眠るモノ
「さく……」
俺は思わず伸ばしかけた右腕を左手で押さえ、余計な声が出ないように口を固く結んだ。
目の前にいるのは何処からどう見ても――桜。
本物なら、村人を蹴散らしてでも傍に駆け寄り、力いっぱい抱きしめたい。
だが、それはあり得ない。桜は今、贄の島で桜の聖樹となり眠り続けている。
もし、何らかの理由で桜を召喚した魔法だったとしても、桜の見た目は緑の髪と瞳であるべきだ。それに気の大きさも気配も違っている。他の人ならまだしも、俺が桜を間違える筈がない。
俺の前にいる彼女は偽物だろう……偽物なのだ。
女子力が低い格好も、あの笑顔も、全てが偽り。
わかっているというのに、本物の桜ではないというのに……俺は彼女から目を離すことができないでいる。胸にこみ上げる熱い思いが溢れ出しそうになる。
「おお、女神様。三度、会えたことを心から嬉しく思います」
いつまで見とれている気だ、俺は。予想外だったとはいえ、我を失っている場合じゃない。
医角の仰々しい喋りを耳にして、俺は少し冷静さを取り戻した。
あの医角が膝を突いて、首を垂れている。
周りの村人もそれに倣うように、同じポーズを取っていく。俺も違和感を与えないように、周りに合わせておかなければ。
この格好なら俺の動揺した顔を見られることは無いから、丁度いい。
どうやら、医角や村人の目には女神の姿が映っているようだが、俺の目には桜が見える。
……つまり、当人が心に描いた理想の女性像が投影されているのだろう……え、いや、俺の理想像って桜なのか? う、うーん。おそらく、愛情や親愛の情も加味されているのだろう。
「勇者の器を持つ者よ、私も再び会えて嬉しいわぁ」
話し方は教室で説明していた時の女教師もどきと似ているが、その声は桜そのもの。
どういうことだ?
気配はそこに存在している。つまり、映像だけを映し出しているのではなく、そこにいる誰かが偽りの姿を纏い、話しているということなのか。
そして、こいつは全員の目に女神の姿が映っていると確信して、芝居を続けている。
「女神様。使命に従い、昆虫人を殺し、多くの経験値を得て私は強くなりました」
「ええ、見違えるようねぇ。もう少し詳しく知りたいから、私の手を取ってくれるぅ?」
「はい、失礼します」
二人に怪しまれないように少しだけ顔を上げ、様子を窺う。
桜――彼らには女神に見えている誰かが、医角に手を差し伸べている。片膝を突いた状態で、その手にそっと触れている医角の顔が緩みきっていて、若干キモイ。
何を言ったかまでは聞き取れなかったが、桜のような女神らしきそれが何かを呟くと、触れ合った手が仄かに輝いた。
よく見ると、桜の瞳が一瞬、金色に変わったような……。
「なるほど、レベルも40を超えたのね。スキルも順調に伸びているみたいだしぃ。洗脳は役に立っているかしら?」
桜の姿と声で色っぽい話し方をされると、思わず吹き出しそうになってしまう。言動が全く似合ってない。
「はい。頂いたスキルの力で、新たな僕も手に入りました。まだレベルアップが足りないと仰るのであれば、村人を捧げましょう! こんなやつらでも全員殺せば、経験値の足しになります!」
おいおい、何を口走っている……。こいつは必死になりすぎて、何を言っているのか理解しているのか。流石に、今の一言は洗脳状態の彼らでも思うところがあったらしく、村人たちが顔を見合わせ、小声でざわついている。
「ああ、女神様、それだけではありません。土屋!」
おい、ちょっと早すぎるだろ。まだ、相手の実力も不明な状態で、接触を持ちたくないのだが、拒否するわけにはいかない。腹をくくるか。
「お呼びでしょうか。医角様」
俺はその場に立ち上がると、二人に向けて恭しく見えるように頭を下げる。
「あら、この子……村人とは毛色が違うわぁ」
「はい。お忘れですか女神様。この医角と同じく、あの教室にいた転移者の一人です。私の仲間になりたいと訪ねてきたところを、洗脳により配下としました」
「お久しぶりです、女神様」
洗脳中らしさを演じながら、相手の一挙手一投足に注意を払う。
得体の知れない相手だ。それこそ、いきなり殺しにくる危険性も無視できない。
「ふぅぅん、転移者ねぇ……あー、思い出したわぁ。あの教室にいたわね」
「思い出しくださいましたか。あの教室では時間を教えてくれなどと言う、不躾な質問にも快く答えていただき、ありがとうございました」
「あの時は、いきなりあんなこと言うから少し驚いちゃったわぁ」
確定か……カマをかけてみたが、わかりやすいボロを出してくれる。
確かに時間は気にしていたが、口に出して質問はしていない。
やはり、偽物か。としたら、こいつは何者で、目的は何なんだ……迷宮で医角が会ったというのも本物の女神ではなく、化けたこいつだと考えるべきだよな。
「ねえ、医角ちゃん、その子ってぇ、どんな子なのぉ?」
「同じ転移者ではありますが、レベルは18で戦闘スキルは皆無です。諜報活動には向いてそうなスキルがあったので、利用価値はあると思います」
お、医角。ナイスフォローだ。説明としては完璧だろう。だから、これ以上は俺に注目しなくていい。
正直、不気味でしょうがない……この相手、全く実力が掴めない。
怪しい気を感じることもなく、気の大きさも村人と大差ない。姿も桜なので、強そうには見えない。
だというのに、俺の経験が全身の細胞が警戒を解くなと叫んでいる。
「へぇー、私にはそんな風には見えないんだけどなぁ。貴方、土屋って言うのよね。ちょっと私の手を握ってくれなーぃ? そしたら、貴方の全てが見えるから」
どう考えても、この手を取るのは危険すぎる。
「女神様! そんな男の手に触れては汚れてしまいます!」
「黙っていてくれるぅ? 私は――土屋と話しているのよ」
ゆったりと間延びした声が、鋭く冷たい声色へと一変した。
「め、女神様?」
その変貌ぶりに医角が戸惑っている。もっと頑張って独占欲を出して頑張れ!
この桜もどきの態度……こいつ、俺の実力に感づいているのか。
「さあ、貴方、この手を握ってもらえるかしらぁ」
どうする。悩んでいる時間は無いぞ。
相手は触れることにより、相手の能力を読み取るスキルを所有している。医角に触れただけでレベルを読み取ったことから見て、間違いない。
ステータスやスキルを知られるのは避けたいところだが、だからといって、ここで手を取らなければ、洗脳状態ではないのがバレてしまう。
「あら、悩んでいるのぉ? 洗脳状態の貴方が悩むなんてまさかぁ……」
「私の様な者が、女神様の手に触れて良いのでしょうか……恐れ多くて……手が震えてしまって……」
これなら、手を握らない言い訳に――
「うふふ。そんなの気にしないでぇ。私が握ってとお願いしているのよぉ……握りなさい」
まただ。有無を言わせない、背筋が冷たくなるような声。
駄目だ。触れるのは、やはり危険すぎる!
「それでは、失礼します」
そう言って右手をゆっくりと伸ばしながら、左手は腰に装着したアイテムボックスへ忍ばせる。
そして、手が触れる一歩手前で、左手がミスリルの鎌を掴んだのを確認し、アイテムボックスから取り出した勢いのままに、振り上げた!
「あら、何のつもりかしら」
ミスリルの鎌の切っ先は、残り数ミリ押し込めば喉に突き刺さる位置で、人差し指と親指に摘ままれ停止している。
かなり本気の一撃だったのだが、いとも簡単に防がれた。正攻法でどうにかなる相手ではなさそうだな。
桜の姿をした女は、始めから俺がこうすることをわかっていたかのように、余裕の笑みを浮かべ俺を見下ろす。
見た目が桜なので攻撃を加えるのには、かなり勇気がいったというのに、あっさりと受け止めてくれる。
「キサマ! 何をしている! 洗脳されているお前が何故っ……まさか、殺して永遠に一つになろうと、言うつもりではっ!」
俺の行動が医角の理解を超えたのだろう、意味不明な事を喚いている。
その発想、どこのストーカーだ。
女が空いている手で俺に触れようと手を伸ばしてくる。咄嗟に手を払いのけようとしたが、接触は避けるべきだと判断して、俺は鎌から手を放し後方へと飛び退った。
「あら、懸命な判断ね。貴方の方が医角より、使えそう。そろそろ、この馬鹿にも飽きてきたしね。乗り換えて、処分しちゃおうっかな」
おいおい、桜の姿で悪役チックなことを口にするな。似合わないだろ。
あと、ミスリルの鎌を放り捨てるな。俺の大事な相棒その一なのだから、丁重に扱ってくれ。
「な、何を仰っているのですか。私がこの男に劣ると!? 御冗談を。そもそも、この男は洗脳済みです。土屋、そこを動くな! 女神に歯向かうなど言語道断。この私が自ら処分してくれる!」
いい加減、目障りだな。
俺がその場で微動だにしないでいると、命令に従っていると勘違いしているのだろう。医角は無造作に歩み寄ってくる。
丁度いい位置まで自ら近づいてくれたお礼に、下からアッパー気味に撃ちだした右拳は医角の腹に潜り込み、衝撃で体がくの字に折れ、脚が床から浮いている。
「ぐおぉっ」
一撃の威力に、宙に浮いた状態で吐しゃ物を撒き散らす医角へ、既にアイテムボックスから抜き終わっている斧の横薙ぎを叩き込む。
足場のない状態で意識が朦朧としている医角に避ける術はなく、上半身と下半身が分断された。
血飛沫が屋敷のホールを染め、血に濡れた周囲の村人の陶酔しきっていた虚ろな瞳に、光が戻っていくのを目の端で捉える。
桜の姿をした女は、嬉しそうに目を細め、頬についた血の滴を舐めとっていた。
この状況でも慌てることなく……むしろ、楽しんでいるかのようだ。
「えっ!? 血……」
「死体っ! 私は、えあっえっあ、これは?」
「医角、そう私たちは、医角に会って……」
医角が死んだことにより洗脳が解けたようだが、まだ意識がハッキリしていないのだろう。混乱状態なのが一目でわかる。
「考えるより先に動け! 全員、この館から離れろ! 早くっ!」
状況が掴めないであろう村人に糸を絡ませ、『同調』を発動させた。説明している時間が惜しい。
村人たちは我先にと他人を押しのけ、扉から飛び出し逃げ出していく。
その間も、桜の姿をした何かが妙な動きをしないか、警戒していたのだが、腕を組み楽しそうに騒ぎを眺めているだけだった。
村人が全員立ち去ったのを目の端で見届けると、鋭く息を吐き、意識を集中させる。
「もういいのかしら?」
「わざわざ、逃げるのを待ってくれたようだな」
「まあ、村人なんかに興味はないからね。今は貴方にしか興味ないから。躊躇なく、医角を切り捨てた貴方に」
弾むような声。女神の口調を真似していた時よりも、明るく若いイメージを受ける。
躊躇いなくか。医角を処分することに正直、心の葛藤はあった。だが、ここで瞬時に決断を下せない程、弱くも甘くもないつもりだ。
目の前の相手は得体が知れない。この状況で、医角に注意を払いながら戦える自信が無く、村人をここから逃がすには洗脳状態を解かなければならない。
それに高レベルの医角を倒したことにより、レベルの上昇とスキルポイントの増加。
そこまで計算をした上での行動だ。
「相手の事を知りたいなら、まず自分からじゃないか。俺はあんたの本当の姿も、名前も知らないからな」
「そう言えばそうだった。幻影も解いてなかったわ。ごめんごめん、よいしょっと」
桜もどきが手を下からゆっくり振り上げると、足元から徐々に姿が変化していく。
地味な靴は黒くヒールの高いブーツへ変わる。
センスの欠片もない紺のジャージは、体のラインが浮き彫りになる全身スーツとなり、それは黒く光沢がある素材で作られているようだ。
そして、服装だけではなく体格にも大きな変化があった。
主張を全くしなかった胸は、今までの鬱憤を晴らすかのように大きく盛り上がり、存在を見せつけている。
腰もきゅっと引き締まり、腕や脚もスラリと長く伸びている。
「これでどうかしらー。後は名前ね。私の名前はキルザール。一応、結構上位の悪魔よ」
悪魔ときたか……。
ショミミから聞いた話によれば、悪魔は闇と光の神々の戦争で、闇の神についた一族。
その力は、光の神が率いる天使や従神に匹敵するらしい。
天使や従神がどれ程の強さなのか見当もつかないが、普通の人間が簡単にどうこうできるレベルじゃないよな。
まあ、あれだ……いつもの大ピンチだ。
「悪魔か。天使に匹敵するとの噂らしいが、確かに強そうだ」
「その割に冷静に見えるのだけどー」
「自分より強い相手に遭遇するのは、もう慣れっこでね」
「そっかー、あなた転移者でも、もしかして贄の島出身だったりする?」
その言葉に全身がぴくりと縦に震える。
悪魔キルザールの口から出た、贄の島という単語に思わず体が反応してしまった。
「贄の島を……知っているのか?」
「ええ。貴方たち、転移者を送り込んだ女神のことも、よーく、知っているわ」
この発言をどう受け取るべきか。悪魔キルザールは意味深な笑みを浮かべているだけで、それ以上は何も話さない。
転移者と女神を知っているという発言に、嘘偽りはないと思う。
医角たちを騙した女神の姿は『幻影』というスキルで相手の思い描いた姿を映し出したということで、納得はできる。
だが、話し方は自ら演じていた。俺には桜の姿で見えていたが、あの妙な色気を感じさせる口調は教師姿の女神そのものだった。相手の事を知っていなければ、真似できない代物だ。
ただ、精神感応と同じようなスキルを所有していれば、触れた時に記憶を読まれたという可能性もあるわけで……結局、確信は持てないか。
「あれ、もしかして疑ってるぅー? うーん、そうね、嘘をついてないってわかってもらうには……あ、そうそう。貴方たちが知らない情報を少し暴露したらいいのかな」
「そうしてもらえれば、信用できるかもな」
取引もせずに情報を提供してもらえるなら、それに越したことは無い。
「じゃあ、贄の島に眠っているモノと、この村の下に眠っているモノは同じモノ。って言ったら信じる?」
何を言った……今、この悪魔は、さらっと何を口にした。