Dランク
「じぃねえぇぇぇっ! おばえぼおぉぐるじぃべぇぇ!」
最早何を言っているのかもわからない魔物の絶叫が重なり、不快な騒音となり俺の耳へと届く。
蜘蛛を連想させる細長い腕が石床や通路の壁、天井に伸び、指先がめり込んでいる。
様々な感情を浮かび上がらせている無数の顔。
その視線が全て俺に集中している。
異様に長い腕が八方から俺を掴もうと伸びてきた。
上、右、左がほぼ同時。下から掬い上げるように二本。少し遅れてあと三本か。
俺に向けられた手が救いを求め、懸命に生者へしがみつこうとしているように見えてしまう。
全ての腕と指が別の意思を持つ生命体のように、俺を目掛け襲いかかってくる。
最小限の動きで余裕を持って躱していく。紙一重で避けるのも可能だが、俺はそんな危険を冒したくない。
紙一重で躱すことはデメリットがある。何か不意のアクシデントが発生して動きが急変した場合、対応が間に合わずに攻撃を喰らってしまう。どんな状況であっても余裕は残しておくべきだ。
屈みこみながら、少し前に出る。頭の上を通り過ぎていった腕の手首に、糸を巻き付けておくのを忘れない。
一本、二本、三本と攻撃を避ける度に相手の手首に糸を巻き付けていく。
全ての腕に糸を巻き終わると、『韋駄天の靴』の力を発動させ、一気に後方へと退き距離をとった。
懲りずに掴みかかってくる腕を全て縛り上げ、一つに纏める。高級ハムのように糸で雁字搦めになった全ての腕が、俺に届く寸前で地面へと力なく横たわる。
俺は腕の上へ飛び乗り、それを足場にして疾走する。腕の付け根には、攻撃手段を失った幾つもの顔が表情を失い、ただ俺をじっと見つめていた。
斧を振り上げ一切の迷いもなく体重の乗った一撃を、顔が連なる球体へと叩きつける。
刃が突き刺さる寸前、視界の隅に安堵の表情を浮かべる彼らの顔を見た。
熟れた果実を切るようにあっさりと真っ二つに割れた魔物は、切断面からどす黒い靄を吹き出し、その姿が消滅していく。
完全に消える直前、俺は『捜索』リストに魔物を登録する。
実験体623845――それが魔物の名前だった。
「彼らは消えるのか……」
ミノタウロスもどきの実験体は、他の魔物と違い死体が残っている。だが、この魔物は実験体でありながら死体は消えている。
何の違いがあるというのか……考えるだけ無駄だな。情報が少なすぎる。
この町に来てから問題が山積みだな。やるべきことが多い。
桜を助ける情報への近道を選んだつもりが、回り道をひたすらに進んでいるような。
だが、ここまできて、全て見なかった振りをして冒険者を呑気に続けるわけにはいかない。
冷静に割り切れないのは、いつもの事。それに情報を得るのは何よりも優先すべきだ。
「さあ、帰ろうか地上へ」
言葉を失い呆然自失といった二人へ声を掛け、俺は帰路についた。
扉を潜り六階層に足を踏みいれてから、地上への転移装置を発動させ、俺たちは無事迷宮の入り口に戻った。
扉の真ん前ではなく、少し脇に送られている。そうしないと、入る者と鉢合わせになってしまうからか。
「お、あんたたちは二週間ぐらい前に入っていった新人冒険者か。てっきり、死んだものかと思っていたぞ」
「まあ、何とか無事に帰還しました」
「そうかそうか。無事で何よりだ。命あっての物種だからな。良く戻ってきたな」
入るときは素っ気ない態度だったのだが、あれは死が隣り合わせの冒険者と、あまり親しくならないように心掛けていたのかもしれないな。
俺たちは衛兵に頭を軽く下げ、冒険者ギルドに向かうことにした。
迷宮は町の北東部、外壁付近にある。周辺には病院のような施設があり、迷宮で傷ついた冒険者を癒してくれる。
瀕死の重傷で担ぎ込まれる冒険者も多く、施設のスタッフにはかなり優秀な神聖魔法の使い手もいるそうだ。お世話になる日が来ないことを願いたい。
「冒険者ギルドに着いたら、俺たち何ランクになるのか!」
「五階層まで行ったから、DかEだって話だったけど……どう思いますか、土屋さん」
「Dは確実だと思うよ。一度も帰還せずに五階層まで踏破は初みたいだから」
むしろ、そうなってもらわないと困る。Dランクを得る為にやってきた、この行為が無駄になってしまう。
今は、ランクを一気に上げる危険性も考慮しているが、それはまだ大丈夫だろう。Cランクに達したら対応策を考えないといけないだろうが。
「そろそろ、ギルドですよ」
かなり長く考え込んでいたようだ。迷宮からそんなに遠くないとはいえ、もう着いたのか。
ギルドの入り口を通り抜けると、相変わらず整理整頓が行き届いた、役所のようなホールが俺たちを迎えてくれる。
「すみません、迷宮から戻ってきたのですが、五階層到達の報告は何処にすれば?」
前回と同じく、委員長風職員のいる総合受付のカウンターで問いかけた。
「お久しぶりで……五階層到達!? え、まだ二週間も過ぎていませんよ!」
委員長風が大声を出すので、ホール内にいる職員や冒険者の視線が集中する。
少し前なら、この展開は望むところだったのだが、今はあまり目立ちたくない。後の祭りだが。
「二週間経ってなかったのですか。ずっと迷宮にいたので日数が良くわかっていなかったのですよ。それで報告はこっちで構いませんか?」
「え、あ、はい。そうですね。これからは階層を更新する度にこちらにいらしてください。ギルドカードをお願いできますか。後ろのお二人も」
「はい、どうぞ」
二人から受け取った二枚を合わせて三枚、手渡す。
「お預かりします。このカードを、ここの機械に通しますと、到達階層の確認ができます……本当だ……それも、一回も戻らずに……」
感嘆の息を漏らしている。やはり、一度も戻らずに五階層突破はかなりインパクトを与えるようだ。
周囲でこちらを観察して、聞き耳を立てている冒険者たちの気配が揺らいでいる。あれは、動揺した時の反応だな。
「おいおい、マジか」
「今まで、いたかそんなやつ……」
「俺は聞いたことないぞ」
声を押し殺して騒めく声が、微かにだが流れてくる。
狙い通りの展開なんだが、今は素直に喜べない。
「ええと、レベルの更新もしておきますね。ステータスも後で確認しておいてください」
と言っても、ギルドカードに直接記載されているわけではない。ギルドカードを握り、念じると頭に数値が浮かび上がる。当人しか使えない機能なので、他人に覗き見される心配もない。
他にもギルドカードには様々な機能がある。貯金通帳としても使えるらしく、ギルドの受付で頼めば24時間振込、引き出しが可能となる。
やはり、このギルドカードの能力は古代文明を利用した物とのことだ。
それに加え、ギルドカードには別の価値もある。この町では冒険者は優遇されているらしく、カードを提示するだけで飲食や雑貨、医療費までも割引となる。
ランクが上がれば上がるほど割引額が上がり、Aランクになれば1割程度の負担で済み、差額はギルドが支払をしてくれるという、至れり尽くせりの対応だ。
なので、住民の中で腕っぷしに自信がある者は、冒険者になるというのが当たり前の認識になっている。
「お二人は順調に上がっていますね。土屋さんは……ええと、頑張ってくださいね!」
うん、労わる心が見える優しい笑顔だ。
まあ、このレベルまで達すると、そう簡単にレベルは上がらないのは重々承知している。五階層の門番は中々の実力だったようだが、99に到達するまでの経験値は保有していなかった。
「おお、レベル上がっているぞ! ステータスも伸びているな」
「あ、私も上がっています! なるほど、こんな感じに強くなるのですね」
ジョブブたちはギルドカードを見て一喜一憂している。強さが数値として見えるのは、自分の成長が実感しやすいからな。良くわかるよ。
「それと、三人ともおめでとうございます。五階層を無事攻略されましたので、本日からDランクとなります!」
満面の笑みを浮かべ、大きく拍手をしてくれている。
それは委員長風職員だけではなく、ホールにいる大半の職員が呼応するかのように手を打ち鳴らしていた。
「おお、Dランクか! おめでとうさん!」
「脅威の新人だな! リーダーに連絡しとかないと」
「やるじゃねえか、若いの!」
更に冒険者たちまでもが歓声を上げている。
想像以上に盛り上がりに、俺も二人もただ頭をぺこぺこと下げるしかできないでいた。
「ちょっと大袈裟じゃないですか?」
「そんなことはありませんよ! ランクが上がった人はその場で祝福するというのが、ギルドの決まり事ですから。それに一気に3ランクアップなんて前代未聞です!」
喝采の声を浴びながら、俺の心境は複雑だった。
夢に見ていた、小説の主人公的な立ち位置に俺はいる。
だが、素直に喜ぶことができない。地下に漂う不穏な空気を知った今は、目の前にいる受付も他の職員も冒険者にすら、手放しに信じることは出来ず、疑いの眼差しを注いでしまいそうだ。
「どうしたのですか、土屋さん」
「何か、顔色優れないぞ、どうした」
心配そうに俺の顔を覗き込んでくる二人。俺が今、全く疑うことなく信じられるのは、この二人ぐらいだろう。
「何でもないよ。まだ、昼だし、お互い自由行動にしようか。夜に落ち合うのは前に利用させてもらった、夢追い亭にしよう」
この気恥しい空間から早く逃れたかったので、二人の返事も待たずにギルドの外へと飛び出した。
あのまま、ギルド内にいたら勧誘されそうだったな。
今後、そういった誘いが増えてきそうだが、暫くは三人で潜ることにしよう。何処かのチームと一緒に迷宮探索もありだが、その場合も三人が一緒という条件を付けるか。
「わかったぜ。んじゃ、街の散策でもすっかな。ショミミはどうするんだ?」
「あ、あの、土屋さんは、今後のご予定は……」
「ちょっと、情報収集をしてくるよ。色々と調べたいことが増えたからね」
「そ、そうなのですか」
ここで気の利く男なら「一緒に町を巡ろうか」ぐらいは言えるのだろうが、すまないな、ショミミ。俺にそういう期待はしないでくれ。
二人と別れ、俺は人気の少ない路地裏に入ると着ている服を脱ぎ、以前購入しておいた町で一般的な服装に着替える。
そして、『偽装』を発動させて、印象に残りにくいが相手に警戒されなさそうな、温和な青年の姿に化ける。
「さて、情報収集を開始するか」
戦闘用のスキルはあれだが、俺の本領発揮はこっちだ。『偽装』『同調』『精神感応』を活用させて、集められるだけ集めておこう。