託す者 託される者
相手に巻き付けていた破魔の糸は、吹き出した闇の魔力に弾かれ手元に戻っている。
奥の手であった『同調』により相手がどう動くか予想はつく。だが、それが何の慰めになる。わかったところで――
「な、何だこいつ。まさか、こいつまで変形を残していたのかよ」
「ダメ……これは……」
ふらつくサウワに肩を貸し、権蔵が俺の近くまで歩み寄っている。陥没した床の先にいるフォールを見つめ、呆れた声を漏らした。
「み、皆さん、逃げてください……兄の力が暴走しています。ああなったら、誰にも止められません。だから、早――」
ロッディが最後まで話すのを聞かずに、俺は斜め後方へと振り返った。
同調により相手の動きを察知することができる今、次の行動が見えたからだ。
足を引きずるようにして俺の元へと駆け寄っていたショミミが笑顔のまま――くるくると宙を舞っている。
「えっ?」
黒い軌跡が彼女の腹をなぞった、たった、それだけだというのに……。
上半身を失った下半身がそのまま数歩歩くと、地面に倒れた……。
「ショミミぃぃっ!」
切断面から血を吹き出し、地面に叩きつけられる寸前の彼女に飛び込む。
ぬるっとした感触が両手を濡らすが、どうでもいい!
「しっかりしろ! 傷薬をっ!」
早く、早く! アイテムボックスから瓶を掴み引っこ抜き、震えが収まらない手で栓を開け彼女に――
「もう、死んでる。お兄ちゃん……」
俺の手にそっと添えられたのは、サウワの手だった。
あ、ああ……そうだな。
わかっている、わかっているんだよ。
今まで、多くの死を見てきた。それが死か生かなんて一目でわかる。
でもな、それでも、俺は……。
「土屋さん、悲しむのは――」
「後だな。すまん」
俺の前に立つ権蔵はフォールに向け水月を放ち続けている。
相手に動かれることがどれだけ危険なことかを理解し、足止め目的のみで攻撃を続けていた。
切り替えろ。死に動揺して生き延びられる状況ではない。
切り替えろ。人の死は飽きる程見てきただろ。
精神力が高いおかげなのか、数回深呼吸を繰り返すだけで心の揺れが小さくなる。
それは、この状況では有難いことであるが、同時に人として何かが壊れていることを突き付けられた気分になるな。
「皆さん、逃げてください! 私が魔力を全て注いだ鎖で相手を封じている今の内に!」
ロッディが極太の鎖でフォールを雁字搦めにしているが、それに意味は無い。フォールはそんな鎖を気に留めてもいない。俺たちが逃げようとしたら、瞬殺してくるだろう。
相手の動きや能力が『同調』である程度理解できた今、勝ち目が微塵もない事がわかってしまった。
圧倒的なんて言葉が生易しく思えるほどの力の開き。
俺が考えていた不意打ちや策など、相手にとって何の影響も与えないことが判明してしまう。
相手が動かないのは暴走した力が制御できずに戸惑っているだけだ。もうじき、力が体に馴染み動き始めるだろう。
「権蔵、サウワ、すまない。俺の為にこんな場所で死ぬはめになって」
「お兄ちゃん、諦めるなんてらしくない! こんな逆境、いつものことでしょ! ほら、いつもみたいに奇策を考えたら、何とかなるよ!」
すまない、サウワ。励ましてくれているんだな。でもな、もうどうしようもないんだよ。
「土屋さん。そんなに絶望的なのか」
攻撃の手を休めることなく、権蔵が静かに問いかけてきた。
「ああ、残念だがな。蟻が象に立ち向かうようなもんだ。そこに磨き上げた技があろうと、策があろうと、手の届く相手じゃない」
「あんたがそう言うんだ。それは、間違いのない事実だろう。だけどさ、俺たちは神に挑むのだろ? 人と神。蟻と象。どっちの方が楽なんだろうな」
声を荒らげるわけでもなく淡々と語る権蔵の横顔は、相変わらず強気で何処か楽しそうにも見える。この絶望的な状況で、嘘でも強がりでも笑える権蔵の心の強さ。
俺が惹きつけられてしまいそうになる権蔵の魅力。羨ましいよ。
「諦めたくはない。桜を助けたい想いは今も忘れちゃいない。でもな、力が……どうしようもない力の差が……ある」
勇気や根性や頭脳では乗り越えられない巨大な壁。
頂を見ることすら叶わない世界最大級の山に、食料も持たずに裸で挑む方がまだ勝算はあるだろう。
「力の差か。俺もサウワもだが、土屋さんがいなくなってから、ずっと鍛えていたんだよ。おかげで島に住む凶悪な魔物も大半倒しちまってさ、今じゃレベル90代だぜ。二人して結構強くなった、これなら誰にも負けないんじゃないかって自惚れかけていた。それが、このざまだ。マジで情けなすぎて涙も出ねえよ」
「今度会ったら、土屋さんも余裕で倒せるんじゃね? とか調子乗っていたよね」
権蔵の隣に並び、サウワも闇の槍を作り出しては投擲を開始している。二人は軽口を叩きながらも、まだ諦めていない。
俺もほんの僅かな可能性に賭けて、攻撃に参加するべきなのだろうが、それが無駄だと心が理解してしまい体が動くことを拒絶している。
「俺だって、このまま戦ったら全員死ぬことぐらい理解しているぜ。でもな、もしかして……土屋さんなら勝てるんじゃないかって思っちまうんだよ」
「うん、サウワもそう思う」
それは過剰に期待しすぎだよ。俺は勇者でも英雄でもない。変わったスキル選択をした、ただの転移者だ。
「でだ、本当は俺がボスを切り刻み、格好良く勝利を収めたかったんだが……ここは譲ることにした。苦渋の決断なんだからな!」
「譲るも何も手がないだろう」
「あるんだよ。贄の島で手に入れた、とっておきの新たなスキル。これを使えば、任意の相手の能力を飛躍的に強化することができる。その代わり、俺もサウワも暫く動けなくなるから最終手段なのだけどな」
権蔵が苦笑いを浮かべサウワと視線を合わせている。サウワも黙ったまま大きく一度頷いた。
嘘を言っているようには見えない。本当にあるというのか、他者の能力を向上させるスキルが。
「ただし、これを渡された相手……つまり、土屋さんは、かなり苦しむことになる。耐えられるか?」
「それが勝利に繋がるというのなら、耐えてみせる」
勝ち目のない戦いだ。このスキルの効果のほどはわからないが、可能性があるのなら迷う必要はないだろう。
「流石だぜ、土屋さん! その約束違えるなよ! なら、俺の妖刀村雨と、サウワが前に使っていた槍貸してくれ。このスキルの前提条件が所持者の愛用していた武器に能力を移行させ、新たな所持者に力を与えるというものだからな。俺の愛刀大事にしてくれよ」
「ああ、借りておくよ」
所有権を移した妖刀村雨を渡され柄を握りしめる。これが、村雨か。
刀というのは日本人の心を揺さぶる何かがあるのだろうか。手にしただけで肌が粟立つような感覚が襲ってくる。抜き身の刃からは水が滴り落ち、妖刀村雨らしさを演出している。
「こっちも渡しとくね」
サウワから渡されたのは贄の島時代に良く使っていた槍。飾り気のない槍だが、オーガの鍛冶屋が精魂込めて作った逸品でかなりの業物だ。
「これも大事に使わせてもらうよ」
日本刀と槍の変則二刀流か。今まではミスリルの鎌と鍬だったので格好がつかなかったが、これなら見栄えも悪くなさそうだな。
最終決戦に挑むにはもってこいか。
「んじゃ、目を閉じて集中してくれ。全てを受け入れる気持ちで頼むぜ」
「土屋お兄ちゃん。何があっても諦めないで戦って。生き抜いてね」
「もちろんだ。これで力が及ばなくても、最後まで死力を尽くす。誓うよ」
俺は二人にそう宣言すると目を閉じた。
二人から託される力。その結末がどうであれ、俺は戦ってみせる。
妖刀村雨と槍に二人が触れたのだろう。柄が揺れた。
「後は頼んだぜ、土屋さん。桜姉さんを元に戻してやってくれ!」
「これは私たちが望んだこと。お兄ちゃん……今までありがとう」
えっ? 何を今生の別れのような台詞を口にして――
その瞬間、頭にあることが過ぎった。二人がスキルと称した能力。それは、スキルなんかではなく――
武器の柄に伝わる重い感触。
何かを貫いたときの手ごたえ。
それが何であるか、彼らが何をしたのか、その答えを弾き出した脳を否定する。
今、目を開ければ、答えがそこにある。だが、俺はその瞼を開けることができないでいる。開いてしまえば、そこに広がるのは――
「こんな別れ方してすまねえ。でもな、俺は全てを託したい。土屋さんに会わなければ、俺は無謀なガキのまま死んでいただろう。だから……遠慮なく……受け取ってく……れ」
左肩に権蔵の頭が触れているのだろう。囁く声が俺の耳に届く。
「この命はお兄ちゃんと桜に助けられたもの。だから、今日返すね。権蔵も好きだけど……お兄ちゃんの事も本当に好きだったよ。桜と……仲良く……おねが」
右肩にはサウワの重みを感じる。
馬鹿だ……俺は何て馬鹿だ。
権蔵とサウワではなく、俺がその役目を担うべきだった!
冷静に考えれば、決断できた筈だ!
自分より年下のまだ未来のある若者に、何をさせているんだ!
「権蔵、サウワ、誓うぞ! 必ず生き延びて、桜を元に戻してみせる! 何年かかろうが、必ず!」
開いた目から止めどなく涙が零れ落ちている。ぼやけた視界には満足そうに笑う、二人の顔があった。
いつも、馬鹿なことと痛々しい発言ばかりの権蔵の口は閉じられ何も発してくれない。
権蔵には厳しく、俺には甘えることが多かったサウワの小さな唇も閉じられたままだ。
そして、二人の胸元には突き刺さった刀と槍があった。
二人は俺に殺されることを選んだ。転移者と贄に選ばれた子供を殺した転移者が大きな力を得ることを、誰よりも知っていたから。
精神力が上がり、感情を抑え込む力がかなり上がっているにも関わらず、心が張り裂けそうだ。
胸を引き裂いて心臓を取り出せれば、どんなに楽か。
この苦しみから解放されたい……こんなに悲しく苦しいのなら感情なんてなければ良かった!
『仲間割レカ。人間ノ考エル事ハ、ワカランナ。貴重ナ実験体ガ減ッテシマッタ』
声の聞こえてきた方向へと無意識のうちに顔を向けていた。
穴の縁に変わり果てた姿のフォールが立っている。
やはり鎖の拘束力はなかったのか。平然と立つフォールがこちらを見て、小さく小首を傾げている。
その後方には魔力を使い果たしたらしいロッディが気を失っている。俺も気を失うことができれば、どんなに楽か。
「人間を辞めてしまったお前には一生わからないさ」
心とは裏腹に、体中に力が漲っているのがわかる。二人の命が経験値となり俺へと注ぎ込まれているのか。
権蔵とサウワが今まで得てきた膨大な経験値とスキルポイント。それが今自分の物となった。彼らの命と引き換えに。
上げるべき能力は決まっている。それを上げなければ、俺は動くことすらできない。
精神力に新たに得たステータスポイントを100入れ、更に精神力のステータスレベルだけを2上げる。
効果はてきめんだった。
荒れ狂う感情の波がすっと引いたのが理解できる。あれ程の怒りも悲しみも今は無い。いや、消えたわけではない。
天まで届く勢いで燃え盛っていた感情の炎が、今はコンロの火のようだ。強火も弱火も調節できる。感情が消滅したのではない。ただ、自分の意思で制御できるようになった。
そういえば、精神力を特化させると感情の起伏が薄れると『説明』で調べた際に記載されていたな。今になってはどうでもいいことだが。
『雰囲気ガ変ワッタ……イヤ、何カガ変化シタノカ』
見た目は魔物に近づいているというのに、人の様に冷静な判断ができるのか。結構意外だな。もっと、狂って獣のごとく襲い掛かってくるものだと思っていたよ。
相手が警戒している今の内にレベルの確認と能力をいじっておくか。
レベルは100……あれで1しか上がらないのか。まあ、それも予想の範疇だ。問題はない。
だが、スキルポイントやステータスポイントはかなりもらえたようだ。これはレベル100到達のご褒美のようなものだろう。
スキルポイントはまだまだ余っている。権蔵とサウワのポイント、使わせてもらうよ。
ずっと考えていた事を実行するには今しかない。スキルレベルは5、10と上げるにつれ、何かしら特殊な能力が解放された。
となれば、15までスキルを上げれば、強力な力に目覚めることが可能なのではないか。
スキルは10以上となると、更に桁違いのポイントを消費することになる。故に今までポイントで上げることを躊躇っていたが、今なら上げられる。
一つ目のスキルを一気に上げていく。この迷宮で12まで上げていたスキルだが、13、14、15、やはりかなりのポイントを消費するな。
そして、新たな能力は……なるほど。
この調子だと、後二つはスキルを15まで上げられそうだ。
ならば、決まっている。何を上げるかは。
ステータスを限界まで上げたところで太刀打ちできない。それは冷静に考えればわかることだ。この場で必要なのはステータスじゃない。スキルだ。
『何カガ異ナル。一体何ヲシタノダ!』
「それを教える義理は無い。さあ、始めようか。今度こそ最後の戦いを」