企み
「この先です! 運が良かったです、見張りに誰とも会わなくて」
ロッディは無理をして弾むような声を出してくれている。
あれからずっと、俺が無口なのを気遣ってくれているのだろう。その気持ちに応えたいのだが、俺の口からは――
「そうだな」
簡潔で陰気な声しか漏れない。
さっきのことを引きずっているのは確かだが、それだけではない。この状況、あまりに出来過ぎている。
101たちが協力してくれているのは確かだと思う。
俺たちが逃げるルートを予想して、見張りの配置場所を変えている。『気』を解放して相手の存在を探っているのだが、実験体らしき気は無数に感じるが、俺たちの進む通路付近には一切気が感じられないのだ。
内部に味方がいて脱出の手引きをしてくれているのだから、事が上手く運ぶのは当たり前だと思いたい。
しかし、フォールはそこまで間抜けだろうか。
101たちが協力的ではないことは把握済みで、大切な妹を軟禁している区間を彼らに任せっきりにするとは考え難い。
頭上を見上げると、通路の天井付近には赤い宝石の埋め込まれた筒状の何かが、至る所に配置されている。
「まるで監視カメラだな。ロッディ、天井にぶら下がっているあれって何かわかるかい?」
「遠距離監視装置ですね。あの魔道具には魔法の目がついていまして、アレの目に映る光景を別の場所に送ることが可能です。本来なら気を付けないといけないのですが、あの映像は兄の部屋の壁に映されていますので、今なら問題ない筈です」
まんま監視カメラだった。研究所内にフォールがいない今なら影響はなさそうだが。
「ここです! この扉の先に緊急脱出用の転移装置があります」
通路の突き当りに黄色で丸の上に四角を四つ重ねた妙なマークが描かれた扉があった。あれがこの世界での危険や非常事態を示すマークなのかもしれないな。
問題はここからか。まず、彼女が扉を開くことができるか。そして、中の装置が発動可能なのか。一種の博打だが、他に手が無い今は頼るしかない。
「開けます!」
ロッディが扉に手を触れると、他の部屋と同様に音もなくすっと扉が横にスライドした。
「入るのはちょっと待って。糸で内部を先に探っておくよ」
最後の最後に罠を仕込むという、よくあるパターン。ここで気を抜くと全てが水の泡だ。
内部は扉の入り口から良く見えるが8畳間程度の大きさがあり、中心部に円形の台みたいなものがある。パイプやら、幾何学模様が描かれた文字らしきものが青白く光っているところなんて、ファンタジーというよりはSFのような装置。
「理想的なワープ関連の装置だな」
周辺を糸で弄るが、罠らしきものはないと思う。
「おそらく大丈夫だが、気を付けて」
「はい」
ロッディに注意を促しながら、室内に足を踏み入れる。
天井に人工的な灯りがあるので、室内を調べるのに支障はない。
ワープ装置のような物の脇には、操作パネルらしき機械がある。やっぱり、どうみても魔法らしくない。科学と魔法が融合するとこんな感じなのだろうか。
「装置は……生きてる。エネルギーも問題はないみたいね……あと、転移先も迷宮の外で間違いない。大丈夫です! 直ぐにでも発動できます!」
とんとん拍子に事が運んでいる。
上手くいき過ぎていて警戒心が刺激されるが、何かあるにしてもこれ以上の良策は思いつかない。ここは、身を任せるしか術はないのだ。
俺に選択肢は残されていない。
「じゃあ、転移頼めるかい?」
「はい!」
操作パネルを何やら触っている彼女を見守りながら、周囲の警戒は怠らない。
101、105、108の実験体たちは、この場所から遠い場所から動かない。あのまま、暫くは近寄ってこないだろう。
気を感じる範囲には別の何かが居る気配はない。
このまま、地上に戻るのが一番だが……おそらくは――
「準備完了です! 五秒後に転移します。台の上に移動してください」
ロッディもぐるならここで、俺だけ先に送るなんてことをやってくるのかと警戒していたのだが、彼女は躊躇いもみせずに俺の隣に跳び込んでくると、装置が発動するのを待っている。
5……4……3……2……1……0
カウントゼロと同時に俺たちの体は青白い光に包まれ、妙な浮遊感に全身が包まれた後に景色が豹変した。
「ここは……移動はしたようだが……」
白で統一されたあの階層からは解放されたようだが、目の前に映るのはつるっとした岩肌だった。頭上を見上げると、10メートル程の高さがありその先には、目の前の壁と同じような材質の天井があった。
前と左は壁があるがそれ以外の方角には何もない、目を凝らすとかなり先に壁があるようにも見えるが、だだっ広い空間であるのは確かなようだ。
「ここは79……いや、75階層!? どうして!?」
取り乱したロッディの言葉を聞き、理解ができた。
地上への直通の筈が、途中下車させられたと。
この状況で落ち着いている自分に可愛げが無いと思う反面、これぐらいのことなら冷静に対処できるというのは、少しは成長した証なのかな。と少し嬉しくも思う。
「落ち着いて。こういう時こそ冷静にならないと」
ロッディの肩に手を置き、俺は静かに告げる。
ここで俺が動揺を見せると、更に彼女は冷静さを失う羽目になっただろうが、俺の落ち着き様に彼女も感化され、深呼吸を繰り返している。
『ん、あーあー、二人とも落ち着いたかね。そろそろ、お話しても大丈夫かい?』
この嫌味ったらしい声はフォールか。
やっぱり、声を掛けてきたか。このタイミングで。
巨大な空間の何処から響いてきているのかは判断できないが、何かしらの装置でも使っているのだろう。
「ああ、大丈夫だ。状況の説明でもしてくれるのかい?」
『あれー、思っていた以上に落ち着いているね。つまらないなぁ。もう少し慌てて、泣き叫ぶぐらいの芸当を見せてくれないと、面白くないじゃないか』
「それは、期待に添えず申し訳ない」
「兄さん! もう、こんなことはやめて!」
『おおー、愛しの妹よ。お兄ちゃんは苦しいんだよ。何百年も僕の仕事を手伝ってと要請しているというのに、キミはなしの礫。兄妹で仲良く作業したら、研究は飛躍的に進歩するというのに。そこで、お兄ちゃんは心をオーガにすることにしました! 聞き分けの悪い子には罰を与えます! その75階層に送り込み、辛い環境の中で生き延びてごらん。今まで食事や寝床、安全を提供され続けていたロッディ、キミに耐えられるかい?』
妹だけには危害を加えないと考えていたが、目論見が外れたようだ。
口調は優しいが内容はかなり厳しい。
「私はこんなことじゃ負けない! 兄さん、正気に戻って! 優しかったころの兄さんは何処にいったの!」
『ロッディ。人は優しさだけじゃどうにもならないのだよ。理想を実現する為に必要なものは圧倒的な力。これだけだ』
フォールの意見には同意できる。どんな理想を口にしようが力が無ければただの世迷言だ。ただ、何かを成す為に何をしてもいい……とは違う。越えてはいけない一線がある筈だ。
「あんたは、全部見ていて、それで好きなようにさせていたのか」
『ご名答。101たちには後でお仕置きをするとして……村人と土屋君の再会には思わず、涙が零れてしまったよ。感動の一時をありがとうっ!』
涙声で称賛する声に神経が逆なでされるが、その挑発に乗る気はない。
『僕はね、本当に驚いているのだよ。転移者とはいえ人の身でありながら、この逆境を乗り越えようとする土屋君の存在に。そして、僕は思ったのさ……キミならもっと磨けば輝きを増していくってね。ここでぐっと我慢して、熟成させて、最後には最高の素体となってくれると!』
嫌な奴に見込まれたものだ。
しかし、今の言葉に引っかかる部分がある。今は口を挟まず、もう少し好きなように話させた方がいいだろう。
『そこで、僕からキミへのサプライズがあるんだ。転移場所を少しいじって、75階層に飛ばしてあげたよ! そこから下の階層へ進む権利は与えられないけど、上の階層へは進めるようにしておいたよ。つ、ま、り、頑張って自力で地上まで上ったら無事に脱出できるということさ! 失敗したら、回収して僕の玩具……じゃないや、実験体になってもらうからね!』
「お前が監視する中、脱出ゲームをしろということか」
『そうだよ。プレイ料金はキミたちの命さ。キミたちには脱出ゲームかもしれないけど、僕からしてみれば育成ゲームだよ。そうそう、ロッディ。お兄ちゃんから逃げたいのなら、一緒に彼と地上を目指すといいよ。でも、彼と同じく行動不能になったら回収して、また一緒にあの部屋で暮らそうね』
妹への愛情も狂っているな。
フォールの発言は全くと言っていい程、信用に足りない。
だが、ここで奴に反論して気が変わり、じゃあ、今から捕まえるからと言われても勝てる見込みは、殆どない。
「わかった。そのゲームに参加させてもらうよ」
「私も一緒に逃げ延びる! そして、いつかお兄ちゃんの間違いを正して見せるから!」
『うんうん、いい子たちだ。それでは、ゲーム開始といこうか。各階層の扉の前には門番が居るから、それを倒したら扉が開くからね。じゃあ、死なない程度に頑張るんだよ。あ、そうそう。土屋君、不純異性交遊は禁止だからね。妹に手を出したら、問答無用で僕が降臨するから気を付けて』
「俺には恋人がいるから、心配無用だ」
『それを聞いて安心したよ。じゃあ、今度こそ、ゲーム開始だ!』
彼の声が聞こえなくなる。俺は小さく息を吸うと、口元を歪めた。
理想の展開だな。こちらとしても、力を欲していた。この迷宮でレベルアップができるなら、ありがたい話だ。
それに、俺もロッディも生きたまま捕えるつもりならば、命の危険性も少ない。
大怪我や死ぬような目に合ったとしても、ギリギリで死ぬことは無いと思う。フォールが手を加えているのなら、魔物たちの動きにも変化が生じることだろう。
本来の難易度より下がる可能性だってある。
レベル上げには持って来いの環境だな……狂いかけているフォールにそこまでの配慮ができるという前提条件を満たしていればの話だが。
「ロッディ。これから長い付き合いになりそうだけど、よろしく頼む」
「はい、こちらこそです。あ、あの私も理想の男性像があるので、そういう関係にはなりませんから、安心してください!」
少し顔を赤らめながら怒ったようにロッディが言い捨てた。
女性に対して全く興味が無いというのも失礼な行為だ、と昔に知り合いから諭されたことがあったな。
こんなに美しい人なのだから、こういう態度を取られたことが無くて、その気が無くても腹が立ったのかもしれない。迷宮で共に過ごすことになるのだから、もう少し歩み寄っておいた方がいいか。
「ちなみに、理想の男性像とは?」
「そうですね。優しくて、強くて、穏やかで、白馬に乗って私を助けに来てくれるような人が理想です」
目が遠くを見ている。昭和の漫画に出てきそうな夢見る少女のようだ。
その夢がかなう日は来ないだろうが、夢を見るのは個人の自由だからな。
「なら、お互い妙な事にならないですみそうだ。これから、相棒としてよろしく頼む」
「必ずここを抜け出して、一緒に地上に出ましょう」
ロッディと熱い握手を交わし、二人で地上を目指すこととなった。
フォールの手の平で踊らされているのを理解しているが、なら、その状況を逆手に取るぐらいのことをしなければ、俺の望みが叶うことは一生ないだろう。
どれぐらいの月日が必要なのかは不明だが、食料はアイテムボックスに腐るほどある。二人だけなら数年分の蓄えがあり、餓死の心配も不要だ。
さあ、行くぞ! どんなに長い道のりだろうと、進んでさえいればいつか辿り着く。レベルさえ上げれば、どんな強敵にも手が届く!
熱い思いを胸に秘め、俺は迷宮攻略へ乗り出す。
そして、月日は流れ――迷宮での生活が二年目に突入した。