魔法の力
「魔法の力はね、空より幅広く、海よりも奥深いもの。あなた達が学んでいるのは、まだほんの入り口」
悠々と決闘場を闊歩する音が聞こえる。
「大気の魔力を識ることもできず、満足に制御することも出来ない。そんなのだから、魔導書に振り回されるのよ」
こちらへ向けてまっすぐ歩み寄るイリス。彼女の右目がダニエルを捉え、拘束する。
――魔眼
対象となる相手を視界に捉える、または目を合わせることで発動する吸血鬼の真祖の特殊能力。
石化の魔眼は彼女の両親、ヘスターとエイミアがそれぞれ持ちうる魅了の魔眼が受け継がれ、進化したもの。
相手を視界に入れるだけで行動の一切を封じ、その気になれば全身だけでなく心臓の鼓動すらも止めることのできる必殺の魔眼。
仰々しく相手の出方を伺う必要も無い凶悪無比の彼女の視線に、ダニエルは苦悶の声を上げる。
“な、なにを訳の分からないことを……大気の魔力を認識する?しかも制御が甘い?……そんなこと――”
「今、無理だと思ったわね。だから駄目なのよ」
「っ!?」
“こ、こいつ正気か?正気で言ってるのか……?”
零れるようにして落ちた二本の杖と、魔導書を拾い上げるイリス。そんな彼女の言葉に、ダニエルは戸惑う。
大気中に含まれる魔力――通称『マナ』の運用考察についての論文は彼も耳にしたことがある。
『マナ』とは、この世界を構成する一の要素にして、全なる源。それを魔法という手段でもって現実世界に影響を及ぼす。
魔法士は己の体内に宿った魔力を操り、魔法を行使する。この理由は単純なもので、人々に宿る魔力は密度が高く、魔法の発動のための魔力をかき集めやすいからだ。
論文の中では大気中に含まれる魔力――『マナ』の存在に言及していた。
人々に宿る魔力と比べ密度は非常に低いものの、量だけは莫大に存在するマナ。
体内に眠る魔力に留まらず、これらにも干渉し操作することが出来れば、魔法は更なる発展を遂げるであろうという内容だが、その突拍子も無さと共に重大な問題があった。
この論文の前提条件として、人々が『杖なし』としての能力を保持していることが要求されていたのである。
杖や指輪などの媒体は、魔力を安定的に制御し人々に魔法の行使を容易にさせる。また魔法の暴発を防ぐ制御装置の役目も果たしているため、安全性の高い優れた発明品として受け入れられていた。
反面、こういった魔力媒体が広く普及されるにつれ、魔法士の間から安全装置を持たない『杖なし』という存在を忌避するようになっていった。
さらには――
……希少さ故の現実的な意味でも、人々の意識面からも不可能だと認識され、すっかり廃れてしまった論文内容であった。
「何よ、杖に頼らないとやっぱり駄目とでも言いたいの?本当、口先だけは達者ね。だったら最初から――」
「な、や、やめっ!?」
「魔法なんて使わなければ良いのよ」
バキッ、という音が鳴ると杖は簡単にへし折れ、魔導書はイリスの手元で炎を上げる。
それを地面に放り投げた後、杖も投げ入れると、瞬く間の内に燃え広がる。
「あ……あ、あああ……」
ダニエルのくぐもった声が漏れる。彼の魔法士としての命が終わりを告げるというのに、彼は何も出来ない。
焚火のように炎は燃え続ける。それをイリスは冷めた表情で自然に消えるのを黙って見届けていた。
「……ぼ、僕の負け、だ。降参、する。だ、だから……」
炭となったそれらを見たことにより、接着剤で固めたようなひきつった顔のまま、口をパクパクと動かして降伏するダニエル。彼女の魔眼の前に、自身の身に何が起来ているのかさえ理解できずにいた。
「助けてくれ、なんて甘ったれたことを言うの?こんなに事を大きくしておいてよく言えるね」
「っ……」
あんな、ただ書かれた内容を複製するしか能の無い魔導書を手に入れ、喜々としていたダニエルはもういない。
「あのちびっこだったら、最後まで絶対にそんなことは言わないはず。やっぱり、追いつめられると本性が出るって本当みたいね」
ここにいるのはちっぽけな人間ただ一人。イリスの色鮮やかな真紅の瞳がダニエルを一瞥する。
「後悔するなら後ですることね。そのための時間はたっぷりあるから」
そして、ダニエルと視線を合わせたイリスの左目に新たな紋様が現れ、
「さようなら」
「――!?」
彼の意識を闇の底へ引きずり込んでいった。
血のように滴り落ち、真っ赤に染まる雲一つない空。息をするたびにねっとりと張り付くような不気味で、怖気のする空気が辺りに満ちている。
「ど、どこだ、ここは……っ!?」
いつの間にか体を動かせるようになったダニエルが、せわしなく周りを振り返る。
朽ち果てた建物が立ち並んだ、不気味な廃村。
不快感をもたらす鐘の音。その独特の退廃的な響きに、生物としての根源的な恐怖を喚起させる。
“ささ、さっきはレスレックにいたはずだ……ここ、こんなところは……ししし知らないぞ”
いつまでもこんなところにはいられない。長くとどまれば正気を失いかねないと、ダニエルはゆっくりと足を踏み出す。
その際、彼は杖を取り出そうとして――
“ないっ!無いっ!”
当たり前の事実に気付いた時はもう遅かった。
ニマァ、と身の毛もよだつ不気味な笑顔を浮かべた何かが浮かび上がり、ダニエルはその口の中に取り込まれ捕食されていったのだった。
「……はっ!?」
ダニエルの意識が再び浮上する。その瞬間、彼は自身の体をまさぐり、どこにも異常がないことを確かめた。
“な、何だったんだ……さっきのは”
最後のあの光景は一体なんだったのか。確か、地面から出てきた何かに飲み込まれ、ばきばきと体を砕かれそして――
「そそそうだ、僕は……」
死んだはず。
血のように滴り落ち、真っ赤に染まる雲一つない空。息をするたびにねっとりと張り付くような不気味で、怖気のする空気が辺りに満ちている。
“なのに……ど、どうしてここにいるんだ、また……”
朽ち果てた建物が立ち並んだ、不気味な廃村。
不快感をもたらす鐘の音。その独特の退廃的な響きに、生物としての根源的な恐怖を喚起させる。
ダニエルは、さっきと同じ場所に佇んでいた。
「な、なんでだ?なんでなんだよ……ここはどこだ、それに……」
ダニエルはがむしゃらに走りだし、村の外へと駆け出していく。
しかし、いつまでたっても出口は見えない。路地を曲がるごとにまた新たな路地が現れ、それが何度も続いていった。
民家の前に置かれている壊れた人形、ぼうぼうと草木に浸食され、延々と続く路地裏が彼の精神を蝕んでいく。
そして、彼がへとへとになりながら一軒の小奇麗な民家で休もうとする。
草木は一本も生い茂っておらず、しかも入口の扉も真新しい。
不自然に思いながらドアノブに手をかけた途端、その扉から一斉に伸びた針がダニエルを串刺しにすると、そのまま彼は絶命した。
「ひ……は、ははは……」
目の焦点が定まっていないダニエルが廃村をさ迷い歩いている。
傷一つ負っていなかったが彼の心は崩壊を起こし、自己の存在そのものを疑っていた。
数えきれないほど、彼は死んだ。
死ぬ寸前までの意識ははっきりと残っており、絶望に満ちた断末魔を上げ、気が狂いそうになるほどの苦痛を何度経験したことか。
どこへ行こうと似たような風景が延々と続き、決して出口は見当たらない。まるで、村自体が最初から出口の無い小さな箱庭のようにも感じられる。
何をしようと必ず死ぬ。ダニエルの死という運命があらかじめ決められており、それが彼の行動の如何によって、ほんのわずかな間だけずれているだけの事のように思える。
それと同時に、彼は絶対に死ぬことはない。
死んだと思われた直後、何事も無かったかのように意識を取り戻し、再び元の場所へ戻される。
永遠に繰り返される悪夢のような死の連鎖。それによりダニエルは死という概念に疑問を抱き始め、この場所が夢か現実なのかもおぼつかなくなっていった。
「こ、ここから出してくれ……」
終わらない悪夢が何時までも続く。
「ここからだしてくれェェぇぇ!!」
こうして彼はまた、地面に突如空いた強酸の落とし穴にはまり――
「ぎゃあアあァァ!!」
全身の皮膚が焼け爛れる痛みに絶叫を上げ、沈み込んでいくのだった。
「人間は脆いね」
虚ろな眼となり、硬直したままのダニエル・クラッセン。よだれをたらし、口がほんの僅かだけ痙攣して何か言葉を発しようとしたみたいだが、イリスには決して届かない。
「腕の一本、足の一つが無くなっただけで大騒ぎするし、すぐに壊れる。良いわね、簡単に死ぬことが出来て」
不老長寿の種族が大勢いるアルカディアの住人の中で、とりわけ強靭な生命力を持つイリス。その吸血鬼の真祖たる彼女は独特の価値観を持っていた。
死ぬことで全ての罪が許され、当の本人は苦しみから解放される。
そんな甘えた考えを反吐が出るくらい嫌っていたイリスが欲するのは、命乞いの言葉ではなく、自ら死を望む魂の懇願。
「精神への干渉は原則禁止。アルカディアではそうなってるけど、あんたみたいなやつには関係ない」
――支配の魔眼
洗脳による絶対服従、意志の剥奪による廃人化等、人の尊厳をことごとく踏みにじり凌辱するイリスの左目に発現した魔眼。
対象者を『箱庭世界』という精神の檻へ永久に閉じ込めることも可能な彼女の魔眼は、王の騎士団に許された精神干渉魔法以上の力を持ち、視線を合わせるだけで発動する。
死という概念が希薄なアルカディアでも畏れられる精神汚染の魔眼。
彼女の左目はダニエルの精神、人間としての自我を無限地獄の闇へと葬り去った。
「アイリスみたいに優しくないからね。何千何万回死んでも、私は許さない」
物言わぬ何かとなったダニエルを見据え、独り言をするイリス。瞬きをして両目の魔眼を解除、紋様が消え宝玉のような真紅の瞳に戻った後、決闘場の出口へと向かう。
だがそんなとき、天井にまだ残された大きな瓦礫の破片がダニエルの頭上に落下した。
「……運が良いね」
彼がいたと思われる場所から流れ出る真新しい赤い何か。それは紛れもないダニエルの血。
イリスはつまらなそうに踵を返し、荒れ果てた決闘場を去って行った。
◆◆◆
フォーサリア宮殿の正面玄関では物々しい雰囲気に包まれていた。
事前に戦闘があったのか、壁面や廊下の一部が黒く焼け焦げ破壊されていたこの場所に、一人の男が乗り込んできた。
「な、貴様はっ!?」
魔導書を持った高慢な様子を伺わせる中年の男は、堂々と現れた顔立ちの整った青年に驚かざるを得ない。
「ヴァラルっ!!何故お前がここに!?」
男の視界に映る青年の名はヴァラル。オーガの集団を相手取って生還し、宮廷魔法士を単独で打ち破ったとも噂される者がこうして目の前にいる。
振り返る十人ほどの男たち。宮廷魔法士とは違う、何か信念を持った者達のようだった。
「決まっているだろう」
所々錆の入った古めかしい鎧と、鞘に納まった一本の剣を装備したヴァラル。彼はどこ吹く風で男の問いに答える。
「お前たちを止めに来たんだよ。この国を乗っ取った所で、お前達じゃ到底やっていけない。おとなしく降伏しろ」
さらには、犯罪者の烙印を押されたままライレンを出るのは後味が悪く、今後の旅に支障を来たす。
ヴァラルは憮然とした態度で彼らに降参を促した。
「……俺達に説教をかますとは随分と偉くなったな。一時期目だっただけの冒険者が何を言う」
皇女に目をかけられたと言って、ここまでつけあがるとは。
団結を図っているのか、やたら仰々しい服装の男たちは杖と魔導書をヴァラルの方へ向け、その出方を伺う。
「偉そうなのはお前達の方だろうが。俺は親切心で言っているだけだ」
「……貴様、本気で言ってるのか?」
男の疑わしげな言葉が、再度ヴァラルに投げかけられる。
「本気だ。今ならまだやり直せる、これ以上あいつらに迷惑をかけるな」
「はっ、断る」
「……」
ヴァラルの警告を無視し、吐き捨てる男達。
「俺達はさっきまでこの国自慢の宮廷魔法士と戦い、そして勝った」
「ヴァラル、そんな俺達に貴様は何ができる」
げらげらと男たちは笑い声をあげる。どこで情報を得たのかは知らないが、この場へ単身乗り込み、降伏勧告を行うその度胸は認めてやる。
けれど、たった一人で何ができるというのだ。
「……そうか、それなら仕方ないな」
「……?」
だが、そんな嘲笑を受けても目の前の冒険者は何も言い返すことはない。
どこか落胆、いや失望しているようにも見える。そんな冷めきった表情の冒険者の顔が中年の魔法士達に僅かな疑念を抱かせた。
「お前たちがあくまでも抵抗するというのならそれでも良い。ただ、どうなっても俺は知らない」
その言葉に、男たちの顔が途端に険しいものとなる。
張りつめた空気がこの場に満ちる。
思えば、彼はこの国に来て一切の力を見せつけていなかった。それが男たちの顔を強張らせ、彼の行動一つ一つを慎重に見定めようとしていた。
男の一人が、緊張のあまりに頬から一筋の汗を流す。
魔導書と杖を構えいつでも魔法を放てるというのに、悠然とこちらを観察するヴァラル。まるでこちらが取って食われてしまうような威圧感に襲われてしまった一人の男。
「――ッッ!!」
戦闘が始まる。
魔導書に記載された古代魔法をヴァラルに撃ち放つ。
大氷塊。
大岩が丸ごと凍りついたかのような氷塊、それがヴァラルに差し迫る。だが、彼はそれを避けようとせず飛び出すようにして接近する。
「何っ!!」
そして、鞘に収まった剣を引き抜き、
「斬った!?」
大氷塊を真正面から斬り伏せた。
彼らが今の出来事に動揺するのを見逃さず、彼は一人の男に狙いを定め駆け出していく。
先ほどのとんでもない現象に理解が追い付かないまま、男は魔法を放っていく。
だが、ヴァラルとの距離は目と鼻の先まで迫っており、彼は再び現れた大氷塊を真っ二つにする。
「くっ!!」
ここまで接近を許してしまった男は焦りを感じる。必殺の魔法だったが、二度も彼を仕留め損ね、こうして彼に近づく猶予を与えてしまったことに屈辱を感じていた。
魔導書がぱらぱらと素早く開かれ、文字が浮かび上がる。男はすぐさま抗魔力防壁を発動する。大量の魔力を消費するため使いどころは限られるものの、魔法攻撃・物理攻撃の威力を大幅に減退させ、白き稲妻をも防ぎきる。
冒険者の攻撃を防いだ後は、すぐさま反撃に出る。屈辱は倍に返してやると、ヴァラルの斬撃をそのまま見届けた彼は、
「な、何だと……」
血しぶきをあげ、後方へ倒れ込むのだった。
「誰でも良いっ!!奴を、奴を止めろっ!!」
「距離だっ!!距離を取れ!!」
フォーサリア宮殿の通路で悲鳴が次々と上がり、血の海に沈む男達。
また一人、ヴァラルの剣によって斬り伏せられ、貫かれた。
動揺冷め止まぬ中彼らは応戦するが、状況は芳しくない。
休む暇も無く放たれる強力な古代魔法を剣一本で両断、弾き飛ばし、接近するヴァラル。
「だ、駄目だ!!全然止まらない!!」
壁を伝って疾走し、瞬く間に距離を詰めて剣を振りかざすその姿に、男たちの顔が青ざめてく。
身体強化によって得られたと思われるとてつもない身体技能と、抗魔力防壁さえも無効化させる白銀に輝く剣。
魔法士にとって天敵ともいえる武器を手にした彼に、手も足も出ない男達だった。
「ひっ!!」
五人、四人、三人と、次々と減っていく仲間達。
“ああ、あいつは一人なんだぞっ”
人を容易に刺し貫く大氷柱を無数に放ちながらも全てが弾かれ、両断される馬鹿げた事態に男は慌てふためく。
「ぎゃっ!?」
「っ!?」
また一人、斬られた。
ドサリと地に伏せた男をどうでも良さげに眺めるヴァラル。すぐさま彼は、次の男に狙いを定める。
「くく、来るな……」
またしてもあっけなく斬られた。今度は背を向けて逃げ出した男を後ろからバッサリと。
恐怖のあまりがちがちと歯を鳴らす男。彼はついにヴァラルと目が合ってしまった。
「来るなぁぁぁァァァ!!!」
杖と魔導書からがむしゃらに放たれる魔法の数々、秩序も何もあったものではない。
一発でも当たれば致命傷の魔の凶弾。それをヴァラルは臆することなく捌いていく。流れるように回避し、打ち払い、男めがけて駆けていった。
「黙れよ」
あっという間に男の目の前に立ったヴァラルは、横なぎに一閃。男の上半身と下半身は二つに分かたれ、命を落とした。
「次だ」
ヴァラルは気にすることも無く、奥へ進んでいくのだった。
フォーサリア宮殿は南北に分かれる広大な宮殿である。公務を行うための本館、リヴィア達が住まう別館の二つに分けられており、ヴァラルはその本館内で一人戦い続けていた。
最初の頃はヴァラルが圧倒的な力を振るい、彼らは一方的に押されていた。けれど、ここに占拠する男たちも負けてはおらず、彼らはヴァラルと邂逅するや否や一目散に距離を取り、撤退していく。ヴァラルの身体能力と剣に対する警戒心。男達は時間を稼ぎ、彼をおびき寄せるようにして犠牲を払いながら彼と戦い続けていったのだった。
遠くの方で男が扉の奥へ逃げ込んだのを見かけ、ヴァラルは彼の後を追いかけていく。
部屋の先には暗闇に覆われ、がらんとした空間が広がっていた。
レスレック城の大広間よりも小さくはあったが、正面には豪華な椅子が四人分並んでいる。フォーサリア宮殿の玉座の間に出た彼は、前に進みながら視界の端に映る左右の扉、どちらへ進めば良いかと考え始めていた。
そんな時、ヴァラルの足元の周囲から魔法陣が発動され、円柱の半透明の結界がヴァラルを閉じ込め、拘束した。
「いかがかな?フォーサリアの魔法結界は」
バタンと左右の扉から男たちが一斉に駆けつけ、身動きの取れなくなったヴァラルを一定の距離を保ったまま見据える。
数はおおよそ二百人、一人一人が魔導書を持っている。
また、その中の一人の男がヴァラルと向き合う形で現れた。
「少し窮屈だが、侵入者避けとしては中々のものだな」
「ふ、この期に及んで強がりか。流石だな冒険者ヴァラル」
ひげを生やし、頬に皺の寄った四十代ほどの男。思慮に長けながらも謙虚さがまるで感じられず、自分以外の全てを見下しているような傲慢不遜な態度。
「そっちこそこんなところにいたのか。やっと見つけたぞ、ディルム・グラニス」
ヴァラルはリーディングタイムズ社長である彼に向け、言葉を放った。
「……その様子だと、既に知っているようだな」
「おかしいと思ったんだよ。あんたの所の新聞社にいち早く載った写真。あれを撮影したのは誰だったんだということをな」
ヴァラルが宮廷魔法士の追撃から逃れた次の日に、示し合せるかのように載せられた写真と記事。
被害現場に映り込む自身に変身したダニエル・クラッセン。けれど、あの写真にはもう一人不可解な人物が潜んでいた。
撮影者である。
「善良な市民が持ち込んできてくれたのだ。決死の覚悟で撮影したものを我々に提供したのだよ」
魔法結界に囚われたヴァラルを余裕の笑みで眺めながら、言葉を返すディルム。
ここにいること自体、自らの犯行を認めているようなものだったが、それでもあえて彼は挑発に乗る。
「いいや考えられない。そんな金になる写真、俺だったら他の新聞社にも売り渡している。顔がはっきり映りすぎているのもおかしな話だ。あの暗がりの中、素人のできることじゃない」
犯行時刻はどれも深夜未明。次にどこが襲撃されるかも分からない凍えるような寒さの中、このような写真を一般人が撮ることは非常に難しい。
「スクープだったそうじゃないか。他の新聞社よりもいち早く犯人を見つけたからな、世間はリーディングタイムズの情報に夢中だ……かなり儲かったんだろう?俺をダシにして」
最初はダニエルたち宮廷魔法士の自作自演かと思っていた。調査の名目でどこにでも潜入出来、己を貶めるのならそれが一番手っ取り早いからだ。
「欲の皮が張ったな、ディルム」
ただ、一方的に情報を垂れ流すだけでは意味が無い。より効果的に世論を誘導させ、ヴァラルを犯罪者と印象づけ、クーデターを悟らせないために情報操作も並行して行われる必要があった。
あまりにも上手く出来すぎたこの流れ。疑念を抱いたヴァラル達は独自に調査し、ライレンで行われようとしている真実を突き止めたのだった。
「若造の分際で大したものだ、まさかここまで調べるとはね。驚きだ」
拍手を鳴らし、ディルムはヴァラルを称賛する。
「俺に知られたくないのなら……そうだな、それこそどこかにこもって、人との接点を極力断つことだな」
「そんな世捨て人のような真似、私には早すぎる。私はこの国の未来を憂いた一人の男。高尚な目的を持って参加している。まだやるべきことが山のようにあるのだ」
「……ドレクの事だろう、それは」
「何……?」
ヴァラルを眺める勝ち誇ったディルムの顔に陰りがさす。
魔法結界に閉じ込められながらも、ここまで強気に出られる彼の勇気は確かに驚くべきものだ。けれど、自身の立場を分かっていないヴァラルの不遜な物言いに、ディルムは苛立ちを感じ始めていた。
「お前、昔ドレクに負けたらしいじゃないか」
「……っ!!」
思い出したくもない記憶がよみがえったのか、ディルムはギリッと腕を握りしめる。
ここにいる宮廷魔法士とは違った男達。
彼らは恐らく、当時ドレクがライレンを訪れる前に我が物顔で闊歩していたディルムの取り巻き、あるいはその仲間達だろう。
「アザンテやダニエルをそそのかしたのもお前だろう?この国は間違っているとかなんとか言ってな」
クーデターを起こしながら、あのオーランドの追撃を煙のようにかわし、あの日まで生き延びたアザンテ。逃走経路の確保、情報攪乱を行ったのは目の前にいるディルムだろう。
そして、宮廷魔法士の扱いが以前よりも悪くなったことに付け込み、手に入れた魔導書を与え、ダニエル達を抱き込んだのも彼だろう。
「古代魔法研究会の卒業生、ディルム・グラニス。分かってるんだよ、お前達が陰で色々と動いていたことをな」
ヴァラルの淡々とした追及の声が、玉座の間に響き渡った。
「……くくっ、はははははっ!!」
病的なまでに高らかな笑い声がディルム・グラニスから洩れる。
正体を看破されたにもかかわらず、先ほどはヴァラルに対して嫌悪感を抱いていたのが嘘のように感じる。
「忌々しいドレクめ……」
強く握りしめた拳からは彼の血が滴り落ち、口元を歪める彼の表情は嫉妬や怒り、様々な感情がこみ上げてきているのが伺える。
「たった一度の敗北、私の生涯に泥を塗った唯一の汚点……知っているか?本来の『決闘』は、命を懸けた崇高な戦いだったということを」
安全性を考慮しつつ、互いの魔法力の向上を図る目的で行われるようになった決闘。それは、ドレクとディルムの一騎打ちが発端であった。
「私は全力で戦ったにも拘らず、奴は身体強化という魔法士にあるまじき魔法を使い、最後の最後で情けをかけた……分かるかね、その時の屈辱を」
当時を振り返り、憎々しく言葉を口にするディルム。恥を晒され、しかもこの日を境に手のひらを返すように変革していったライレンを、彼は憎悪し続けた。
「私を愚弄し続けるこの国など消えれば良い……やれ」
ぱちんと指示するように指を鳴らすディルム。すると男達の魔導書から威力を増幅するようにして徐々に魔力が集まり、吹雪の嵐がヴァラルへ襲い掛かった。
この場にいる全員の魔力を総動員し、ピシピシとひび割れる魔法結界。
「今の状態では剣を振るうことも出来まい」
「……」
射線上にある全てを凍りつかせる吹雪の大魔法。二百の魔導書のうちの五つに集束され、放たれる猛烈な寒波が、ヴァラルを閉じ込めている結界を外から破壊していく。
「私をここまで驚かせたことは褒めてやろう。何か最後に言い残すことはあるか?」
ここで無様に負けを認めるのなら、助けてやらんでもない。
ふんぞり返ったディルムの顔がヴァラルの目に映った。
「降伏しろ。今ならまだ――」
「……それは私の台詞だ、愚か者が」
最後まで己の立場をわきまえることの無い冒険者だ。
呆れたした調子で指示を下すディルム。猛吹雪の圧力に耐え切れず、バキバキと以前よりも大きな音でひび割れを起こす魔法結界。威力が強まっていく氷の大嵐。結界が解かれた瞬間が、彼の最後の時だ。
「さようなら、冒険者」
そして、ガラスが砕けるような音と共に、吹雪の嵐がヴァラルに直撃した。
急激な冷気により、キラキラと立ち込める氷の粒子。立ち込める白い霧で、先は見えない。
「……レスレック城の状況を確認しろ。少々手間取ったが、予定通りに事を運ぶ」
これで何の障害も無くなった。わざわざ彼がこちらから出向いてくるとは手間が省けた。
「一人で乗り込むなど……我らを甘く見すぎだ」
――いいや、十分だった
その一言が、辺りを支配した。
声の主は、正面の霧に包まれた中から聞こえてくる。
“馬鹿な……あれを食らって生きているだと!?”
男たちの間でどよめきが走る。
かつんと足音が響き渡る。白い霧が晴れ、青年がその場に悠々と佇んでいる。
白銀の剣を手に取り、漆黒の鎧を身に纏った冒険者。
「ま、魔法無効化装甲……だと?ふ、ふざけるなっ!!」
様相を一変したヴァラルの姿にディルムは愕然としながらも、怒声を上げる。
ヴァラルの身を包む漆黒の鎧、それは古代龍のマルサスの協力を得て造られたドワーフのエド渾身の一作。
古代龍はその戦闘能力もさることながら、その身に強大な魔力を内包し、悠久の年月を生きる伝説の生物。そんな古代龍の頂点に立つ黒龍マルサス、彼は魔法に対する耐性が突出して高く、他者を寄せ付けぬ圧倒的な防御能力を有していた。
――魔法無効化装甲
彼の体を覆う特殊な鱗によって、生半可な魔法など彼には一切通用しない。
ヴァラルの魔力に反応することで黒龍の力を宿す鎧、その防御能力はごく一部となったものの、男たちの魔導書による魔法攻撃を全て遮断する。
エドが造りだした真龍の剣と黒龍の鎧、その二つが共鳴するかのように光り輝いていた。
「ふざけてるのはお前たちの方だろう。降参しろと俺は言ったんだ。それなのに全く言うことを聞きやしない。今更取り消しは聞かないぞ」
「黙れ、黙れ黙れ黙れっ!!そんなものを持っているからって調子に乗るなっ!!それしか頼る能の無いお前が何を言うっ!!」
魔法を斬り裂き、魔法を拒絶する。
どちらも伝説級の代物ではないか。
化け物じみた性能を誇るヴァラルの武具に、ディルムはぎりぎりと歯を食いしばる。
そうだ、きっとその力でここまで成り上がったのだ。アザンテを倒したのも、あの武具の性能によるもの。決して本人の実力ではない。
身体強化もどうせ嘘っぱちだ。この国に来てから、彼は一度たりとも魔法を使わなかったという。
“魔法が使えないということを隠すために違いない――!!”
「借り物の力に頼ることしかできない落ちこぼれがっ!!」
仲間に指示を下し、二百もの魔導書から一斉に古代魔法が放たれる。
剣では決して捌けぬ一斉攻撃、
「借り物の力……か」
しかしその一切が阻まれる。鎧の一端に触れただけで彼らの魔法は全て打ち消され、急激な消耗のあまり攻撃は止んだ。
いかに魔導書を保持し常人よりも魔力を有しているとはいえ、あのような大魔法を放った直後に再び行使すれば、オーバーヒートを起こす。それを見計らったように、ヴァラルは左腕を男たちの方へゆっくりとかざす。
――星々の魔弾、展開
ヴァラルは短く、その魔法の名を口にした。
挙動に合わせ、五つの球体が男たちの集団に狙いを定め、配置される。
一つ一つが拳大の大きさ。それはこの国の誰もが扱うことのできる魔力弾。
それゆえ、ディルムは目の前の光景を信じられない。
ヴァラルの装備するあの鎧は、魔法無効化装甲。少なからず、鎧の影響を受けているのは明白だ。
それなのに、なぜ彼は魔法を行使できる――!!
黒龍の鎧の干渉能力を上回りながら装填され、展開された魔弾が五発、ジリジリと放電しながら宙に顕在していた。
「――!!」
全身がびくりと硬直し、これまでに経験したことの無い戦慄が襲い掛かる。
ディルムを含め、その言葉を聞いた勘の鋭い何人かの男たちがありったけの魔力を注ぎ込み、抗魔力防壁を全力で発動させる。
「――撃ち抜け」
彼の言葉と同時、煌々と輝く星の魔弾が一斉に放たれる。
光のように駆けるヴァラルの魔法、半円状に広がる男たちの集団に直撃し、飲み込むように衝撃波が発生する。
膨大な魔力の奔流が叩き込まれるようにして、玉座の間に激しく吹き荒れた。