生きるということ
村の一角が完全消滅した。
大地は荒れ果て、屋敷は基礎から吹き飛んでいる。
地面は幾つも大きく穿たれ、草木は存在せず、代わりに巨大なクレーターができあがっていた。
たった、5分の攻防とは思えない惨状だ。
「ふふふふふ、あははははははっ!」
心底嬉しそうに高笑いを続けているキルザールを前に、俺は爆発しそうな心臓の鼓動と、荒い息を抑えるのに必死だった。
首の皮一枚で何とか生き延びられた。いや、生かされただけか。
「まさか、本当に5分耐えるなんて! 一体全体どうやったの?」
「タネは……明かさないから……面白い……んだよ」
話すことすら苦痛に感じる。気を抜けば今にも意識を失う。
アレはまだ5分が限界か。実戦投入には、まだ早すぎる。
「それもそうね。うんうん、人生……悪魔生に楽しみが増えたわ。土屋紅。その名前覚えておくわね。あの腐れ外道が人間に倒されたら……くくくくっ、どんな顔するのかしら。本当に楽しみよ」
やはり、女神をかなり毛嫌いしているようで、悔しがる姿を想像してほくそ笑んでいる。
「それでも、まだまだ力が足りないわね……うん、そうね。貴方、魔族が治める町に行かない? 人間も沢山住んでいるし、あそこの迷宮はレベル上げに向いているわよ。私としては、強くなってもらった方が楽しいし」
この提案はどう受け取るべきか。魔族が治める町というのは医角が冒険者として活躍していた町のことだろう。
純粋な善意からの言葉……とは思えないよな。医角を騙して利用していた悪魔の言うことを真に受けるのは、危険なんてレベルじゃない。
だが、今のところ明確な目的はまだない。この誘いに乗るというのも、ありなのか。
「あれー、いい提案だと思ったんだけどなー。でもさ、悩む必要はないと思うけど。だって、ここの生き残りを見捨てるなら構わないんだけどー、もし助けたいと願っているなら、その町ぐらいだと思うわよ。人間を受け入れてくれる場所は」
「……生き残り?」
「あっ、ごめんなさい。言い忘れていたわね。私が降臨したことにより、この村に漂う闇の魔素が活性化して、闇属性の魔物が湧き出てきているのよ。みんな無事だといいわねー」
「なっ!?」
迂闊だった。こいつだけじゃなかったのか!
軋む体に鞭を打ち、どうにか『気』を張り巡らせるが、近くに村人の気配は感じられない。
「あ、でも、安心して。何人かは生き残ってみるみたいよー。全滅しなくて良かったわね。それからー、私を恨むのはお門違いよ。私が命令したわけでもないし、召喚したのは医角なのだから」
それはただの詭弁だろ。そもそも、その医角を操っていたのはお前だ。
少しは話の通じる相手かと思いかけていたが、所詮、悪魔は悪魔か。
憤りを覚えるが、それを顔に出すわけにはいかない。今は、相手の気まぐれで生かされているに過ぎない。卑屈であろうが、今は生き残ることが最優先だ。
「で、どうするの? 魔物はもう帰らせたけど、生き残った村人は見捨てる? それとも連れて行く? 見捨てるなら、処分しておいてあげるけどー」
正直、村人に思い入れはあまりない。ただ、マッシー一家にはある。
他の村人も操られていただけで、転移者である医角が全ての元凶なのは確か。
だが、それを説明できる証拠もなければ、自供もできない有様だ。
俺が説明したところで昆虫人は誰も納得しないだろう。
「見捨てられればどんなに楽か……」
自分で口にして虚しくなる。
冷静に切り捨てられる性格ならば、バッタ族に手を差し伸べることは無かった。贄の島で桜も見捨てることができただろう。
それができなかったから、俺は今こうして、ここにいる。
結局、俺にはその町に向かうという選択肢しか残されていないのか。
我ながらMなのかもしれないな。自ら苦労を率先して背負うなんて。
「そうだな。その町に行くか。村人を連れて」
「うふふ。それがいいわよ。さってとー。楽しみも増えたことだし、また違うところで悪巧みしてこようかしら。次に会う時までに強くなってなさいよー。じゃあねぇー」
キルザールは大きく手を振りながら、そのまま空へと登っていく。
よく見ると、その背には黒い羽が生えている。両翼は優雅に羽ばたきながら、まるで空で踊るように軽快な動きを見せると、そのまま闇夜へと消えていった。
「見逃してもらえたか……」
倒せるなら倒しておきたい相手だったが、そんな余力はない。
生き残りの村人を確認しておきたい……念の為に、マッシーの家は破魔の糸を巻き付けておいて良かった。破魔の糸があれば、低級の魔物は寄りつけない筈だ。
問題は、他の生き残りだが……ダメだ、意識が朦朧と……。
揺れる視界の中、俺はアイテムボックスから傷薬を幾つか取り出すと『傷薬。自由に使って』と走り書きのメモを残し、意識を手放した。
ガタガタとお世辞にも心地よくない震動が、俺の体を上下に揺らしている。
荷台から仰ぎ見る空は雲一つない晴天。
日本ではご無沙汰だったが、異世界に来てからは珍しくもない新鮮な草の香りが、鼻孔をくすぐる。
「お目覚めですか、土屋様」
「あ、起きたんだ! 土屋兄ちゃん!」
初めの穏やかな声は、洗脳されていた村長の娘か。
元気すぎるのはマッシーだな。
俺は体を起こすと、荷台にいる村長の娘とマッシーに視線を向ける。
白のワンピースは一か月もの旅の間にかなりくたびれているが、それでも清楚な彼女には似合っている。金髪の長い髪に少し垂れ目気味だが、充分美人と呼べる顔つき。
あの村での騒動が無ければ、恋愛と生活に不自由しない人生が送れたことだろう。
「どうかしましたか?」
まじまじと相手の顔を見過ぎていたようだ。
「いや、あの一件が無ければ、村長の娘として、それなりの生活が約束されていたのにと、ふと思ってね」
「そうですね。ですが、こうやって生を拾えたのです。贅沢を言っては罰が当たりますわ。父や多くの村人が無残にも魔物に殺され……」
数少ない生き残りの一人である村長の娘はその場面を思い出したのだろう。俯き肩を震わせている。
あの日、俺が意識を取り戻したとき、周辺には生存者が集まっていた。
傷薬を使って助かった者もいて、感謝されたのを覚えている。確か、村長の娘もその一人だったか。
結局、あの戦いが終わり生き延びた村人はマッシー一家三名。村長の娘、道具屋の夫婦、名も知らない村人四名。総勢、10名だけだった。
百名近い村人の約一割しか助けられなかったが、この成果に満足するしかない。
俺がもっと強ければ、上手く立ち回れば、と後悔していたらきりがない。本当は全滅の危機だったものを、これだけ救えたことを喜ぶべきだ。
だが……。
「まさか、女神だと信じていた者が悪魔で、医角に洗脳されていたなんて……本当に土屋様には何てお礼を申し上げれば」
「うんうん。みんなが死んだのは悲しいけど、父さんと母さんと一緒にいられるのは、土屋兄ちゃんのおかげだもん。ありがとう!」
感謝の言葉を聞く度に、純粋に嬉しいと思う気持ちと、心の中にくすぶる納得のいかない思いがせめぎ合う。
平常時は思い出し後悔する事はないのだが、少し心に余裕ができると、色々と思い出して考え込んでしまう。
「なーに、暗い顔しているんだい! 人はいつか死ぬもんだからね。生きているもんができることは、死んだ人の為にも長生きするぐらいなものさ!」
「墓守をしていると、人の死を身近に感じてしまうのですよ。本来なら、涙の一つも零し、嘆くべきなのでしょう。ですが、それは死者の為になりません。残った者は生きなければならないのです。死者を想うのはいつでもできます。それこそ、生を全うした、死の間際でも構わないのですよ」
荷台の隣を歩いていたマッシーの両親も会話に加わってきた。
「父さん、何言っているかわかんないよ」
「ごめんごめん。どうも回りくどくなってしまってね。いつも、村人から話が長くて意味不明だと言われていたよ」
「つまり、くよくよする暇があるなら、死んだ人の分も一生懸命生きたらいいってことよ!」
豪快に笑うマッシーの母が、俯き気味の父親の背を叩き、叩かれた側は顔をしかめながら、ごほごほと咳き込んでいる。
彼らなりの励ましに少しだけ気が楽になった。
オーガの戦士たちが多く亡くなったあの戦いもそうだったが、未だに死というものに慣れない自分がいる。それは人として無くしてはいけない大切なモノ。だけど、この異世界では枷になりかねない。
いつか、雑草を踏むように何の感慨も抱かずに、人の命を刈れる日がくるだろう。それは、強くなる為の大きな一歩でもあり、人として何かを捨て、人ではない何かに変わる日なのかもしれないな。
「そうだな。今を生きる。後悔したところで時間が巻き戻るわけでもない」
「おう、そうだぜ! 生きているんだ、人生楽しんだもの勝ちだろ! なあ、ショミミ」
「ジョブブ兄さんは考えが無さ過ぎです……」
大八車を引いているジョブブとショミミにも聞こえていたのだろう、脚を止めることなく振り返り、会話に乱入してきた。
「二人ともいいのかい? 折角、落ち着ける場所を手に入れたというのに」
「いいんだって。みんなは無事、町で住むことができたし、後のことは全部ブールルに任せてきたからな!」
丸投げされたブールルが哀れだが、彼なら文句を言いながらも、しっかり取り仕切っていることだろう。
「私たち兄妹は土屋様に付いて行くと決めたのです。迷惑でしたでしょうか……」
そんな潤んだ瞳で見つめられて迷惑だと言える人が、この世に何人いるだろう。ましてや、相手は目さえ除けば美少女だ。最近ではその目にも慣れてきたので、違和感がなくなっている自分に驚くが。
「迷惑じゃないよ。むしろ、こうやって助かっているし」
あの日、昆虫人の追手が来る前に、医角が万が一の時に用意していた隠し通路を使い、脱出した。生き残りの村人の中には女子供や老人もいたので、強硬策を取るわけにもいかず、逃避行は順調とはいえなかった。
だが、村から離れた四日目の朝。ジョブブとショミミが合流してきたのだ。
何故こちらの位置が掴めたのか不思議に思い訊ねると、
「キマリカさんの配下の方が教えてくれました」
との答えだった。払った金額が多すぎたらしく、サービスとして殺虫草の届かない範囲で蟷螂団の面々が見張ってくれていたらしい。
そこで、逃げ出してきた俺たちを見つけ、キマリカに情報が伝わり……何を思ったのか、ショミミに教えたそうだ。そこで、居ても立っても居られなくなった、ショミミとジョブブが全速力で追いかけてきて、今に至る。
俺一人でも時折襲ってくる魔物を追い払うことは可能だったが、二人が来てくれたおかげで護衛もかなり楽になった。
それに彼らのメリットはもう一つある。
「大八車だったか。これを押すのは任せてくれ。バッタ族の脚力は伊達じゃないぜ」
頼もしい言葉を口にして自らの足をぱんっと叩いて見せるジョブブ。
「カッコいいー、ジョブブ兄ちゃん!」
バッタ族である二人が合流した時に、村人全員が報復に来たのかと動揺していたのだが、俺が説明するとすんなりと受け入れられた。
バッタ族も村人も逃げ出したという境遇がある為、連帯感が芽生えたのかもしれないな。今では、マッシーも懐いていて関係は良好と言えるだろう。
順調すぎる逃避行だが、昆虫人からの追手がないのは、あの村の惨状をそのままにしてきたからだろう。あえて、死者を弔うことなく死体を放置してきた。
それを見た、昆虫人の兵士たちが、この村で何かしらの事件が起きて壊滅状態になったと考えてくれればこっちのものだ。実際、村人の九割が死んでいるのだ。怪しまれる可能性は少ないのではないだろうか。
「あと、もう少しで魔族と人が共存する町、エクスペリメントの町だ」
魔法の地図で位置を確認しているので間違いないだろう。この地図、拡大すると上空から見た町の形までハッキリと見ることができる。
円形の城壁に囲まれた町。
人を見下し、実験と称して昆虫人や獣人を生み出したと言われる魔族が治める町。
人間だって善人もいれば悪人だって存在する。それと同じく、魔族にも慈悲の心を持つ者がいてもおかしくはない。
おかしくはない……のだが。町の名前を知り、俺の中に不信感が広がっていく。
町の名前。村人や昆虫人である彼らは、それを聞いても何も感じることは無いのだが、異世界人である俺はエクスペリメントという名に聞き覚えがある。
英語で確か――実験。
異世界の言葉でたまたま同じ響きになっただけ、と思いこむには無理がある。
意味をわかって使っているなら、その町は何かしらの実験をしている施設という結論に辿り着いてしまう。
転移者が存在して魔族に余計な知識を与えたのか、それとも転移者から情報だけを得た魔族が気まぐれに、その単語を使ったのか。
どちらにせよ、碌なことではない。
だからと言って、引き返すという選択肢は存在しない。
村人は戻れば間違いなく処刑される。他に行く当てもない。
行くしかないのだ。そこがどんな場所であろうと、生きる為に進むしかない。