて半分程度の人しか並んでいない、真ん中の列に目をやった。
最後尾に並ぶのは、他の受験生と比べて頭一つ大きい青年だった。
他の受験者は皆、白を基調とした服を着込んでいるのに、その青年だけは真黒なコートを着込み、その体の大きさと相まって異様に目立っている。
その青年は後頭部を掻きながら、前にいる黒髪の少女と話し込んでいるようだ。
少女は青年と対照的で、同学年の女性と比べても背が低いらしく、後ろから見ると青年の陰にすっぽり隠れてしまっている。
そんな二人を見つめる吟遊詩人は自分の胸に視線を落とし、目を凝らす。
さっきまで何もなかったそこに、赤く輝く細い糸が姿を現した。
糸の片方は吟遊詩人の胸から生え、その赤い糸の反対側を辿ると、黒いコートの青年と小柄な少女へと繋がっている。
もう一度目を凝らすと、更に何本かの赤い糸が見え、他の列へと並んでいる受験者に伸びている糸もあるようだ。
「長かったな……」
吟遊詩人は周囲に誰もいないことを確かめた上で、感慨を込めて呟く。
「何百年もの間、この時を待ち続けていたよ……」
その声は疲れ切っていて、見た目はまだ若く見えるというのに、その姿は老人を思わせた。
握りしめた拳が震えている。ずっと抑え込んできた感情が久しぶりに揺れ動いているのを、吟遊詩人は自覚する。
「ようやく、解放される。俺も桜も……あと一息だ」
吟遊詩人――土塊は長い年月を思い返し、大きく息を吐く。
もう、地球での日々は殆ど思い出せない。その代わりに贄の島や大陸に渡り過ごした日々は、まるで昨日の出来事のように鮮明に思い出すことができる。
数百年時が流れようと忘れることのできない思い出。
それは誓いを果たす目的の為だと考えるのであれば、土塊にとってありがたいことだった。だが、もし、忘れることができたなら……と土塊は考えそうになったが、頭を左右に振り、その思考を払い落とした。
ここまで生き延びたのだ。後数年、長くても十数年で願いは達せられるだろう。
ならば、残りの生を全うして、役割を果たすだけだ。
土塊が神と交わした約束の期限まであとわずか。
彼が選ばれた子であるならば、願いが叶う。
神の欠片である女教師もどきを滅ぼし、桜を救いだす。
「油断をするな。決して最後まで諦めるな。運命の糸を手放すな」
それは自分に向けた言葉なのか、それとも選ばれし子へ掛けた言葉なのか、土塊は自分でも判断が付かなかった。
数百年の時を経て、異世界からやってきた男の人生にもうすぐ幕が下りる。
その結末が当人の望むべきものか、それとも――
これより後に土塊の吟遊詩人の新たな物語が、誰ともなしに歌われ始める。
吟遊詩人により語られる物語の内容は――
大陸から遠く離れた小島には、美しく咲き誇る桜の大樹がある。
その桜の樹は年中花を咲かせ続け、決して枯れることが無い。
だが、ある日を境に桜の樹は枯れ果ててしまう。
その島の先住民族であるオーガたちは、枯れてしまった桜を聖樹として崇め奉っていた故に嘆き悲しむが、その時、オーガたちは不思議な光景を目の当たりにした。
聖樹が枯れた日。まるで最後の生命力を燃やし尽くすかのように、桜の大樹は今まで以上に美しい花を咲かせた。
そんな桜の根元に二人の見慣れない男女が立っていた。
一人は土色の服の上から弦楽器を背負っている。もう一人は白のワンピースを着込み薄らと光を纏った美しい女性だった。
両者は泣きながら微笑むと熱い口づけを交わした。
そして、
「長い間待たせてしまったね。お帰り」
「ただいま!」
と言葉を交わし、幸せそうに笑顔を交わし、きつく抱き合うと姿を消した。
それ以来、大樹があった場所は恋愛と再会を叶える聖地となり、今も多くの人が訪れているそうだ。
これにて物語は完結となります。
皆様、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
感想、質問がある方はコメントで書き込んでもらえると非常に嬉しいです。
次回作の参考にさせていただきますので。
最後に、本当にありがとうございました。