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織り姫になりたい
作者:愛田美月


 あれは、夏祭りの帰り道だったかな。私はお父さんと、お母さんと一緒に、手をつないで土手を歩いていた。そのとき、お父さんが星を見ていこうと、小さな私の手をひいて、川原におりていったんだ。
 ズボンが汚れるのも構わずに、私とお父さんは並んで川原に座った。最初は汚れるからって渋ってたけど、お母さんも結局私の隣に座ったっけ。
 川原には夜空を遮るものは何もない。雲のほとんどない夜空には、たくさんの星が瞬いていた。
 お父さんの言う通り、きらきらと輝く星がとても綺麗で、胸がどきどきしたのを今でもよく憶えてる。
 お父さんは夜空を指差して、私に教えてくれた。
「ほら、織恵。見てご覧。あれが天の川だよ」
 お父さんの指差す方を見ると、ぼうっと明るい白い流れが見えた。
 初めて天の川を見られた事が嬉しくて、私はお父さんに尋ねた。
「じゃあ、織姫様はあそこに住んでるの?」
 お父さんはそんな私に笑って、頭の上に際立って明るく光る星を示した。今では知ってる。その星はこと座のベガっていう星だって。
「あれが、織姫様だよ。普段はお星様なんだ」
「ふーん。じゃあ織恵、お星様になるのかな?」
 そう言った私に、お父さんとお母さんは顔を見合わせて笑った。
「なんでそんな風に思うんだい?」
「織恵はまだまだ、お星様になんかならないわよ」
 そう言って笑うお母さん。私は何だか恥ずかしくなって、唇を尖らせた。
「だって、織恵は織姫様の名前をもらったんでしょう。ねぇ。お父さん」
 お父さんは微笑んで頷いた。
「そうだよ。七月七日に生まれたから織恵。織姫様のように、美しく愛される子になりますようにって、お父さんがつけたんだよ」
 そう言って笑顔で私の頭をなでてくれたお父さん。お母さんも微笑んでいる。幸せそうな笑顔。
 あの頃は本当に幸せだった。
 でも、今は……。
 笑顔なんて見る事ができない。
 お父さん、お母さん。
 ねぇ。
 今でも私を、愛してる?



 昨日とはうって変わってよく晴れたから、塾の帰り、私は寄り道をすることにした。
 塾は私の家から川を挟んだ向こう側にあるから、いつもこの川沿いの道を歩いている。
 私は橋を渡る手前で足を止めて、土手に座った。星を眺めようと思ったんだ。小さい頃ここで、お父さんとお母さんと一緒に星を見てから、ここが私のお気に入りの場所になった。
 クマさん柄の腕時計をみると、夜の八時になっていた。この時間になると、この辺りはぐっと人通りが少なくなる。ぽつぽつとある街灯のお蔭で真っ暗になる事は無いけれど、なんだかとても寂しい風景。
 下を流れる大きな川は、雨の川と書いて『あまのがわ』と読む。その雨川は昨日の雨のせいで、いつもよりも水かさが増している。暗くてよく見えないけれど、流れも心なしか速いみたい。
 私は川から視線をはずして、夜空を見上げる。ああ、やっぱり見えた。こと座のベガ。私の名前と同じ織姫とも呼ばれる星が、私は大好きだった。
 七夕のお話も好き。小さい頃、何度も繰り返し読んだ、絵本の七夕天女。
 彦星は天の羽衣を盗んで、それを隠して織姫と結婚しちゃう。でも、結局隠してた天の羽衣を織姫に見つかって、織姫は天に帰っちゃう。当然だよね。騙してたんだもん彦星。
 でも、最近思うんだ。わらじを千編めば、天に帰った織姫に逢う事ができると聞いて、千のわらじを編んだ彦星がかっこいいなって。
 だって、千って凄い数だよ。それだけ、織姫に逢いたかったんだよね。彦星は。
 いいなぁ。そんな風に愛されてみたいなって思うんだ。
「おーい。星野。またここにいる。おばさんに怒られるぞ。夜に一人でこんな所にいると危ねぇって」
 聞き覚えのある声が土手の上から聞こえて、私は振り返った。逆光になってて、顔は良く見えなかったけど、その声とシルエットには見覚えがあった。
「じゃあ、和君も一緒に星見る?」
 そう言うと、不機嫌な声で答えがあった。
「バーカ。誰がおまえなんかと見るか」
 そっけない答え。つまらないの。私は立ち上がって、スカートのお尻の部分を叩いた。
 スカートについた土をあらかた落としてから土手にあがると、和君が両手をズボンのポケットに入れた格好で、私を待っていた。
 物凄い仏頂面だ。せっかくカッコいいのだから、そんな顔しないでほしい。
 学校で友達といる時はそんな顔しないくせに。最近私といる時はいつも怒ったような顔をして、余り目を合わせてくれない。
 和君は私服姿で、肩から鞄を斜めにかけていた。ということは、塾帰りだ。私と同じ塾に通ってるのに、私よりここを通るのが遅いのは、たいてい和君が寄り道をしてるからだ。
 いつもの如く友達とコンビニにでも行ってたんだろうな。
 私と同じ中学二年生の天川和彦君は、私の家のお隣さん。つまり幼馴染。
 幼稚園の頃は、結婚の約束までした仲だったのに、最近本当に冷たいんだ。
 学校では絶対に話し掛けてこないし、私が話し掛けてもたいてい無視されちゃう。学校の友達がいないところでなら、こうやって話し掛けてくれたりするんだけどね。
 名前だって、前は織恵ちゃんって呼んでくれてたのに、最近は星野って呼ぶようになった。私にも和君じゃなくて、天川君って呼べって言うのよ。それが何だか寂しい、今日この頃。
「何ぼっとしてんだよ。帰るぞ」
 不機嫌な声でそう言われて、私は和君の数歩後を歩く。
 時折、生暖かい風が通り抜けていく。川原に生えた草木の葉擦れの音が耳に届いた。風がやんだ。昼間と違って、夜の道は静かだった。
 しばらく無言で歩いていたけど、昼間なら聞き逃すような、和君の小さな声が私の耳を打った。
「今日も一人なのか?」
 こちらを振り向きもせず、抑揚のない声で言われた言葉に、私は見えないと分かっていたけど頷いた。
「うん。途中でご飯買って帰らなきゃ」
「ウチ来れば?」
 何買って帰ろうか。なんて考えようとした時に言われたので、私は驚いた。
「いいの? 迷惑じゃない?」
 そう言うと、和君は立ち止まって私を振り返った。その顔はやっぱり仏頂面だ。
「しょうがねぇだろ。母さんがたまにはおまえを飯に誘えってうるせーんだよ。俺は別におまえに来てほしいとか思ってねぇけど。俺は女となんか一緒に飯食いたくねぇし。けど、しょうがねぇだろ」
 和君はしょうがねぇを繰り返していた。何だかそれがいい訳の様に聞こえてくるから不思議。ねえ、和君。本当はそんな風に思ってないんでしょう? そう聞けたらいいんだけど、そんなこと言ったら絶対怒るし。
 でも、心底嫌がってるわけじゃない。それが分かるから、何だか嬉しくなった。
「ねぇ、和君。手、つないで帰ろうよ」
 そう言って手を差し出したら、物凄く嫌な顔をされた。酷い。
「はあ? バカなこと言ってんじゃねぇよ。誰がつなぐかそんなもん。人に見られたらどうすんだよ」
 その言葉に、私は反論する。
「でも、昔は良く手をつないで帰ったじゃない。前はそんなこと言わなかったのに、最近冷たい。和君」
「うるせぇ。和君って呼ぶなって言ってんだろう。さっさと行くぞ、星野」
 怒ったように私に背を向けると、足早に歩いていってしまう。私は慌てて和君の背を追った。
 どうして、みんな私から離れていってしまうのだろう。そんなことを思いながら。



 和君の家でお夕飯をご馳走になってから、私は家に帰った。
 和君のお母さんは和君に似て明るくて元気な人で、とてもにぎやかな食卓だった。和君のお姉ちゃんの成美ちゃんとも、久しぶりにたくさんお話できたし。とても満足。
 私は楽しい気分で玄関のドアを開けた。
 その時、居間の方からお母さんの怒鳴り声が聞こえてきた。楽しい気分が一気に冷める。
 またやってる。
 私はそう思って、眉を顰めた。
 最近、お父さんとお母さんは顔を合わせるたびに喧嘩している。いつから、どんな理由で喧嘩しているのかは、よく分からないけど。最近私はお父さんとお母さんの笑顔を見ていない。
 二人とも共働きだから、家にいる時間も少ないし。今日みたいに、私が起きている時間に帰ってくることも少ない。
 せっかく、家族が顔をあわせることのできる貴重な時間なのに、どうしてお父さんとお母さんはいつも決まって喧嘩をするのかな。
 私には理解できない。
 理解したくない。
 だから、私は耳を塞いで、手も洗わずに部屋へ向かった。
 部屋に入って鍵を閉め、ベッドにもぐりこんだ。それでも微かにお父さん達が怒鳴りあっている声が聞こえてくる。私は布団を頭から被る。
 聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。喧嘩している声なんて聞きたくない。
 心の中で、やめてやめてと叫んでいたら。いつの間にか眠りに落ちていた。



 朝起きたら、家には誰もいなかった。もう仕事に行っちゃたんだ。そう思ったら溜息がでた。買い置きしておいたコーンフレークのチョコ味を、箱から器に出して、牛乳をかける。これが今日の朝食だ。
 いただきますと一応挨拶して、スプーンを持ち上げた時、テーブルの上に置手紙があることに気づいた。
 その紙を取って、文字を目で追う。
『話しがあるから、今日は早く帰ってきなさい。 父、母より』
 私は、コーンフレークをスプーンでかき混ぜながら、首を傾げた。珍しい。最近まともに顔をあわせてもないのに。話ってなんだろう。
 そう思って気づいた。もしかしたら、お父さんとお母さんは忘れていなかったのかもしれない。
 今日が、私の誕生日だってことを。



 今日はとてもよい日になりそうだ。
 そう思ってた。
 朝、学校行ったら、友達のよりちゃんと、ルミちゃんに誕生日プレゼントをもらったし。
 とっても可愛いウサギのぬいぐるみ。頭が大きすぎてぐらぐらする二頭身のぬいぐるみだった。以前一緒に買い物に行ったとき、私が欲しいって言ったのを覚えててくれたみたい。
 とっても嬉しい。とっても嬉しかったのに、放課後その嬉しさがすっかり吹き飛んでしまう出来事があった。
 校門を出てすぐに、教室に忘れ物をしたことに気づいた。だから私は、よりちゃんと、ルミちゃんにバイバイして、教室に一人引き返したんだ。
 あの時、忘れ物したことに気づかなければ、あんな場面に出くわす事もなかったのに。
 そう思っても、その時の私は教室に向かった。
 教室の前まで来てドアを開けようとした時に、クラスメートの男子数名が教室で何かを話しているのが聞えてきた。
 私は一瞬ためらった。だって、五六人の男子がいる中に入っていくのって、ちょっと勇気がいる。
 それでも意を決して、ドアに手をかけたとき、男子達の会話の中で、私の名前が上がったのが聞えてきた。
「カズー。おまえと星野って付き合ってんの?」
 和君が中にいるんだ。
 どうしよう。やっぱり入れない。
 でも、この場を後にする事もできない。和君がなんて答えるかが気になって、私はその場で耳を澄ました。
「ふざけんなよ。なんで俺が星野と」
 否定する和君の声。私は溜息をつきそうになって慌てて口を押さえる。誰かに聞えたら大変だ。立ち聞きしている事がばれないうちにここから立ち去ろう。
 そう思った時だった。また、和君とは別の声がこう言った。
「でも、星野と仲いいじゃん。おまえ、しょっちゅう星野に声かけられてるし」
「本当は好きなんじゃないの? いいじゃん。否定しなくてもさ。星野結構ランク高いじゃん」
 和君をからかうような声がいくつも上がった。次第に大きくなるからかいの声を遮るように、大きな音がなった。きっと和君が机を叩いたんだ。
「うるせぇ。俺は、星野なんて嫌いだよ。大嫌いだ。何がランク高いだ。目悪いんじゃねぇの」
 和君の怒鳴る声が、廊下まで響いた。
「あいつが勝手に話し掛けてくんだよ。馴れ馴れしいっつうの。俺は迷惑してんだよ」
 そう言う声がこちらに近づいてくる。
 どうしよう。今すぐ立ち去りたいのに、足が動かない。
 ガラリと、ドアが開いた。
 ドアを開いた人物は、私がいたことに驚いた顔をして立ち止まった。
「星野……」
 私はその人物の顔を見上げた。
 ほら、やっぱり和君だ。
 和君の驚いたような顔が、ゆがんで見えた。どうしよう。泣きそうだ。泣いちゃだめ。泣いたら和君を困らせちゃう。そう思うのに、どんどん涙が目の縁にたまってくる。
 私は下を向いた。一粒の涙が床に落ちた。
「忘れ物、取りにきたんだけど。もういいや。ごめんね、和君。もう、話しかけたりしないから」
 震える声でそう言って、私は和君に背を向け駆け出した。後から和君が私の名前を呼んだような気がしたけど、きっと気のせいだ。
 だって、和君は私が嫌いなんだもん。
 嫌われてたなんて知らなかった。だって、和君は幼馴染だし、幼稚園の時は私のこと好きだって言ってくれたし。だから、最近そっけなくなっても、嫌われてるわけじゃないと思ってた。
 そんなはずないって、思い込んでただけだったのかな。
 後から後から流れる涙。
 いつからだろう。いつから嫌われてたんだろう。言ってくれなきゃ分かんない。分かんないよ、和君。
 涙は中々止まらない。でも、家に帰る前に泣き止まなきゃ。お父さんとお母さんがきっと、家で待ってるから。



 川原に座って、涙が止まるのを待っていたら、辺りは夕焼けになっていた。私ははれぼったい目を気にしながら、家へ帰った。帰りの途中。色んなお家の庭に笹が飾ってあることに気づいた。そういえば笹なんて最近用意してないなって思う。
 小さい頃はお父さんとお母さんと三人で、折り紙で貝殻を作ったり、ちょうちんを作ったりして、笹を飾ってた。短冊にお願いごとを書くのも楽しみだったのに。そんなことするの、忘れてたな……。
「ただいま」
 玄関のドアを開けると、お父さんとお母さんの靴が並んで置いてあるのが目に入った。本当に帰ってるんだ。
 少しだけ嬉しくなって、私はお父さんたちがいるはずの、居間のドアを開けた。今日早く帰ってくれたのは、私の誕生日を覚えていてくれたから。そう思っていいのかな。
「お帰り、織恵」
 お父さんとお母さんが並んで、ダイニングテーブルの席についていた。
 お父さんたちの表情を見て、私は笑顔を崩した。お父さんたちの顔は、とても私の誕生日をこれから祝おうとしているようには見えなかったから。
 何だか、緊張しているみたい。部屋の中が張り詰めた空気に覆われている。
「どうしたの? お父さん。お母さん」
 私が呼びかけると、お父さんは私に、お父さんたちの前の席に座るように促した。私は言われた通りにそこに座る。
「ねぇ。今日ね、私……」
 誕生日プレゼントにうさぎのぬいぐるみ貰ったんだよ。そう、続けようとした。でも、その声をお母さんが遮った。
「織恵、お母さん達、大事な話があるのよ。ちゃんと聞いてくれるわね」
 なんで、そんな顔をしているの? 
 お母さんは仕事帰りなのか、スーツ姿だった。いかにもできるキャリアウーマンって感じ。そんなお母さんはかっこいいっていつも思うけど。でも、今はなんだか怖い。
「あのな、織恵。お父さんとお母さん。離婚する事にしたんだ」
 私はお母さんから、お父さんに顔を向けた。今、何て言ったの?
「そうなのよ。実は、お母さんとお父さんね、お互いに別の人を好きになってしまったの」
 嘘でしょう? 嘘だよね。そんなの嘘だ。
「実は、そうなんだ。ごめんな、織恵。お父さんたち、離婚して互いの相手と再婚するつもりなんだ。織恵ももう中学生だし。分かってくれるよな」
 分かってくれる? 
 そんなの、どうやって分かれっていうのよ。
「それで、織恵に決めてほしいの。お父さんとお母さん。どっちについてくる?」
 私は制服のスカートをぎゅっと握った。そうしていないと、泣き出してしまいそうだった。
 さっきいっぱい泣いたのに。
「そんなこと、急に言われたって分かんないよ。どうして? どうして結婚してるのに、他に好きな人ができるの?」
 私の口から出た声は小さくて弱々しく聞えた。
 もっと他にいわなきゃならない事があるのかもしれないけど、何も思い浮かばない。頭の中が真っ白だ。
 あの時みたい。学校で、和君に大嫌いだって言われたときみたいに、何も考えられない。
「もともと、お見合いで結婚したでしょう。最初から、無理だったのよね。愛し合って結婚したわけじゃないから……」
 愛し合って結婚したわけじゃないなら、私はどうして生まれてきたの?
 私はいらない子だったの?
 私がいたから、すぐに離婚できなかったの?
 私は二人のお荷物だったの?
「おい、やめろよ。織恵に言うことじゃないだろ」
「何よ。自分ばっかり良い顔しなでよ。あなたの方が先に浮気したんじゃない」
「違う、君の方が……」
 二人の言い争いを遮る様に大きな音が鳴った。私が、大きな音がするほどに、机を両手で叩いたからだ。
 掌が痛い。じんじんする。お父さんたちが私を驚いた様に見ている。私は、痛みに構わずに立ち上がった。
「もうやめてよ、私のことは気にせずに好きにすればいいじゃない。どうせ私が邪魔なくせに」
 私はそう叫んで居間を飛び出した。
 玄関で靴を履いて慌ててドアの外に出る。
 どうして? 
 なんでこんなことになるんだろう。
 ひどいよ。神様。
 私が何したって言うの?
 どうして、私が好きな人ばかり、私から離れていってしまうの?
 ねえ、誰か教えてよ。
 お願いだから。



 辺りはすっかり暗くなっていた。
 夜なのに涼しくなくて、生ぬるい空気が気持ち悪い。
 川沿いの道に、今は人の姿は見えない。私は雨川に架かる橋を渡った。
 川原に下りて膝を抱えて座り、散々泣いた。目がひりひりするくらい泣いたのに、まだ涙は出てくる。
 どこにも、行くところがない。
 家にも帰れないし。どこか遠くに行こうにも、お財布も持ってないし。
 なぜか一瞬、頭に和君の顔が浮かんだ。
 でも、だめ。嫌いだって言われたばかりなのに、和君を頼るわけにはいかない。
 これからどうしよう。
 そう思って、空を見上げた。夜空には相変わらず星が瞬いていた。晴れてよかった。天の川がとても綺麗に見える。
 今日は七夕。きっと織姫は大好きな彦星に逢ってるんだよね。
 私は織姫から名前を貰ったのに、織姫とは全然違う。私を好きになってくれる人はどこにもいない。彦星の様に私を愛してくれる人は何処にもいないんだ。
 でも、それは当たり前なのかもしれない。
 だって、私は望まれて生まれてきたんじゃないから。愛し合って生まれてきた子じゃないから、きっと誰も私を好きになってはくれないんだ。
 そう思ったら、また涙が浮かんできた。抱えた膝に涙があたってはじけた。
「おーい、星野。やっぱりここにいた」
 微かな声が私の耳を打った。
 私は顔を上向ける。その声は、近くに架かる橋の上から聞えてきた気がしたからだ。
 目を凝らしてみると、橋の上に和君が立っているのが見えた。
 何で、ここにいるの?
 今日、塾はないはずなのに。
「そこで、待ってろよ。動くなよ」
 そう言って、和君が走り出した姿が目に入った。
 何で、そんなこと言うの?
 私のこと嫌いって言ったじゃない。
 今は和君の顔を見るのが辛い。だから私は、立ち上がって走った。和君が来る方向とは逆に向かって。
「あ、こら。星野。動くなって言っただろうが」
 後ろから、和君の怒鳴り声が聞こえてくる。でも、立ち止まらない。立ち止まれる訳がない。
「待てよ。星野」
 和君はいつまで私を追ってくるんだろう。放っておいてくれたらいいのに。
 走りすぎて、息が切れる。
 和君の荒い息も、後ろから聞えてくる。
「待てつってんだろ。……織恵!」
 一際大きな声が、私の耳を打つ。
 今、私の名前……。
 私はつい、立ち止まってしまった。振り向いて、和君が思った以上に近くにいたことに気づく。
 驚いて、また走り出そうとしたら腕を掴まれた。
「つ、捕まえた」
 はあはあと荒い息が、和君の口から漏れる。私の腕を掴む手とは反対の手で、膝に手を付いて息を整えている。
 私も和君と同じように荒い呼吸を繰り返していた。逃げ出したい。でも、腕をつかまれていて動けない。和君の手をはずして逃げたとしても、どうせすぐに追いつかれちゃう。どうしよう。どうしていいか分からない。
「お、おまえ何やってんだよ。おじさんとおばさん、すっげー心配しておまえのこと捜しまわってるぞ」
「嘘……」
 そんな訳ないじゃない。お父さんとお母さんが私のこと心配するはずないよ。だって、お父さんとお母さんは私のことなんてどうでもいいって思ってるんだから。邪魔なんだから。
「嘘じゃねぇよ。家に来たんだぜ。おじさんとおばさん。おまえが家飛び出して帰ってこねぇって。俺ん家に来てねえかってさ」
 私は無言で和君を見詰めた。和君はいつものように少し怒ったような顔をして、私を見返した。
「ほら、帰るぞ」
 そう言って私の腕を引っ張ろうとする。でも私は動かなかった。抵抗するように腕を引く。
 和君がたたらを踏むような格好になった。
「何やってんだよ」
 今度は本当に怒ったような声を上げた。
「一人で帰ってよ。私は帰る家なんてないんだから」
「はあ? 意味分かんねぇし。わがまま言ってんじゃねぇよ」
 そう言って、また私の腕を引っ張ろうとするから、私は足を踏ん張ってその場から動こうとしなかった。
「もう、何だよ」
 和君の焦れたような声。私はその声に被せるように言う。
「それはこっちのセリフだよ。何でよ。私のこと嫌いなんでしょう。だったら、私がどこで何してようが和君には関係ないじゃない」
 和君は一瞬だけ、怯んだような顔をした。けど、すぐにまたいつもの仏頂面にもどって私に言った。
「おじさんたちに頼まれてんの。俺はおまえを連れて帰んなきゃなんねぇんだよ」
「そんなの知らないよ。そんなの和君の勝手じゃない。……帰ったって一緒だよ。どうせ、お父さんとお母さんは離婚しちゃうんだもん。他に家族つくっちゃうんだもん」
 怒鳴るように言うと、和君は目を見開いた。一度大きく口を開いたけど言葉が出てこなかったのか、また閉じて、もう一度口を開けた。
「離婚って、他に家族ってどういうことだよ。おまえの親、離婚すんの?」
 その言葉が胸に突き刺さった。これが現実だった。両親の離婚。それは、まだ私の中で半分夢の中の出来事みたいだった。和君の口からその言葉がでると、それが真実なんだって、思い知らされる。
 走ったおかげでひっこんでいた涙が、またあふれそうになる。私は和君の目を見て口を開いた。
「ねぇ、和君。私、分かったんだ。私ね、愛されて生まれてきたんじゃなかったんだよ。だから、織姫みたいに愛してもらう事ができないの。織姫から名前もらったのに、だめなんだよ。和君に嫌われるのも当然だったんだよ」
 手を握り締めて、私はそう叫んでいた。視線は地面へ落とす。涙が雫となって地面に落ちた。
「私は望まれて生まれてきたんじゃないんだよ。だから、誰からも好きになってもらえないの。好きになってもらえる訳がなかったんだよ。だから、もういいよ。私のこと嫌いなんでしょう? お父さんたちと一緒で、和君も、私のこと嫌いなんでしょう? だったら……」
 もう、私に構わないで。
 そう言おうとしたけど、声にならなかった。口から嗚咽がもれ始めて、自分ではどうしようもなくなる。
 何度も何度も、あふれる涙を拭っていたとき、私の前に立っていた和君が溜息をついた。
 呆れてるのかな。それとも、怒ってるのかな。
 和君が動く気配がする。家に帰っちゃうのかな。
 そう思ったとき。下を向いていた私の目に、和君の青いスニーカーが映った。
 顔を上げる前に、涙を拭っていた手を掴まれた。
 驚いて今度こそ本当に顔を上げた私の目に、和君の妙に真剣な表情が映った。それも、とても近くに。
「泣くなよ、もう泣くな」
 和君の手が、私の手首を痛いくらい掴んでくる。私は動けずに、和君の顔を凝視する。
 すると、和君は一度照れたように、顔を背けて、しばらく何かに耐えるように目を瞑ると、また私の方へ顔を向けた。
「誰からも好かれないなんて、思い込んでんじゃねぇよ。バカ。放課後のこと気にしてんなよ。俺も悪かったけど、あんなの……ただの照れ隠しじゃん。分かれよ」
 照れ隠し? 何言ってんだろう和君は。
 そんな嘘つかなくてもいいのに。嫌いな私のために。
 女の子が泣いてるから、そんな風に言ってくれるのかな。和君は何だかんだ言いながら、いつも女の子には優しいから。
「嘘、つかなくてもいいよ。和君。私、分かってるから。気を使わなくていいよ」
 そう言うと、和君は掴んでいた私の手首を乱暴に離した。すこし、手首がじんじんする。それだけ、力を込めて和君は私の手首を握っていたんだ。
 そう思った瞬間。
 ぱんっ。と、大きな音が私の耳の近くで鳴った。
 じんわりと、両頬に痛みが広がる。和君が私の頬を、両手で音が鳴るほど強く挟んだんだ。
「分っかんねぇ奴だな。俺は、おまえが好きだっつってんの。他の誰がおまえを嫌いだって言おうが、俺はおまえが好きだ」
 和君の顔が近い。和君の掌に包まれた頬が熱い。
「うそ、うそうそうそ。嘘だぁ」
「嘘じゃねぇよ。おまえが望むなら、彦星にでも何でもなってやるよ。わらじを千編めっつうなら、やってやるよ。やってやろうって気になるくらいおまえが好きだよ」
 叫ぶように言われた和君の言葉が、胸に響いた。
 和君、七夕天女のお話、憶えてたんだ。
 小さい頃、私がいつも持ち歩いてた絵本。
 ふと、幼稚園の頃の事が頭を過ぎった。
 幼稚園の時、和君が言ったあの一言。

『大きくなったら、ボクが彦星になって、織恵ちゃんをお嫁さんにしてあげる』
 彦星になっちゃったら、一年に一回しか逢えないんだよって、言ったら和君は、
『なら、ボクはボクのままで織恵ちゃんと結婚する。そしたらずうっっと一緒にいられるでしょう』

 そう言ってくれた時の和君と、今の和君が重なった。
 あの時同じくらいだった背丈は、今はもう和君の方が少し高いけど。
 ねぇ、信じていいの?
 信じてしまってもいいの?
 本当に私を好きでいてくれる?
「ねぇ。本当に私のこと好き?」
 そう問うと、和君は私の頬から手を離して、そっぽを向いた。
「何度も言わせんな、バカ」
 私の涙腺は壊れちゃったのかもしれない。
 もう、これ以上は出ないだろうってくらい泣いたのに、また涙が溢れてきちゃうんだから。
 私は和君に抱きついた。
「うへぇ」
 和君が奇妙な声を出したけど気にしない。私は和君の肩に顔を寄せて、泣いた。
 和君は、最初あたふたして辺りを見回していたみたいだけど、最後は私の背に手を回してくれた。



 和君の服の、肩の部分をぐっしょり濡らしたあと、私はようやく泣きやんだ。和君にもう一度最初から私が逃げ出した理由を説明して、私は和君とともに、一度家に戻ることに決めた。
 雨川に架かる橋の上を歩いていた時、ふと前を歩く和君が足を止めた。
 どうしたのかと思って、私も足を止めて和君を見ると、和君は私に向かって、無造作に右手を差し出した。
「んっ」
「何?」
 和君は左の頬を人差し指で描きながら、そっぽを向いてしまう。
「手ぇ、つなぐんだろ」
 和君の頬は夜目にも分かるくらい赤くなっていた。照れてるんだ。そう思うと何だか私も照れくさい。
 両親が離婚する。そんな最悪な事態は変わっていないのに。私のことを好きでいてくれる人が近くにいると思うと心強い。さっきまでのどん底の気分がまるで嘘のように。
 私は和君の差し出してくれた手をそっと握った。
 すると、和君はぎゅっと私の手を握り返してくれる。
 ゆっくりと、夜道を家に向かって歩く。
 和君がいれば大丈夫。
 きっと、大丈夫。
 私は帰ったらお父さんとお母さんに聞こうと思ってる事がある。
 ねぇ、私のこと好き? 愛してる? って。
 どんな答えが返ってこようとも、私はもう大丈夫。きっと前を向いて歩いていける。和君がいるから。
「えへへ」
 私の口から笑い声が漏れた。和君が好きだって言ってくれたことが何だか嬉しくて、くすぐったくて。
「何で笑ってんだよ。気持ち悪ぃな。」
「だって、嬉しいんだもん」
 その答えに一度振り向きかけた和君だったけど、結局和君は私を振り返らなかった。
 前を歩く和君の背に私は言った。
「私も、和君大好きだよ」
 小さな声だったけど、多分和君には聞こえたと思う。
 私たち以外に人の通ってない、橋の上。満天の星空の下で。私の手を握る、和君の手の力が強くなったから。
 


 今日は七夕。
 今年はちゃんと、笹を買って、笹飾りを作った。
 短冊には、まだ願いを書いていない。一緒に書こうと約束している人がいるから。

 両親の離婚騒ぎから、もう一年が経った。
 あの日。和君に連れられて、家に帰った私は、両親に思いをぶつけた。
 ねぇ、私のこと好き?
 愛してる?
 そう聞いた私に、両親は何の迷いもなく。
『当たり前だろう。織恵は、お父さんとお母さんにとって、一番の宝物だ』
 そう言ってくれた。
 その言葉だけでじゅうぶんだった。
 お父さんとお母さん。どちらか一人を選べなかった私は、雨川を挟んだ川向こうに住む父方の祖父母と暮らす事にした。学区が違って、学校は転校しなきゃならなかったけど。和君と離れ離れになるのは寂しかったけど。でも、そうすることを選んだ。

 今は、とっても幸せ。
 私には、妹と弟ができた。お父さんの所には男の子。お母さんの所には女の子が生まれた。
 たまに、小さな弟と妹に会いにいってる。
 でも、今日は……。
「織恵」
 橋の袂で待っていた私は顔を上げた。去年より十センチ近く身長の伸びた和君は、以前に増してかっこよくなった。私は橋の真ん中辺りで、手を振ってる和君に手を振り返す。
「和君」
 走って私のところに来た和君は、何も言わずに、私の手をとる。
 並んで歩く時、私達はいつも手をつなぐ。
 少しの照れはあるけれど、こうやって一緒に歩いていくの。
 一年に一回しか逢えない、織姫と彦星が羨ましがるくらいに。
久々の投稿になりました今作は、針井さま主催の『七夕企画星に願いを』に参加させていただいたものです。今回は苦手なことにチャレンジした作品でもあります。お楽しみいただけると幸いです。
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