死闘 そして
俺の眼前で首が宙を舞い、血が噴水のように吹き上がる。
首なし死体の後ろにいた魚と人間のハーフの首には既に糸を巻き付けておいた。
そして、糸の先は斧の柄に繋がれている。
俺が全力で斧を横に薙ぎ、飛び込んできた毛の代わりに腕が生えた巨大な毛玉もどきを両断。糸に繋がれている魚人間は糸に引っ張られ吹っ飛び、密集している魔物に衝突して薙ぎ倒していく。
「何体……だ」
もう、どれだけの時間、戦い続けているのか。
迫る魔物を切り捨て、糸で絡め、拳銃で撃ち、丸太の雨を降らす。
俺の愛用している緑のパーカーは、切り裂かれ、牙で穿たれ、吐き出された酸で溶かされ、原形を留めていない。
裂傷は数える気も起らないぐらいだ。
右肩とあばらも何本か持っていかれたが、ポイントを消費して得た『傷薬』の効果は尋常ではない。即座に修復されていく。
これだけ魔物を切り捨てれば、本来なら斧の刃は血と油で切れ味が落ち、刃が欠けることだろう。だが、蓬莱さんの遺品であるこの斧は、未だに切れ味を保ってくれている。
「いやはや、凄いね。予想を遥かに越える実力だ。数値的なものだけではなく、この絶望的な状況において心が折れず、今も生き延びる術を模索している。素晴らしい!」
何処からか取り出した椅子に座り、高みの見物と洒落込んでいるオールが称賛の拍手をしている。正直、鬱陶しい。
手を出せば一瞬にして終わるというのに、オールは観戦して楽しんでいるだけだ。
その油断を突きたいのだが、魔物の処理だけで手一杯。手を出す余裕は微塵もない。
「あっ」
背中に衝撃を受け、思わず声が漏れる。戦闘中に考え込み過ぎたか。
地面を転がりながら、立ち上がろうとしたが四方から魔物が迫ってきている。寝そべったまま相手の足に糸を巻き付かせて、その場に転ばせる。
魔物たちは仲間である魔物を容赦なく踏みつけ、乗り越えてくる。もう少し、仲間との絆を大切にしないかっ!
立ち上がると同時に糸を操作して、糸が結ばれた魔物を上空へ放り投げる。その上に乗っていた魔物も巻き込まれ、何体か倒れ込んでいるな。
近づいて首を刎ねる時間も惜しい。
ポイントを消費して新たな弾丸を得た拳銃からの射撃で頭をぶち抜いておく。この戦闘中に編み出したのだが、弾丸に『気』を纏わせると威力が上がるらしく、易々と魔物の頭蓋骨を貫通している。
アイテムボックスへ糸を滑り込ませ丸太を十数本抜き出すと、後方へ横並びに降らせた。
先端が鋭く尖った丸太に貫かれ、地面に縫い付けられた魔物が数体いるが本命はそっちじゃない。背後に丸太が敷き詰められ、簡易の柵を作り上げていた。
四方からの攻撃は流石に辛い。せめて、背後だけでも魔物の侵入を封じたい。
気を流し込んで強化しているので、暫くは耐えてくれるだろう。
今の内に前方の敵を少しでも多く倒しておくしかない。
馬鹿でかい図体の魔物が小柄な魔物を押しのけ近づいてくる。
体中に人間の口があるな……消化器官とかどうなっているのかね。
もう、恐怖も躊躇いもない。俺は人間の口の集合体へ斧を振り下ろすが、巨体過ぎて斧が貫通できずに、体の途中で埋まってしまう。
武器を引き抜くまで待ってくれないよなっ!
左右から押し寄せる敵に対処するには――斧を手放し、アイテムボックスからミスリルの鍬と鎌を取り出し、切り捨てる。
ああ、しんどいな。
この戦いで……消費軽減上がってそうだ……ジョブブとショミミは逃げられたかな……もう、そろそろ限界か。
両腕と両足に重い鉛が繋がれているかのようで、腕を上げるのも億劫になってきた。
敵は黒の水溜りから、途切れることなく溢れ出している。
戦い始めた頃より確実に……増えているよな。
「おや、限界が見えてきたようだ。うんうん、土屋君はよく頑張ったよ。安心してくれ。キミのような貴重な素体は慎重に扱うから。私に次ぐ最強の生物へと作り変えて上げよう!」
それを聞いて、誰が安心できるんだ。
魔物の眼球に指を突き刺し抉りながら、オールを睨みつける。
ああいうのを満面の笑みというのかね……ゾッとするな。
こういった場面で起死回生の一手が思いついたり、隠された力が解放されたりするのが定番だが、この異世界はそんなに都合よく事が進まない。
オール一体なら……まだ策はあった。
だが、物量で攻められているこの状況で必要なものは、押し切れるだけの圧倒的な力だ。
「ぐああっ!」
ちょっと意識が逸れたらこれかっ!
左腕にワニ顔の犬のような魔物が噛みついている。
即座に鎌を突き刺し切り裂く。左腕は無残な状況になっているが、千切れてはいない。これなら傷薬で治せそうだ。
アイテムボックスから取り出した傷薬の瓶の蓋を開けるには片手が使えない。軽く宙に放り上げて、周辺の魔物に回し蹴りをかました勢いのまま、鎌で瓶を真っ二つに切る。
零れ落ちる液体に左腕を突っ込み、何とか傷を癒す。
「おうおう、粘るな。お前ら退け。ここは俺たちが相手する」
この戦場には場違いな、覇気が感じられる若者の大声が戦場に響く。
オールの声じゃない。もっと若い青年の声だ。
執拗に俺を狙っていた魔物たちの攻勢が止み、周囲の魔物が後退っていく。
何処か怯えたようにも見える魔物の群れが真っ二つに割れ道が現れると、そこをナニかが進んできている。
「おや、珍しい。キミたちが自ら戦いを望むとは。これで、土屋君の勝ち目はゼロとなったね。可哀想に」
オールの口振りからして、声の主は相当な実力者のようだ。
体力も気力も限界に近い状態で強敵の登場。ここで、仲間が颯爽と現れる展開が熱いのだが……ジョブブ、ショミミは逃げている最中。
贄の島にいるサウワ、権蔵がここに来る術はない。
俺が……どうにかするしかない。この世界はそんな甘い願望が叶う世界じゃない。
残されたものを全て振り絞り、前方を睨みつける。
魔物の中から進み出てきたのは、三人の男女だった。
「人間か……いや、魔族か」
見た目は人間にしか見えないが、この状況だ魔族と考えるべきだろう。
「いや、魔族じゃねえよ」
赤い髪に鋭い目つきをした男が、頭をぼりぼりと掻きながら、面倒臭そうに吐き捨てた。
その男は赤いズボンを履き、上着は魔獣の皮を鞣して作られた、ファスナーのついたゆったりしたジャケットを素肌の上から羽織っている。少し昔のロック歌手みたいな格好だ。
「一緒にしないで」
彼の後ろから、跳ねるようにして飛び出してきたのは、特徴的な服装をしている小柄な女性だった。柔らかそうな金髪が動く度にふわふわと揺れている。
緑を基調としたドレスのような服は、フリル、レース、リボンで飾られ、スカート部分は大きく膨らんでいる。これって、殆どゴスロリだよな。
「はっはっは! 我々はただの実験体だ! だが、この筋肉は自前だぞ!」
大音量で説明を口にする男の頭は短く刈り揃えられ、筋肉の浮き出た肉体によく似合っている。下半身を覆うズボンは黒で体に張り付くようなデザインとなっている。ちなみに上半身は裸だ。話す度に筋肉がぴくぴく動くのが特徴的だ。
「彼らは実験番号630101、630105、630108だよ。かなりの自信作でね、ちょっと反抗的なのが玉に瑕だけど」
肩を竦めているオールに三人が一瞬だけ視線を向けた。その顔に浮かぶ表情は嫌悪。関係が友好的でないのは一目でわかる。
「フォールさんよ。こいつは殺していいのか」
フォール? 今、赤髪の男はオールを睨みながらそういったよな。オールと言うのは偽名だったのか。
「いや、殺すのは勘弁してもらえるかい101」
「だってよ、105、108」
今のやり取りでわかったのは赤髪が101で女の子が105。筋肉が108と呼ばれているのか。
「了解したわ」
「おう、俺の可愛い筋肉にも言い聞かせておく!」
実験体三人は仲がいいようだ……フォールに対する敵対心を刺激して、仲間に引き込めないか。
渋々従っているのは誰の目にも明らかだ。上手く、そこを刺激すれば――
「あー、土屋君。彼らは反抗的だが、私には一切逆らえないよ。そういう風にいじってあるから」
考えが顔に出ていたようだ。フォールに図星を突かれた。
「悪いな。あんたに恨みはねえんだが、あいつには逆らうわけにはいかねえ。すまねえ」
「ごめんなさい」
「大胸筋も謝っておる!」
万策尽きたか。
彼らに自我はあるが、行動を支配されている。それだけに、悔しいのだろうな。
簡潔ではあるが三人の謝罪は上辺だけのものではなく、本気の想いが感じられた。
「彼は生け捕りにしてくれ。後はいつもの場所に入れておいてくれたらいいよ。暫く出かけるから、数日は起きないように一番強力な薬でも飲ませておいてくれ」
「でもよ。あそこ、満杯だぜ。ちょっと前に大量に人間を持ってきただろ」
「ああ、うっかりしていたよ。大した能力もない村人を確保したところだったな。じゃあ……そうだ、転移者だったね。なら面白い話の一つや二つ知っているだろう。あの子の良い暇つぶしになりそうだ。あの部屋でいいな」
「わかった。あの部屋だな」
今のやり取り……聞き逃せない箇所があった。
「フォール! 村人とは、元宿屋にいた人たちの事かっ!」
「ああ、キミが町に連れてきた連中だよ。あの人たちは丁重に迷宮の最深部にある実験場に連れて行った」
「まだ……無事なんだろうな」
「さあ、どうだろうね。自分の目で確かめたらどうだい? キミも同じ場所に運ぶのだから」
フォールは真っ白な歯を見せ、心の底から嬉しそうに邪悪な笑みを浮かべている。
生き延びている可能性はある筈だ。実験体とはいえ昨日今日どうにかすることはない……と信じたい。
「さーて、お喋りはここまでだ。ちょっと急ぎの用でね、後は頼んだよ。あ、そうそう。土屋くんは糸も操れるようだから、身ぐるみ全部剥いでおいて。あと、絶対にこの場から逃がすなよ、わかっているな」
最後の一瞬だけあの顔から笑みが消えた。
しかし、余裕だな。最後まで見届けもせずに席を外すとは。
油断と言うよりは、それだけ、この三人組の腕を信用しているということか。俺の戦いを観察して、どう足掻いても彼らには勝てないと判断したわけだ。
「土屋君。出来るだけ急いで帰ってくるから、大人しく待っていてくれ」
フォールが俺に小さく手を振っている。
足元から黒い闇が吹き出し全身を包み込むまで、やつは楽しそうにこちらを眺めていた。
闇と共に姿を消したフォールを忌々しげに睨んでいた三人は、大きく息を吐くと俺に向き直る。
「嫌なことはさっさと終わらせるか。無駄な抵抗は止めた方がいいぞ。痛い思いをするだけだ」
正面には101。右後方には105。そして、左後方には108が陣取る。やはり、逃がしてくれる気はないか。
見た目で判断するなら小さな女性105をどうにかして、逃げ切るのが一番楽に思えるが、外見と能力が一致するなら、という条件がある。
逆に如何にも強そうな筋肉達磨108を素早さで翻弄すれば、隙をついて逃げ出すことも可能か。まあ、その後ろに魔物の群れが待ち受けているわけだが。
「考えるだけ無駄だぜ」
「諦めた方がいい」
「そうだな。だが、実験体にされることを良しとせず、自害するというのならば止めはせんぞ。逃がすことも殺してやることも命令で出来ぬが、それならば見逃せる」
筋肉男は冗談で言っているわけじゃない。実験体である自分たちと同じモノに改造されるぐらいなら、と、忠告してくれているのか。
彼らは結構いい奴かもしれないな。
「生憎だが、俺はキミたちを倒して生き延びるつもりだからね」
「そうかい。この状況でまだ強がれるとはな。個人的には気に入っているだけに、残念だぜ。みんなやるぞ」
話し合いは終了か。
見た目の判断で一番組みやすいのは、やはり筋肉だ!
彼らが動くより先に、俺は筋肉達磨に正面から突っ込んでいく。
五指に巻いてあった糸を伸ばし、筋肉達磨に狙いを定める。
「ふむ、そんな細い糸ではどうにもならんぞ!」
予想通り、避けようともせずに糸を体に巻き付かせる。力でどうにでもなると思っているのだろう。
あの筋肉だ、糸に気を流して強化しても引き千切られるかもしれない。だが、本命はそっちじゃないんだよ。
『精神感応』で頭に描いた鮮明な映像を送り込む。
体を鍛えるのが好きだろ。なら、昔に流行った黒人が音楽に合わせて筋トレしている映像はどうだ!
筋肉男は一度小さく身震いをした。俺の送り込んだ映像にさぞ驚いたことだろう。
ピクリとも動かなくなった筋肉男の横をこのまま走り抜けよう。背後にいる魔物たちには『同調』で混乱させて――
えっ。
耳元で風の音が聞こえ、魔物の姿が急激に小さくなっていく。
まるで俺が空に浮いているかのような、
「がはっ!」
口から生暖かい液体が吹き出し、腹に激痛が走る。今、俺は殴られたのかっ!?
「何かしたようだが、精神系は俺たちには通用しねえぜ」
拳を振り上げた状態の筋肉男が眼下に見える。あの厳つい拳で俺は殴られ、衝撃で打ち上げられたのかっ。
腹が尋常じゃない痛みに襲われているが、今は押し殺せ!
空にいるなら、遠くにある木々に糸を伸ばして引き寄せれば。
「逃がさない」
「何っ!?」
周辺をいつの間にか、黒い蝶のような物体が取り囲んでいる。
「リボンたち撃ち落して」
全方面を取り囲んだソレに黒い粒子が集まっていくと、徐々に大きな闇の塊を作り上げている。あれを撃ちこむのか。
逃げ場のない空中で避ける術はっ!
「ちいっ!」
眼下で見学をしているだけで全く手出しをしてこない、比較的小柄な魔物に糸を巻きつけ、数体釣り上げる。
闇の球の射線上に魔物を割り込ませると盾にした。
さすがに全弾を防ぐことは無理だったが、二発の被弾ならまだやれる。
「マジで感心するぜ。だが、終わりだ」
耳元で赤髪の声が聞こえたかと思うと、首元に衝撃を受け急下降していく。
薄れる意識の中、地面が迫ってくるのがわかる。
手足、指の一本すらもう動かせない。何か、何か手は……。
地面に衝突する前に俺の視界は闇に包まれた。
――ですか。
誰だ。
――大丈夫ですか。
誰だ、桜か。
――気を確かに、しっかりしてください!
誰かが……近くで叫んでいる……必死な声だ。
誰だろう……俺は……何をしているのだったか。
――どうしよう。ここじゃ魔法は一切使えないし、せめて傷薬でもあれば。
傷薬? ……怪我をしているのか……何で俺は怪我を……。
――やっぱり、にい……フォールにやられたのかな。あの薬を飲まされたのなら、暫くは起きないわよね。
フォール? ……魔族……実験体……っ!?
「フォール!」
目が覚めると視界が白で染まっていた。
そこは真っ白な部屋で、俺は無造作に床に寝かされていたようだ。やけに天井が高いが、それ以外はチリ一つない綺麗な病室に見える。
「きゃっ! き、気が付いたのですね! 良かったー」
思わず声の聞こえてきた方向へ顔を向ける。部屋の奥には壁一面に巨大なガラスが埋め込まれている。
視線の先には無数のヌイグルミが置かれていて、壁や床、家具に使われているピンクの色彩が眩しい乙女チックな部屋があった。
その部屋からガラスに手を当ててこちらを覗き込んでいる女性がいる。
艶やかな銀の髪が腰付近まであり、肩がむき出しになっている薄手のワンピースを着こんでいる。私室のようだから寝巻きなのかもしれないな。
顔は容姿端麗を絵に描いたような美形だ。今までの人生で、ここまで整った顔をした人を見たことが無いと断言できる。
まるで絵やCGで作り上げたかのような、現実味の薄い整い過ぎた顔をしている。だというのに、贄の島でスキルにより容姿をいじっていた転移者よりも、違和感がない。
悪い人ではなさそうだ。取り敢えず、警戒は解かずに話をするか。
「こ、ご、ごはっ、ごほごほっ!」
そうだ、忘れていた。
声を出そうとした途端に喉元に違和感を覚え、激しく咳き込みながら、俺は糸使いを発動した。
口元から大量の黒い糸が吐き出されていく。
気を失う寸前、咄嗟に破魔の糸を体内に潜り込ませていた。何か薬物を飲まされた場合の対策と、身ぐるみを剥がれた時の武器を得るために。
「がはっ、はぁはぁ……汚いものを見せて申し訳ない。状況が掴めないのだが。ここは何処で、貴方は」
「だ、大丈夫ですか。ここは研究所の最下層にある、実験室です。私はロッディと言います」
深々と頭を下げる女性を見つめ、俺は妙な感覚が胸を過ぎった。
初めて会ったというのに何か惹きつけられるような。一目惚れや、そういった類ではない。何かが今繋がったような、そんな不思議な感覚。
それが何かわからないまま、俺はその人をじっと見つめていた。