別れ
先日、何度も耳にした男の声が背後から流れてくる。
慌てて振り返った俺が目にしたのは、地面に広がる巨大などす黒い水溜りだった。
俺と二人がそれから距離を取ると、黒い水溜りは間欠泉のように水を吹き上げ、一本の水柱を作り上げる。
その柱から、最初に姿を見せたのは痩せこけた腕。飾り気のない靴。続いて薄汚れた白衣。
そして、水を掻き分けるように不健康そうな男が顔を出した。
「土屋君は逃げる気がないみたいだけど、その二人にも期待しているのだよ。だから、逃がされるとちょっと困るかな」
黒の水柱が治まると、オールは苦笑いを浮かべ白衣の裾を叩いている。
「実験体としてか?」
駆け引きを交えることなく口にした。
「お、やっぱり気づいているのかい。土屋君は凄いね。リンオミ君から情報は得ていたけど、そこまで知られているとは」
誤魔化すことなく認めたな。
予想は的中していた。だが、喜ぶ気には到底なれない。
「何故、こんな事をしているんだ。町の住民や犯罪者で魔物を作り出すなんて、馬鹿な真似を」
「誤解していそうだね。趣味や娯楽でやっているわけじゃないのだよ。ちゃんと崇高な目的がある。キミたちは魔族がどうやって産まれたか知っているかい?」
「魔界との扉が開いて現れたのでしょ」
「そうだよな。俺もそう聞いたぞ」
ショミミとジョブブの村では、そう伝えられているらしい。
「それが一般的に一番浸透しているようだが、それは誤りなのだよ。本当は神に匹敵する力を得ようとした古代人が、人体実験を繰り返した後に手に入れたものが、魔族としての能力なのさ。わかりやすく説明すると、人々で人体実験を試して、人間が更なる高みへ人工的に至る方法を編み出し、古代人自らその力を移植して成ったのが……魔族だよ」
「つまり、古代人の成れの果てか」
古代人と魔族が争い、古代人が絶滅したという説があったが、実は古代人が魔族になったというオチだったわけか。
「まあそうだね。不老の力も手に入れたのはいいんだけど、子を成す能力を代わりに失ってしまったのは誤算だったよ。今いる魔族は全て、古代人の末裔ではなく古代人の生き残りだよ」
オールは何が楽しいのか、頬を緩ませ、嬉しそうに聞いてもない事まで暴露している。
悪役が何故か自分のしたことをベラベラと話すシーンが良くあるが、あれは自分の行動を人に自慢したいからなのだろう。
目の前の男を見て、長年の疑問が納得できた。
「多くの犠牲者に感謝しつつ、実験は緩やかな歩みながらも一歩一歩前進していた。そして、ある日、人に属性を与えることにより、膨大な力を手に入れるという実験結果を得たのだよ。魔物も動物と殆ど変わらぬ姿形をしていながら、比べ物にならない力を秘めた魔物がいる。見た目や体内の構造も酷似していながら、能力差に大きな開きがある。そこで、我々はぴんときた。動物に消えることのない属性を付与すれば魔物を生み出すことになるのではと」
話が長いが、要約すると動物に属性が付くと魔物になるということか。
「実験を繰り返した結果、我々の仮説は正しいと立証された。人工的に魔物を生み出すことに成功したのだよ。動物実験の結果を活かし、人間に応用したのだがうまくいかなくてね。どうしても、正気を失い外見も化け物と化した出来損ないばかりが産まれてしまった」
自分たちの欲望の為に人を犠牲にしていたというのに、悪びれた様子は一切ない。
クズもここまで極めると感心しそうになるよ。見習いたくはないが。
「なら、動物や昆虫と融合させて身体能力を向上させた個体なら、属性付与も可能ではないかという発想の元に創られたのが、獣人と昆虫人だよ」
その言葉を聞き、ジョブブ、ショミミの気が大きく膨れ上がった。
自分たちが、こいつらの思い付きで産まれた種族だと知ったら、怒りを覚えるのは当たり前だ。
「結局、どっちも役に立たなくて、大量に作ったのを殺すにしても処分場所に困るから、野山に放逐したのだよ。それが思ったより繁殖してね、生き物を無暗に捨てたらダメだよな。我々も反省しているよ」
今にも飛び出しそうな二人に糸を忍ばせ『精神感応』で言葉を飛ばす。
『堪えるんだ。相手の実力がわからない状態で、早まらないでくれ。俺が指示を出すまで、先走らないように。いいね』
気が少し萎んだので、理解はしてくれたようだ。
「っと話が逸れてしまったね。それで我々は人に馴染む属性は一体何なのか、それの研究に没頭したのだよ。そして、闇属性が人との融合に向いていると結論が出ると、実験は飛躍的に進歩した。更に多くの実験を繰り返し、我々はとうとう人を凌駕する力を手に入れたという訳だ」
頼んでもいない魔族への道を語り終えたらしく、悦に入った顔で虚空を見つめている。完全に自分に酔っている顔だあれは。
途中隙があれば攻撃を加えるつもりで様子を窺っていたのだが、判断が付かなかった。
隙だらけに見えるが、逆にそうやって攻撃を誘っているかのようにも思われ、踏ん切りがつかない状態が続いている。
自慢話を聞くことで情報収集も叶い、思考する時間が稼げるのなら、もう少し付き合っても構わない。
相手が援軍を待っているのかと訝しんだが、俺たちに対して臆することもなく、強者としての自信が言動に垣間見える。一人でも勝てると判断しているようだが。
「古代人は魔族と化し、そこで多くの魔族は進化を止めたのだよ。だが、私は違う。それからも実験を繰り返し、もっと、もっと高みへ、私は上り詰めなければならない!」
「そこまで強くなって、どうするんだ?」
聞き役に徹するつもりだったのだが、思わず疑問が口に出てしまった。
「神を超えた存在となり、この世界の理不尽や間違った社会を淘汰し、全てを作り変えるのだよ。弱者にも優しい世界へとな」
「言っていることは立派だが、その弱者を実験材料としているお前が言っても、説得力が皆無だ」
俺の言葉を聞いたオールはじっと俺を見つめると、小さく首を傾げた。
「実験体は実験体だ。人とは違うよ。私が救いたいのは弱き人々だよ。何を言っているのだい」
それはこちらの台詞だ。
誤魔化しているのではなく本気でそう言っているように見える。何を考えているのだ。まさか、その矛盾に気づかない程、愚かではないだろうに。
「あんたの言う弱い人々とは何だ」
「古代人としての能力がなく、虐げられながら生きている人間や奴隷たちだ。力なき者が平和に暮らせる社会。その為に私は実験を繰り返し、最強の生物になるのだよ」
「その弱い人々を何故実験体とするんだ、助けたい相手なのだろ」
「弱者を助ける為に、私は実験を繰り返し、更なる高みへ進化しなければならない」
「あんたは弱者を助ける為に、弱者の犠牲はしょうがないと言っているようなものだぞ」
「弱者は助けられるべき存在だ。犠牲にしていいわけがないだろ。弱者の為に私は強くならなければならない。その為に実験体は大量に必要となる」
話が全くかみ合わない。会話が成立していない。
オールは本気で気づいていないというのか。助けたい存在である弱者を救う為に弱者を犠牲にしているという矛盾に。
オールの大きく目を見開いた眼球には赤い筋が幾つも見える。赤く染まる目に同じことを繰り返す口。
こいつ、もしかして……狂っているのか。今思えば、話の端々に狂気が垣間見える一瞬があったな。
「キミたちも救済すべき弱者だ。だから、私の実験体となり多くの人を救ってくれ」
駄目だ、正気ではない。この男と話し合いでけりを付けることは不可能だ。
昔から狂っていたのか、最近狂い始めたのか、それはわからない。ただ一つわかることは、まともな相手ではないということぐらいか。
「この町の住民は皆幸せそうだろ。それは彼らの負の感情を微量ずつ吸い取り、闇属性のエネルギーへと変換して、私が吸収しているからなのだよ。闇属性の源は負の感情だからね」
話が飛んだな。今度は闇属性魔法の講釈か。
「つまり、あんたは人々の負の感情を闇属性へと変換し、それを吸収して力を増しているということなのか」
「うんうん、わかっているじゃないか。私のおかげで、町ではいざこざも少なく、人々が負の感情に流されることもない。素晴らしいと思わないかい」
街中に笑顔が溢れ、親切な者が多い理由。それが人工的な影響だったなんてな。
怒りや哀しみといったネガティブな感情を吸い取られているからこその行動か。今まで見てきた人々の笑顔が全て作り物に思えてしまう。
「そういうわけで、人々の為にキミたちで実験しなければならないんだ」
どういうわけだよ。
話し合いの可能性が消え失せた今、倒すか逃がすかを選ばなければならない。
倒せるなら倒しておきたいが――
「抵抗しても構わないけど、私は数百年にわたって闇属性を吸収し続けている。この闇に勝てるというのであれば、挑んでくれて構わないよ」
オールが目の前で優しく微笑むと、その身に纏っていた闇の魔力が爆発した。
いや、爆発したように見えた。それ程、一気に膨れ上がった闇の奔流が暴れ、その余波を浴びただけだというのに脚が小刻みに震え、体が命の危機を訴えかけてくる。
駄目だ……こいつも悪魔キルザールと同じく、まともに戦っていい次元の敵じゃない。
ならばとるべき行動は、たった一つ。
「ジョブブ、ショミミ全力で逃げろ! 何とか時間を稼いで見せるから!」
「嫌で――」
「俺も――」
二人は即座に否定を口にしようとしたが、それ以上言葉を続けられなかった。
「このアイテムボックスを二人に託す。セグバクトインに戻って幸せに暮らすんだ、いいな! そして、町についたら俺の事を忘れて平穏に生きるんだ!」
残り三つとなっていたアイテムボックスの一つをショミミに投げ渡した。
二人は頷くと「い、いやっ! でも、か、体が勝手にっ! 言いたくない……忘れたくないの……ご無事を……祈ってます!」と叫び、振り返ることなく走り去っていく。
「おや、これは予想外だね。まさか、見捨てて逃げるとは。さっきはあれ程、抵抗していたというのに、恐怖に負けたのかな」
違うぞオール。二人は何を言われても、この場に留まるつもりだった。特にショミミの意思は固かった。
だけどな、俺が全力で放った『同調』にあらがえる訳がないだろ。
精神力の高さに加え『同調』レベル10。彼らに抵抗する術はない。どれだけ強い想いが意思があろうと、強引に捻じ曲げるぐらい容易だ――すまない、二人とも。
「達者でな、ジョブブ、ショミミ」
「追ってもいいのだけど、楽に通してくれそうにないね」
「ああ、倒せはしないだろうが、押し通るなら腕の一本ぐらいは貰っていくぞ」
レベルのかけ離れた相手との戦いは慣れている。殺せないまでも、相手の足止めと、手傷を負わせるぐらいは何とかやってみせる覚悟がある。
「おー、怖いね。ただの強がりではないみたいだ。彼らは諦めるとしようか。あの脚に追いつける自信もないし」
本気で走る二人の後姿は小さな点となっている。全力疾走の彼らに追いつくのは至難の業だ。
これで、オールに集中できる。
圧倒的な強者との戦い。怖いと言うより懐かしいな。
「土屋君。何故キミは笑っているのだい」
俺は笑っているのか? オールに指摘されるまで自覚していなかった。口元を意識すると確かに笑みを浮かべている。
「私との力の開きがわからないわけではないのだろう? あまりの恐怖に精神がふれたか、それとも開き直っただけなのか」
「いや、どっちでもない」
「ならば、もっと絶望しろ……私は圧倒的な力を得た神に手が届く男……敬え! 跪いて命乞いをしろ! 私が望むのは悲観に暮れた顔だ。笑みではないっ!」
情緒不安定なのかね。さっきまでの余裕はどうした。
「笑いもするさ。仲間を逃がすことができたのだから。それに……勝ち目のない敵を目の当たりにしたぐらいで、絶望するわけがないだろ。こんなの日常茶飯事だよ」
強がりではなく本心から笑って見せる。
オールは顔に血を上らせ真っ赤に染まっていた顔が、どす黒く変化していく。
「いいだろう……お前の顔が恐怖で歪む姿が見たくなった。絶望を与えてやろう! どう足掻いても助かる見込みのない、圧倒的な力を!」
オールが両手を振り上げると、地面のあらゆる場所にどす黒い水溜りが現れる。
数十もの黒い水溜りが一斉に水柱を上げると、そこから無数の魔物が溢れ出してきた。
魔物の体から無数の人間の腕が生えた一見蜘蛛の様なフォルム。
筋肉の塊にズボンを履かせ、体中に武器を突き刺し、顔には真っ赤な口しかない人型。
灼熱色の骨格標本。
体中から腐臭を放つ人間だったもの。
おぞましい容貌の魔物が俺を取り囲んでいる。
「実験体を直接送り込んでいる。在庫はまだ数万はあるぞ。さあ、抗ってみせろ! 絶望に屈せず戦えるというのであれば!」
狂ったように叫ぶ――実際に狂っているのかもしれないが。オールの喚き声をバックに俺は魔物へと突っ込んでいく。
「いい経験値稼ぎになりそうだ!」
怯えるな、強気で挑発しろ。あいつが二人の存在を完全に忘れるぐらい、俺に注目させるんだ。
そして、死ぬな。絶対に生き延びろ!
自分自身にそう言い聞かせながら、俺は斧を全力で振るった。




