彼が彼である理由
通気口の蓋を外し、そっと地面に置く。
糸を絡ませ天井の通気口まで上り、通気口の中を確認する。
暫くは真っ直ぐ上へと伸びているようだが、途中から左に折れているな。あそこまで行けば、一息つけそうだが。
現状は通気口内で手足を踏ん張っている状態。俺の身体能力なら何の問題もなく登れるが、問題は彼女――ロッディか。
見た感じ如何にもお嬢様といったタイプだ。魔法と研究所内の情報には期待しているが、運動の方はどう見ても鈍そうだ。
「すみませんが、糸を下ろしてもらえますか」
少し考えにふけっていたようだ。下から呼ぶ声に視線を向けると、そこには部屋着から着替えたロッディがいた。
あの部屋着よりかは動くのに支障はなさそうだが――何故、白のタキシードを着込んでいる。おまけに縁取りが金で、ボタンも金色に輝いている。
あれだ、友人の結婚式で新郎がこんなのを着ていた。
「この格好ですか? 昔劇団員だった時期がありまして、男装の令嬢役が得意だったのですよ。それ以来、男装が癖になって」
照れて頭を掻いているが、どうせなら元の格好の方が良かった。
男装姿が似合いすぎていて、髪の毛を後ろで縛ったイケメンの男性に見えてしまう。別に深い意味はないが、一般的には、か弱そうな女性の方がエスコートする側としては、張合いが違ってくるのではないだろうか……俺は桜一筋なので下心は無いが。
残念に思いながらも糸を垂らすと、ロッディは予想外に身軽な動きで糸を伝って登ってきた。
「魔族は身体能力も人を超えていますので、これぐらいなら運動が苦手な私でも大丈夫ですよ」
これなら彼女の身を守る必要はなさそうだな。
しかし、今更だがガラスを派手に切り裂く必要はなかったな。人が通り抜けられるようにくり抜いて、ベッドにロッディの部屋にあったヌイグルミでも忍ばせておけば、少しは時間稼ぎになったかもしれない。
この詰めの甘さを直さないとな。
「まずは俺の装備やアイテムを取り戻したいのだけど、何処かわかるかい」
「おそらくですが、私の部屋から東に二部屋進んだ部屋が物置だった筈です。101たちも、あそこを倉庫代わりにしていると話していましたよ」
通気口を這いつくばりながら進む俺の後方から、ロッディの声が響いてくる。
囁くような声だというのに通気口の中は声が良く通る。
「101というのはあの赤髪の?」
「はい、そうです。土屋さんを連れてきたのも彼でしたよ。あ、そうそう。土屋さんは転移者なのですよね。105と108が楽しそうに話してくれました」
「三人とは仲がいいようだけど」
「あの子たちは……私の研究成果の産物です。だというのに、今でも教育係だった私を気遣ってくれているのですよ。私は番号で彼らを呼びたくはないのですが、三人がそれを認めてくれなくて」
ロッディは研究者でありながら、実験体である彼に慕われているのか。
きっと彼女は差別することなく、彼らと接していたのだろう。兄のフォールと違い。
会話をしながら『捜索』も発動しておく。『隠蔽』『偽装』『気』という、いつものお忍びセットも全力で開放中だ。近くにいるロッディもその影響下に入っているので、ちょっとやそっとでは俺たちのいる位置が見抜かれることは無い。
彼女の言う通り俺のアイテムボックスは近くにあるようだ。『捜索』のスキルにも反応がある。
ただ……アイテムボックスの反応が一つだけになっている。ショミミに一つ渡したので残りは二つの筈なのだが残りの一つが反応していない。
これは、嫌な予感と言うかとんでもないことが起きているのではないか。
通気口は倉庫まで繋がっているようだな。そのまま、慎重に中を進んでいく。
たぶん、あそこなのだろう。明かりが漏れている。
「先に見てくるから」
ロッディにその場で待機するように伝えて、静かに音を忍ばせ前に進む。
倉庫内に何者の気配もない事を確かめてから、眼下を覗き込むとそこはカオスだった。
俺が閉じ込められていた部屋よりも広い空間が物でぎっしり埋まっている。
先端のとがった巨大な針のようなものが無数に生えている。正確に表現するなら――丸太が部屋を占拠していた。
「アイテムボックス壊したな……」
倉庫にアイテムボックスを運ぶ際に、誰かが好奇心に駆られて中を取り出そうとしたが、無理だったので癇癪を起こして破壊したというところか。
たぶん、犯人はあの丸太の海に呑み込まれて、貫かれたか圧迫死したことだろう。
丸太を大量に詰め込んでいた方を壊したのが運の尽きだったな。こちらとしては一つ失ったのは大きな損失だが、レベルを上げて収容能力を上げていた方で無かったのは不幸中の幸いか。
倉庫の出入り口は完全に丸太で塞がれていて出入りは不可能。下りても問題なさそうだな。
「ちょっと、下に降りて探して来るよ。ロッディはどうする?」
「私も同行します。通気口狭くて、少し体伸ばしたいので」
彼女が小さく頷いたので、俺も同様に頷いた。
通気口の蓋を外し、糸を伝って丸太の山へと着地する。
丸太以外にも無数の剣や槍といった武器も散乱している。これはオーガの村で色々と購入しておいたものだ。糸や紐も大量にある。食料はもう一つの方に入れておいて助かった。こっちに入れていたら、食べられなくなっていたところだ。
「何でこんなに丸太が……」
しゃがみ込み丸太を指で突きながら、ロッディが顔をしかめている。
倉庫一杯に丸太を詰め込んでいる状況。困惑するのも当たり前か。
さてどうする。この丸太を再び収納するにはアイテムボックスの存在を彼女に明かすことになる。今のところ彼女は性根の優しい人に見える。秘密も厳守してくれそうだが、完全に信用するには至っていない。
「これだけ物があったら探し物は見つからないのでは?」
あの顔はこちらを心配して気遣ってくれている表情だ。ロッディなら大丈夫だとは思うが、フォールの件に関しても俺は事前に見抜くことができなかった。俺の予想や読みは当てにならない。
「ええと、余計なお世話かもしれませんが、丸太だけでもどうにかしましょうか?」
彼女に秘密にしながら丸太を収納する方法は……ん? 今、何て言った。
聞き間違えでなければ、この丸太をどうにかできるというのか?
「どうにかできるなら、そりゃありがたいけど――」
「わかりました! なら、丸太だけ取り敢えず収納しておきますね。ここだと魔法が使えるようですから」
手を打ち合わせ嬉しそうに笑うロッディの顔に思わず見とれてしまった。美人と言うのはちょっとした動作でも人を引き付けるものがあるのだな。
まあ、俺は桜の笑顔の方が好きだが。
「ちょっと待ってくださいねー。ええと、対象を丸太に限定して……闇渦」
彼女は謎の言葉を呟き手の平を丸太の山へ向ける。手から少しだけ離れた空中に闇の渦が唐突に現れた。その渦は直径1メートル程だろうか。
これが闇属性の魔法か。
足下から振動を感じて視線を下に向けると、敷き詰められている丸太が小刻みに震えだしていた。
嫌な予感しかしないぞ。退避っ!
通気口の縁に糸を伸ばし、体を強引に持ち上げると同時に足元の丸太たちが宙へ浮かび上がると、勢いよく回り続ける黒い渦に自ら跳び込んでいく。
「吸引力が凄まじい掃除機みたいだな」
あれは対象物のみを吸い込む魔法なのか。俺が集めに集めた500本を超す丸太たちが一つ残らず、吸引力の変わらないたった一つの魔法に吸い込まれていく。
数秒の間に丸太は全て渦の中に消えて思ったことは、倉庫って結構広かったのだなと言う感想だ。
床には俺のアイテムボックスに入っていた紐や糸、そして武器防具が散乱している。何体か丸太で制作したキビトさんも転がっているな。キビトさんは丸太には含まれないのか……。
どうでもいいことを思いながらロッディに視線を向けると、鼻息を大きく吐出し、ドヤ顔でこっちを見ている。あの期待に満ちた目。ここは感心するか褒める場面なのだろうな。
最近、感情を押し殺すことが多いから、素直に感情を表すことがなくなってきた。
「驚いたな。あれが闇属性の魔法かい?」
「はいそうです! ずっと使っていなかったから発動できるか不安だったのですが、安心しました。この魔法は特定の物質を別の空間へ収納する魔法です。収納した物は取り出すことも可能ですよ」
「それは何でも吸い込めるのかい? 例えば生物も」
「いえ、それは不可能です。あくまで物限定です」
アイテムボックスと似たような感じなのか。手に触れずに吸い込めるなら、面白い利用方法もありそうだ。
「それは幾つでも無限に収納できる?」
「無限ではないです。魔法の使い手の魔力が収納空間の大きさに比例します。私は魔力がある方なので、まだまだ余裕がありますが」
闇属性の魔法にも似た能力があるのであれば、アイテムボックスを隠す必要もないか。こちらの手の内を少し明かしておけば、相手の信頼度も少しは上がるだろう。
ロッディは突然現れた男と成り行きで行動を共にしているが、不信感はぬぐえないだろうし警戒だって解けていない筈だ。
自分の事ばかり考えていたが、相手の疑いを少しでも緩和させておく必要はある。
「折角、掃除してもらって悪いんだけど、丸太20本ぐらい出してもらえるかい。面白い魔法を見せてもらったお礼に、こっちも面白いものを見せるよ」
散らばっている物の中からアイテムボックスを見つけ出すと、それを拾いロッディに笑いかける。
意味がわからないまま丸太を取り出してくれたロッディを前に、俺は丸太を掴んではアイテムボックスへと入れていく。
「お、おおおっ! それは私の闇渦と同じような能力が付与された魔道具なのですか!」
食いつきが凄いな。走り寄って来ると俺のアイテムボックスをまじまじと見つめ「へぇー、これにこれが……」「永続性の魔法の付与を見た目が普通の鞄に」と呟きながら、考察を続けている。
感心しながらも何処か嬉しそうで、今までで一番活き活きとした表情をしている。
「あ、すみません……昔、魔道具の研究をメインでしていたので、つい夢中に」
ロッディの研究者としての顔が垣間見えた気がする。
こんな狂った研究に巻き込まれなければ、そういった方面を極めたかったのだろうな。
「今も兄から差し入れられた書物を読んで勉強は続けているのですが、こういった未知の発見をすると血が騒いでしまいます」
申し訳なさそうに身を縮ませ照れている姿も中々絵になる。
まあ、俺は桜のドジをやらかした場面の方が――何だろう、言い訳じみてきているからやめよう。
「取り敢えず、使えそうな物を回収しようか。あまりのんびりしていられないしね」
「わかりました。私も幾つか渦に放り込んでおきますね」
一つになったアイテムボックスにポイントを注ぎ込みレベルを上げておいた。これで収納できる上限が増えたので、問題なく運べるだろう。
壊されたアイテムボックスに入っていたのは丸太と糸や紐がメインで、後はそれなりの武器がある程度だ。その全てを収納しておくが、まだまだ余裕がある。
倉庫内には実験体とされてしまったであろう冒険者たちの遺品も幾つかあるようだ。
まずは……服だな。今は腰に布を巻いただけの半裸状態。俺のボロボロとなった緑のパーカーは何処にも見当たらないので、体格の似ている服を貰い受けるしかない。
これは金属鎧か。動くときに邪魔になりそうだから却下。
全身タイツみたいな衣類があるな。これって暗殺者とか忍者のイメージだが羞恥心が先に来る。魔物の皮で作られているようで、性能は悪くないようだが――保留で。
他には革鎧や魔法使い系のローブ、どれもピンとこない。この状況で贅沢を言っている場合でもないか。今は時間が最も大切だ。サイズが合いそうなら――お、これは。
壁際に転がっていた土色の衣類一式に目が留まった。
西部劇でガンマンが被っていそうなつばの広い帽子には鳥の羽のワンポイント。
簡素ではあるが頑丈そうな造りの長袖のシャツとズボン。
それに何よりも気に入ったのは、このロングコートだ。無駄な装飾もなくデザインもシンプルでありながらポケットも多い。アイテムボックスがあるとはいえ、あまり使っているところを人に見られたくないので、糸の隠し場所が多いのはありがたい。
「ちょっと着替えるから、こっちを見ないでもらえるとありがたい」
「は、はい! 決して振り返りませんので」
ロッディはむっつりスケベな気がする。当たり前だが、そんなこと指摘はしない。健康的な人なら男女に関わらず、少なかれ興味があるものだ。
見られたところで別に問題はないが、一応一言断っておくのがマナーだからな。
この衣類、俺用のオーダーメイドかと疑ってしまう程、体に馴染む。材質とつくりが良いらしく動きを妨げられることもない。
「もういいよ。着替え終わったから」
「わかりました……とてもお似合いじゃないですか。吟遊詩人みたいですよ」
吟遊詩人か。言われてみれば、そう見えなくもないな。落ち着いたら、自動演奏のギターを担いで酒場で真似事をするのもありかもしれない。
目ぼしい物を幾つか補充しておいて、もう一度通気口に戻ろうとしたが――
「あ、この部屋からなら、たぶん扉から通路に出られますが、どうしますか」
ロッディに引き留められた。
「扉は外側からしか開かないって言ってなかった?」
「あの部屋はそうですが、他の部屋は研究員であれば触れるだけで個体を識別して、扉が開く仕組みになっています。私も端くれでしたので、設定を変えていなければ」
「しかし、通路には魔物がいるのだろ? 通気口の方が安全な気が」
「そうかもしれませんが、通路からなら確実に目的の場所に行けます。さっき思い出したのですが、この階層の奥に非常時の際に使う装置があります。地上まで直通の転移装置がある筈です」
この場所から抜け出せるのか。それは賭ける価値はあるかもしれない。
ただ、それは、彼女の言葉が真実であり信用できるかと言う大きな問題に目を瞑るならば。
「地図が把握できるなら……大勢の人が集められている場所はわかるかい?」
どうする、安全を重視するか、時間を最優先におくか。
また選択を迫られる。今後に大きく影響を及ぼす、二択を。