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仲間

 全力で森の中を駆けている。

 耳元に風の鳴る音が聞こえ、俺の体が信じられない速度で木々の間を走り抜ける。

 張り出した枝が、体や顔にぶつかり裂傷を負っているが、そんなこと今は気にしている場合じゃない。

 ポイントがかなり近くなると、俺は木の上部に糸を伸ばし、体を枝の上へと持ち上げる。


「この先か」


 生徒手帳のポイントが一つ、そして後ろから九つのゴブリン反応がある。移動速度が思ったより遅い。それも、逃げているであろう転移者だけではなく、追いかけているゴブリンたちも、速度が出ていない。


「何故、追い付かれない?」


 もはや、速足で歩いているような逃げ方で、ゴブリンたちから逃げおおせるとは思えない。

 何かあるのか。警戒を緩めることなく、更に先の大木へ糸を巻き付け、俺はポイントへと近づいた。


「ここから、北東か」


 距離にして100メートルもないだろう。方角を確認して、その場所を見下ろす。


「いたっ!」


 紺色のジャージ姿の髪の長い、おそらく女性が地面に足を取られながら懸命になって走っているが息も絶え絶えで、歩いた方が速いのではないかと思うような動きだ。

 その後方――20メートルも離れていないだろう、ゴブリンの集団がいる。もう、見慣れてしまったゴブリンが九体。それに――


「ポイントに反応がなかった個体か」


 ゴブリンたちの倍は軽く超える、身長が5メートルは超えている大きなゴブリンがいた。『捜索』に反応がなかったということは、ゴブリンではなく、あれは上位種のホブゴブリンかもしれない――が、本当にホブゴブリンなのか?

 やせ気味のゴブリンと対照的な筋骨隆々の、ボディービルダーの大会で優勝できそうな身体つき。頭が大きく首も異様に太い。

 見るからに強そうというより、化け物と呼ぶに相応しい生物だ。

 懸命に逃げ続ける彼女の元に今すぐにも行きたいが、それは無謀すぎる。後ろから追いかけているゴブリンたちは、よくある展開ならば狩りを楽しむ為に、わざと逃がして追い詰めて遊んでいるという流れなのだが。


「ゴブリンたちは何で辺りを見回している? 俺に気づいたというわけではないよな。見るからに挙動不審なんだが」


 辺りをキョロキョロと見回しながら追いかけているので集中できないらしく、追う速度が落ちているようだ。

 どちらにしろ、俺がすべきことは彼女を逃がすこと。敵を倒すのが目的じゃない。注意力が散漫なら利用させてもらおう。

 彼女は後ろを振り返るのも怖いのだろう。前しか見ていない。


「ゴブゥッ!?」


 ゴブリンの先頭にいた二体が何かに躓き大地に転がる。

 後方のゴブリンがそれに巻き込まれ、更に二体転んだ。後ろからきたゴブリンに抱き起こされているが、これで少しは距離が開く。

 勿論、勝手に転んだわけじゃない。足首の高さに糸を張っておいた。

 それでも、こけただけなので仲間に支えられ直ぐに立ち上がる。最後尾の偉そうなホブゴブリンが指示を出しているな。

 早く追いかけろ、という感じか。っと、ゴブリンたちの追う速度が上がっている。

 焦って注意が散漫になったらいかんぞ。


「ギャブルゥゥゥ!」


 先頭集団の三体が今度は目元を押さえて、のたうち回っている。

 目の高さに三本ほど糸を通していたのが上手くいったようだ。木がこれだけあると、糸を張り放題だ。かなり目元から出血しているな、あの三体は戦線離脱だろう。これで、他のゴブリンもびびってくれたらいいんだが。

 ジャージの彼女は後方の叫び声に驚いているようだが、振り返らずに逃げてくれている。よしよし、そのまま、真っ直ぐ逃げてくれ。

 体力が限界に近いようだが、捕まらないでくれよ。


 ゴブリンの方は――おいおいおい。

 都合よくゴブリンたちが焦り恐怖し脚が止まっていたのだが、ホブゴブリンが足元に転がっていたゴブリンを


「踏みつぶしやがった……」


 脳みそと血を撒き散らした仲間の死体を見て、ゴブリンたちが我先にと再び彼女を追いかけ始めた。必死の形相が化け物としてのおぞましさを増している。

 走る速度がさっきとは比べ物にならない今なら、いけるか?


「ブゴッ、ルゥゥ!」


 今度は目でなく喉元に糸を張り、その糸にゴブリンの集団が引っ掛かった。

 『気』で強化された糸に全力でぶつかった瞬間、糸が何かに潜り込んだ確かな感触が手元に伝わってくる。

 俺はそのまま、糸を速攻で引き戻した。

 ゴブリンが五体、喉から血を吹き出し仰け反っている。

 首を落とせるかと思ったのだが、そうは上手くいかないようだ。少し喉にめり込んだ程度だったか。致命傷かどうかはわからないが、あれだけ血を流せば、もう追いかけるなんて不可能だろう。

 運よく糸から逃れた一匹は血を流す仲間と、後ろから歩み寄るホブゴブリンを見比べ、脇の森の中へと逃げ去ったようだ。


 ホブゴブリンは血を流すゴブリンたちを睨みつけると、進路方向にいるゴブリンを蹴り飛ばしている。

 中々の非道だ。弱肉強食の世界では当たり前なのかもしれないが。さて、こいつは諦めてくれるのか。


「ゴブルアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 うおおおっ! 何だ今の声! くそ、距離がこんなにあるのに、体の震えが止まらないぞ。治まれ、治まれ! 今は震えている場合じゃないだろっ。

 恐怖に身がすくみ木から落ちそうになったが糸を使い、体を固定させる。

 あれは『咆哮』スキルか。確かスキル表で見たな。近ければ近いほど効果が高いだったか、だとすれば。

 胸の奥底からせり上がってくる感情を押し殺し、唇を噛みしめジャージ姿の彼女へ視線を向ける。


 俺の足下付近まで来ていた彼女だったのだが、木の幹に抱き付き腰が抜けたのだろうか、懸命に立ち上がろうとしているのだが足に力が入っていない。

 間に数本木があり、ホブゴブリンの視界を遮っているので、あのまま動かなければ見つからない可能性もあるが。

 俺の希望的観測は木を揺らす大きな振動と、目の前の木々が数本倒れていく光景に打ち砕かれた。


「いやいや……これはおかしいだろ」


 ホブゴブリンが進路方向にある木に何度も拳を叩きつけ、豪快すぎる伐採方法で木々を倒している。

 ホブゴブリンってゴブリンよりちょっと強いだけの種族じゃないのか。このままでは、いずれ動けない彼女の上に木が倒れてくるか、視界が開けてホブゴブリンに見つかる可能性が高い。


「彼女を引き上げるしかないか」


 斜め前の木に糸を使って移動した瞬間――


『怖い怖い怖い怖い、やめて! 助けて! お母さん、お父さん、もう引きこもりなんてやめるから! 元の世界に戻してええっ!』


 女性の叫ぶ声が直接脳内に響いてきた。

 これは教室でも感じた声か!? 『精神感応』を使って直接声を届けているのか。ゴブリンたちが挙動不審だったのも、この声がずっと脳内に響いていたからなのか。

 この女性がみんなに罠を忠告しようとしていた人なら、人として信頼できる。益々、助けないとな。


『嫌だ、嫌だ、こんな世界! 誰か、お願い――えっ、えええっ!?』


 彼女の体に糸を巻き付け『糸使い』の力と筋力で引っ張り上げる。


『何何何!? どうなって――』


「ごめんちょっと、静かに。精神感応も切って欲しい」


 『咆哮』による恐怖と力を使い果たした体では暴れることもできないようだが、垂れ流しの『精神感応』が頭の中で大声を喚き散らしている。


「え、あ、はい」


 俺の顔を見た瞬間、彼女は急に大人しくなり『精神感応』も止めてくれた。

 足下には熊の口に足を突っ込むようなデザインの室内履き。これで走るのは辛そうだが、よく見るとハンカチのような物を詰め込んで、足の裏をカバーしているようだ。

 涙と鼻水まみれなので顔は良くわからないが、大人しそうな人に見える。


「こんな状況だから自己紹介は後で。今は音を立てないで、相手が通り過ぎるのを待とう」


 後ろから抱きすくめる状態で彼女に話しかけると、彼女は何度も頷いている。

 彼女の怯えたような反応とこの体勢から考えるに彼女は――人見知りか。さっきの脳に届いた声で引きこもりがどうとか言っていたしな。

 そんなことを思いながら、俺たちは静かに息をひそめ、ホブゴブリンが暴れて木々を薙ぎ倒す音を聞いていた。


 暫くそうしていると相手は諦めたらしく、遠ざかっていく後姿が見えた。

 贅沢を言うなら、ホブゴブリンの体に触れて『捜索』リストに入れておきたかったが、無謀すぎると流石に自重した。

 姿が完全に見えなくなると、まだ少し震えている彼女から手を放した。


「こんな不安定な場所で悪いけど、事情聴かせてもらっていいかな?」


「あ、はい、高いところ、は、平気、です」


 自分の顔がどうなっているのか気づいていないようだ。俺はハンカチなんて気の利いたものがないので、アイテムボックスから裁縫用の未使用な布を取り出し、手渡した。


「土で汚れているから、顔を拭いた方がいいよ」


「あ、はい、すみません」


 顔中から吹き出していた体液を拭った彼女の顔は、普通より少し可愛い寄りといった顔をしている。失礼な例えをするなら、クラスで5,6番目ぐらいに可愛いといった立ち位置が似合いそうだ。

 ただ、腰まである黒髪が艶もなくぼさぼさなのが勿体ない。異世界に来て手入れができなかったというよりは、元から無頓着なのだろう。

 それよりも気になることがある――目がうつろだ。あれだけの恐怖体験をすれば心神喪失になるのもわかるが、瞳に光が感じられないのが気になる。


「ごめん。先に俺から話した方がいいね。名前は 土屋 紅。つちや、でも、くれないでも、どう呼んでくれてもいいよ」


「あ、はい。あの、土屋さん、助けてくださって、ありがとうございました」


 不安定な枝の上で深々と頭を下げる彼女の体が、ぐらりと揺れたので糸で下半身を木に固定させておいた。


「え、あ、この糸は」


「スキルだよ糸使い持っていて、さっき貴方を引き上げたのも、この力だよ」


 腕から糸を伸ばし、手のひらの上に糸で猫の顔を描く。

 少しでも和んでくれたらと思いやったのだが、目の前の彼女は驚いたように目を見開いた後に、ほんの少し微笑んでくれた。


「その格好にスキル。あ、貴方も転移者なのですか」


「ああ、そうだよ。良かったら、貴方の名前も教えてもらえるかな」


「す、すみません! 私は 桜井 桜です。ええと、能力は、あの、その、ええと……」


 桜さんは体をもじもじとくねらせながら、何か言い辛そうにしている。まあ、人にスキルを見せるのは危険だからな。


「あ、いいんだよ。人にスキルを見せると危険だからね。信用できるまでは、迂闊に――」


「ち、違うんです! 土屋さんは信用しています! い、命を助けてもらったから!」


 そんなに身を乗り出して言わなくてもいいのに。顔がかなり近いぞ。この無駄にテンションが高いのは、感情が高ぶっているだけなのか。


「あ、す、すみません! あとえと、ですね。その、怒りません?」


「何の事かわからないけど、怒るなんてことはないよ」


「笑いません?」


「笑わない」


「がっかりしません?」


「しないよ」


「じゃあ、信用しているので、どうぞ」


 顔を伏せたまま、生徒手帳を手渡された。

 あまり有益なスキルを取らなかったのだろうか、生徒手帳を見せるのが恥ずかしいようだ。俺も人に自慢できるスキルじゃないので、気にすることは無いのに。

 そんなことを思いながら、生徒手帳をめくった。


 姓名 桜井さくらい さくら

 性別 女

 年齢 23

 身長 153

 レベル1

 残りポイント0P 


 23か。童顔なんだな二十歳にまだなってないぐらいかと思っていた。他に特筆すべき点は無いな。レベルは上がってないのか。ポイントは殆ど使っていると。ステータスはどれぐらい振っているのか。


 筋力 ( 6) 6 

 頑強 ( 5) 5

 素早さ( 4) 4

 器用 (20)20

 柔軟 (15)15

 体力 ( 8) 8

 知力 (14)14

 精神力( 5) 5

 運  (30)30


「お、おふぅ」


 思わず変な声が漏れてしまった。完全なインドア派だこれ。器用さと柔軟さと知力が高いのが目につく。ゲームなら魔法使いに向きそうなステータスだな。

 それに、この運の高さはなんだ。レベルで強化していないのにこの高さというのは、日本では凄く幸運な人生を送ってきたということか。俺の六倍あるぞ。


「運の値が凄いね」


「あ、はい。その、結構運が良くて、株やったら凄く儲かって、それでずっと家にいたから、その、力とかがなくて……」


 なるほど、納得のいくステータスだ。

 括弧内と数値が同じということは、続くステータスのスキルは――やっぱり、全部1しか取っていない。ステータスで消費したスキルポイントは90だけか。

 となると、スキルを充実させたタイプなのか、楽しみだな。


 『説明』2『精神感応』3『共通語(会話)』1


 ん? あれ、三つしかスキルが無いように見えるのだが。『説明』を外せば、たった二つ。それも、戦闘に使えるスキルはおろか、職人関係もない。ああ、有益なアイテムを所持しているのかな。

 アイテム欄には――何もない。もう一度、見返してみるが、スキル三つにアイテムなし。表示は変わらなかった。


 すっと顔を上げると、さっと目を逸らされた。

 すっと生徒手帳を掲げると、ぐりっと、首を九十度横に捻った。


「桜さん、スキルこれだけ?」


「ごめんなさい! これだけしか、ないんです!」


 糸で足を固定されている状態で、枝の上に上半身を投げ出し謝っている。

 あ、責めるような表情をしていたのか。ダメだな、相手を不安にさせるような顔をするなんて。


「いやいや、別に責めているわけじゃないんだよ。ちょっと驚いただけ。桜さんの『精神感応』って、あの時教室で聞こえた声と関係ある?」


「は、はい。出来るだけみんなに声が届くように、スキルポイントを限界まで振ったら、こんな事に。振りなおすこともできなくて、ポイントも全部使っちゃって。結局何の力にもなれなかった……けど」


 やはりそうだったのか。正直、直接的な戦力には期待できないが、どんなスキルにも伸び代がある筈。それに『奪取』スキルを所有する春矢のような相手より、信じられる相手の方が貴重だ。


「ええと、もしよかったら行動を共にしないかい?」


「え……はい?」


 余程、意外だったのだろうか目を見開いて、こちらを凝視している。意表を突かれた影響だろうか、虚ろだった瞳に光が少し戻ってきている。

 しかし、そんなに驚くことじゃないと思うのだが。


「あの、私、スキルそれだけしかなくて、役立たずで、足を引っ張ります! 確実に足引っ張ります!」


「うーん、まあ、確かに」


「ええっ! そこは、大丈夫だよとか優しく囁いてくれるんじゃ」


「事実は事実として謙虚に受け止めましょう」


「うううっ、土屋さん優しいのか厳しいのかわからない……」


 泣いている振りをしている彼女を眺めながら、これからの事を思案する。

 本心を言えば足手まといが増えたとしか思えないが、だからといって彼女を見捨てる気はない。それなら、始めから助けたりはしない。

 それに誰かと会話できるということが、こんなにも心の負担が減るとは思わなかった。殺伐した空気に慣れ過ぎていた、荒んだ心が少しだけ楽になった気がした。

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