美女
ある山に、旅人が足を踏み入れた。踏み固められた土の道を一人、歩いていると、前方に山小屋が見えた。
(……一休みさせてもらうかァ)
旅人が山小屋を尋ねると、中には人の良さそうなおばあさんが一人、居た。おばあさんは旅人を労い、お茶と芋菓子を出してくれた。
――旅の話で盛り上がり、つい長居してしまった。旅人が「もう行く」と行って立ち上がると、おばあさんは「よしなさい」と止めた。
「この森にゃぁ夜になると、“妖怪”が出るぞ。綺麗な女の姿をしていて、男は骨抜きにされてしまう。……殺されてしまうぞ。今日はもう、よした方がいい。ここに泊まっていきなさい」
おばあさんは、そう言った。
しかし旅人は、
「ほう、美女ときたか。そりゃあいい。一目見てみたいもんだ」
そう言って、おばあさんの言うことを信じなかった。――おばあさんはその後も強く引き止めたが、それがあまりにしつこいので、
(怪しいな……どっちかってぇと、妖怪はこのばあさんなんじゃなかろうか……)
旅人は、そう思った。
「世話になったね」
そう吐き捨てるように言うと、旅人は逃げるように山小屋を出た。
*
山をしばらく歩いていると、日が落ちてきた。さらに、歩いてきた土の山道も徐々に細くなり、しまいには無くなってしまった。雑草が、旅人の脛をくすぐる。
(あぁ、こりゃあ……迷っちまったな)
気付いた時にはもう、時すでに遅し。引き返そうにも、歩いてきた道すら暗い草木の影に隠れてわからない。……追い打ちをかけるように、雨まで降ってきてしまった。
(参ったなぁ……)
……そんなことを思っていると――。
――ガサガサッ
……草をかき分けるようにして、一つの動く影が旅人の前に現れた。
それは、絶世の美女だった。――旅人は、一目で惚れた。美しい女は、キョトンとした顔で旅人を見つめる。
……その後、旅人と美女は幾つか言葉を交わした。――しかし、旅人は酒にでも酔ったかのように頭がクラクラとし、呂律が回らない。……女に言われるままに後をついてゆき、山道を歩いた。
――たどり着いたのは、女の家だった。――それは不思議と、夜の山の中で白く光っていた。よくよく見れば木の枝を組み合わせて作ったようなのだが、その一本一本が雪のような混じりっ気のない、真っ白なのである。
旅人は促されるがままに、家に上がり込んだ。女が蝋燭に火をつけると、部屋中の白がそれを反射して、発光しているようだった。
――女は料理を作り、旅人に振舞った。部屋の真ん中の囲炉裏がパチパチと火の粉を飛ばし、鍋を煮立たせた。黒い鍋の中ではゴロゴロと大きな肉が転がっている。旅人は女と共に、それを食べた。少し筋張って硬い肉だったが、猪に似ていて美味かった。雨で冷えた身体が暖まり、旅人は元気を取り戻す。――そこで、思い出した。
(……“妖怪”が…………女の姿を…………殺されてしまう…………)
それは、おばあさんの言葉だった。
ハッ、と気付く。――殺されてしまう……!
逃げなければ! ……旅人は急に目が醒めた。持っていた、肉の入った白い器を床に置くと、思い立ったように立ち上がる。女はそれを、どうしたの、といった表情で見つめた。――旅人は家の出入口に向かって、歩き始める。
――その時。女は右手に肉の入った器を持ったまま、左手で男の左足に触れた。すると――
――ガクンッ
――ズンッ
……旅人は急に、その場に左膝を突いた。
――歩けなくなってしまったのだ。
旅人が振り返る。――するとそこには――囲炉裏の火に顔を半分照らされた女が――嬉しそうに口角を上げ、笑っていた。
……女の左手には、白い棒が大小合わせて二本、握られている。
旅人は何が起こったのかわからず――なぜ立てないのかがわからず、自らの左足に触れた。
――旅人の、左足の膝から下――足首まで、骨がない。
ぐにぐにとした肉の塊だけが、そこにあった。
――悲鳴をあげそうになる。――すると女は、そっと旅人の顎に触れた。――旅人は口を、閉じられなくなる。
器を置いた女は立ち上がり、旅人に近付くとそのようにして――皮膚を切開せずに、旅人の骨を一個一個、丁寧に取り出した。――旅人は支えをなくし、大きな一つの肉の塊になる。
……それでも、旅人はしばらく死ぬことはなかった。声にならない嗚咽を漏らし、ひたすら涙を流した。――その横で、女は静かに、食事に戻った。
――旅人の骨は、家の修繕に回されたり、新しい器になったりした。肉は小さく切り分けられて――
また違う、旅人と一緒に食べた。
――“妖怪”――山の美女はこうして、旅人達を骨抜きにする。