町長
息を殺し闇に潜んでいる。
腕時計の短針は8の文字を指したばかりだ。
時間の感覚は日本と同じなので、この時間となると小さい子供はそろそろ眠りにつく頃だろう。特に異世界では灯りが不十分な家庭が多いようなので、就寝が早い傾向があるようだ。
ただ、それは一般的な市民の生活であり冒険者という一線を越えてしまった人々にとって、夜はこれからと言った感じだ。
実際、冒険者を狙った幾つもの飲食店から煌々と明かりが漏れ出ている。飲食店だけではなく、如何わしい店の前でも忙しそうに客引きをする店員らしき人影が見える。
そんな街並みを三階建ての集合住宅の屋根に寝そべった形で眺めていた。
「そろそろ、来る筈なんだが」
『隠蔽』『気』を同時に発動し、念の為に『偽装』で闇に溶け込む。
ここまですると、俺の存在は空気と等しくなるようで、街の灯りを目指している虫や夜行性の動物が俺にぶつかることも多い。
この屋根は猫の通行路らしく三匹もの猫が俺と衝突したのだが、不思議そうに辺りを見回して、俺と目が合っているのに存在に気づかず走り去っていく。
この状態なら気づかれることは無いだろう……Bランクの彼女たちにも。
結局俺は彼女たちに打ち明けることは無かった。能力としては申し分ないのだが、何かを切っ掛けにぽろっと情報を漏らす可能性だってある。
それに、町長は魔族だ。相手の心を読むスキルが無いとは言い切れない。『精神感応』で心を読むのは不可能に近いが、似たようなスキルがあれば話は別だ。
なので、俺は一番口の軽そうな逆毛の少年から『同調』を利用して、会合の場所を聞き出し、こうやって待ち構えている。
「ジョブブとショミミは寝たかな」
バッタ族は夜弱いらしく、寝る時間が異様に早い。我慢すれば徹夜も可能なのだが、日頃は20時を過ぎた頃には爆睡している。
俺が抜けだしたことを知れば心配して跡を付けてくる可能性もあったので、今日ばかりは夕食の飲み物に『昏睡薬』を仕込ませてもらった。今頃熟睡していることだろう。
「っと、来たかな」
少し離れた場所の一際立派な建物の入り口前に、ドレスやタキシードを着込み、めかしこんだ四人の姿が見える。
身体能力の向上によりこれだけ距離が開いているというのに、その姿をはっきり捉えていた。ただ、流石に会話内容は聞こえないが。
「あの、女性でいいか」
扉前で恭しく頭を下げる女性がいる。肩下まで伸びた黒髪が波打って――確かああいう髪型をソバージュというのだったか。
何というか派手な女性だ。血のように赤い口紅に、スリットが深く入った真っ赤なドレス。そんな目立つ女性の脚に糸を絡ませる。もちろん、人の目で確認するのが困難な極細の糸だ。
様子を窺っている最中も見張りの男達に指示を出していたので、それなりに地位の高い人だろう。町長の秘書や側近の可能性もある。
動きは素人のようだったから大丈夫だとは思うが……気づくなよ。
糸の先につながっている女性を意識して『同調』を発動させる。
――本日は、ようこそおいでくださいました――
落ち着いた感じの女性の声が聞こえる。
「本日は呼ばれて……じゃない、お招きにうけた……じゃない、お招き与り、誠に……なんだっけ」
逆毛のしどろもどろな声が、まるで目の前で話しているかのように鮮明に聞こえる。
よっし、聴覚は成功だな。更にもう一つ。
目を閉じ大きく息を吐くと、瞼を開けてもいないのに暗闇が消え去った。
俺の目には緊張で背伸びをしているかのような格好の逆毛。いつもより豪華な装飾が見える法衣を着こんだドルニが肩を叩き、ため息を吐いている。
視覚も問題ない。聴覚視覚の同調は上手くいった。今、俺は赤いドレスの女性の感覚を共用している。『同調』スキルが上がったことにより手に入れた新たな力。
この調子で彼女から五感の二つを共用させてもらおう。
「皆様、こちらへどうぞ」
これは、同調している女性の声か。
赤い絨毯が敷かれた長い廊下が見える。脇に扉が一切ないな。目的の部屋まで一方通行だとすると、いざとなった場合逃げるのが難しい。
女性の目は先に向いているのみで周囲を見回すこともない。
しかし、この通路は本物なのだろうか。幻覚や何かではないかと疑いたくなるぐらいに、通路が長すぎる。
暫く歩き続けると、白い一枚の扉が見えてきた。
飾り気のない表面がつるっとした扉には、どす黒い血管が浮き出たようなデザインのドアノブがある……かなり、悪趣味だな。
女性が扉を開けると、そこは白の世界だった。
床、天井、壁の全てが染み一つない白で統一されているだけではなく、長机や椅子、その上に並べられた燭台や食器類までもが白で揃えられている。
「いつまでも突っ立っていないで座ったらどうだい」
入り口から一番遠い席に座っている男が目尻を下げ、穏やかに微笑んでいる。あの男が声を発したのだろう。
「町長、チーム焔の皆様をお連れしました」
「ご苦労だったね」
あれが町長か。
髪を後方に撫でつけ何か整髪料で固めているようだ。頬がこけて目の下には隈があり、不健康そうな顔をしている――っておいおい、この顔……知っているぞ。知力ステータスのおかげで見間違えることは無い。一度、会ったことのある人物だ。
冒険者ギルドで能力の検査をした時にいた――オールさん。彼が町長だったのか。
ということは、能力検査の際に自ら調べて、目ぼしい人材を探していた。そして、目をつけた冒険者が育つのを待って収穫する。合理的ではあるか。
気が利く優しい人だと思っていたのだが、あれは芝居だったのか? それとも、地下迷宮の仕組みを考え出したのは、全くの別人とでもいうのだろうか。
「よく来てくれたね。畏まらなくていいから、楽にしてくれ。今日は一市民として君たちのBランク昇格を祝いに来たのだから」
柔和な笑みに、上から目線ではない穏やかな対応。
迷宮と町の仕組みに気づいていなかったら、オールさんに対する好感度は益々上がっていたことだろう。自らの身分を隠して冒険者ギルド内にてお忍びで仕事をしている、庶民派の町長だと。
「お初にお目にかかります。私はチーム焔のリーダー。ドルニです。本日はお招きに与り、感謝の言葉もありません」
逆毛に対応を任すのは危険だと判断したのだろう。位が高い聖職者と言う立場上、こういった席は慣れているみたいだ。様になっている。
「堅苦しいのは抜きにしてくれ。さあ、座った座った」
恐縮しながら席に着く、ベルミケ一同を眺めながら、さっきのやり取りに疑問が生じていた。ドルニは確か「お初にお目にかかります」と言っていた。
彼らの態度を見る限り、町長であるオールとは初対面のようだ。ということは、彼らの能力検査の時は担当が別だったということになる。
俺の時だけたまたまオールが担当になった……可能性はあるだろう。だが、それを偶然と言えるほど、今までの人生は甘くなかった。
オールは何らかの理由があり俺を調べた。もしくは、事前に俺の情報を得ていて調べる役目を買って出た。こっちの方が可能性は高そうだ。
この疑問が正解だと仮定して、だとしたら情報源は誰だということになる。
俺の実力を知っているものは、ジョブブ、ショミミ、実際には見ていないが蟷螂団、バッタ族の面々。あとは、ゴキブリ族の兵士もそうだが、あれは卑怯に見える手を使って勝ったので実力は見抜かれていない筈。
村の生き残りの人々も詳しくは俺の実力を知らない。
その全てを考慮して一番可能性が高い相手は……悪魔キルザールか。あいつはこの町を勧めた。そして、事前に町長であるオールへ俺の情報を流しておけば、何か面白いことが起きるだろうと期待していた。
何だろう、ただの予想なのだが、妙にしっくりくる。当たって欲しくはないが、一番可能性が高そうだ。だとしたら、俺の能力が見抜かれていて泳がされているということになる。
……最悪の展開だ。
「そうかそうか、キミたちの活躍は私の耳にも届いているよ。Aランクもそう遠くないうちに達成できそうだね。最近は勢いのある新人が少なくて、キミたちのような冒険者が台頭してくれるのは、とてもありがたいのだよ。後輩の励みにもなるからね」
「ありがとうございます」
思考の海に深く潜り過ぎていて、話を聞きそびれていた。
確信が無い妄想に近い予想を立てるよりも、今は彼らから情報を収集するべきだ。集中しないとな。
意識を戻すと、目に映る光景に変化があった。どうやら、ドレスの女性がドア付近から移動したらしく、今は町長の斜め後ろに陣取っている。
背後から見る町長は痩せた迫力のない姿。何処にでもいそうな痩せ形のひ弱な男だ。
一対一で戦ったとしても、負ける要素が無いように思える。だが、魔族であるなら闇属性の魔法に長けているということ。それは、サウワが操っていた闇魔法とは比べ物にならない威力と精度なのだろう。
相手の強さが測れない分、底知れない怖さを感じてしまう。
「次にBランクに到達する冒険者は何時出てくるだろうか。今のところCランク冒険者チームは伸び悩んでいるようだから、暫くは無理な話だろうか」
「いえ、町長様。おそらく、思ったよりも早いうちにBランクへ到達する冒険者チームが現れると思われます」
町長にそう話しかけたのはベルミケだった。
あ、嫌な予感がする。
「ほう、期待のチームがいるのかい。是非教えて欲しいね」
「少し前にDランクになったばかりですが、土屋、ジョブブ、ショミミという三人組のチームが」
「ほ、ほう……彼らか。私も小耳には挟んでいるよ。ねえ、リンオミくん」
そう言って、町長が意味ありげな視線をこちらに向けた。一瞬自分を見たのかと身構えてしまったが、今は赤いドレスの女性の視線を共有しているのだ。
町長が見たのは俺ではなく、この女性。それはわかっているのだが、あの目が何もかも見透かしている様に感じてしまう。
「はい、受付で一度も戻らずに五階層突破したと聞いたときは耳を疑いました。期待の新人ですよ」
え、この女性は冒険者ギルドの受付をしているのか。この声に聞き覚えは無いのだが。
「もしかして、貴方、総合受付を担当している三つ編みの……リンオミ?」
「あれ、気づいていなかったのですか。はいそうですよ」
「うっそ!? でも、貴方って地味目で大人しくて、そんな派手なドレス」
「似合っていません?」
「う、ううん。見違えた。とっても似合っているわよ」
女性同士の会話を唖然としたまま聞いていた。
えっと、このスリットが深く入った真っ赤で派手なドレスを着た女性が、あの受付で俺を担当してくれた委員長タイプの職員なのか。
女は化けると言うが、遠目で見ていたとはいえ全く気が付かなかった。声にも聞き覚えがなかったのは、自分の発する声は自分で認識している声と、実際に他人が聞こえている声とは違うからか。
録音した自分の声を初めて聞いたときは、本当に自分の声だと信じられなかった経験は誰にでもあるだろう。
「そうか、ベルミケくんたちが太鼓判を押すのなら間違いないだろう。ランクを上がってくるのを楽しみにしているよ……土屋君」
最後に囁くような声で俺の名を呼びやがった。
その視線は真っ直ぐにリンオミの瞳を捉えていたが、あれは彼女を見ているのではない。視線の行き先は、その先にいる俺だ。
背中と手の平が冷たい汗でべっとりと濡れているのがわかる。
俺の能力を把握して見抜いているのか、何かしらのスキルで俺の存在を察知しているのか。あの検査装置が優秀で隠しておいたはずのスキルが全て晒されてしまった。と考えるべきだな。
これは『同調』を解除して、ジョブブ、ショミミを連れてこの町を離れた方がいい。
「っと……ここだけの話だが、この町から出ない方がいいと思うよ。少なくとも明日までは待った方がいいと思うな」
彼女の耳に口を寄せ、意味ありげなことを口にした。
どういうことだ……ただのハッタリと取りたいが、何の根拠もなく口にしたとは思えない。
「これだけじゃ困るよね。逆に考えてみたらどうだろうか。キミが私なら、どうやってキミを足止めできる? キミは知恵が回るみたいだから、わかるんじゃないかな」
「あの、町長様。何かありましたか」
「あ、すまない。彼女とちょっと相談事があってね」
何かを話しているようだが、言葉が耳に入ってこない。
俺が逃げ出せないようにするには何をすればいいのか。ジョブブ、ショミミの身柄を確保するのが一番。今は『昏睡薬』で熟睡している。連れ去るのは簡単だろう。
だが、それぐらい俺だって考慮している。扉や窓といった出入り口には糸を張り巡らせ、念の為に二人にも糸を絡ませている。
そして、糸は俺の手首に巻き付いていて、異変があればすぐにわかるようになっているが、今のところ何の動きもない。
となると、何だ……俺が見捨てることができないような……存在……まさかっ!?
リンオミへの糸を切断すると、俺は屋根の上を全力疾走で駆けていく。
俺の踏み込みにより老朽化している屋根が陥没しているが、今はそれを気にしている場合じゃない。
確か、この場所からだと10分もかからない筈だがっ、俺の考えが杞憂であってくれ!
幾つもの屋根へと飛び移り、届かない距離は糸を絡ませ、一直線に目的地へ向かう。
途中、何度か壁面や木々の枝にぶつかるが、少々の怪我は後で治せばいい!
一秒でも早く、あの場所へ!
予想よりも、かなり早く着いたはずだ。俺は葉や枝が髪や服に絡まった状態で、とある大きな一軒家の前に立った。
その家は真っ暗で灯りが漏れ出ていることもない。
異世界ではこの時間に寝るのは当たり前。何らおかしなことではない。そう、当たり前の光景だ。
意を決して扉を強く叩く。
「夜遅くにすみません、土屋です!」
返事はない。気を全力で放出して気配を探るが、建物内から気を感じることは無い。
一度深呼吸をしてから、ドアノブを捻る。
静かに開いていく扉の先には、大きなホールがある。灯りは無いが『夜目』のスキルがあるので問題なく室内の光景を見ることができる。
民家には不釣り合いなカウンターがあり。まるで食堂のような丸テーブルや椅子も並んでいる。そして、人は誰もいない。
「すみません、土屋です! 誰かいませんかっ!」
静まり返っていたホールに俺の声が虚しく響く。
これだけの大声を出せば、嫌でも誰か一人ぐらいは気づくだろう。
だが、物音一つ返ってこない。
まだだ、まだ諦めるには早すぎる!
住居として使っている二階に駆け上がり、階段付近の扉を開け放つ。
「誰かっ!」
ベッドと机。それに衣装ダンス。それだけのシンプルな部屋には誰もいない。
「まだだ!」
隣の部屋も無人。更に隣、その次、続いて……。
全部の部屋を調べ終わってしまった。誰も、人っ子一人この家には存在しない。
「くそったれがっ!」
壁に拳を叩きつけるが、それで何が変わるわけでもない。
この元宿屋にいるべきはずの、共に逃げ延びてきた村の生き残りは誰もいない。
無邪気な笑みをいつも浮かべていたマッシーも、豪快に笑う母親も、控えめな父親も誰一人として見つからない。
「くそっ、くそっ……くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
また、俺はまた、周りの誰かが不幸になるのを、ただ見ているだけなのか……違う、違う! 今の俺には力がある!
必ず助け出して見せる!
開けっ放しの扉から飛び出し、一目散に町長やベルミケのいた、あの場所へ向かった。