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夏休みの魔法 なろう用

作者:Ginran
遊言社(会)提出用短編小説です。
会誌ことのは掲載に加筆する予定です。
 桜の下には死体など埋まっていない。柳の下に幽霊などいない。でも境内の下には姉さんがいた。これはそんなひと夏の、一晩だけの思い出。

 子供の頃には誰も自分が特別だと思っていた。ヒトより勉強が優れていたり、ヒトより脚が速かったり。ヒトより字が上手かったり、ヒトより友達が多かったり。僕の中の特別は『どんな場所からも家に帰れる』というあまり人様には理解されない、自慢もできないたぐいのものだった。

 でも、それでも。
 自転車を漕ぎ出せばなにも怖いものはなかった。踏破してきた道を戻るくらいなんでもなかった。どんなにメチャクチャな順路を辿ったとしても、必ず家に帰り着くことができた。そんな帰巣本能のようなモノが、僕の夏の宝物だった。

 *

 さて、事件はその翌年の夏休みだった。僕は手足をもがれてしまった。実際四肢をどうこうされたわけではないが、それに等しいものを奪われた。今年の母は去年までの母ではなかった。夏の間、全く家におらず、勉強もしない僕に、自転車に乗ることを禁じたのだ。

 自転車だけではなかった。
 家の中から父親の痕跡が次々と消えていった。父のタオルや歯ブラシも、玄関に置いてあった革靴も、父がよく使っていた孫の手も、日を追うごとに消えていった。父と母が離婚したのだと、家から父が居なくなった日から、なんとなく察していた。そして母は徹底して家の中から、父を想起させる物物を排除していった。最後の大きな牙城が、僕が毎日乗りこなしていた父からの贈り物、自転車だった。

 自転車の代わりとばかり、僕に与えられたのは多くの勉強課題だった。母は僕から自転車を奪っただけでなく、外に遊びに行くことも禁じ、それまで影も形もなかった『お受験』なる難敵を僕にあてがい、それに向けた攻略を命じてきたのだった。

 これは流石に白旗だった。
 灼熱の炎天で愛機を駆り、何十キロでも踏破する蛮勇な僕であっても、何年も先に訪れるはずの『中学受験』とやらは、目にも見えない音にも聞こえない正体不明の大魔王だった。さらに。夏休みの間中、一歩も外に出ることも叶わず、遊び道具の全てを奪われた僕のストレスは、正常な判断ができないほど、僕を追い詰めていた。

 解いても解いても降り積もる課題テキストの山。家でゲームをすることさえ禁じられた僕はまるで牢獄のような家から脱出することを思いつく。夏休みも半分過ぎたその日の夜、僕は母が寝静まるのを待って、窓から脱走した。




 道は暗かった。
 目の前には別世界が広がっていた。頼りない外灯に照らされた夜道を僕は無謀にも駆け抜けた。夜のサイクリングは昼の世界とは全然違っていた。真夏の残滓のようにアスファルトから立ち上る淡い熱。そしてその熱を撹拌するだけの生ぬるい風。夜なのにじっとりと肌が汗ばんで、全身に不快感が纏わりついてくる。

 慣れ親しんだはずの道は、昼とは違う夜の顔を見せ、まるで初めて通るような新鮮さと、一種の不気味さを同時に醸し出している。外灯や家々のマドから漏れる灯りは頼りなく、夜空を彩る半分になった月明かりがなければ、とても自転車を漕ぎ続けることは適わなかっただろう。

 そうして一時間近くも自転車を漕ぎ続けて、僕はようやく観念した。違う、と。僕が求めていたサイクリングとは昼の世界のものであり、夜の中を駆けるのは全く違うのだと、そう思い至った。

 僕はノンストップで漕ぎ続けていた足を止め、ブレーキを握りしめて立ち止まった。後ろを振り返った。知らない道が、ただただ横たわっていた。どこをどう走ってきたのか、思い出せない。辺りはどこかで見たことがある住宅街。でも決して知らない初めての家々が並び、自分が今どこにいるのか全くわからなくなっていた。

 僕の中に存在するはずの夏の魔法、『どんなところからでも家に帰れる』という特別は働かなくなっていた。そもそもその魔法は日中、懸命に自転車を漕ぎ続けて家に帰り、熱い風呂に入って、母の作った晩飯をたらふく食べ、涼しい部屋で布団に就くという幸せを前提にしている。今の僕はどうか。家に帰りたくない。帰れば閉じ込められ、やりたくもない勉強ばかり。遊ぶことも外に出ることももうできなくなる。そんな僕に帰巣本能が働くはずもなかったのだ。

 汗だくになって気持ち悪いはずなのに、体の芯はスーッと冷えていく感じがする。僕はノロノロと自転車を反転させ、とりあえず来た道を引き返すためペダルを踏み込んだ。ガシャン、と、砂利をタイヤが踏み上げた。構わず漕ぎ出す。ガクン、とサドルから尻に伝わる感触が変わる。ハンドルが取られ、危うく転びそうになる。タイヤが再び砂利に乗り上げ、今度はその衝撃がダイレクトに伝わってきた。

 パンクだった。弱り目に祟り目とはこのことで、多分、方向転換をしたときに何かタイヤを傷つけるようなモノを踏んづけてしまったのだ。僕は途方に暮れた。ここがどこかもわからない、地名を見ても記憶にない、自転車はただの重い鉄の塊になって、時間は恐らく深夜。もうどうしようもできなくて、泣いてしまった。洟をすすりながら、自転車を引いて、歩き出した。

 *

 たどり着いた先は川沿いの公園だった。長い昇階段の向こうにぼんやりと小さな鳥居が見える。その麓には神社が祀られ、そして夏祭りだろうか、境内の周りには多くの模擬店が骨組みを外し、鎮座している。うだるような暑さの残滓が、境内には残っている。これから始まるのではなく、祭りは終わった後だとしれた。ザリザリっと潰れたタイヤが砂利を踏みしめる音をさせ、僕は境内の小脇に自転車を停めた。

 歩いているうちに流れ出ていた汗は引いていた。だが、ベタベタとした気持ちの悪い不快感がまとわりつき、どうにも我慢できない。僕は公園内の水場に向かうと、蛇口を上向きに捻り、思いっきり栓をひねった。飛び出した水は思惑を外れ、頭を飛び越えて全部背中にかかった。「うわっ」と声が出るが、存外気持ちがいい。もういいか、という諦観と共に頭から水を被り直し、着ていたTシャツをタオル代わりに体中を洗っていった。

 スッキリした。濡れ鼠みたいな有様になった僕は寝床を探す。もう家に帰るのは諦めていた。それよりもくたびれすぎて、早く休みたい。走った距離はいつもよりもずっと少ないはずなのに、慣れない夜道は思ったより以上のストレスを与えていたのだと思う。

 ジャングルジムの下、神木と思われる大きな木の根元などで休もうかと思ったが、真っ暗だったので却下した。やっぱり愛機の直ぐ側にいたいと思い、境内に戻ると、頼りないけど小さな外灯が降り注ぐ賽銭箱の辺りがいいと思った。ダメだ。ブンブンとヤブ蚊がすごい。困り果てながら結局僕は、高く張った神社の床下で休むことにした。

 床下はひんやりとしていた。
 まるでここだけ違う世界のように一段と気温が下がっている。
 床下から見上げるのは薄暗い境内。鳥居の向こうまで石畳が続き、左右には明日の朝、片付けるばかりの屋台骨たち。僕の愛機は外灯の下に停めていて、ここからでもよく見える。少しだけ安心した。

 どうしてこんなことになったんだったか。
 父さんと母さんが離婚して。違う。
 いきなり中学受験の話が。違う。
 自転車がいきなり壊れて。違う。

 父さんがいなくなったことは悲しかったけど、どうしようもないことだと理解していた。母さんが苛立ち紛れに僕に当たるのも仕方がないと思う。自転車が壊れたのは僕自身のせいだ。普段なら絶対しないような乱暴な取り扱いをしてしまった。

 去年の夏休みはあんなに楽しかったのに、今年の夏休みは散々だ。極めつけがこんな知らない町のオンボロの神社の暗い床下で一夜を明かさなきゃならないなんて。

 寒い。
 あんなに熱かった身体は、水浴びのせいかすっかり冷えていた。
 なんでこんな目に遭わなければならないのか。
 かと言って家にも帰れない。帰りたくない。
 もうどうしたらいいのかわからない。
 このまま消えてしまいたい。

「やっほ」

 その声はすぐ耳元から聞こえた。
 ギョッとして隣を見る。
 暗闇に真っ白い肌が見えた。

「あ、え?」

「ねえ、泣いてるの?」

 再びの問いかけ。僕のすぐ隣に女の子が座っていた。
 中学生くらいだろうか。短パンにノースリーブシャツを着ているのに、手脚は全く日に焼けていない。白すぎる肌が闇の中にぼんやりと浮かんでいた。

「え、誰?」

 マジマジと顔を覗き込まれ、僕は目を白黒させながら問い返した。

「キミこそ誰だよ。ここは私の特等席だぞ」

 バッ、と両腕を大きく拡げる。
 こんな狭くて暗い空間でそんな動きをするから肩に腕が当たる。痛い。

「そう、ごめんなさい」

 せっかくひとりで休めると思っていたのに、ヒトが居るんじゃ意味がない。
 僕はせっかく落ち着けた身体を起し、床下から這い出ようとする。

「待った待った。こんな時間にこんなところにいるからには訳ありなんだろう。どうだい、何かあったかお姉さんに話してごらんよ」

「ええー」

 なんというかノリが違いすぎてついていけない。
 僕はひとりでしんみりと、自分の浅はかさであるとか、母からの理不尽とかを噛み締めたかったのだ。それなのに、隣にこんなうるさいヒトがいては気が休まらない。

「あー、今すごくめんどくさいって思ったでしょう?」

「え、いや、そんなことは」

「ひどい。私は心配してるだけなのに」

 ぐすっ、と鼻をすする音をさせて、じっとこちらを睨めつけてくる。
 外灯から零れた僅かな光源だけが頼りの床下で、暗闇にも慣れれば相手の表情もよく見える。日焼けとは無縁の白い肌は、闇の中でも薄ぼんやり光って見えるほどで、でも唇を尖らせて恨めしそうにしている顔は、どうみても悪いものには見えなかった。

「ねえねえ、あの自転車キミの?」

 再び僕が腰を落ち着けると、彼女は僕の膝頭を叩きながら愛機を指をさした。
 こくり、と静かに頷く。互いの距離が近いので、小さな所作も気配で伝わる。

「そっか、あんなに使い込んでる自転車って初めて見た。あ、でも私は自転車乗ったことがないんだけど。ねえねえ、自転車に乗るってどんな感じ?」

 よくしゃべるヒトだと思った。暗闇の中、キラキラと好奇心に満ちた瞳が僕を見つめてくる。

「自転車は楽しいよ」

「何が楽しい? やっぱり速いから?」

 首を振る。

「いろんな景色を見せてくれる」

 僕は去年の夏、一月かけて様々な場所に行った話をした。
 本来なら車で行かなければならない場所も走破した。
 ジリジリと陽炎が立ち上るアスファルトや。
 全てが色濃く鮮明な真昼の景色や。
 西の空に沈みゆく夕日に背を向けてひた走った話など。

 真っ暗な床下でお尻を突き合わせながら、僕はいつしか夢中で話していた。
 そう、楽しかったんだ。また今年も、あの日差しの元を、相棒と一緒に駆け回れると思っていたんだ。それなのに・・・。

「ぐすっ」

 僕はいつの間にか、自分のことを全て話していた。
 去年はあんなに楽しかったのに、今年の夏はとても辛いこと。
 こらえ切れず、涙が溢れた。

「そっかあ。確かに辛いよねえ。私でもおんなじように家出しちゃうと思う」

 女の子は僕の肩を抱き寄せながら、空いた手で頭をそっと撫でてくれた。
 水で流しただけのゴワゴワの髪を、優しく丁寧に梳いていく。

「でもねえ、きっとお母さんは心配してるよ」

 ブンブンと、頭を振って否定する。
 押さえつけるように、でも労るように、再び頭に手が置かれる。

「絶対そう。今頃もうボロ泣きだよ。だってさ、お父さんもういないんでしょ。だったらもうお母さんにはキミだけしかいないんだよ。勉強のこともね、多分、お家にいて欲しかったのさ。お母さんのそばにいて欲しかったんだよ」

 言われてから初めて気がついた。
 夏休みの間中、僕は母のことを省みたことがあったろうか。
 僕がいない間、父もいないあの家で一人きりになる母のことを考えたことがあっただろうか。

「帰るんだ。明るくなったら自分の家に。大丈夫。きっとたどり着けるよ。家に帰りたいって、お母さんに会いたいって思えば、キミは魔法を使えるさ」

 どんな場所からでも家に帰れる。
 必ず知った道に出られる才能。
 帰巣本能のような、僕の夏の宝物。
 ひと夏の魔法。

 頼りない外灯だけがほのかに照らす神社の床下で、僕は一晩中、彼女に抱かれながら話をした。汗が冷えた身体は、いつの間にか暖かくなっていた。僕がポケットからピーナッツ飴を取り出すと、彼女は子供のように喜んで頬張った。

 翌朝。
 気がつくと僕はひとりだった。
 じーわじーわと早くも鳴き出したセミと朝焼けの空。
 今日も厳しい暑さになると、すぐわかった。

 そして、どこをどう歩ったのかは思い出せない。
 でも気がつくと僕はパンクした自転車を何十キロも引きずり、自宅の前へとたどり着いていた。

 家の門の前には、炎天下にもかかわらず母が立っていた。
 僕はまず思いっきり抱きしめられてから、泣きながら叱られた。
 あの女の子の、神社の床下にいたお姉ちゃんの言うとおりだった。
 これからはもっと、母のことを大事にしようと、そう思った。

 *

 あれから7年目の夏がやってきた。
 高校最後の夏休みだ。
 大学受験を控えて夏期講習に追われる毎日だが、今日だけは外せない予定がある。

 小学四年生だった僕が、一夜だけ過ごした神社の場所はすぐにわかった。
 なんと自宅から二十キロ以上も離れた場所だった。
 あれから何度も、この神社に通っている。
 でも、あの女の子には一度も会えていない。

 僕が中学に上がる頃、偶然この神社を管理してる宮司さんに話を聞くことができた。
 神社の境内の裏、鬱蒼と雑木林が広がるそこに、小さなお社が立っている。
 中身はお地蔵様で、この神社で亡くなった子供を供養しているのだという。

 調べればすぐにわかった。
 もう十年以上も前、離婚した夫婦の父方に引き取られ、この神社のすぐ近くのアパートに暮らしていた女の子。外に出ることを禁じられ、ずっと虐待されていたという。そして、ようやく家から脱出したときにはもうフラフラで、この神社の床下で息を引き取っていたそうだ。

 その話を聞いてから僕は、毎年彼女と出会った夏祭りの日に、この神社を訪れている。お腹をすかせて亡くなったという姉のために、大量のお菓子と、あの夜、一緒に食べたピーナッツ飴をお供えしているのだ。

 たった一晩だけ出会った幽霊。
 僕なんかよりよっぽど辛い目に遭っていながら、僕の心を救ってくれた女の子。
 どんなに感謝してもしきれない。

「やっほ」

 振り返ると、女性が立っていた。
 大学生くらいだろうか。
 ノースリーブシャツとホットパンツから真っ白い手脚が露出している。
 スポーティなマウンテンバイクを小脇に停めて、屈託のない笑みをこちらに向けた。
 あれ、なんか、もしかして?

「お姉ちゃん?」

「お、やっぱり会ったことあるよね。なんか面影あるし。今日も自転車? ほらほら、私もあのあとすぐに自転車買ってもらってさあ」

 すっかりハマっちゃったんだよねえ、と彼女が言う。
 ノリがまったく一緒だ。あの夜から全然変わってない。
 僕はずっとあのときの女の子に逢いたくて、この場所に何度も足を運んでいることを告げた。

「ああうん、私あのあと引っ越しちゃったんだよね。あの夜がこの町で過ごす最後の夜で。お祭りに夢中になって、お腹いっぱいになったら寝ちゃったんだ」

 だからってあんなところで寝るか普通?

「それで最近この町に戻ってきたの。ところでなんでキミはそんなおっきなお菓子の袋抱えてるの?」

「は、はは」

 お供え物のお菓子の説明をすると、彼女は大爆笑した。
 ケラケラとお腹を抱えて笑っていた。
 そしてひとしきり笑ったあと、自転車のスタンドを跳ね上げながら言った。

「とりあえず、一緒に走ろっか。積もる話もたくさんあるだろうし」

 その前に、僕はとっくに別の魔法にかかっている。
 暑い暑い夏休みになりそうな、そんな予感がした。
読んでくださってありがとうございますm(_ _)m

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