二人の力
「さて、話を戻すけど、何であんな状況に?」
「あ、はい、そうでした! そ、そのことで、頼みごとがっ! 図々しいのはわかっていますが、頼れるのが土屋さんしかっ!」
追われる恐怖と助かった安堵感で大切なことが頭から抜けていたようだ。桜さんが俺の肩を掴んで揺さぶってくる。
「ちょっとまって、順を追って説明してくれるかな」
「す、すみません……あの、この世界に来て直ぐに、他の転移者の人と知り合えて、昨日の内に六人組になりました」
彼女の運の高さは伊達じゃないな。俺は意識的に生存者を避けていたが、まともにあった一人目の生存者があれだぞ。
「男性が二人いて、その二人が攻撃系のスキルが充実していて、私たちは守ってもらっていました。ですが、今朝、あの大きなゴブリン――ゴブリンジェネラルに襲われて、ゴブリンの村に連れて行かれたんです……」
大体は予想通りだが、あのゴブリンはホブゴブリンじゃないのか。ゴブリンジェネラルということは将軍級だというのか。
「あれはホブゴブリンじゃないのかい? 何で見抜けたの」
「あの、一緒にいた人が『魔物知識』というスキル持っていて、魔物を見れば名前と簡単な能力がわかるそうです」
スキル表でちらっと目にはしたのだが便利そうだ。消費ポイントが少ないのなら、取っておけばよかった。
「それで、私たちを守ってくれていた二人は……二人は、村で……うっ、ごめんなさぃ……ごめんなさいぃ」
「そうなのか。辛いだろうけど、その先を話してくれるかい」
肩に手を置いて先を促す。
泣いている相手には酷かもしれないが、今は時間が惜しい。辛い思い出でも情報は収集しておきたい。
「はい……二人が殺されて、私たちは小屋に閉じ込められました。そこで、ゴブリンの長という者が来て、話しかけてきたんです。あ、あの、ゴブリンの長は片言ですが共通語が話せたので」
疑問が少し顔に出ていたようだ、俺が質問するより先に答えてくれた。
「そ、それで、長が言うには。今晩から、お前たちで子供を作ると……」
やっぱり、その展開はやってくるのか。そもそも、何で人間とする必要があるのか。美的感覚も違うだろうに。ゴブリンのメスは何やっているんだ。
「あ、あの、ゴブリンはそもそもメスが少ないそうです。それで、人間や動物とその、ああいった行為をしても、できちゃうらしいです」
桜さんは相手の思考を読むのが上手いのか勘が鋭いのか、俺が何を疑問に思っているのか口にもしていないのに、的確に当ててくるな。
「桜さんはどうやって逃げられたの?」
「あの、今日の昼前ぐらいからゴブリンが騒ぎ出して、今までだったら少人数でしか外に出ていかなかったのに、まとまって行動するようになったんです。何故か出ていったゴブリンが帰ってこなくて、村にいるゴブリンが減ってチャンスと思って、みんなで脱走しました」
みんなか。桜さん一人で逃げたわけじゃなかったのか。そうだよな、どう考えてもこの能力でゴブリンの集落から単独で逃げだせる訳はないか。
「幻惑のスキルを持っている人がいて、それを発動してもらって何とか集落から逃げ出せそうなところで、私以外、他のみんなが捕まって! 私は怖くて怖くて! みんなを見捨てて必死に逃げて、いつの間にか私一人になっていて……それで、どうしようもなくて、ずっと逃げ続けて……」
自分の両肩を抱き締めて震え続ける桜さんの頭にそっと手を乗せた。
気の利いたセリフの一つも咄嗟に浮かばない自分が情けない。
「じゃあ、彼女たちを助けに行こうか」
「え、土屋さん。手伝ってくれるんですかっ!」
「そこまで聞いて見殺しにはできないよ。ただし、条件はあるし、絶対に守ってもらう約束事もありなら」
「はい、約束します! 私にできることなら何でもします!」
こういうシチュエーションでの何でもしますという発言。様々な作品で何度も目にしてきたが、実際に言われると心にぐっとくるものがあるな。
「まず、はっきり言っておくけど、俺は命を懸ける気はない。無理だと判断したら、他の転移者を助けてなくても逃げさせてもらう」
「は、はいぃぃ!」
「次に、俺は正義の味方でも英雄でもない。だから、どんな手段でも使うつもりだよ。なので、勇者が颯爽と現れて、敵をなぎ倒すとかいうシチュエーションは期待しないこと」
「はいいいいっ!」
「そして最後に、敵を殺すのが目的じゃなく、助けるのが目的だということ。それと、助ける範囲には桜さんもいることを、忘れないで」
「はいいっっ!」
できるだけ早く集落へと向かわないといけないので、糸を枝にくくりつけブランコの要領で、先へ先へと進みながら会話しているのだが、殆ど耳に入っていないようだ。
映画で某蜘蛛男さんが華麗な移動を見せていたので、やれると思ったのだが、どうやら何度も枝に衝突して、木々にぶつかりかけたのがまずかったらしい。
今後はしないでおこう。
「ああ、死ぬ。着く前に死んでしまうぅぅ」
と桜さんが完全に怯えてしまっている。一応背中に背負い糸でくくりつけているので、落ちることもなく、激突しても安全な位置なのだが、そういうものではないようだ。
ポイントで確認済みなので、ゴブリンが周辺にいないのもわかってはいるが、他の魔物がいる可能性もある。申し訳ないが糸で桜さんの口を封じさせてもらった。
『な、なにするんですかあああっ!』
声が出なくなった途端に、脳内で大声が反響した。意外と便利だな『精神感応』スキル。
「もうすぐ目的地に到着するよ。あと他の魔物が反応するかもしれないから、お静かに」
『は、はい、すみません!』
後頭部に何度も打撃がヒットしているのは、背中の桜さんが何度も頭を下げているからだろう。わざとじゃないと信じているよ……。
ここら辺がいいな。森の中に木が生えていない一角がある。あそこが、集落で間違いないだろう。木の上からとはいえ正面に陣取るのは危険なので右へと回りこみ、集落を一望できる場所に陣取った。
周りを木の杭で囲っているな。高さは周りのゴブリンから比較して三メートルってところか。ご丁寧に先端が尖っているので、塀の上に立つことも困難だな。
規模的には高校のグラウンドを広くした程度か。
『上から見るとこうなっているんだ……あ、あそこです!』
念の為に桜さんの会話は全て『精神感応』でやってもらうことにした。慣れてきたようで、実際に話す様に使いこなしている。
彼女の指差す方向には、小さな掘立小屋がある。木で柱と梁だけを作り、獣の皮を合わせた物を被せているようだ。
他の建物は壁もなく屋根と骨組だけなので、あの小屋は一応立派な方なのだろう。
「基本は夜襲だが」
『そんなことをしていたら、みんなが!』
だよな。命が助かればいい、じゃない。身も心も救わないとダメだ。
「桜さん。『精神感応』の心の声が届く距離ってどれぐらいまで?」
「ええと、たぶん10メートルぐらいだと思います」
「対象や場所を決めて声を届けるのは可能?」
「はい、それは大丈夫です!」
となると、一番いい方法はあの小屋にどうにか近づいて、中にいるであろう女性陣に声を届け、協力してもらいタイミングを見計らって一緒に逃げるか。
「んー、そういや、そのスキルって言葉の通じない相手にも効き目ある?」
「あ、たぶん。逃げる最中に、後ろから魔物が! って叫んだらゴブリンが後ろを向いたので」
へえ、これは良い情報だ。言葉そのものじゃなくて意味を伝えるのか。
ということは、案外やれるかもしれないな。
『あのあの、土屋さん。今凄く邪悪な笑みしています』
「ちょっと、面白いことを考えついたよ」
まずは、上から観察して単独で動いている相手がいれば、始末していこう。
糸の長さはここからなら塀際にいる獲物なら充分届く。
「あの入り口には門番が二匹か。塀の外側にいるのは、動物を狩っているのか。それに、子供のゴブリンも数体いるな」
桜さんと情報を共有する為に、あえて口に出して確認する。
大人のゴブリンが三体、子供のゴブリンが十体か。丁度いい、実験に付き合ってもらおう。
「桜さん、今から言う通りにやってもらえるかい?」
「あ、はい、なんでしょうか」
自分の考えを彼女に説明すると、初めは真剣な表情だった顔が徐々に、驚愕というか畏怖と呼ぶべきか、俺を見る目が悪い方向に変わってきているのは――気のせいだと思いたい。
「これ成功したら――」
「助け出せる可能性がかなり上がると思うよ」
相手が異形の魔物とはいえ、自分のやることは悪役側の手段に近いと自覚はしているが、純粋な戦闘力が足りないなら、そこは悪知恵で補うしかない。
塀の周りに転がる何体ものゴブリンの死体を見下ろしながら、俺は結果に満足している。何度も実験し、結果十六ものゴブリンを殺害するのに成功した。
この場所についてから一時間近い時が過ぎている。
塀の近くには狙えそうな敵はもういないので、そろそろ実行に移そう。その前に戦の前の腹ごしらえといきますか。
「桜さんレーズン食べる?」
「あ、はい! いただきます!」
こっちに来てから碌に食事をしていなかったようで、レーズンを口いっぱいに頬張っている。見ているこっちが嬉しくなるような笑顔で「あひゃいぃ、おひひぃぃ」と連呼しながら喜んでくれた。
俺はいい加減飽きているので、五粒だけ口に放り込んでおく。
「最終確認だけど、あの集落で一番強いのはゴブリンジェネラルで間違いない?」
「はい、そうです。あとはホブゴブリンが十匹ぐらいで、残りは全部ゴブリンです」
本来なら、ゴブリンジェネラルが出ていったところを強襲したいのだが、集落から出ていく気配がない。まあ、それはそれで利用価値があるからいいのだが。
「じゃあ、やってみようか」
「はい、頑張ります!」
今、集落から出てきた体の大きなホブゴブリンだと思われる個体が四匹。それに、付き従うゴブリン九体。距離は50メートルといったところか。俺はそっと糸を伸ばし、相手に気づかれにくい腰に絡ませる。
「よっしいいよ」
合図を送ると、桜さんが俺の手に自分の手をそっと重ねた。
『ゴブリンジェネラルが憎い! 皆で殺そう』
ゴブリンたちがその声に反応し、驚いて周囲を見回そうとしたタイミングで『同調』を発動させた。
ゴブリンたちはその場に佇むと、誰となく顔を見合わせる。彼らの瞳に宿りギラギラと輝く危険な光は怒りだ。彼らは踵を返し、駆け足気味に集落の中へと戻っていった。
ここまでは計画通り。さっきまでの実験でわかったことは『同調』スキルは自分の意見や考えに同調させる力なのだが、相手に自分の意見や考えが伝わらなければ、意味がないということだ。
転移者相手なら言葉を聞かせ、それに同調させるという手段が使えるが、ゴブリンに話しかけたところで意味が伝わらず、同調は全く通用しない。
だが、今回はここに桜さんがいる。『精神感応』は範囲内の相手に声を届けるスキルだが、相手に触れて発動することもできる。それに、その方が相手に伝わりやすく効果が大きいそうだ。
そこで、精神系スキルの特徴である物を通して発動できる効果を利用し、糸を伝って声を届けた。
その結果がこうだ。
ただ、実験で判明した『同調』の欠点と言うか、特徴は頭に入れておかないと今後大事なところでミスを犯すことになりそうだ。
同調は自分自身が思ってもいないことは効果が発揮されず、相手もその意見に同意する気持ちが少しでもないと、抵抗される可能性が高いということだ。
今回の場合は、桜さんのゴブリンジェネラルに対する憎しみは本物であり、ゴブリンたちにゴブリンジェネラルが恐れられ憎まれている存在だったので、こんなにも上手くいったに過ぎない。
つまりは、愛し合う二人に「殺しあえ」と言い放ち『同調』を発動させても効果は期待できない。相手の嫌がることは同調させられないようだ。能力差がかなりあれば強引に押し切ることも可能かもしれないが。
「どうしたのですか、難しい顔をして。上手くいきましたよ?」
「ん、ああ、そうだね」
桜さんに話しかけられ、俺は一旦考えるのを止めた。
あの時、春矢に『同調』の効果が現れたということは、相手が俺を見逃す意思もあったということなのか……立証できないことで悩んでいる場合じゃないか。
『同調』の影響で怒りに火が付いたホブゴブリンとゴブリンたちは集落の一番奥にある、一際大きな掘立小屋に迷わず突き進んでいる。
屋根があるので、その内部で何が起こっているのかはわからないが、ゴブリンたちの叫ぶ声と、一際大きな唸り声はゴブリンジェネラルのものだろう。
その声に反応して、集落にいるゴブリンたちが集まっている。
「今の内に行った方がいいな……本当についてくるのかい? 声を届けるだけなら、ここから小屋に糸を通して、中に誰もいないのを確認して合図を――」
「土屋さん! お、お願いします。それじゃ、それじゃ、ダメなんです……逃げた私は彼女たちと会わないと、ダメなんです……」
何度も説得を繰り返したのだが、彼女が意見を曲げることは無かった。渋々折れて、絶対服従でついてくるならいいよ、といったら彼女はそれを承諾した。
正直、彼女の能力では見つかった時、単独で逃げることすらできない。だが「断られたらここから落ちて死にます」とまで言わせた彼女の強い意志に押し切られてしまった。
「土屋さん。足手まといになったら、迷わず捨ててください。助けてもらって言う台詞ではありませんが。すみません……」
俺はその瞳を見て何も言葉を返さなかった。いや、返せなかった。ただ、黙って頷くことしかできない自分の不甲斐なさに唇を噛みしめてしまう。