悲壮
「わかりますが……どうしてですか?」
ここに至るまでの経緯と目的をロッディに明かした。
村から助け出した人々がここに捕まっていることを、俺が彼らを助ける目的で捕まったということを――実際はあの場面を切り抜けて、どうにか逃げ切るつもりだったが、そこは格好を付けても許されると思う。
相手に自分の能力を過剰評価させるのも作戦の内だ。
「そうだったのですね。どうりで脱出も手際よかったわけです」
まあ、糸を体内に入れるのは咄嗟に思いついただけだが。
「ええと、私の記憶が確かなら……緊急転移装置へ向かう通路の途中にあったと思います」
「その転移装置は大人数でも運ぶことは可能かい?」
「はい、緊急時の避難用ですから、職員全員を一度に運べるように作られています」
都合がいいな。これなら、上手く事が運べば村人を救出した後に全員を地上に戻せる――それが希望的観測だとわかっていても、俺はそれにすがるしか術がない。
冷静な状況判断ができる人間なら、助けはしないだろう。足手まといを増やす行為は、どうやっても生き残るという信念に反する。
だが、それが俺なんだ。矛盾を抱え、心が揺らぎ、葛藤を繰り返しながらも、こうやって偽善的行為に走る。でも、人としての心を失いたくはない。
――悩むぐらいなら、行動した方がましですよ――
今、聞こえない筈の桜の声が聞こえた気がした。自分を納得させるための幻聴なのかもしれないが……そうだよな。ああ、そうだ。
「それじゃ、悪いけど、大人数を収容できる部屋に案内してもらっていいかい」
「はい、もちろんです! 私も罪なき犠牲者を減らしたいですから」
快く承諾してくれた。
うじうじ考え過ぎる癖は無くさないとな。そろそろ割り切って考えられるようにならないと、本当に命を落としかねない。
ロッディが倉庫の扉に触れると、いとも容易く扉が開いた。
魔法で認識しているのだろうが、指紋認証システムみたいだな。
高度に発達した科学は魔法と区別がつかない――という言葉を何処かで目にしたことがあったが、まさにその通りだと思う。
「気を付けてくださいね。兄は当分帰ってこないと101たちが話していましたが、魔物にされた皆が警備に当たっていると思いますので」
「気を付けるよ。だけど、101たちに遭遇した場合味方に引き込むことは」
「残念ながら無理です。兄の命令から逃れることはできませんので、発見されたら彼らの意思に関わらず捕まえに来るでしょう」
実験体の彼らはロッディと共に俺が逃げる展開を望んでいたのではないかと勘繰っている。
彼女を慕っていた彼らは彼女をあの場所から逃がしたいと常日頃から願っていた。
そこに俺を放り込み、微かな望みを託した。その証拠にあの戦闘時に『捜索』リストに叩き込んでいた彼らのポイントは、ここからかなり離れた場所に停滞している。
「土屋さん、通路に誰もいないみたいです」
気を探っていたので近くに誰もいないのは知っていたが、これも彼らの手筈により見張りを減らしてくれているのかもしれないな。そうでなければ、都合が良すぎる。
「方向を指示してくれたら俺が先頭に立つよ。斥候に向いたスキル――ギフトを所有しているから」
「なら、お任せしますね」
ロッディと位置を入れ替えると、糸を数十メートル先へと伸ばし、壁や床、念の為に天井も調べながら進んでいく。
大人が横並びに5人は並べる幅があるので、戦いになっても動きに制限がかかることはなさそうだ。ただ、斧を振り回すには少しスペースが足りないかもしれない。
接近戦はミスリルの鎌を使うことにするか。
「あの十字路を左に行くと一本道が伸びています、数メートル進んだ先の四番目の扉が確か……収容部屋だったと思います」
何十年、下手したら何百年前の記憶だというのによく覚えている。
その知識を疑いそうになったが、知力が高いことによる記憶力の補正が働いている。それなら、あり得る話かもしれない。
魔族は魔力も知力も高い一族らしいからな。
糸を100メートル近くまで伸ばして目的地付近を弄るが、罠らしき存在は感じられない。魔物や生物の気配もない。
やはり、裏で彼らが手を貸してくれている可能性が高そうだ。
抜け出した彼女の部屋に見張りや食事が運び込まれる危険性も考慮はしていたが、彼らが上手くやってくれることを期待しておこう。
「見張りや罠はないようだ。一気に扉の前まで移動するよ」
足音を殺しながらも駆け足で目的の扉前に滑り込む。扉に鍵穴らしきものは一切見当たらない。白い光沢のあるつるっとした扉の表面には、ドアノブどころか突起物の類が一切存在していない。
「ここの扉は研究者か許可された者しか開くことができません。私のアクセス権が残っているのなら大丈夫だと……あ、いけそうです」
彼女を連れて来て正解だったようだ。俺一人なら、ここまで辿り着けたとしても、ここでお手上げ状態になっていただろう。
「開いていいですか」
「……ああ、頼む」
俺は静かにそう答えることしかできない。
この扉の先に複数の気配を感じている。その気の質や量からいって、マッシー一家や村人であるのは確かだろう。
だが、同時に違和感がある。
それ以上は考えることを止めた。扉が開けばそれが答えだ。
「開けます」
横にスライドする扉の向こうに現れたのは――一巨大な肉塊だった。
倉庫並に大きな部屋の中央部に堂々と居座る巨大な肌色の物体。表皮には太い血管のようなものが浮き出ていて脈を打っているのが目視できる。
それだけなら、グロテスクな外見に、気持ち悪い程度で済んだだろう。
それだけなら、俺はただの実験体と判断して切り裂けただろう。
それだけなら、俺は――涙を流さずにいられただろう。
「兄ちゃん、助けてよぉ」
いつも無邪気な笑みを浮かべていたマッシーが、大粒の涙を零し泣いている。
「土屋さん……見ないで……くださ……い」
村長の娘が目を伏せ俺から視線を逸らしている。
「土屋君助けにきてくれたのだね……ありがとう」
マッシーの父親が弱々しい笑みを浮かべ、こんな状況でも気遣ってくれる。
「良い男が泣くんじゃないよ」
ため息を吐いてマッシーの母が優しく微笑む。
「で、でも、皆がっ」
喉が痛いほどに締め付けられ言葉が出ない。
今すぐ鼓動の煩い胸元を掻き毟り心臓を抉り出したい。
「助けに来てくれたのに悪かったね。ちょっと遅かったようだよ。まあ、私らは運が悪かったんだね」
マッシーの母の発言に、複数の顔が嗚咽を漏らす。
母の両隣にマッシーと父。少し離れた場所に村長の娘。あれは一緒に逃げてきた他の村人たちだよな……。
巨大な肉塊に浮かぶ見知った人々の顔。
助けたいと願った村人たちは――実験体として醜い肉の塊……魔物にされてしまっていた。
「すまない……本当に……俺のせいだ……」
俺が深くかかわったせいで、彼らはこのような姿にされてしまった。
贄の島からこの大陸に渡り、ここで疑念は確信となった。俺は不幸をばら撒く病原体のようなものだ。
近くにいるだけで人を不幸にする……。
モナリナ、モナリサ、蓬莱さん、オウカ、オーガマスター、ゴルホ、そして桜。皆、俺のせいで……。
「ちょっと、あんたしっかりおし! 何か独りで黄昏ているけど、別にあんたのせいじゃないよ!」
意識が暗闇に完全に沈み込む一歩手前で、強烈な怒声が聞こえた。
もう、このまま消えたい……だけど、この声は、俺を励まそうとしている。
気力の残りかすを振り絞り顔を上げると、そこには怒り心頭といったマッシーの母の顔があった。
「でも、俺の関係者だから実験体――」
「そんなの結果論だろ! もし、そうだったとしても、私らはあんたに助けられたんだ。本来なら村で死ぬか、昆虫人に捕まり死刑を宣告されていた身だったんだよ。それを、あんたが救ってくれたんだ。胸を張りな! こんな姿になっちまったが、村から逃げ出してからの日々は楽しかったさ! マッシーあんたも、いつまでもくよくよ泣くんじゃないよ!」
「でも、母さん……」
「あんたが泣いたら、あんたの大好きな土屋が悲しむんだよ。それでもいいのかい?」
優しく語り掛ける母の言葉に頷くと、マッシーは鼻をすすり、赤く充血した目を数回瞬かせると、その瞳から涙が零れ落ちることは無かった。
「ほら、子供が泣き止んだんだよ! あんたらも、いつまでもくよくよしなさんな!」
叱咤の声にただ涙を流すことしかできないでいた村人たちも、少し落ち着きを取り戻したように見える。
この状況で正気を保てるというのか……強いな、俺なんかよりずっと強いよ母は。
「よっし、泣き止んだね。じゃあ、いきなりで悪いんだけどさ……私らを殺してくれるかい?」
まるで、ご飯の準備を手伝ってくれるかい? と気楽に頼みごとをするような口調で彼女はそう口にした。
覚悟はしていた。彼らを助ける術がない時点で覚悟は決まっていた。
「ロッディ……元に戻す方法は」
「すみません。すみません。すみませんっ」
震えた声で謝罪を繰り返すロッディの噛みしめた唇から、血が滴り落ちている。
そうだよな。混ぜるのは簡単だが、それを戻すのは至難の業。コーヒーにミルクを混ぜるのは誰にもできるが、それをもう一度コーヒーとミルクに分けられる人はいない。
自分の実験を後悔しているロッディが、その試みをしていないわけがない。つまり……そういうことなのだ。
「いつか、いつか必ずみんなの仇を討って見せる。だから、今は安らかに眠ってください」
「兄ちゃん、怖いけど大丈夫だから! またね!」
「土屋君、あまり無理はしなくていいから」
「そうだよ。あんたは自分の幸せを見つけな! それに、私らの仇討ちよりやることあるんだろ」
「短い間でしたが、貴方を好きになれて良かったです」
マッシー一家と村人たちのお礼と激励の言葉を浴びながら、俺はアイテムボックスから斧を取り出し歩み寄る。
「皆、今までありがとう……さようなら」
気の利いた言葉の一つも思い浮かばないのか。ほんと……どうしようもない男だな。
せめて、彼らを苦しませることだけはしまいと、全力で斧を振り下ろし斜めに両断すると、そのまま、円を描き一回転する。
そのまま左から強引に振り下ろす!
まだだ、腕を止めるな! 真横へ薙げっ!
無理な動きに体の筋肉が悲鳴を上げ、体中に痛みが走るが、そんなことはどうでもいい!
少しでも苦痛を早く終わらせようと全力で斧を振り続け、彼らを細切れにした。
光の粒子が俺に吸い込まれていく。力だけじゃなく、彼らの意思も俺の中で生き続けてくれるなら、少しは救われるのだろうか。
「私たちのせいで……本当に申しわ――」
「謝罪の言葉はいらないよ。それに、俺はその言葉を受ける権利もない」
村人たちはあの時死んでいた方がましだった……そう思わずにはいられない。
今すぐにでもフォールを殺したい――だが、圧倒的に力が足りない。
いっそのこと、命を捨て無謀な特攻をかけて散った方が楽なのだろう。
だが、俺は生きなければならない。一時の感情に身を任せて、人生を終わらすわけにはいかないのだ。
力が――力が欲しい!
理不尽を撒き散らす強者を打ち倒す力がっ!
今のままでは、女神もどきはおろか、フォールや悪魔キルザールにすら届きはしない。
「土屋さん……あまり時間を」
「ああ、すまない。逃げている最中だった。大丈夫だ、転移装置の場所に連れて行ってもらえるかい」
肺に溜まっていた空気と共に胸に渦巻く葛藤も吐き出した。今は、怒りに呑み込まれるな。力の及ばない相手に冷静さまで失っては、僅かな望みすら消え失せてしまう。
全てを乗り越え強くなれ。それしか、道が無いのはわかりきっていることだ。
扉から出る寸前、もう一度室内に目を向け、彼らが消えてしまった場所を正面から捉え、深々と一礼した。